一章 第五十二話「熱砂に埋もれた記憶 後編」

「よォ、お三方。ちっと世間話にでも付き合ってくれねえか?」


 広場にまで戻る道のりを歩く中、先頭のディアマントが藪から棒に口を開く。


 振り返らないまま、声高に。きっと先ほど見せた不敵な表情を浮かべていると思うと、グレンは叫びを上げてしまいそうだった。


 辛うじて抑えることができたのは、すぐ傍を歩くジェナとロレッタの目があったのと、これからの戦いに向けて集中したいという思いのためであろうか。


 それとも、ここで反発して下手な動きをされては困るという、不安や恐怖に駆られたためか。


 いずれにしても沈黙こそがグレンの持つ答えだった。


「……クク、つれねえな。戦いってのは互いの持つ因縁が深ければ深いほど燃え上がるモンなのによォ」


 隆々とした身体から砂が漏れ出ているディアマントの通った後には、黄土の軌跡が引かれている。


 後ろを歩くロレッタは通り道に積もったそれを躱すと、苛立たしげに地を蹴った。


「この砂が気になるか、水色の女」


「……別に」


「誤魔化さなくてもいいぜェ。自分よりも遥かに強い奴が、その上こんな得体の知れない特徴を持ってるなんざ、気にならない訳がねえ。お仲間に教えてやったらどうだ、グレン? そっちの六霊守護でも構わねえが」


 名指しされた二人の間には緊張が走り、ロレッタはそれを見てなおさら疑問を強めた。


 グレンとディアマントの言動から、二人の間に何らかの関係があることはもはや誰の目にも明らかだった。


 その上この微妙な雰囲気を放置していれば、いざという時の連携にも影響が出るかもしれない。


 グレンは自らの証明をするためにも、ついにその重い口を開いた。


「お前のその口調や姿、どれもがカヴォードでオレを騙したあいつを思わせる。本当にお前は、あのディルク・ボンネフェルトから生まれた魔人ってことなんだな?」


 グレンが認めた瞬間、彼には魔人が愉悦に口を歪めたような気がしてならなかった。


 そして同時に、傍らのジェナもどこか納得したかのように息を呑んだ。


「ディルク……その砂の力といい、なんだか嫌な予感がしていたんだけど、やっぱりそうなんだ」


 ロレッタだけは要領を得ない顔をしていたが、すぐにグレンの言葉が続いた。


「カヴォード帝国で活動していた元傭兵にして、盗賊の男だ。二年前、土の聖域ロカ・オーロに侵入し、封印されていた宝物を奪った大罪人でもある」


「……そういうこと。精霊の楽園を穢すなんて、私みたいな不良シスターでも考えないことだけれど」


「うん、そして私が修行の旅を命じられた一因でもあるかな。聖域を守護する一族として他人事ではいられないし。本当に、罪深いことだよ」


 ゆったりと進んでいたディアマントの歩が不意に止まる。

 見れば終点であるミクシリア広場の公園まで進んでいた。


 とうに壊れた噴水を除くと、ここ一帯には木々しかない。

 ここならば戦闘が与える影響も最小限に留められるだろう。


 ディアマントが振り返ると、胸の位置にあるコアの光がかつてないほどの輝きを放っていた。


「随分と好き勝手言ってくれるなァ。確かに古代遺跡にあった土の大精霊ガレウスの秘宝は俺様が手にした。だがそれは、何も俺様だけの手柄ってわけじゃあねえんだぜ? なあ、万屋のクラウスサマよォ」


 もはや話をする必要性もないというのに、ディアマントはグレンを煽ることを止めなかった。


 彼の中に燻ぶっている炎に薪をくべるように、過去の傷を引っ掻いて晒し上げる。


「俺様に協力してくれたのは、魔法士としての力を使い傭兵の真似事をしていたかつてのお前だろうが。目障りな六霊守護の気を引いて、秘宝の封印を解く時間をくれた、そうだろ?」


「違う! お前は自分を古代文明を研究する考古学者だと偽った! ロカ・オーロの立入禁止区域にまで近づき、シャルーアを盗むなんて言わなかっただろうが! その上、オレにまで罪を着せようとするのか? ふざけるな!」


