二章 第七話「頂上に座す者」

 エルキュールは酷く混乱したまま司令部へ続く道を歩いていた。

 頭に浮かぶのは研究部のローリーと交わした最後の言葉。

 彼が十五年前に出会ったというヒトに与する魔人の話であった。

 驚かざるを得なかった。魔人でありながら魔物を討つ者がいるなど、エルキュールは自身の他に知らなかったのだ。

 そして、最初こそ驚嘆が勝っていたが、次第に興味を惹かれた。その魔人についてより深く知るべきだと思った。ゆえに動転を隠して訊ねてみたのだが、よい答えは得られなかった。


『あれは、魔人が持つ原初の姿っていうのかな。とにかく人の姿をとってなかったから、あまり詳しい特徴は覚えていなくて……』


 そもそもエルキュールが問わなければ話題に上げるつもりもなかったようで、話の内容は抽象的で曖昧だった。

 というのも当時の記憶というのは断片的で、信憑性は保証できないものであると、ローリー自らが付け足していた。

 期待させておいてと、文句の一つとでも言いたかったが、結局エルキュールにはできなかった。


「……戦役中に出会ったと言っていた。恐らく、込み入った事情があるのだろう」


 ローリーとてエルキュールがあれだけ食いついてくるとは思わなかっただろう。冗談半分で口にしたことだ。それなのにあそこで欲をかいてしまった挙句、失言するのだけは避けたかった。

 エルキュールと似た行動を取っていたという魔人。気にならないはずはなかったが、調べるのは別の機会にしようと心に決めた。


 と、そんな葛藤で思考を満たしながらも足を動かしていると、徐々に目的地である建物が見えてきた。デュランダルの敷地内、その中央に屹立する高層の建造物だ。

 高空、外壁に貼り付けられた不滅の剣の紋章は、陽の光を浴びて燦然と輝いている。

 研究棟方面に向かう際にも見かけたが、相変わらず印象的に映った。


 とはいえ、いつまでも外の通りで空を見上げては流石に目立ってしまう。棟内には及ばないが、外にも人は疎らにいた。

 みな色は違うが、同じつくりの制服に身を包んでいた。分厚い黒の外套を着込むエルキュールだけが明らかに浮いている。

 いそいそと見上げていた建物内に入る。ここも魔動機械で自動化された扉であった。自然との調和理念を掲げるオルレーヌではやはり珍しい。


 エルキュールは入って正面に控えていた受付に用件を伝え、総帥室までの案内を受けたが、ここでまたしても驚かされることになった。

 あまり例を見ない高層の建物。階層を渡るには不便ではないかと思っていたところだが。闇魔法ゲートを利用した転移装置を各地に設置することで、その問題は見事に解消されていた。

 オルレーヌの魔法技術の結晶とでもいうべきデュランダルの施設群に、エルキュールは頻りに感心した。


 最上階にある総帥室付近にまで繋がっているゲート装置、さながら暗闇へと続いているような枠の中に、意を決して入った。すっかり慣れた魔法であるのに、おかしなものだと思いつつ。

 闇が晴れる。確かに全く別の場所。

 階下へ続く階段と、幅の広い無機質な通路の他に、黒塗りの巨大な扉が奥の方にあった。

 分かりやすい構造。この最上階は専ら総帥の為に宛がわれたものであるようだ。

 ここの住人はさぞかし威厳のある者なのだろうかと思うと、若干の緊張を覚えなくもないが。


「失礼します。作戦執行部のエルキュール・ラングレーです。クラウザー部長からの命で参上したのですが」


 強すぎず、弱すぎず。丁度よい加減を心掛けて扉を叩く。二回。

 木製の心地よい音が鳴ったが、すぐには反応が返ってこない。聞こえていないのだろうかと、少し強めて叩いてみた。三回。


「……やはり反応がない」


 入口の前で呻く。こういう時に反応が返ってこないことがなかったので戸惑ってしまう。相手は上官の、そのまた上官。無礼を為すのはよろしくない。すかさず書籍で読んだ礼儀の知識を総動員させてみるも、これといった正解は導き出せなかった。


 けれどここで立ち尽くして過ごすのもエルキュールにとって好ましくなかった。いままで停滞してきた生活を送ってきた分、そして勝手に待たせてしまっている家族を思うと、何かをしていないと居た堪れなくなるのだ。


