二章 第八話「身分」
デュランダル総帥キールマンは、部下であるオーウェンから初めてその話を聞かされたとき、酷く興味を惹かれたものだった。
アマルティアが本格的に活動を開始したあの日、襲撃を受けるヌールで活躍した青年について。家族を脅威から遠ざけるため、単身アマルティアを追いかけようとした歪んだ親愛の情。身の丈ほどのハルバードと卓越した闇魔法を操る戦闘経験。その何れも印象に残ったが、最も気に留まったのが、オーウェンの彼に対する所感を聞いていた時であった。
『彼の纏う気はかなり独特なもの。他者とは良く和を保とうとしているものの、その振る舞いにはどこか遠慮が残り、冷静な貌の奥には、寂寥と諦念が垣間見える。まったく不思議な青年であった』
アマルティアと奇怪な縁を持ち、各地を流離うというその境遇も相まって。エルキュールを新たにデュランダルへ迎え入れることにそれほど時間は要さなかった。
そんな折、またしてもオーウェンから提案があった。
曰く、人付き合いを極力避ける傾向にあるエルキュールにとって、デュランダルの気風に馴染むのには苦労するのではないかということ。
対イブリス専門機関であるデュランダルは、公式に雇用を募ることをせず、総帥であるキールマンやその他幹部が認めた者にのみ所属を認めている。
活動内容が専門的で特殊な資質が必要な場面が多いため、そうした形をとっているが、選定された人員の間には地位の序列の枠を超えた信頼関係が構築されていた。
そして最後に選定を行ったのはかなり前のことになる。唐突に何の配慮もなしに新人を招き入れた結果、些末な人間関係の縺れで類まれなる逸材を失うのは避けたかった。
「……であるから、総帥たるわしが直々に茶目っ気を見せることで、君も心置きなく気を許せるだろうと、オーウェンがな。まあ、ずばり言うとそんな寸法だったわけじゃよ。はっはっは!」
向かいに座ったキールマンがスパニオ産だという抹茶を啜る。
その様を、エルキュールは複雑な面持ちで見つめていた。
用事があるなどと嘯きこの一対一の状況を演出したオーウェンも、わざわざそんな発想に乗ったキールマンも。不快ではないが、理解できなかった。
とにかく、今まで接してきた目上の人間にはまず見られない気質であった。グレンやジェナくらいだろう、このように擽ったい気の回し方をしてくるのは。
「ふう、妙に献身的といいますか……少し幼稚だと思います。普通の組織であれば、こうはならないでしょう」
敢えて言葉を選ばずに言ってみた。隠れて策を弄したことへの意趣返しも込めて偽悪を演じる。
キールマンはおかしそうに相好を崩した。
「はっはっは、失敬! 何分、普通の組織ではないのでな。何事も既存のものに囚われるばかりではよくないじゃろう?」
「……そう、かもしれませんね」
上手く言いくるめられているような気もしなくもないが、その言葉には
同意せざるを得ない。
エルキュールの今の状況とて然り。道なき道を歩くことが、間違っているとは認めたくなかった。頷きを返す。
妙な一幕に対する和解も済むと、キールマンは一転、真面目な顔をつくって着ていた黒服の皺を直した。
「さて、あまり時間をかけたくはない。ここからは手短に話すぞ。君をここへ呼んだのはずばり、これからの君の活動について伝えるためじゃ」
「デュランダルの臨時成員、作戦執行部の特別捜査隊だとか言ってましたね」
「その通り。オーウェンが率いる部門じゃ。ただこれは、あくまでデュランダル外に向けた肩書に過ぎず、実際に君が内部で動いてもらうことはほとんどないがの」
「……はい?」
間違いなくこの後は作戦執行部での活動について説明があるものだと思っていたが。話は予想外の方向へと動き出していた。
普通に作戦執行部で動いてもらうならオーウェンから説明させる、と至極真っ当な補足が入る。
それなら馴染める云々の話は関係なくなるではないか。エルキュールは溜息をついた。