「着せるも何も罪はお前にもあるはずだ。ガレウスの大槌に触れて力を手にした俺様から逃げたのは、他でもないお前じゃねえか」


「違う、オレはただ……!」


 グレンが吼える度にその赤髪が逆立つ。言葉は苛烈で、視線が魔人を射殺してしまうかのようだった。


 一触即発の様相だが、彼我の実力差を考えると、このまま感情に身を任せてしまえばグレンに待ち受けるのは破滅のみだろう。


 しかしここで、そうはさせまいと一人、猛る青年の前に立つ影があった。


 凍てついた冬に咲く花の様な、凛として力強い印象の少女である。


「それ以上情けない声で喚かないでくれる? 聞くに堪えないわ」


「なん、だと……」


 有無を言わさぬ語気でロレッタが言ってのける。

 想定外の言葉に呆然とするグレンに、堪えきれないといった様子で哄笑をあげるディアマント。


 ロレッタの追い打ちじみた言葉によって、ついに魔人は自らの狙い通りに大火を起こせたことを喜び、飢えを満たすその瞬間が目の前に迫ったことに興奮しているようだったが。


「何を笑っているの」


「クハハハハッ……はァ?」


 彼女が刺す言葉は、後ろで怒りに悶えるグレンにではなく、彼らの前で嘲笑する魔人へと向けられていた。


「情けないのは貴方のことよ、背教者」


「……何言ってんだ? 俺様を見て情けないとは、随分と発想がイカれてやがるなァ」


「あら? 図星を突かれて苛立ってるのかしら、さっきから浮かべていた気持ちの悪い笑みが消えたけれど」


「ちっ、だから、図星を突かれて苛立ってるのは明らかにアイツの方だろうが!」


 ここに来て初めて見るディアマントの激情に、ロレッタはほくそ笑む。

 急な反撃に肝を冷やし、止めにかかってきていたジェナを手で制しながら、ロレッタは続ける。


「話を聞いて分かったの。貴方の渇きの正体、そして魔人でもまず見られない、砂が漏れ出る特異な身体の原因についてね」


「それって……まさか、彼が盗んだ伝説の武具シャルーアのこと…?」


 六霊守護に、教会の見習いシスター。

 六大精霊に関係する二人が至ったであろうある仮説に、ディアマントは不機嫌に顔を顰めた。


「つまり筋書きはこうよ。力に目が眩んだ一人の男が、たまたま目の付くところにいた魔法士を騙して、聖域に侵入した。男は目論み通りに宝物を手にしたけれど、六霊守護が管理する古の遺物は人の身には余るものだった。シャルーアの力によって男の身体は朽ち果て、やがて魔人に生まれ変わった」


「……だからどうした」


「私は専門家じゃないから真相は分からないけど、それから男は盗んだ宝物の力で人や魔人を超えた別の存在へと変貌した。力が制御できなくなり、身体から勝手に砂が漏れたり、癒されることのない渇きに飢えたり。男は後悔しているの。辟易しているのよ。それが男が、貴方がグレンを煽っていた真意よ。全く虚しい意趣返しだわ」


 ロレッタが捲し立てるほど、ディアマントの表情は歪み、怒りに染まる。

 突飛な推論も多分に混じっているが、その様子だと大方外れているわけでもないようだ。


 止めと言わんばかりに、ロレッタは白く細い指を魔人に向ける。


「それを情けないと言わずして何というの? そんな輩によって、罪と向き合って進もうとしているグレンが貶められるのを、どうして見過ごせるというのかしら? 所詮は貴方は力だけよ、女々しい恨みを不用意に決闘の場に持ち込んで、武人気取りも大概にしてほしいものね」


「ロレッタ、お前……」


 ロレッタが向けた左手に備わる銀色の手甲は、彼女の意思を表しているかのように鋭い光沢を帯びていた。


 彼女の啖呵に、ディアマントは不快感を隠しもせずに舌打ちをすると、片手を空高く掲げた。

 同時に、彼の手に吸い込まれるようにして周囲の砂が引き寄せられ、次第にあるものを形作っていく。


 黒く長い柄に、山をそのまま削ってきたかのような無骨な頭部。それは人の身体など簡単にすりつぶせるであろう大槌だった。


 所々が怪しい黄金色に光るばかりか、平たい面には特殊な紋様が刻みつけられている。


 見るだけで感じる圧倒的な土の魔素の気配も相まって、その武具の異様さを際立たせていた。


「古代紋様が刻まれた大槌……ガレウス様が振るっていたとされる武器。それを呼び出したってことは……」


「まさしく伝説のシャルーアだぜ。俺様と一体化しちまったことで原初の姿が崩れ、魔素やら形やらおかしくなっちまってるがなァ」


「一体化? あなた、何を言って……」


 柄の部分を肩に乗せて構えるディアマント。ロレッタに詰められたことによる苛立ちは薄らいでいるように見える。


「ハッ、六霊守護といっても所詮は修行の身か。だがまあ、威勢のいい啖呵を貰った礼に教えといてやる。確かに俺様はこれを手にして一度廃人と化した。強すぎる魔素をモロに喰らって、助からねえところまで身体が崩壊した……けどな」


