一章 第五十三話「砂塵舞う死闘」

 王都でも有数の名所であったミクシリア広場がその真価を発揮する日は、もう二度と訪れないかもしれない。


 避けた砂嵐の奔流が経路上の建物群を薙ぎ払っていく様を見て、グレンの頭にはふと場違いな感想が浮かんだ。


 ディアマントの常軌を逸した力が生み出す非現実的な光景の数々。それによって被害を被る、あるいは被ってきた者たちのことを思うと、思考が乱れることも仕方ないのだろうが。


「余裕かましてられんのも今のうちだぜェ?」


 目の前の魔人が手にした大槌で地を叩く。地面が割れ、砂塵となり、それは波のようなうねりを伴ってグレンらの方へ襲いかかる。


 強化魔法を身体に付与していなければ反応することすら間に合わなかった攻撃を、幾度となく回避し続ける。


 だがそれは敵を打ち倒すための手段にはなり得ない。

 際限なく繰り出される濁流のような攻撃は、ただ相手との実力差を示すだけの、暴力的な調教だった。


 このまま同じことを繰り返せば、ディアマントに一撃も喰らわすことなく全滅してしまうだろう。


「張り合いがねえ、ちっとはやると思ったんだがなァ。ここで砂となった騎士連中よりはマシとはいえ、これじゃあ魔法士に毛が生えた程度じゃねえか」


 しかし不意にディアマントの猛攻が弱まる。

 死者を貶す彼の態度は癪に障ったが、息を整える時間ができたのはありがたい。


 あからさまにこちらを見下す魔人に、グレンは内なる無念を殺しながら気丈に振る舞う。


「その張り合いのない奴ら相手に、今のところ一回の攻撃も当たってないみたいだぜ」


「弱すぎて白けてるっつてんだ。六霊守護の女も期待外れ、せめてあの黒づくめの男がいりゃあ、もっと楽しめたんだろうがよォ」


 地面に突き立てたシャルーアに寄りかかり、ディアマントは気だるげに言い放つ。

 確かに今の三人に比べてエルキュールの助力もあれば、もう少し上手く戦えるのかもしれない。


 連絡のつかない彼の安否も気になるところだが、今はないものねだりをするよりも差し迫った現状の方を優先しなければならない。


 グレンは目の動きだけで横に構えるジェナを窺った。ディアマントが触れたもう一方、ジェナの様子を確かめるがために。


「うっ……夜が、近づいて……」


 その弱々しい呟きで魔法に明るくないグレンも悟った。


 現在に至るまでジェナが放出した光魔法の数というのは、時間の経過とともに数が減っている。


 強化や防御魔法は問題なく扱えているというのに、そう疑問に思っていたのだが。


「……この暗がりでは、光の魔素を手繰るのも難しいわね」


 ジェナを庇うようにディアマントの前に立つロレッタが、薄暗い周囲を見渡し代わりに呻く。


 そのことはかえってジェナの悲惨を誘ったのか、長杖を手にする彼女の拳が一際強く握られた。


 グレンたちがディアマントに遅れを取っている理由。

 一つはもちろん単純な実力の問題であるが、もう一つにはジェナのこの不調が関係していた。


 エルキュール曰く、闇の魔素は日が暮れ始めてからが最も力強く活性化する。

 相反する属性を持つ光の魔素は、やはりこの活性化においても逆の性質を備えているのだろう。


 エルキュールが昼夜問わず闇魔法を使役していたため頭から抜け落ちていたが、適性のない環境で特定の魔法を放出するのは、かなり魔素感覚を研ぎ澄まさないとできないことだ。


