二章「聖域を巡る旅~咲き綻ぶ光輝~」
二章 第一話「ようこそデュランダルへ」
ヌール=ミクシリアの変がいったん終息した翌日のこと。外から来た旅人という身分とはいえ、エルキュールはなおもミクシリアに留まっていた。
本来ならばすぐにでもアマルティアの足取りを掴みたかったが、争いが終わったとはいえ傷ついた街並みや人民を放って行くこともできない。
なによりエルキュール自身にもじっくりと腰を据えて考えるべきことが多々あったので、暫く滞在することを選んだ次第だった。
その間、グレンたちとは専ら別行動であった。
街を奔走する騎士団やデュランダルの人員に混じり、傷ついた騎士たちを回復魔法で治療したり、復興のための素材を集めたりしながら日々を過ごした。
そうしながら今後の身の振り方を考えていた時、それはやってきた。
『エルキュール殿、少々時間を貰えるだろうか』
デュランダルの幹部、作戦執行部長であるオーウェン・クラウザーからの打診。
曰く、エルキュールが対アマルティアで見せた卓越した戦闘能力を見込み、デュランダルの臨時成員としてその力を振るってほしいとのこと。
魔物に狙われ、住処を離れ、旅をしているという束縛のない境遇は、そこらの組織に所属している者よりも都合がよかったようで。
デュランダルもこの事件を未然に防げなかったことを重くとらえ、魔物に対しての危機意識を高める狙いでこの話を持ちかけたという。
『申し訳ないですけど、俺にはそういう組織というのは……』
最初は断った。
長らく人間社会から外れて生活してきたエルキュールにとって、組織に属することへの不安は大きかった。
魔人である身分を隠し、家族との繋がりを断じたのは、周囲に災禍を招かないため。失われていく命と営みの雫を零してしまわないため。
自身の正体を隠しながらそのことを告げると、オーウェンはさもおかしそうに笑った。
『人々を守るために動いているのは拙者たちも同じこと。ならば力を集めるのが自然であろう。その方が貴殿も動きやすいと思うが?』
グレンにも似たようなことを言われていた。エルキュールは気恥ずかしさを感じて、一旦はこの件を保留した。
だが結局は、最初から答えは決まっていたようなものなのかもしれなかった。
エルキュールがここ王都にいるのも、事件を解決することができたのも、決して己の力だけなのではない。
事件から一週間経ったセレの月17日。
対イブリス専門機関デュランダルには新たな同志が加わることになった。
「……さて、まずは事務部から……と、ふむ? エルキュール隊長、急に立ち止まるとは寝不足だろうか?」
ぼんやりと空に輝く朝日を眺めていたエルキュールは、その低く艶やかな声を聞いてようやく我に返った。
慣れない肩書がむず痒いが、おかげで現実をはっきり認識することができた。
被りを振って、離れてしまった相手との距離を詰める。
しめやかな黒髪に、戦闘用に整えられた厚手の白い制服。腰に刀を帯刀した美丈夫であった。
「失礼しましたクラウザー執行部長、せっかく案内をして頂いているのに。睡眠は……ええ、まあ、問題ないかと」
とんでもない法螺を吹く。魔人であるエルキュールは眠ったことなどほとんどない。されど事情を知らないオーウェン・クラウザーは薄く彼に微笑むのみ。
大陸でも随一の使い手と称される
世情に疎いエルキュールは未だ彼のことを曖昧にしか知れていないが、今となっては上司にあたる存在だ。
必要な措置とはいえ騙すのはやはり気が引けるもの。
軽やかに先を行くオーウェンに続きながら、気を紛らわせるために周りの景色を見渡す。
ミクシリア南西区にあるデュランダル本部、その敷地はエルキュールの想像よりも広いものであった。
人工的なデザインが目立つ石畳の通路からは、過度な装飾を排した鈍色の建物群が林立しているのが見える。
魔物を討伐し、安全を守護する大義を負っているとはいえ、民間組織にここまでの敷地面積が必要なのだろうか。エルキュールは今なお疑問に思っていた。
ただ、デュランダルの内部機構については詳しくないものの、どうやらここには全体を統括する司令部を筆頭として他にも三つの部門が設立されているという。
エルキュールが所属することになった作戦執行部に、これから赴くと言っていた事務部に、未だ詳細が分からぬ研究部。
三つを合わせた全体の人員の数はさぞ多いであろうし、この敷地内には彼らが住むための寮もある。エルキュールもその恩恵にあずからせてもらったが、眠るためのベッドや簡単なキッチンも設えられており、一部屋あたりの広さも申し分ないほどだった。
「そう考えるならこの広さも納得だな」
エルキュールらは通路を歩き続ける。傍には少なからず緑も多い。というより、いま歩いている地点が特別そうなのだろうか。人工物が目立つ他と比べ、やけに趣が異なっているように感じられた。
端にある植え込みは色とりどりの花をつけ、景観を損なわないようしかと手入れもされている様子。
奥には慎ましく吹き上げる噴水に、腰を落ち着けるためのベンチが並んでいる。魔物を狩る機関の敷地内に公園だろうか。エルキュールは眉をひそめた。