 ディアマントのコアが、シャルーアの放つ光と呼応するように瞬く。


「気が付いたときには俺様は魔人となって生き延びていた。何千年も前から存続してきたこの武具の力によってな。クク、これも大精霊の導きという奴かァ?」


「……信じられない。高尚な精霊様の力が魔人を生んだなんて!」


「高尚? ふざけるなよ、大精霊の狗が。この力は、人間どもがありがたがる精霊の力は、そんな綺麗なモンじゃねえ」


 魔人の憤怒を表すかのように、辺りに砂嵐が吹き荒れる。

 確かにそこからは清廉なる息吹を感じず、魔人特有の邪悪な魔素の気配がこびりついていた。


 嵐はディアマントの周囲の地面が引きはがし、それら全てもまた、吹き荒れる砂塵の一部となった。


「この砂は俺様の生命力と引き換えに、シャルーアが勝手に生み出している。力を完全に抑えるなんざ出来ねえから、服の繊維も俺様が触れている空気も、たちどころに砂へ変換されちまう。おかげでヒトを汚染することもままならねえ……ったく、何が高尚だ、こんなのはただの呪いだ!」


 吐き捨てるようにディアマントが叫べば、周囲の嵐がたちまち和らぐ。

 胸のコアの光が弱まっていることから、それは彼の抵抗の意思によるものなのだろうが。


 身体から垂れる黄土だけは、なおも広場へと降り積もっていた。


「呪い、ね。随分と身勝手な言葉だわ」


 今、悠然としていたディアマントの態度には明らかに亀裂が生じている。


 そして心に隙があるのなら、いくら強大な力を有した敵であっても食い下がることもできるかもしれない。


 それを目聡く察知し、ロレッタは一歩足を踏み出した。


「情けないを通り越して呆れるわね。それも結局は自業自得なのに」


「……俺様の心を見透かしてくれたことと言い、マルティネス家の末裔も中々やりやがるようだ」


「その言いぐさ、やっぱり私の睨んだ通りだわ。これだから魔物は生かしておけないのよ」


 忌々しげに眉を歪めると、ロレッタは魔動機械の手甲に力を込めた。裏拳から先端が尖った鎖が飛び出し、片方の手でそれを手繰る。


 完全なる臨戦態勢。ロレッタは顔だけで振り返りジェナたちの方を見やると、口の動きだけで伝える。


「時間稼ぎはここまでね」


 それを受けてようやくジェナも得心がいったのだろう。

 ロレッタがディアマントに噛みついた理由も。彼に深い感情を吐き出させた理由も。


 ディアマントとの取引中であるこの時間を引き延ばせば、彼らが目的を遂行するのはその分だけ延び、騎士団やデュランダルの仲間の負担も減る。


 それは単にグレンを庇っただけでなく、ミクシリアで戦う全ての者の存在を考え、少しでも優勢に立とうとした故の行動だった。


「ロレッタちゃん、分かったよ。私も立場的に考えて、この勝負は絶対に負けられない。たとえ相手がアマルティアの幹部でも、精霊様の力を持っていても!」


「クハハハハ、これで威勢のいいのが二人。いい感じに高まってきたじゃねえか。なあ、グレン?」


 シャルーアを地面に突き立て、ディアマントが戦意で爛々とした視線を向ける。

 今なお静かに立ち尽くしているグレンの方へ。


「それともまた逃げるか? 俺様が魔人となったあの時みてえによォ」


「……逃げねえよ」


 強張った声。されどもグレンは、はっきりと答えた。


「ディルク……いや、ディアマント。最後に一つだけ聞かせろ。お前は人間時代に、そして魔人となってからも含めて、一体どれだけの人間に手をかけた?」


「そんなモン、いちいち覚えてる訳ねえだろうが。砂漠にある砂粒を数えるくれえ愚かだぜ、それは」


 砂の魔人は間髪入れずに返答する。

 そこには葛藤も逡巡もなく、人命に対する然したる感慨もなかった。


「……そうか。そうだったな」


 グレンは動じない。これは質問ではなく、単なる手続きに過ぎない。答えなど分かりきっていて、これからの行動を決定づけるものでもなかった。


「お前という悪を生んでしまった罪を、一度道を踏み外してしまった過去を、オレはここで清算してやる……!」


「上等だ。忌々しいこの力、せいぜい振るってやる。永遠に満たされねえってのなら全てぶち壊してやる。六霊に縋るお前ら人間も、そんな奴らが支配するこの世界もなァ!」


 埋没していた感情も、罪も、全てが一様に曝け出され、戦いの火蓋が切られた。


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