「仕方ない。鍵は開いているようだし、少し覗いてみよう」


 後ろめたい感覚があるのか、極力、音を鳴らさないように扉を開ける。


 室内は思いのほか広く、そして明るかった。応接のためのテーブルと長椅子、右手には休息用のカウチ、左手にはもう一つ部屋が続いているようであった。


 奥の方の壁は一面が窓になっており、やけに明るい光度はそこから入り込む日差しのせいであった。

 そしてそれを背景に、窓の手前には横長の書机が置かれていて、一人、その前に腰掛けているようだ。あれが総帥だろうか。


 ただ、逆光を浴びているのでその全貌は知れない。

 この構造だと、彼を訊ねる者は日光が煩わしくなるだろうなと皮肉を堪えながら。エルキュールは書机の側に寄った。椅子に座るその人物を上から覗き込む。


「これは……」


 入口で途方に暮れていたときよりも、強い困惑がエルキュールを襲った。その人物は正しく腰掛けてはおらず、腕に額をつけて机に突っ伏しているという格好だった。

 そして黒地の小さな背中は規則正しく揺れており、それに呼応するかのように、微かな呼吸音がしんとした室内に響いていた。


「寝てる、のか?」


 まさか。もはや昼に近い時間だというのに。エルキュールは戸惑う。

 ヒトというのは基本的には朝に起きて夜に眠る生物だったはず。その上、いまは職務時間中なのだ。二重の意味であり得ない。と、エルキュールが呆然としていたところに。


「……ぐがっ、むぅ……?」


 件の人物から声が漏れた。丸い白髪の頭が揺れる。

 覚醒したのか、程なくして上体が起き上がり、隠れていた容貌も露わになった。

 深い皺が刻まれた丸顔に、鼻の下にはよく手入れがなされ、曲線を描いた白髭が踊っている。起き抜けのせいか冴えない面立ちだが、柔和な目つきが特徴的な好々爺、というのが率直な感想であった。

 だが一つだけ気になるとすれば、この歳の召された弱々しい老人が総帥室の席に座っていること。威厳や覇気というものをまるで感じられない風貌に、エルキュールは懐疑の視線を向けた。


「おっと……君は……?」


 伸びをして、頬を叩いて、ようやく眠気を追い出した老人は、そこでようやくエルキュールの存在に気が付いたようだ。


「ああ……その、俺はエルキュール・ラングレーといいます。あなたがデュランダルの総帥殿で間違いないのでしょうか」


 自己紹介をしつつもエルキュールの疑念はなお晴れない。相対する老人の態度は組織の頂点に立つにはやはり柔らかすぎる。

 小首をかしげて呻き、記憶を手繰りよせるその姿には、失礼ながら老化の兆しを感じざるを得なかったが。


「……なんてな。そう心配せずともよいぞ」


 にわかに力強い言葉。老人の頼りなさにどうしたものかと嘆いていたところに、まるで冷や水を浴びせられたかのようだった。

 目を丸くするエルキュールに、老人は「失敬」と椅子から立ち上がる。小柄な体躯であったが、先ほど見せたあの柔さは消えていて。

 どういうことか、エルキュールが訊ねるより早く。


「揶揄ってすまんの。皆から面白い青年だと聞かされておったものだから、つい悪戯心が湧いてしまった。しかし確かに、不思議な雰囲気を纏っているようじゃな」


 老人は理解に苦しむことを宣った。

 まさか一方的にエルキュールを見定めるために芝居を打ったということなのか。それとも油断を誘って本性を暴こうとしたのだろうか。

 老人のあまり豹変に邪推が渦巻くのを抑えきれない。警戒を見せるエルキュールに、白髪の彼は目を丸くした。


「やや、気にいってもらえておらんようじゃが? はぁ……まったく、オーウェンめ。やはりあいつの洒落のセンスは常人とはかけ離れているようじゃ」


 呟く声に、聞き馴染みのある名前が混じっていた。だが依然として主導権を握っているのは老人の側。エルキュールが確かめる間もなく、彼は場を仕切り直すかのように応接用の椅子を指差しながら言った。


「とにかくじゃ……わしこそがこのデュランダルを束ねる総帥、名をドミニク・J・キールマンという。方々巡って疲れたじゃろう、話は座ってからにせぬか?」

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