それを尻目に右手に曲がると、今度はエルキュールの表情に確かな驚きが宿った。
植物のトンネルが前方の通路上を覆っている。白いアーチ状の棒にはつる草が巻き付き、花弁の大きい花が頭上を彩っていた。
「ここの一帯はな」
琥珀色の瞳を微かに輝かせるエルキュールに、オーウェンは身体ごと振り返って続けた。
「デュランダル事務部長グロリア・アードランドの管轄なのだが……これがよく花を好む」
鮮やかな景色に遮られてはいるが、通路の先には無機質な棟が並んでいるのが見えた。あれが目的地であるようだ。
「グロリアさん……女性の方ですか」
「ああ。もっとも、貴殿が想像しているようなものではないかもしれぬが」
「それはどういう」
「こうした可愛げのある趣味を隠す傾向にあるのだ。平時は厳格を面に貼り付け、事務部の筆頭を務めあげている」
お互い部門を管理するもの同士、オーウェンとそのグロリアは仲がいい様子だったが。
当人がいない場所で秘密を暴露するとはいかがなものか、エルキュールは不服を露わに訊ねた。
「事前に彼女について知っておけば円滑に事が進むと思ったが……なるほど、礼を失していた。このことはどうか内密に」
悪戯な笑みを浮かべて歩き出すオーウェン。エルキュールは彼に聞こえるように溜息をついた。
アーチを抜けようとした矢先、オーウェンはまたしても足を止めた。風が吹き、夜のような黒髪が揺れる。
「時にエルキュール殿、貴殿も花が好きなのだろうか」
「……どうしてそう思われたのです」
「ふふ、この光景を前に僅かではあるが高揚していたこと、拙者の目には誤魔化せぬ」
目聡い男だが、こうも下らないことをさも得意げに語るのは少し可笑しかった。
オーウェンに対する評価を少し上げてから、エルキュールは何気なく首肯した。
「そうですね。自分でも花は好きな方だと思います。慣れ親しんだ香りは、良くも悪くも感情を揺さぶる」
「ふむ……たとえば貴殿の家族について、だろうか」
エルキュールの簡単な経歴はデュランダルにも既に伝えてあった。
もちろん核心的な部分は隠しておいたが、それでも突然に触れられるとエルキュールもコアのざわめきを抑えるのに苦労してしまう。
「ああ、またやってしまった。済まないエルキュール殿。どうも貴殿を前にすると変になる」
「新人だからと気を回しすぎなくとも結構です。もう十分良くして貰っていますので」
「……フフ、本当はそうもいかぬことなのだが。まあそれはいずれ話そう。今はあの忙しいグロリアの機嫌を損ねないようにすることだけを考えなくてはな」
「……難しいヒトなのだろうか、彼女は」
芳しい花の香りに別れを告げ、聳え立つ事務部棟の前まで辿り着いた。地味な灰色の壁と透明な窓でのみ構成された建物は、先ほどの華やかな光景との落差でことさら寂しく映った。
透明なガラス越しに見える棟内の廊下には、疎らではあるが人通りがある。朝も早いというのに殊勝なことであった。
「ここが事務部第一棟だ。普段グロリアが詰めている場所であり、他の棟に比べて大きく、階も多い。用件のある場合は、およそここを訪ねれば問題ないだろう」
説明を聞きながら魔動機械によって自動化された扉を抜ける。カヴォード帝国などでは見慣れたものらしいが、オルレーヌでは少々珍しい仕掛けだ。
伝統的な王国騎士団とは違った、革新的なデュランダルの理念が扉一つにさえ詰め込まれているようだった。
ところで物を自動的に動かす力を生むには、複合魔法である雷魔法を使用するとエルキュールも書籍で読んだことがあった。
是非ともその詳しい機構について調べてみたい気持ちもあったが、どうやらそれどころではないらしい。
「だからっ! どうして聞いてくれないんですかっ!」
受付を備えた広い空間に絶叫が響いた。甲高い男の声。見れば受付の前で二人、激しく口論をしているようだ。
間に立つ格好になった受付嬢だけが取り残され、慌ててふためき目を回していたのがどうにも気の毒だった。
否、しかしよく見れば、それは口論とも違う様子。
温かい春の気候にそぐわぬ厚手の服を着込んだ男は激しい剣幕であったが、対する金髪の女性はその受付嬢を庇うように立ってなお、涼しい顔をしている。
後ろで一つに結んだ髪、怜悧を思わせる顔立ち、オーウェンとは色違いの紅の制服を着込んでいる。
恐らく彼女が。そうエルキュールが思考を結んだのと同時に、オーウェンは襟飾りを整えながら言った。
「金髪の女性の方が、事務部長グロリア・アードランドだ。何やら賑やかな状況ではあるが、ふむ……まあいいだろう」
オーウェンは微塵も気にせず、近寄り難い雰囲気を漂わせる彼女たちの方へと歩いていってしまう。
エルキュールとしてはあまり自分から渦中に飛び込みたくはなかったのだが。どこか気ままな上官が頻りに後ろを振り返るので、エルキュールもそれに倣うしかなかった。
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