二章 第二話「剣とは」

「失礼、これは何の騒ぎだろうか」


 このオーウェンという男は物怖じを知らないようだ。

 軽やかな足取りで以て、あっという間に睨みあう両者に割って入っていった。

 一方のグロリアはその端整な眉を微かに開き、もう一方の大きな鞄を背負った厚着の男は、露骨に怒りを表した。


「あの……誰です、あんたは? 今はお取込み中だって分かりませんかね」


「これは失敬。拙者はオーウェン・クラウザー。ここデュランダルでは作戦執行部長を務めているものであります」


「えっ……まさか、あなたがあの月影の剣匠!?」


「そのような名で呼ばれることもございます」


 オーウェンの正体を知った途端、急激に男の態度が柔らかくなる。目の前の上官がいかに著名であるかを、エルキュールはひしひしと感じた。

 グロリア事務部長は割って入ってきたオーウェンには目もくれず、エルキュールに見定めるような視線を送ってきていた。

 居心地は良くなかったが、ここは静かに事の成り行きを見守ろうと、ただ会釈のみを返した。


 オーウェンが伺ったところ、男の名はハリス、行商人であるようだった。装いだけに注目していたが、その顔には古傷がいくつも重なり、体格もがっしりとしている。不格好に伸びた茶髪や汚れの目立つ靴を見ても、商売の過酷さを感じさせる。


「わたしはねえ、王都が魔獣どもに襲われたってんで、ここに物資を売り込もうと遥々ブロニクスからやって来たんですよ」


「あの麗しの水の街から。なるほど、あちらはまだ平和が保たれているようだ」


「ええ、その通り。向こうはまだ余裕がある、それなら逼迫した地域に物資を流す方が誰からしたって得でしょう?」


 廉価で商品を卸し、被害を受けたミクシリアに貢献をしたい。ハリスは熱弁を振るった。


「けれどねえ、ここに来る途中、出くわしちまったんですよ」


「出くわすとは、何に?」


「ちょっと、冗談を言っているわけではありませんよね? 魔獣ですよ、魔獣!」


 声を上げてしまいそうになるのをエルキュールはどうにか飲み込んだ。

 ハリスの辟易とした表情に、束の間漂っていた穏やかな空気が一気に崩れ去る。


「通り道に魔獣が溢れていて、護衛に付けていた魔法士だけでは対処できなかったんですよ! 慌てて逃げてきたからあちこち擦りむいたし、商品もいくつかダメになっちまった!」


「ああ、それはお気の毒だ」


「お気の毒だ……って、クソ、あんたもそこのアードランドとかいう人も、揃いも揃って……!」


 ハリスの目には明確な怒りが灯っていた。

 沈黙するオーウェンに、それまで黙っていたグロリアがそっと彼に耳打ちする。


「これで分かっただろ、オーウェン。この男、要は魔獣に絡まれたのが嫌で、ここに討伐の依頼を持ち込んだってことだ。私が断ろうともお構いなく騒ぎ立ててな、対処に困っていたという次第だ」


 女性にしては低く、それでいて力強い声色。歯に衣着せぬグロリアの物言いにハリスは眦を決し、オーウェンは呆れたように笑う。


「仔細は承知した。ハリス殿、申し訳ないが現在は郊外の魔獣に対処できない状況なのだ。貴殿が言ったようにミクシリアは消耗している。復興と防衛を第一に考えなければならない」


「そんなことはそこの金髪から聞いている。だが考えてくれよ。復興には資源が必要だ、資源を得るには物流を確保しなければならない。わたしらのような行商に、あれら魔獣は心底目障りだ」


「お気持ちは理解できる。が、拙者の一存で即座に方針を変えることはかなわぬ。王都が国王陛下のお膝元だからという理由だけではない。詳しく説明できないのが口惜しいが、今のミクシリアは複雑な状況下にあるのだ」


 複雑な状況。

 それは魔人ディアマントが残した精霊の遺産シャルーアのこと。もしくはマクダウェル家がアマルティアと関係していたことだろう。


 どちらも一部の者にしか公開されていない情報であり、厳として警戒が解けない要因でもあった。


 そしてアマルティアの狙いが判然としない今、適切に戦力を配分することも難しいのも頷ける。

 彼奴等が神出鬼没で、油断ならない相手であることはエルキュールも痛いほど知っていることだった。


「はぁー……これじゃ伝統的で保守的な王国騎士団とてんで変わらないじゃないか。不滅のつるぎの紋章を掲げ、より広く民に寄り添うことを信条としたデュランダルもこれか……挙句に補償もなにもなしとは参るね」


「ご期待に沿えず、誠に申し訳ない」


「そう思っているなら行動で示してほしいもんだ。あーあ、あんなのが年がら年中外をうろついていて、今ではそれを扇動する輩まで現れた。戦役から十五年、短い平和だったなぁ」


