一章 第五十五話「過去を断ち切る時 中編」

「弐の型――有明ありあけ


 迫りくるシャルーアの一撃を皮一枚切らして避け、オーウェンは身を反転させながら攻撃を返した。

 回避と反撃を兼ね備えた月影つきかげ流の絶技は、対するディアマントの巨躯を切り裂き、辺りに黄金の魔素が舞った。


 繰り返すこと十か、百か。されども、の魔人の威勢が削がれることはなかった。


「オイ、どうしたよ月影の剣匠ッ! 掠り傷をいくら負わせたところで、俺様は止められねえぞ!」


 直撃すれば人の身など容易く砕けてしまうであろう攻撃を、ディアマントは息をするように簡単に繰り出していた。


 致死の一振りが振るわれるたび、オーウェンはこれを紙一重で躱し続けてきたが。範囲と速度を兼ね備えたディアマントの攻撃は、たとえ達人の使い手であっても完全に制することは難しいようだ。


 大槌による攻撃を空中で回避し、隙を曝すオーウェンにディアマントのもう片方の腕が伸びる。


「危ない――ダークレイピア!」


 そして彼がこうして窮地に立たされたときには、常にジェナが闇魔法によって魔人の攻撃を防いできた。


 両者の実力は拮抗している。お互いに致命傷を負わせることなく、されど険しい攻防が続いた。


 だがその均衡を保つのにも、体力と魔力は消費されるもの。

 そして人間と魔人とでは、その身体にある魔素の内包量が異なるのだ。


「まだ戦えるか、ジェナ殿」


 未だ優に力を残すディアマントから視線を逸らさずオーウェンが問いかける。

 通常であればいくら魔人でも長時間あの原初の姿を保つのは不可能だが、ディアマントの持つシャルーアがその常識を覆してしまったらしい。


 精霊の遺産という超常的な存在が秘める力を、それに立ち向かうという愚昧を、改めて突きつけられる。


 ジェナは気丈に振る舞っているが、慣れない魔法を放出するのには余計に精神が削られる。


 そのことは共に戦うオーウェンにも、相手するディアマントにも伝わってしまっているようで。

 黄金の魔素で形作られた魔人の朧げな身体が、哄笑を上げているかのように小刻みに揺れる。


 そんな時だった。


「はあっ――!」


 辺りを刹那に照らす紅蓮の炎が、ふいにディアマントの巨体の方へ吸い込まれるように煌めいた。

 場が静まった間隙を縫って、迷いなく一閃を払うは赤髪の青年。

 その手に照り輝く赤光が、黄金と衝突する。


「グレン、お前ッ……!」


 ディアマントにも、このことを予期していたジェナたちにさえ気取られなかった、完璧な不意打ち。


 限界までエンハンスで強化された脚力で斬りかかったその一撃は、しかし僅かに、ほんの僅かに弱点であるコアを外した。


 グレンの落ち度ではなく、危険を察知し本能的に身体を捻った魔人のために。


 そのことを自覚したグレンの身が固くなる。

 攻撃を喰らわすために、彼は魔人の懐にまで潜り込んでいた。

 そしてその至近距離に足を踏み入れるということは、敵の侵食や汚染に最も影響を受けることに等しい。


 コアの一部が砕け、激痛に悶えながらも愉しげに笑うディアマントに、グレンはその場を脱しようとしたが、かなわない。


 足元を支えていた地面が突如として脆い砂塵へと形を変えていたのだ。

 それに脚を捉われ、グレンは重心を失ってしまう。


「……っ! もう、世話が焼ける……!」


 ディアマントを前にして転びかけたグレンの命が、ヒトという存在が崩れ去る瞬間、後方から飛んできた銀の鎖がその無防備な身体に巻き付いた。


 そうして力強く鎖に引っ張られるグレン。

 得体の知れない力に引きずられて眩暈を覚える彼だったが、柔らかい感触に身を包まれたことによって、ようやく状況を理解した。


「ロレッタ、か……? すまん、助かった」


「お礼はいいから早く離れなさいっ、重いのよ!」


「ああ、悪い……って、マジかよ……」


 顔を赤くして急かすロレッタに、今が切迫した状況であることを動転した頭で思い出す。

 しかしそれでも、グレンは仰向けに倒れたロレッタの上から離れなかった。否、離れることができなかった。


 グレンが先ほど捉われた砂は既にこの場にも広がっており、手や足を地につこうにも上手く力が入らなかったのだ。

 不安定なその足場は、グレンらが体勢を整えようとする力を奪うばかりか、倒れる彼らの身体を下へ下へと沈めていく。


「グレン君、ロレッタちゃんっ!?」


 少し離れた地点から悲鳴が上がる。グレンらと同じく砂に呑まれているジェナだ。

 彼女は安定した姿勢を保っていたためか、この状況でも幾ばくか動けるようだが、既に体力が削られていた彼女の動きはどうしようにも緩慢だった。


「ジェナ殿、拙者が持ちこたえている間に風魔法でグレン卿らを!」


 唯一この場で動けるオーウェンが指示を飛ばし、ディアマントとの間に踊りでる。

 見れば彼の足裏には翡翠色の魔素が輝いており、それを足場の代わりとして滑るように砂上を移動しているようだった。


 空中を自在に移動できる風の上級魔法、フライハイト。それを局所的に放出したのであろう。

 優れた剣士でありながら、魔法の技術も申し分ない。その隙のない戦術が、ふとグレンにこの場にはいない青年のことを想起させた。


 瞬く間に足場を砂の海へと変えてしまった張本人である魔人は、グレンから受けた傷から立ち直ったのか、その砂漠の中心から溺れる人間を睥睨していた。


 ヒトや魔人などという括りを超えた、それこそ精霊のような超常的な出で立ちでもって。


「さっきのは本当に効いたんだぜェ、グレン? 流石の俺様も危うく逝っちまうくれえになァ」


 自ら生み出した砂の上において、彼の魔人は誰よりも自由だった。輝く巨体が一歩近づく。そしてそれによる振動というのは不安定な砂の地面に波を立たせ、風魔法で復帰したばかりのグレンらを煽った。


