二章 第九話「火の粉」
「ここがブラッドフォード邸。グレンが引き取られた場所か……」
赤煉瓦の街並みに囲まれた、ミクシリア北東区の一角。
指折りのオルレーヌ貴族たちが住まう園に聳える邸宅を前に、エルキュールは目を瞠る。赤い屋根と鉄の柵が厳めしい印象を醸していた。
デュランダル特別捜査隊としての活動に先駆け、エルキュールはまず、今まで王都で得た情報を改めて精査することにしたのだ。あの襲撃を間近で見ていた関係者を訊ねるのはその一環であった。
「それに……彼がいれば、あの話を持ちかけてみてもいいかもな」
キールマンから勧められたことを思い返しつつ、塀に備え付けられた魔動呼び鈴を鳴らして名前と所属を告げる。
室外の子機に触れると、室内にある親機に反応を返す、一対一対応の魔動機械。エルキュールも使うのは初めてであった。
間もなく門の向こうの庭を突っ切って、執事風の老人が顔を出す。親切な笑みを湛えた好々爺は、名をマルコスと言った。白髪交じりの黒髪。齢は五十を超えている様子。屋敷内でもかなりの古株だと見受けられた。
「私めはブラッドフォードの執事長を務めております」
「この豪邸の管理を取り仕切り者ですか。そんな人がわざわざもてなしてくれるなんて」
「いえいえ。エルキュール様の活躍は、当家にもよく知られておりますゆえ。相応に歓待しませんと。して、ご用件のほどは?」
「ああ、そうでした」
グレンか紅炎騎士がいるかどうか。もしいるのなら直接会って話がしたいことを告げるエルキュールだったが、言いながらあることに気がついた。
エルキュールは貴族というものにあまり詳しくない。オルレーヌでは古くから続くある由緒ある家系がそのまま今も残っているという印象だが、実際彼らがどのように活動しているのか分からない。
即ち、約束もなしに都合よく空いているかどうかということ。不安を募らせるエルキュールに、マルコスは穏やかに言った。
「グレン様は外に出ておりますが、旦那様と奥様は中にいらっしゃいます。丁度あなた様のように訪ねてくる者へ備えていらっしゃって。執務に勤しんでおられますが、すぐに取り次げることができるかと」
それはありがたいことだ。このまま中に入れてもらえるとのことなので、エルキュールは執事長の案内の下、庭を抜けてブラッドフォードの屋敷へと招かれることになった。
視界に広がる吹き抜けの大広間がエルキュールを出迎える。背の高い天井には絵画のような紋様が描かれており、上階へ続く回廊まで含め床には臙脂色の絨毯が敷き詰められていた。
行儀が悪いと思いながらもその豪奢の粋を見渡す。やがてマルコスが優しげに微笑んでいるのに居た堪れなくなり、目的に立ち返ろうとしたころ。
「見てください、ルシアン。珍しいお客様がいらっしゃいましたわよ」
「うわぁー……黒い服がかっこいい男の人だねぇ。でもこの時期に熱くないのかなぁー?」
「しっ! 静かになさいっ! 気付かれてしまいますわ」
大広間の右手に続く廊下の陰から、エルキュールを盗み見る視線が、二つ。同じ程度の背丈、同じ赤色の髪の少年少女は興味と警戒を混ぜ合わせた風で互いに声を潜めて会話している。
「……?」
エルキュールから隠れているつもりなのだろうが、甘い。否が応でもそちらに注意が逸れてしまう。
上質な白い服装に身を包んでいるところと、齢十かそこらの幼い風貌。少なくとも執事ではないようだが、一体誰なのであろうか。
「……まったく。ロザリン様、ルシアン様? そちらで何をしていらっしゃるのですか?」
エルキュールの視線の移ろいに気付き、マルコスがその子供たちの方に歩み寄る。張り付いた笑顔にはそこはとなく恐ろしいものをが滲んでおり、子供たちは肩を大きく震わせた。
「ほ、ほら見なさい、マルコスにバレましたわ!」
「ひーっ! お尻ペンペンだけはやめてぇー!」
「客人の前でそのように見っともない行いは致しません。それよりも、隠れて窺うような真似はお止めなさい」
窘めるマルコスに連れられ、二人ははにかみながらエルキュールの方に顔を出す。
