一章 第五十一話「熱砂に埋もれた記憶 前編」

 夕刻のフォンターナ城前には異様な緊張が走っている。


 ジェナたちが駆けつけた先で待ち受けていたのは、ぼろきれの様な外套に身を包んだ浅黒い肌の魔人だった。


 その場に相対していた王国騎士団のシオンとの戦いを経てもなお、悠然とした振る舞いに翳りはなく、不敵な笑みでジェナたちを見据えている。


 それは探られている、あるいは見定められているような視線。

 相手の実力を確かめるように移ろう眼光は、心臓に穴が空いてしまいそうに鋭い。


 もともと温和な性格であるジェナは勿論のこと、好戦的なグレンやロレッタもその魔人、ディアマントの睥睨に口を閉ざしてしまっている。


 このまま彼の魔人を放置しておいていい道理などない。

 しかし少し前に目にしたあの砂嵐や、広場の砂塵、体内から漏れ出る魔素が砂になって零れ落ちている風体から察するに、その実力は凄まじいものであることは想像に難くない。


 下手に動くこともできず硬直するジェナたちをよそに、ディアマントは無遠慮な視線を投げかけていた。


 ジェナはいい加減に、この膠着状態を打破してしまおうと意を決したが、それよりも早く、僅かに相手の方が先手を取った。


「赤髪の大剣使い……お前、どこかで……」


 これは意外なことだが、ディアマントが浮かべていたのは、押し黙るジェナたちへの侮蔑でも、ヒトに対する敵意でもなかった。


 これから待ち受けるものは異種族間の闘争に他ならないと、この場の誰もが予想していたにもかかわらず。


 まるで砂漠にある一粒の黄金を探しているかのような、力強くもまばらな眼差しが、ある一人の人物に注がれていたのだ。


 ジェナのすぐ横にいる、グレン・ブラッドフォードの方へ。


「どういうことかしら。貴方、まさかあの魔人を知っているの?」


 何より聞きたくて、それでいて聞けなかったことは、ロレッタが代弁してくれた。こういう時に彼女の直情さはありがたい。


 もしくはディアマントの闘気が和らいだこともあるのだろうか。実際、場を包む緊張というのは、今のやり取りを経てその色を変えつつあった。


 ディアマントからグレンへ、緊迫から当惑へ。

 魔人も、竜人も、仲間も等しく一つに注目する奇妙な状況が今ここに生まれた。


「……るせえ、こんなバケモンのことなんざオレは知らねえ……!」


「グレン君?」


 それは魔人の質問への解答か、疑う仲間に対する否定か。

 沈黙から一転、グレンは鬼気迫る表情で携えた銃大剣をディアマントの方へと向けた。


 平時に見られる飄々さも、案外落ち着いている態度も、そこには一切見られない。


 火花が弾けるように突発的で、それでいて激しく猛る彼に、ジェナは戸惑いを隠せなかった。


 無論いまは平時などではない。だがそれでも、グレンの態度には違和感を覚えたのだ。


「ククク、ハハハハ! そうだ、思い出したぜェ! 万屋のクラウス……いや、いまは紅炎騎士の一族、グレン・ブラッドフォードだったかァ? カヴォードで会った時から、大きくなったじゃねえか、オイ」


 けたたましく笑う声は大層朗らかで、彼の褐色の髪がその度に揺れる。


 狂気に染まった魔人が発したとは思えない歓喜にも驚かされるが、真に留意すべきはその言葉の意味にあった。


「あれだけ仲良くしてやってたのに、随分とひでえ言葉をかけやがるなァ。それとも忘れちまったか? 二年も経ってねえはずなんだが」


 一歩近づくディアマントに、音もなく火炎が放たれた。

 グレンが構えている銃大剣から放出された魔法だった。


「ちょっと……! 貴方勝手に……!」


「オレをその名で呼ぶんじゃねえ、過去に触れるんじゃねえ、近づくんじゃねえ! このアマルティアの魔人が、お前を殺す理由なんざ数え切れないほどあんだよ……!」


「オイオイ、脅してるつもりかァ? ちっとはお仲間の警告に耳を傾けたらどうだ。正義に心を燃やして視野が狭くなる、するとヒトは簡単に足元をすくわれちまう、そうだろ?」


「クソが……!」


 今度はグレンも火を噴くことはなかった。

 しかしそれは、彼の怒りが収まったことを表しているのではない。


 むしろそれは内に閉じ込めることで、心すら焼き尽くしてしまう烈火になり得るだろう。


 訳は分からない。それでもジェナは、いま目の前で起こっていることは決して正しいことではないと感じた。


 とにかく、このまま黙していてはいけないと感じた。


「アマルティアの魔人、あなたは何がしたいの? グレン君を傷つけること? 街を滅茶苦茶にすること? それともやっぱりその奥に用があるのかな? 別になんだっていいけど、とにかくこれ以上は私も見過ごせないからっ!」