「王都内の警護、もしくは他の都市や国からの応援要請には、今まで通り既存の人員を当てる。君にやってもらいたいのは、アマルティアと魔物を対象とした、能動的で探索的な調査じゃ」
魔物の調査、その言葉を聞いてすぐに思い至る。即ち特別捜査隊だと。
だが魔物に関する情報を集めることは、デュランダルも既に行っていることだろう。より効果的に人々の安全を確保するために、魔物の特徴や弱点、戦闘時における注意点などは周知させているはずだ。
「これは従来とは全く異なる枠組みでな。君も知っていることじゃろうが、最近の魔物はとても活発じゃ。アマルティアなるものまで現れ、その行動はわしらの予測を大きく超えている」
共通の目的のために徒党を組み、街を襲い、中には精霊の遺物まで奪った者さえいる。今までは獲物を求めて向かってくる魔獣を都度撃退していれば事足りたが、既存の戦略はもはや意味を為さなくなっていた。
「その混乱の中心、アマルティア。彼らの目的や素性、どれだけの魔獣を従えているか、あるいはその方法であったり。とにかく広範に捜査してもらいたいのじゃ。彼らについて熟知している君は適任だと思っている」
内容はよく理解できた。それが必要であることも、エルキュールを抜擢した理由も。
エルキュールとアマルティアには無視できない因縁がある。エルキュールを狙って近づいてきたザラーム。アルトニーの森で邂逅したミルドレッド。フロンとアーウェとは熾烈な戦いを繰り広げ、アランの命を奪った。
確かに他よりはアマルティアについて知っているといって差支えないだろう。
「けれど、それくらいのことは俺一人でもやるつもりでした。キールマン総帥の耳に届いているかは分かりませんが、俺は彼らに狙われている。……本当なら王都の平和のためにもここを離れ、すぐにでも目的のために動くつもりでした」
「ほう、狙われている、か。彼らはマクダウェルを唆して魔獣を生み出していた。ひょっとすれば、力の強い者に忍び寄り、魔人としたがっているのかもしれんな。無論、君以外にも言えるがの」
エルキュールが魔人である事実を除けば、ほとんど正解に近いと思える考察だった。
お道化た面もあるが、やはりデュランダル総帥は伊達ではない。エルキュールは居住まいを正した。
「それはさておき。なるほど、言われずともやるつもりだったのだから、わざわざデュランダルの傘下に入る必要はないと。そう言いたいのかね?」
「協力は惜しみませんが、一員として動くとなると迷惑をかけてしまうのではないかと」
「迷惑ではないぞ。君もこの王都を救った功労者じゃ。それに、デュランダルの名があれば、他の組織や国とも円滑にやり取りができる……とても便利なことだと思わんか?」
「身分、か……」
言われてから思い至る。エルキュールのこれまでの旅には、魔人以外の数多く身分が幸いしていたことに。
アルトニーに渡った時、ヌール難民という身分があったからあれだけ容易に受け入れてもらえた。アルトニーの騎士とも連携ができた。
王都に来た時、ロベールの要請を受けた身分であるからこそ、不便なく街に滞在することができ、戦闘の際にも外部の者と問題なく連携できた。
ただの魔人ではなく、ましてやヒトでもない。それら身分と便宜に与ることができたからこそ、余計な詮索をされずに今まで過ごすことができていたのだ。
「そうですね。俺が間違っていたのかもしれません。思えば、この滞在中も泊まるための部屋を用意してくれてましたし、復興のための人手として仕事を派遣してくださった。どれも多大な恩恵だ」
改めてデュランダルの世話になっていたことを自覚し、エルキュールは了承の意を示した。
「……感謝するぞ」
その言葉を待っていたかのように、キールマンは近くにあった棚から何かを取りだすと、机の上を滑らせてエルキュールの方へ渡した。
黒色の、薄く平らな箱。入れ物のようであった。
「これは?」