この一瞬だけでも、彼らの間にある関係が色々と察せられてしまうが、エルキュールはひとまず興味を胸にしまい込んだ。
今は曲がりなりにもデュランダルに所属している身、こうした顔見せもこなすべきだろう。
「ご、ご機嫌よう。客人の、者……あ、いえ、客人の方。わたくしは現当主ヴォルフガングの娘、ロザリンと申します。エルキュール様、でよろしいかしら。以後お見知りおきを」
ウェーブがかった赤髪の少女ロザリンが、まずは挨拶をくれた。
言葉はたどたどしく、されど礼などの振る舞いは様になっていて。なんともちぐはぐな印象であった。
「ぼくはルシアン! 同じくお父様の息子です。よろしくね、エルキュールさん!」
飼い主に懐く犬のような目つきで、ルシアン。こちらは簡素で真っ直ぐな言葉であった。屈託のない笑顔が眩しい。
「ちょっと、ルシアン! そんな口の利き方ですと、わたくしだけが変に気取っているみたいじゃないですのっ!」
「ええーっ! 親しく接せることは大事だってお父様もお母様も言ってたのにー」
揃って挨拶をしたと思いきや、エルキュールが返す間もなく言い合いを始める二人。
マルコスは咳払いで彼女たちを黙らせると、エルキュールに深く頭を下げた。
「申し訳ございません。これも私めの不徳の致すところで……」
「いえ。それよりも彼女たちはブラッドフォードの子供、つまりグレンにとっては義理の弟妹ということなんですね」
突然の流れに飲まれつつあったエルキュールはどうにか事態を把握する。
グレン、という名前に反応してか。それまで互いに見合っていたロザリンとルシアンがぴたりと動きを止めた。
「そうですわ! エルキュール様のことも、グレンお兄様から聞いて……ではなく、伺っておりまして」
「うん、『変わったヤツだけど友達』だって!」
「……そうか」
エルキュールに目が細められる。
家と仲が悪いと聞いていたが、彼も存外慕われているようであった。
未だ慣れなさそうな敬語で話しているロザリンに言葉を崩すように勧め、エルキュールは二三、グレンの弟妹と言葉を交わした。
急に訪ねてきてしまったからか、二人には警戒をさせてしまっていたようだが、共通の話題があるのも手伝って、どうにか最低限の信頼は築くことができた。
マルコスは三人に気を遣ったのか、当主に来客の件を告げに行くと言って、奥の方へと姿を消した。「来客をもてなすのもよい貴族の務めですよ」と浮かれていたロザリンらに耳打ちして。
先方の準備が整うまでエルキュールを退屈させないようにという計らいであろうが、逆に子守りを押し付けられたような気がしないでもない。
若干複雑な面持ちのまま、エルキュールは近くの長椅子に腰掛ける。向かいに座る二人は目を輝かせていた。
「あの、わたくし! 機会があればずっとエルキュールさんにお礼を言いたいと思っておりましたの」
開口一番身を乗り出すロザリン。案外お転婆なのかもしれない。「礼を言われる筋合いなんてあるだろうか」エルキュールが訊ねると、猫のように大きな目を見開かせてロザリンは言った。
「お兄様のことです。お兄様はあなたと出会って自分と向き合えたことができたからこそ、この家に帰ることができたのだと、そう言ってましたもの」
「そうなのか? 俺は特別なことをしたつもりはないんだが。むしろ何かをしてくれたのはグレンの方で……」
ヌールを経った時のこと、深く詮索せず程よい距離感で共にいてくれたことを簡単に伝える。
グレンへの賞賛に、彼女たちはまるで自分たちが褒められているかのように頬を紅潮させた。
「お兄様とエルキュールさんは仲がいいんだねぇー」
「……どうかな。互いに自分のことを語りたがらないから、単純に仲良くできているとは断言できないが……」
これからはそう在れることを願っている。そのためにわざわざここへ足を運んだ節も多少はある。
エルキュールが言葉に詰まりながら話を締めくくると、二人から拍手と歓声が送られた。人間関係に気おくれしているのを悟られたような気がして、微妙に擽ったい。
「二人はグレンの帰還が嬉しかったんだな。そうだ、ここ最近は王都も慌ただしいが、何か困ったことはないか? 自分のことでも、家全体のことでも構わない」
