一章 第五十四話「過去を断ち切る時 前編」

 オーウェンの助力はグレンが想定しているよりも大きく戦局を変えた。デュランダル作戦執行部長、その名は放浪していたころにも度々耳にしていたが。


 それら風説のいずれも、正しく実物を表すことはできないようであった。


「参の型――幻月げんげつ


 上段に構えたオーウェンが疾風の如く突進する。その踏み込み、勢い、どれをとっても一級であり、対するディアマントの動きも硬くなる。


 もちろんただの直線的な攻撃であれば、魔人もここまで動揺は見せなかっただろう。

 この技の真価は別の所にあった。


 シャルーアを構えるディアマントに太刀が振るわれる直前、オーウェンの身体の輪郭が霧のように揺らぐ。


「クソ、またかよッ!」


 再三のこの攻撃を喰らっているディアマントが呻く。その目前からは既にオーウェンの姿は消え、ぽっかりと空いた暗闇が残るのみであった。


 そして刹那の静寂の後、天空が光った。


 人を優に超える巨躯を誇るディアマントのさらに上空、月光に紛れて影が飛びかかってきていた。

 彼もすんでのところでそれに反応し、大槌で叩き落そうとするが。


 その影はシャルーアで殴られると、まるで砂で作られた人形かのようにあっけなく原形を失ってしまった。


 衝撃によって人の肉が弾けたという感触でもない。

 その事実をディアマントが知覚したのと、隙を曝した彼の横腹が斬られたのはほぼ同時のことだった。


 仄暗い闇に、傷口から黄金色の魔素が飛び散る。


「残念、こちらだ」


「オーウェン、やってくれるじゃねえかァ!」


 低く振るわれた大槌により反撃を飛ぶように躱し、オーウェンは再び安全圏へ脱した。


 ディアマントの身体は大きく肥大したゆえに、動きの精密さというのが失われていた。

 だから今のオーウェンのように、一撃を与えつつ逃げるというのは理にかなった戦法と言えよう。


「けど、あんだけ打ち合っておいて全然身体が砂に侵食されないのは、十分おかしいけどな」


「オーラの技術を使い自身に魔素の防壁を纏わせれば、これしきの攻撃は防げるものだ」


「うーん、あの武器は魔人に奪われたとはいえ、精霊様の遺物なんですけど……」


「それも誠に興味深い話ではあるが。今はあれを討つことだけを考えねばなるまい。拙者の剣は確かにあれと問題なくやり合える。だが所詮はその程度に過ぎないのだ」


 言い残して再び魔人に向かうオーウェンに、グレンは緊張した面持ちで頷く。


 彼の剣は本来、集団戦に特化したものであるため、一つの強大な敵を相手取るには向いていない。


 即ち不利な土俵において、オーウェンは防御に意識を割かなければならず、魔人を倒すほどの攻撃を喰らわせることができないのだ。


 しかし砂を操るディアマントと打ち合える実力者というのも、またオーウェンのみという状況で。

 彼以外が長く魔人と対峙すれば、先ほどのグレンよりもさらに酷い侵食を受けることになるだろう。


「だからって指を咥えて見てるわけにもいかねえ」


「そうね。ジェナは魔法であの執行部長さんを助けてあげて。魔人を倒す最後の一撃は私たちが用意するわ」


「分かったよロレッタちゃん。グレン君も……頼んだからねっ!」


 魔法を上手く放出できないことに自信を無くしつつあったジェナだが、いまオーウェンの後ろに構えている彼女には気概がある。


 空元気だとしてもジェナがこうして気力を振り絞っているのだから、グレンとて怠けていられない。


 銃大剣を正面に構え、ロレッタに寄り添うように立った。


「さぁ、恥ずかしがってないで頼むぜ、ロレッタ」


「こんな時にまで狂言なんて。私に対する嫌味? それとも緊張?」


 確かめるように、ロレッタの色の薄い手が柄を握るグレンのそれを包む。

 柔らかで、冷たい。

 不意に距離を詰められたこともあってか、柄にもなくグレンは戸惑ってしまった。


「緊張なんか今だけ理性で捻じ伏せなさい。私が手伝うのだから、なまくらな剣を作るだなんて認めないわ」


「……ああ」


 緊張はもちろんあった。