 左から長杖を構えたジェナが、右からはロレッタが、それぞれグレンの前に並び立つ。


 強大な魔人を前にして竦んでいた脚が、ここに来てようやく動き出した。


「ハン……さっきまで情けないツラしてたお前ら如きに何ができるといいてえところだが」


 ディアマントはそこで意味深に言葉を切って、再び見定めるような視線を向けてくる。


「小せえ女が持つ杖、あれは六霊守護のモンだ……それにそっちの仏頂面の女、よく見りゃアイツの……」


 豪胆な見てくれにそぐわない呟きをぶつぶつと重ねていたディアマントは、もう一度その瞳に力強い光を漲らせた。


「……なるほどなァ。グレンにばかり気を取られていたが、こうしてみるとお前らの方も中々やるらしい。ハッ、気が変わったぜ……お前ら三人、俺様と取引する気はねえか?」


「取引ですって?」


「ああ。言うまでもなくこの事件を主導したのはアマルティア、そしてこの俺様だ。目的は王都の襲撃と、城でふんぞり返ってやがる王の殺害……そのためにわざわざヌールだの何だのを利用した仕掛けをつくったって訳だ」


 この魔人の感情というのは、実によく変わるものだ。

 敵意を剥き出しにしたと思えば、馴れ馴れしく近づいてきたり。本能に身を任せていたと思えば、冷静に取引を持ちかけてみたり。


 溢れだす魔力もそうだが、この掴みどころのない性格も侮れない。


 ディアマントが妙な動きを見せたときにすぐに行動できるよう、ジェナは一片の油断もなく魔人を睨んだ。


「ただ、今回の作戦ってのはどうも面倒な工程が多くてよォ。ザラームには呆れたモンだ、おかげでこっちはすっかり渇ききっちまった」


「何が言いたいの?」


「焦るなよ六霊守護。要求は至って単純、俺様はお前らとの決闘を申し込む。どちらかが死に潰えるまで続く戦をなァ。その間だけは、俺様も任務を中断してやるよ」


「勝手に話を進めないでくれるかしら? 私は――」


「呑めねえなら今からこの門を突破し、そこにいる奴らを全て殺す。城内で暴れまわる俺様をお前ら如きが止められるっつうなら、まあそれもアリだと思うぜェ?」


 試してみるかと言わんばかりに口の端を吊り上げて笑うディアマント。

 せめて言葉の上では優勢に立とうとしたロレッタも、これには悔しそうに歯噛みする。


 実際、城門に続く広場を守っていた騎士隊は、この魔人によって既に壊滅させられている。


 唯一残った隊長のシオンも、今ではディアマントの横で膝をついており、意識を保つのがやっとの様子だ。


 この要求を拒絶してしまえば、より多くの人的被害が生じることは明白だった。


「分かったか? お前ら三人と俺様……等価で交換してやるってことだ。その上でもう一度だけ聞いてやる。俺様と命を懸けて戦え。俺様にこの力を振るわせろ」


 渇望を滾らすディアマントの凄絶さは、言葉の節々に覗かせる執念は、迸る魔力は、極めて効果的にこちらの退路を塞いだ。


「……分かった、要求を呑む。だからそれ以上先に行くな」


「おっと、グレン……女の背に隠れるのはもういいのかァ?」


 なおも挑発することを止めないディアマントに、グレンは拳を強く握った。しかしそれでも、彼は言うべきことを、民を守る騎士の精神を忘れてはいなかった。


「黙ってろ。取引は受けるが、ここはダメだ。やるなら少し戻った先の広場にするぞ。あれだけ荒れた場所なら周りの被害も気にする必要もないしな」


「……いいぜェ、なら成立だ」


 グレンはディアマントに先行して進むように伝えると、自身は見張るように後ろに回った。


 ロレッタは取引自体に不満を覚えていたようだが、今はそれ以外に道がないことを理解しているのか、黙ってその後に続いた。


「うっ、魔術師のお嬢さん……他のものも、行っては……」


「傷が深いです、無理に話そうとしないでくださいっ!」


「しかし……」


「……通信機を渡しておきますね。出来れば応援を呼んでください。私たちではどこまで通用するか分かりませんけど」


 地に蹲り戦いを止めようとするシオンに、ジェナは背を向けた。


 正面から向かってもあの魔人には勝てないだろうが、彼の注意が戦いに向いているのは好都合である。


 ゆえにジェナはそれ以上振り返らなかった。

 魔人がいた地点に積もった黄土に一瞥をくれると、すぐさま荒廃した街景色に駆けだしていく。


「……結局残ったのがこの力尽きた老兵ばかりで、挙句またしても若い者に負担をかけてしまうとは。ロベール様、申し訳ございませぬ。ルイ、アルソー、ジャック……みな、済まない……済まない……」


 その小さくなっていく背を見送るシオンの嘆きのみが、寂れた城門前に取り残された。

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