 浮遊している身体では、地面を移動する時に比べて瞬発的な動きは制限される。剣を振るう際に力を込めるのも、技を繰り出す足捌きも、満足に行えない。


 進んで攻撃を仕掛けることは得策ではなく、グレンらは近づいてくるディアマントに対して受け身にならざるを得なかった。


「そうかよ。なら、この地面の砂はあれか? オレの攻撃に怖気づいたゆえの行動ってことか? 確かにうざいが、これはお前自身の首を絞める手でもあると思うんだがな」


 足元に広がる黄土に、その力の凄まじさをまざまざと感じさせられるが。グレンは決して怯えた態度は見せなかった。


「ディアマント、お前は言ったはずだ。この砂の侵食はシャルーアによるもの、お前の生命力と引き換えに生み出してるものだってな。奪った精霊の遺産が持つ力が続く限り、お前の魔力が尽きることはねえんだろう。だが命だけは別だ。お前が今まで力を使い過ぎないように立ち回ってきたのがその証拠だ、違うか?」


 これほど規模の大きい力を使えるのなら、そもそもディアマントはグレンらと戦うまでもないはずなのだ。

 目的が何であれ、それが人に仇なすことなら、気付かれないうちに街をこの砂の力で滅ぼしてしまえばよい。


 それを実際に行わないのは、やはり力に制約があるから。そうであれば戦いを引き延ばすだけ、戦局はこちらに傾くだろう。


 無論、戦いが長引けばそれだけ街の被害が大きくなるだろうが、少なくとも全滅を免れることはできる。


 状況は一見して不利に見えるが、その実は違っている。

 そしてそれは、戦闘に精通したディアマントも承知しているはずだが。


「そうだ。お前らを倒そうと躍起になれば、俺様の命はその分だけ削れる。全部お前の言う通りだ。言う通りだがなァ、グレン……?」


 言葉の意味は重大なものであるはずなのに、それを口にするディアマントの態度は砂粒のように軽い。


 自身の命ですらも全く歯牙にもかけない態度に、グレンの方が狼狽えてしまう。


「勘違いしているみてえだがよ。俺様には生への未練なんざ微塵もねえ。傭兵としても、アマルティアの魔人としても、死を恐れたことはねえぜ」


 かつてのヒトの影があったディアマントの顔は、今となっては獣じみたものへなっているが。

 今の彼の表情には恐らく、あの渇きを癒すことへの、欲望に満ちた笑みが浮かんでいることだろう。


「まあお前らには分かるわけねえよなァ? いくら喰らっても腹が満たされねえ奴の思いは。いくら眠っても睡魔に襲われる奴の思いは。イブリスと違ってお前らは正々堂々と生きてるモンなァ? 己の欲求を満たすことを許されたこの世界でよ」


 砂嵐が吹く。ディアマントを憐れむように。その嘆きを表すように。


「だからお前らはこの世界を必死こいて守ろうとする、情けなく生に縋ろうとする。違ってんだよ、何もかもが。もう一度言うが、俺様は命すら懸けることができるぜ? ここまで食い下がってきたお前らを殺して、奪って、街を蹂躙して、この世界を破壊するためならよォ!」


 それはイブリスという種族特有の感情なのか、それとも彼の思想によるものなのか、グレンには判別できなかった。


 しかし確かに言えるのは、ディアマントはその望みを叶えるために何かを躊躇うことはないこと。

 そしてこの迷いなき魔人を止める術は、今のグレンらにはないということだ。


 ここまでの力を使った彼の命というのは恐らく長くはない。

 だがその短い時間の中で、彼は全てを果たすのだろう。


「よし、宴の再開だ。今度こそ正真正銘、全力でやってやる。お前らもせいぜい足掻いてみるかよ?」


 ここから見る砂の魔人の全貌は、先ほどよりも大きくなっているようだった。彼が近づいてきたからか、己の弱い心が見せた錯覚か、いまのグレンには確かめる余裕もなかったが。


「ははは。なるほど、命を懸けると。その欲望の強さ故なのか、貴殿はどこまでも認識不足のようだ」


「…………あァ?」


 この期に及んで未だ余裕を崩さないオーウェンに、ディアマントはおろかグレンらも眉を寄せた。

 大陸随一の剣士だとしても、足場が不安定な状況であの魔人を相手取るのは不可能に思えたからだ。


 けれど、その剣匠は笑みを崩さすに言った。


「その姿になり、力を溢れさせたことによって些か冷静さを欠いているようだが。なにも拙者らはこの場において命を懸けていないわけではない。むしろ貴殿が広場に現れるより前、この街が魔獣に襲われることになった時から、死力を尽くしてことに当たってきた」


「違うな。お前らは俺様のように文字通り命を力に変えてるわけじゃねえ。その身体が本能的に命を守ろうとするから、制限された力しか発揮できねえんだ。だからこそ俺様に並び立つでもなく、惨めに散っていく」


「無論、在り方は異なる。命を賭したと言っても、死ぬために戦っているわけではない」


「……何が言いてえんだ」


「今さら命云々を語っても遅いと言っているのだよ。拙者らはとうにそれを懸けて戦いに身を投じてきた。誰かを守り、そして

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