 といっても魔術師であるジェナがここまで弱体化するのは、想定を大きく超えていた。


「クハハハ! 別にできねえってのなら構わねえぜ。せいぜい一晩ぐっすり眠ってろや。起きた頃には、無味乾燥とした砂漠がお前を出迎えてくれると思うぜェ?」


「ふざけないでちょうだい。これ以上、魔物に好き勝手させないわ」


 再び場を包む緊張が増す。そうなればまた、あの止めどない砂塵に苦しめられることになる。


「もしかして、これがおばあ様とおじい様が言っていたことなの? やっぱり間違っていたのは私の方なの……?」


 重苦しい表情、これほどまでに思い詰めたジェナは、短い付き合いとはいえグレンも見たことがない。


 これ以上彼女は戦えるのだろうか。グレンは彼女に戦わせることができるのだろうか。


 頼りない姿を見て、ふとグレンにも迷いが生じた。


 しかしそれも一瞬のこと。


 これは始めからグレンに判断できる問題でもなければ、納得のいく答えを探す時間も潤沢にあるわけでもないのだ。


 だからグレンは視線をディアマントの方へと戻した。


「しっかりしろ、ジェナ。お前にはまだ手があるはずだろ」


「手は、あるかもしれないけど……それじゃあきっと足りないよ。光がないの、見つけられないの。これじゃあ魔術師としての力が……」


「光で照らすことができねえなら、いっそ闇に染まっちまえ! あいつから貰った力も使うって言っただろうが! それも無理っていうなら逃げろ。市民を戦場に置いておく騎士なんざ、あってはならねえんだよ」


