二章 第六話「例外」
エルキュールは語りだす。
王都動乱の際に出会ったアマルティアの魔人について。アランという魔人の末路を。かつてヒトだった彼の豹変ぶりを。
グロリアに提出した報告でも述べたが、口頭で説明するのはこれが初めてのことだった。
余計な部分に触れてしまわないか心配であったが、口下手なエルキュールはそれでも真剣に言葉を選び紡いでいった。
話をする中、オーウェンもローリーもときおり驚いたように眉を上げていたが、話が終わる頃には何かを深く考えているような難しい表情になった。
「ヌールの鑑定屋、そしてあなたの知人でもあった人間……か」
穏やかなローリーの声、それでも暗い寂寥は隠せてはいない。オーウェンと見合うその目は険しいものだった。
だがアランに関しては、もうエルキュールとて消化したことだ。ヒトだった彼を討つことは確かに迷いを生じさせたが、いつまでも拘泥してはいられない。
本題を切り出すため、場の空気を変えるため、エルキュールはわざとらしく咳払いをしてみせた。
「……彼は、ほとんどの魔人は汚染しなければ気が済まないという本能に駆られていると言っていった。だから人間だった頃の記憶を保持していながら、あれだけ残虐に振る舞えるのだと。……だけどずっと疑問だったんです。同じアランという個体なのに、何故ああもはっきりと変わってしまったのだろうかって」
「なるほど。その原因こそがイブリス・シードだと言いたいんだね。人が空腹に喘いで食物を欲するように、睡魔に誘われ眠るように、あるいは子を生したいと愛に焦がれるように。魔物としての在り方を決定づける因子、それこそがあの黒い種であって、それを継承し数を増やすために、汚染という機能が刻み込まれている……」
理解の早い男だった。エルキュールが説明しきらぬうちに、ローリーは瞬く間に結論に達した。眼鏡越しの彼の瞳は高揚に煌めき、口では何かをぶつぶつと呟いていた。
オーウェンは片手を顎に当て、室内の床の一点を見つめていた。戦闘時に見せる闘気にも近しい、鋭い気を滲ませながら。
エルキュールが話し始める前に淹れてもらった二杯目のハーブティーがすっかり冷めてしまってようやく、二人の長い沈黙は破られた。
「……デュランダルが発足してから十年、僕たちはずっと魔物の存在について考えてきたけど。まさかアマルティアが台頭する今になってこうも色々分かってくるなんて。人生ってのは分からないものだね」
「ああ。そして時を同じくして現れたエルキュール殿の存在。柄にもなく、運命のようなものを感じてしまう」
納得、期待。ローリーとオーウェンは互いに事実を噛みしめるように笑った。
確かにアマルティアが現れる以前は魔獣の勢いもそれほど強くなく、後手で対処するだけで平和は比較的簡単に保たれてきた。
それは安寧の証ともとれるが、外敵について人々が積極的に調べようという気概を失わせることにも繋がっていたのかもしれない。
脅威が近づいてきた今だからこそ、はっきりと見えるものもある。今回の件はそれを良く表していた。
「エルキュールくん、ぜひお礼を言わせてほしい。あなたとの話はとても有意義なことだったよ。そして来るべき激動の時代に、あなたのような助っ人に恵まれたのはとても喜ばしい」
「いえ、こちらこそ。ここで過ごした時間はまだ短いものですが、俺にも確実に目的へと近づいた感覚がありました」
清々しく返すエルキュール。
そう、目的。ヒトと密接に関わる危険性を取ってでもデュランダルに加わることを選んだのは、魔物やアマルティアに対してより良い理解を得るため。自己を見定めるためだった。
エルキュールが返すと、オーウェンも続けて肯ずる。
「ふむ、そうであったな。案内の方も最低限は済ました。ついに貴殿にもデュランダルの一員として働いてもらう時が来たようだ」
「あれ、もう行ってしまうのかい? エルキュールくんは魔法にも堪能のようだし、見回りくんの改良についても意見が聞きたいなぁと思ってたのになぁ……」
「それは無理なことだ、ローリー。彼は拙者の部下、研究部の人間ではござらぬ」
「……けちだなぁ、きみは」
会話を交わしながらオーウェンと共に席を立つ。けれど彼が一向に歩き出さないのでエルキュールは戸惑った。
「先ほども言ったが、拙者には用事がある。司令部には貴殿だけで向かってもらいたい」
「そうでしたね。確か中央の背の高い建物でしたか」
「受付に言えば総帥には取り次いでもらえる。その後のことは彼に訊ねると良い」
今まで巡ってきた三つの部門、それら全てを束ねるデュランダル最高責任者。
司令部とも言われるそこに顔を出せば、経験に富んだこのデュランダル内の旅もようやく終了する。
二人に世話になったと礼を告げ、一人、出入口を目指すエルキュール。不意にその足が止められた。
「……最後に一つだけいいですか」
そうして振り返らぬまま告げる。
「あなたたちは、イブリス・シードとそれに基づいた理論をずっと前から模索していたようですが……それはどうしてですか?」
「……? どういう意味だい?」
「現物が確認できた今ではそれなりに信頼性がある理論だと思いますが、アマルティアが残した手がかりがなければ、それはかなり突飛な考えのはず。あなたたちに気付きを与えた何かがあるのではないですか」
魔人であるエルキュールならば感覚的に理解できる。
人々を襲い汚染する魔人と、エルキュールの間には何か決定的な差異があることを。それがイブリス・シードなる因子の有無であるかもしれないことを。
だが、人間であるオーウェンらはどうか。
いくら魔獣に襲われた人々がもれなく汚染を受ける訳ではないと知っているからといって、媒介である魔物とは別に汚染を引き起こす要因があるなどと、飛躍した発想ができるだろうか。何の手がかりがなしに、だ。
時が止まったかなような唐突な沈黙の後、失笑が聞こえた。ローリーである。
「……あなたは本当に面白いねぇ。まさしく、エルキュールくんの言う通りだよ」
「……」
「こんなこと言っても信じられないと思ってたから敢えて口にはしなかったんだけどね。僕らは昔、とても興味深いものに出会ったことがあるんだ」
真剣な、それでいて幾ばくか悪戯めいた声色で、ローリーは言った。
「十五年前の戦役のこと。人と魔物が激しく争う戦場に紛れて、それはいた。どういうわけか人間の側について魔獣と対峙し、汚染する素振りすら見せずに剣を振るった……そんな妙な魔人がね」
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