 怒りを通り越して諦めの念を振りまくハリス。

 オーウェンもグロリアもそれを涼しく受け流し、断固として譲歩しない姿勢を貫いていたが。


「……おっ、あんたは……?」


 明け透けな侮蔑が込められたハリスの視線が、ふとエルキュールへと留まってしまう。


「あんたもデュランダルの人間か? 制服は着てないみたいだけどよ」


 注目を浴びたこと、これまでの彼の態度を思うと、素直に会話に応じたくはない。

 だがこうして目を付けられてしまった以上、無視を決め込むというわけにもいかないので、エルキュールは渋々形式的な自己紹介を返した。


「へえ、デュランダルに所属したってことは、魔獣を倒したかったり、周りの役に立ちたいと思ったってことだろ? だったらあんたが代わりに魔獣を狩りに行ってきてくれよ、依頼料なら惜しまないからさ」


「え……」


「だから、魔獣を殺しに行ってくれって。わたしら人の世界に蔓延るゴミ共を片付けてくれってんだ。そういう役目だろ?」


 エルキュールは驚きから言葉を失った。

 唐突な申し出というのも勿論あるが、魔獣を討伐するという今まで当たり前に行ってきたことに対し、素直に頷けない自分に何より戸惑った。


「まさか魔獣と戦ったことないとは言わないよな?」


「それは違いますが」


「だったら頼むよ。あんたの上司はああ言ってたけど、この際ほんの少しでいいんだ。ほんの少し間引いてくれればそれでいいんだ。できるだろ? な?」


 必死の形相で懇願してくるハリスに、エルキュールは堪らなくなる。そうして気圧されるように首を縦に振ろうとしたその時だった。


「行商人ハリス、そこまでにしてもらいましょうか」


 凛としたグロリアが場を制した。

 冷静沈着で生真面目な性格であることはこの短い間でも知ることができたが、今の彼女の威勢は吹雪のように冷たい。

 助けに入られたエルキュールでさえも緊張から口を噤んでしまうほどで、ハリスに至っては若干その眼に光るものが溜まっていた。


「新人とはいえ彼も我がデュランダルの一員。先ほど言った例外にはなりえません。そして何よりデュランダルの本分は魔獣を殺すことではなく、有事の際の剣となること。決して私利のために振るうものではないのです」


「し、しし私利だとっ!? あんた俺の言ったこと聞いていたか!? 俺はな、この街を助けるために」


「もちろん存じています。一都民を代表して、その心遣いには感謝しましょう。あなたがこの街にいる間の安全も必ずや保障します。ただ大規模な戦いを経た今の時期、外の魔獣はそこまで人間に対し敏感ではない。あくまでも優先度の問題なのです」


 理解のできる内容。だがこれで納得するような輩ならば、そもそもこのような口論には発展していない。

 案の定、ハリスは一歩も引こうとはしなかった。


「なにが敏感ではない、だ! 現に襲われたと言っているだろ! 話を捏造するな!」


「お言葉ですが、あなたが来たというブロニクス方面は、一昨日から今日にかけて魔獣警報が発令されていたと記憶しています。魔動鏡まどうきょうにて確認されたはずでは? また、そうした危険がある日には出入り口に控えた騎士からも警告があるもの」


「ぐぬ……」


「なぜそれでも断行したのか。支援だけが目的ならば、あなた自身が赴く必要はどこにもないというのに。ならば、やはりそこには少なからず欲を満たそうという思いがあった。もちろんそれが悪いことだとは言いませんが、あなたを守ろうとする声には耳を傾けるべきでした。あまつさえ後になって――」


「グロリア、もうその辺りで構わないだろう」


 グロリアの雄弁に、ハリスはすっかり青ざめてしまっていた。オーウェンの制止に「失礼」と澄まし顔で咳払いをする。


 それからは呆気ないものだった。

 自らの腹の内が公然に曝されたのが余程堪えたか、ハリスは自分が無理難題を吹っ掛けたことを謝罪し、逃げるように事務棟を出ていった。


「……念のため、今後外に割けることのできる人員を見積もっておく必要があるな」


「ああ、拙者も気に留めておこう」


 嵐が去ったかのように静まり返る受付前に、商人を見送った二人の冷静な声だけが響く。

 最初はエルキュールらと受付に詰めていた女性以外に人の姿はなかったはずだが、いつの間にやら多くの見物人がこちらを見ていた。


「……問題はない。各員、仕事に戻れ」


 鋭いグロリアの声が飛び、お揃いの紅の制服に身を包んだ彼らは、まるで鳥が一斉に羽ばたくように散っていく。

 厳格な部長の下、確かな統率が取れているようだった。


「アードランド部長、この度は助けていただき本当にありがとうございます!」


「気にすることはない。しかし今後も受付嬢である君には、似たようなお客様と接する機会が多くあることだろう。きちんと応対できるよう励むことだな、アリス」


 一方で受付の女性と話している時のグロリアは、厳しい口調ながらもその表情には優しい色が混じっていて。


「あれがグロリア・アードランド、デュランダルの事務部長を務めるヒトか……」


 オーウェンともまた異なる、されど目覚ましい俊傑の姿に、エルキュールは暫しその場に立ち尽くしていた。

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