こんな時にまで目的のために動こうとする自分に呆れつつ、エルキュールは軽い気持ちで話を振ってみた。彼女らがアマルティアや魔物について詳しいとは思えないが、周りの大人が話しているのを聞いた可能性もある。
「えっとね……」
中空を見つめながらルシアンが呟く。
「やっぱり最近はお父様もお母様も、グレンお兄様も忙しそう。魔獣とか壊れた街のこととかで、色々動いているみたい。僕も手伝いたいんだけど、大人しくしてたほうがいいみたいで……」
あどけなさの奥に、周りを見渡す洞察力と率先して他者の力にならねばという使命感が見えた。仲間を思わせる心地よい既視感に、いじらしい思い。エルキュールの顔にほんの少しだけ笑みが零れる。
「お兄様みたいに、かっこいい魔法士になりたいな」
「わたくしも、お母様の孤児院みたいに、何か民のためにできることがあれば……」
理想と現実の差異に戸惑っている二人の様子に、エルキュールも共感を禁じ得なかった。無力感はときに心を酷く蝕むものだとまたしても実感する。
「……焦る必要はない」
気付けば励ましの言葉が出ていた。
「会ったばかりの俺の言葉では、大したものは残せないだろうが……無理に一人で抱え込んで、何かをしなければと自分を追い詰める必要はないんだ。大切なのは、他人の力を頼り、そして時に甘えること」
「甘える、ですの?」
「ああ。辛い時こそ、周りに目を向けなければならない。一人だと間違ってしまうから。俺も……グレンも、きっとそうだった。家族に支えられている今の君たちは、ある意味とても幸福だ。焦らず磨けばいい、剣術も、学問も、度量さえも」
誰かに負い目を感じることも、一人で苦しんでしまうことも、エルキュールにはよく理解できることだった。
「家族が忙しそうなら、その心を癒してみてはどうだろう。焦って分相応なことをして災難に見舞われれば、それこそ彼らの気苦労が増える」
言葉にして、エルキュールは心が痛んだ。家族の気苦労が増えるなどと、一体どの口が。黒い感情が湧きたつ。
ただそれでも、二人の漠然とした不安を取り除けるならと、エルキュールは矛盾を堪えた。
「……うん、そうだね、エルキュールさんの言う通りかも」
ルシアンに、ついでロザリンにも笑顔が戻る。
勝手な都合で嫌なことを思い出せてしまったとひとり反省しながら、エルキュールはすっかり胸を撫で下ろした。
それからは他愛のない話に花を咲かせた。魔法のこと。騎士のこと。花のこと。魔動機械のこと。
エルキュールとロザリンらは不思議と趣味があった。そうして大分打ち解けた頃、奥の方からマルコスが戻ってきた。
「旦那様の都合もよろしいようなのでお呼びに参りました。それと奥様も話に加わりたいとのことなのですが……」
二つ返事で了承して立ち上がる。
ロザリンとルシアンは僅かに不満を露わにしていたが、また話す機会があると慰めの言葉を送っておいた。
弟妹たちに別れを告げ、大広間から左手に移り、直角の通路を曲がる。その突き当りにある大部屋の中にいるということ。
さていよいよ本懐を遂げる時だと、中へと入るエルキュールは心を新たにするが。
「よくぞ来てくれたな、エルキュール・ラングレー。直接顔を合わせるのは事件当日ぶりか」
「……ええ。お久しぶりですね、ヴォルフガングさん。しかし、これは……」
エルキュールはもう一度、間違いのないよう状況を確認する。
辺りに腰を落ち着けるための椅子類は見当たらず、だだっ広い空間が広がっている。飾りけはなく、端には剣や槍類が並び、木偶人形も転がっていた。
後ろに控えたマルコスも、どういう訳か微笑みのまま口を閉ざしていて。
「これは一体、どういうつもりですか?」
怯みを押さえつけながらエルキュールが訊ねると、隆々とした赤髪の男は大剣を構えて
「なに、此度の事件解決の功労者であるおまえと、一局手合わせ願えないかと思ってな」
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