 相手は過去にグレンを騙し、グレンを利用して力を得た怪物。そしてグレンの罪の化身といってもいい存在だ。


 精神に深く刻まれた傷、逃げ出したくなるような状況だが、隣から伝わる慣れない温度がグレンの心を落ち着けた。


「なら早速、剣の強化を始めましょう。辺りに漂う火の魔素だけに集中して……」


 ディアマントを滅ぼすための一撃。

 それはグレンの銃大剣に、限界まで強化魔法を付与することによって完成するもの。


 素の状態であっても、グレンが放つ一撃というのは単純な攻撃力という面においてオーウェンを上回っている。

 火の魔法術式が刻まれ魔鉱石で鋳造された銃大剣は、火の強化魔法とある種の相性が良かった。


 しかしその剣を以てしても彼の魔人を滅ぼすには届かず、それ以上の強化となるとグレン本人の才では難しいものだった。


 ゆえに、優れた魔素感覚を持つロレッタの力を借り、必殺の剣を完成させる必要があった。


 瑠璃が放つ光のように冴え冴えとしたロレッタの瞳は、逸れることなく赤みさす剣身に向けられている。

 先刻までいがみ合っていた者とは思えない真摯な態度に、彼女の覚悟が見て取れた。


 懸命に火の魔素を手繰り、強化魔法を付与するグレンだが、やはりその手管というのはロレッタに遠く及ばない。


「……ありがとな」


 その言葉は何の躊躇いもなく口に出ていた。ロレッタの性格やこれまでの態度など、一切関係がなかった。


 あらゆる垣根を越えてでも、緊迫した現状であっても、伝えるべき言葉だと思ったのだ。


「それは、いま力を貸していることに対してかしら。前にも言ったけれど、私は魔物という存在が許せないだけよ。貴方のためだなんて勘違い、気味が悪いからやめてほしいわ」


 一息に言ったロレッタが、握った手の力を強める。その細く長い指は、グレンには微かに熱を帯びているように感じられた。


「もちろんそれもあるけどよ。ディアマントとオレのことを知ったときも庇ってくれただろ?」


「だから、魔物が許せないからって言っているでしょう!? はぁ……それに、彼の話は身勝手極まりなかったもの。あくまで二つを天秤にかけた結果の判断、ただそれだけなんだから」


 ロレッタの握る力はもはや痛いほどに強くなっており、堪らずグレンも口を閉ざした。

 彼女にとっては大したことがなくても、グレンにとっては価値のある言葉に違いないけれど。

 その温かさも、それに報いたいという思いも、いずれもグレンだけが理解していればよいことだ。


 オーウェンの剣技とジェナの闇魔法が魔人を惹きつけてくれている貴重な時間、グレンは精一杯の技術を用いて強化魔法を注ぎこんだ。


 やがて赤い剣身は眩い光を帯び、さながら炎を纏っているかの如く輝き始めた。


「ここまでが限界ね。魔素を込めすぎれば、剣の方が耐えられなくなるわ」


 物体というのは全てが魔素の集合によって形作られている。ゆえに外部から魔素を注げば、多かれ少なかれその性質は変容するのものだ。


「分かった」


 多少ならば問題はない。だがそれを超えた究極にあるのは原形の崩壊、あるいは生命の死のみ。


 目の前に映るディアマントの姿を見ながら、グレンは静かに頷いた。


「これで準備は整ったな。加勢するぞ、ロレッタ」


「ええ、エンハンスの効果も長くはもたない。とっとと終わらせましょう、グレン」


 限界まで力を込めた溢れんばかりの灼熱を、グレンは振り落とさないように構える。


 荒れ狂う砂塵は離れた地に立つグレンらに吹きつけはしたものの、魔人の攻撃が飛んでくることはなかった。


 絶え間ない早業でディアマントを翻弄するオーウェンと、フリューノアなどの闇魔法でそれを補助するジェナ、二人の活躍によるものだ。


 ロレッタもそうだが、あの二人のためにも。そして街中で戦う者たちのためにも。失敗は許されない。


 グレンは薄暗い闇に身を潜めるように身を屈めると、ディアマント目がけて一気に走り出した。

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