 ジェナは何を恐れているのか、絶望しているのか、分からない。どうすればその心のに寄り添えるのか分からない。


 あるいは彼ならば、そんな思いを胸に秘め、グレンには突き放すような言い方しか出来なかった。


 けれどもそんな叱咤の言葉は、ひとまずこの場を凌ぐだけの力をジェナに与えたようだ。

 正面から魔人に対するその視線からは、以前までの迷いが確かに消えていた。


「俺様に全てを奪われる覚悟はできたか? なら、戦闘続行といこうかァ!」


 シャルーアを片手で振るい、ディアマントが突進する。砂を使った遠距離からの攻撃ではなく、直接的な行動。

 積もりに積もった戦闘への欲望が、ここに来て増大していたのだろう。

 銃大剣で受け止めるグレンには、それがはっきりと分かった。


 だが魔人との接触は人間にとって多大な危険を孕むもの。通常なれば汚染の可能性が第一に挙げられるが、ことディアマントに関しては異なる。


「ちっ、砂が……」


 剣を打ち合っているグレンの髪の一部、燃えるような赤が前触れもなく乾燥した砂へと変わる。

 砂となった髪がぼろぼろと地面に落ちると同時、グレンは力を込めている両手にある違和感を覚えた。


 手の甲の皮に鱗のようなひびが入っており、乾燥したそばから徐々に剥がれ始めていた。


「んだこれ、痛えっ……!」


 肉体の水分が急速に奪われたことを自覚した途端、グレンは両手に激痛を感じた。力を加えることが難しくなって姿勢が崩れる。


 それを見たディアマントの表情は憐れむような、力のないものだったが、すぐに変わりない獰猛さで隙を曝すグレンに追撃を喰らわそうとした。


「させないわ――コンジェラシオン」


 すぐさま横からロレッタの援護が入る。土と水の魔素の複合である氷魔法は、この特殊な環境下においても十分に効力を発揮するようで。


 氷の柱で作られた牢獄がディアマントの攻撃を阻んだ。


 その魔法は、シャルーアの生成する砂と混じり合っている魔人の身体ごと凍り付かせる勢いだったが、やはりそれでも彼の力は絶大だった。


「鬱陶しいッ!」


 魔人が一つ吼えれば、堅牢かと思われた檻が一瞬にして砕け散ってしまう。ついで苦し紛れに放った鎖も、隆々とした鋼のような肉体に弾かれた。


「無駄だ、マルティネスの女。放出までの速さは大したものだが、お前の魔法じゃあ威力が足りねえんだよ」


「なら、これはどうかな――シャドースティッチ!」


 魔人の失笑を見逃さず、ジェナが立て続けに魔法を放つ。それは普段の光魔法でも、強化の火魔法や、治癒の水魔法でもない。


 相手を封殺することに長けた闇魔法だ。


 魔素質の矢がディアマントの身体を通り過ぎ、影が延びている後ろの地面に突き刺さる。

 対象の動きを止める性質を持つ魔法、魔術師であるジェナが放出するそれはアマルティア幹部にすら有効であるようだ。


 ディアマントは束縛から逃れようと手足に力を込めているが、その巨体は微動だにしない。


「ちっ、めんどくせえ……だがこんなモン、もっと力を開放すれば……」


「大人しくやらせると思わないでっ! 暗雲よ、闇に閉ざせ――フリューノア!」


 今度は完全詠唱による初級魔法。敵の視界と魔力を奪う黒き濃霧が、自由を失った魔人に容赦なく襲いかかる。


 防御をしようにも身体は動かず、矢の力から逃れようとも霧に魔力を奪われる。

 二重の罠にかかり、ディアマントの身体が完全な無防備になる。


「今だよ、グレン君! コアを!」


「よくやったジェナ!」


 グレンが負った砂による手の侵食はロレッタがクラーレで回復していた。これでも全快とはいかないが、剣を振るうには十分である。


 霧に呑まれて苦しげに呻くディアマントのコアに、グレンは全体重を乗せた銃大剣の一撃を見舞った。


 渾身の攻撃を受けたディアマントの身体は折れんばかりに曲がり、闇魔法の影響が消失したなか凄まじい速度で吹っ飛んでいく。


 そして砂を辺りにまき散らし、派手な音を立て、かつて建物だった瓦礫に追突する。


 確かな手ごたえがそこにはあった。いくら彼の魔人でもあれを喰らって無事ではいられまい。

 だがそれと同時に、命までは仕留め切れていないだろうというのも予感としてあった。


 このまま勝負を終えてしまおうとグレンは追撃を繰り出そうとしたが、砂埃が立つ瓦礫の向こう側から襲来した砂嵐によって、その機会を失してしまう。


「……あー、今のは随分と効いたぜェ。シャルーアの力を持つ俺様じゃなかったら、コアを叩き潰されて死んじまってただろうなァ」


 周囲の瓦礫や砂埃をその身に吸収し、未だ健在のディアマントが立ち上がる。

 グレンへの反撃も身体の回復も著しく速い。古代の遺物の力も関係しているだろうが、周りの物体から即座に魔素を補給したのは流石の勝負勘と言ったところだろう。


 絶大な魔力を有する魔人としても、かつて傭兵だった身としても、ディアマントは優れている。

 そしてその頑丈な身体をつき動かすのは、戦闘を躊躇しない元来の性格と、病的ともとれる飢餓と渇望であるのだ。


「それだけで気分が悪くなるくらいなのに、さらに大精霊の力を有した遺物まで……まるで悪夢ね」


「今さら怖気ついたか? だが悪いな、もう止まるつもりはねえぜ。三人がかりとはいえ、俺様に傷を負わせるなんざあのトカゲ騎士にもできねえことだ。汚染するにしろ、殺すにしろ、文句なしの獲物。これは本気を出さざるを得ないよなァ!?」


 その瞬間、ディアマントの構えるシャルーアが不気味に瞬いたような気がした。


「なんだ……?」


 錯覚であろうか。だが彼自身の言葉を思うと到底そんな軽い言葉では片付けられない。

 そしてその不吉な前兆は、残念なことに正しかった。


 地震だ。視界が揺れるほどに大きく、立っているのもやっとなほど。そして辛うじてグレンが保っていた視線の先では、ディアマントの身体が黄金に光り輝いていた。


「聞いた事あんだろ? ヒトの姿を捨てた魔人の原形。力を最大限発揮するための姿のことを!」


 揺れた視界が黄金に染まり、グレンはいよいよ目を瞑ってしまった。


 敵の前で目が逸れるなど武人としてあってはならないことだというのに。湧いてくる後悔すらも理性で捻じ伏せ、グレンが再び目を開けた先に。


「その、姿は……」


「アア、確かグレンが見るのは二度目だったかァ?」


 そこには魔素質で精巧に模倣されたヒトの身体も、ぼろきれのような外套もなかった。人型なのに変わりはないが、より純粋な魔素質の姿を取って肥大した身体は、その全体が黄金に輝いていた。