「中にはデュランダルの一員であることを証明する記章が入っておる。制服を着用することを好まないようであったので、これだけでもと思ってな。その他にも一つ、役立つものを封入しておいた」
開けてもいいかと確認を取ってから中を検める。
一つは不滅の剣を象った記章。衣服に付けるためのピンが付いている。
そしてもう一つは、黒い俵状の物体。掌に収まるくらいの大きさのそれは、見てくれだけでは用途が窺い知れない。
率直に訊ねてみようとも思ったが、そもそもそれ以前の問題として。
「なぜか四組あるようですけど……予備のつもりですか?」
「違う。一組は君の分として、もう三組は君の仲間の分じゃよ」
「仲間? ……そう言えば捜査隊という名目でしたが、俺の他にも人員が?」
「いや、それも違う」
エルキュールは面食らった。どうしてありもしない者のために用意がしてあるのか。
戸惑う魔人に、キールマンは最初にあった時と同じ、柔和で、それでいてお道化たような顔で言った。
「捜査には伝手がいる。戦いに備えるのなら経験豊富な者が良いじゃろう。よって君には、君の裁量で特別捜査隊の人員を増やすことを認める」
「認める……って」
急な話に余計に困惑する。
確かにキールマンの言うことは尤もだが、急に頼み込んで魔物の調査に協力してくれる者がいるかは怪しい。
組織の方で人員を確保してくれた方が確実なのではないか。目で問うてみるが、総帥の意思は変わりない様子。
「君が信頼できる者でなければ意味がない。デュランダルの雇用における理念と同じじゃよ」
上官にそう言われてしまっては反論の余地もない。実際に行動に移すかはさておき、四人分の記章はそのまま受け取る。
それからエルキュールは気を取り直し、渡されたもう片方、黒い物体の方について確認することにした。
形や大きさから手で握られることを想定して造られたものであることは分かるが、それ以外の用途はやはり不明だ。
魔素感覚を澄ましてみると、微かに闇の魔素を感じた。
魔動機械の一種だろうか、と投げかける。キールマンは鷹揚に頷いた。
「それは魔動収納機。ローリーが開発したデュランダルの特殊武装の一つじゃ。魔素を込めればゲートを発動し、デュランダル地下区画に広がる倉庫に繋げることができる。旅先で手に入れた物資や紛失したくない物はこれを通じて倉庫に保管するとよいじゃろう」
「機械の収納……これもデュランダルの技術ですか。貴重なもののようですが、本当に貰っても?」
「なに、構わんよ。特別捜査隊の活動は、今のところ君にだけ大きな負担を強いてしまっている。せめてこのくらいはさせてもらわねばの」
エルキュールとしてはどれだけ道が険しかろうが進む心積もりではあったが、せっかくの厚意は受け取っておくべきだろう。
礼を言って、試しに先ほど貰った余分な記章と魔動収納機を仕舞ってみることにした。
球状の魔動機械に魔素を込めると、たちまち掌に黒い穴がぽっかりと空いて、物は瞬く間に吸い込まれていった。
あまりの簡単さにエルキュールは目を丸くした。「便利じゃろう」とキールマンが笑う。
「さーて、用件はこれで終いじゃ。わざわざ足を運んでもらって助かった。後のことは君に任せるが、困ったことがいつでも訪ねてくれて構わんぞ。オーウェンも、グロリアも、ローリーも。君と志を共にする仲間なのじゃからな」
「……ええ。お気遣いありがとうございます」
これまでデュランダルで得た経験を思い起こしながら、エルキュールははっきりと答えた。
人間離れした戦闘能力を持ち、エルキュールをここまで導いてくれたオーウェン。優しき理想のために厳しくあろうと己を律するグロリア。研究にその身を捧げ、裏からの助力として動くローリー。
彼らの支えがあるなら目的も果たせるかもしれない。希望と共に、エルキュールは部屋を後にした。
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