 顔も髪も全てが光の粒子、あるいは結晶で形作られており、どこに目を凝らしても人外の感が増している。


 黄金に輝く巨人。そう形容するのが最適だろうか。

 グレンたちがこれまで相手にしてきた知能の低い魔人と姿は似ているが、力の差は比べるのも烏滸がましいほどだった。


 それまではディアマントの身長ほど大きく見えたシャルーアを、悠々と片手で構える様子は、まさしく精霊のような伝説上の、超越的な何かを想起させた。


 あれに対し、人が勝てる道理など果たしてあるのだろうか。そんな諦観がグレンに、ロレッタに、ジェナに、伝染するように波及する。


「この力を振るうんだ、せいぜい簡単にくたばってくれるなよ?」


 魔人が一歩を踏みしめると、それは地震となってグレンらの足裏にまで伝わる。

 その振動はまるで彼らを閉じ込める檻のようにその動きを止め、首元に突き付けられた刃のようにその心に恐怖の種を植え付けた。


 戦闘の意思は消し飛び、逃げる手段も当然思いつかない。彼らの思考が停止する中で、ディアマントの歩みは続いていた。


 両者の距離が次第に近づき、いよいよ攻撃の間合いに入ろうかといったその時。


「成程、随分と尊大な物言いをするものだな。それならば拙者にも一枚噛ませてもらっても構わないだろうか」


「あァ……?」


 月が顔を覗かせる宵闇の広場の向こうにて、線の細い人影が低く透き通るような声を響かせた。


 余裕のあるその出で立ちは、疲労困憊のグレンらとも、暴力的な光を湛える魔人とも隔絶されているかのようだ。


 そんな影が、月に照らされた湖面の如き静けさを纏いやって来たのだ。


 彼はそのまま戦場と化した広場を滑るように横切ってくる。そして闇に隠されたその姿もまた、じきに露わになった。


 夜に紛れる黒髪と対照的な、角ばった白い礼装。

 腰には細長い太刀がさされており、前を射貫く視線はあまりに力強い。


 身体つきはディアマントはおろか、グレンに比べても痩せているはずだが、この場の誰を以てしてもかなわないほどの威圧感がその身から発せられていた。


 時すらも止まってしまったような中、その男は風が吹くように自然と、グレンの横に並び立った。


「……そうか。そうか、そうかッ! そう言えば、ここはお前らの縄張りだったなァ!」


 一早く硬直から脱したディアマントが嬉々とした目つきで男を見下ろす。


「ふむ……全てを曝け出す死闘への、あるいは満たされることへの渇望といったところか。ならば斯様に街を傷つけず、ロベールやヴォルフガングを消耗させなければよかったものを」


「できるものなら、俺様一人でやってやりたかったところなんだがなァ。だがまあ、お前が来たのなら、それはそれで悪くはねえ」


 闘気を超えた殺気を滲ませるディアマントが相手であっても、その泰然とした構えが崩れることはない。


 この時になってようやく、グレンらは息を吐くことができた。男の登場によって、張り裂けそうな緊張から解放されたためだ。


「申し訳ないジェナ殿、ロレッタ殿、そしてグレン卿。広場の異常を察知し、街の魔獣をみなに任せて急ぎ駆けつけたが、よもやこのようなことになっているとは」


 男はそんな彼らに笑いかけて抜刀する。月光に照らされた刀身には冷徹な心が宿っているかのようで。


月影つきかげ剣匠けんしょう、オーウェン・クラウザー。まさかヴェルトモンド随一の使い手とやり合えるとはなァ。仕事の前の息抜きにしては出来過ぎじゃねえか」


「貴殿が先の未来を考える必要などない。直ちにこの朧で斬り伏せてくれよう!」


 これ以上なく頼もしい助太刀に感謝を示しつつ、グレンらは再び得物を構えた。

 今度こそこの暴虐たる魔人に報い、その犯した一切の罪を断ずるために。


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