一章 第五十話「貪食のディアマント」

 エルキュールが王都街区を離れたのと同時刻、中央区ミクシリア広場には上空から転移してきた魔獣が次々と侵入していた。


「騎士団特別補佐官シオンより命じる! 各員、ツーマンセルで襲撃する魔獣に当たれ! 敵の進行方向から考えて奴らは王城を目指している。決して一匹たりとも討ち漏らすな!」


 混沌とする広場に、雷が轟くような威厳のある声が響き渡る。


 王国騎士団の証である銀色の甲冑から覗かせるは、人の肌とは全く異なる黒く厚い鱗。


 大まかな姿形や顔つきは精悍な壮年男性のそれだが、頬にも伸びた瓦状の薄片も、青みがかった切れ長の瞳も、やはり徒人ただびとからは逸している。


 王国騎士団に所属するシオン・ムラクモは、団長であるロベール直属の部下、特別補佐官の一人であり、世にも希少な竜人種ドラゴニュートの亜人であった。


 生来の卓越した身体能力と、思慮深い性格を買われ、フォンターナ城の近辺を守護する騎士団副官の地位にまで上り詰めた武人。


 その辣腕らつわんは、この異常事態であっても遺憾なく発揮されているようだ。


 騎士たちは二人一組で魔獣に当たり、ないし魔人には二組分の四人で当たり、個体としての力が上回っている魔物に上手く対処していた。


 ある者は魔物の攻撃を盾で防ぎ、ある者は後ろから魔法で迎撃、またあるものはエンハンス強化クラーレ回復エスクード防御などの補助魔法で仲間を支える。


 王都民が立てこもっている住宅も目立った損傷はなく、侵入する魔物の勢いも次第に落ちてきていた。


 戦局は優勢。このまま現状を維持していけば――指示を飛ばすシオンがそう目算を立てたところに。



「おうおう、オルレーヌの騎士団ってのも案外やるモンだなァ……?」


「……! 何奴だっ!」


 夕の街並み、煙に塗れた背景には一瞬前まで影も形もなかったはずだが。


 シオンの縦長の瞳孔は、異常な闘気を滲ませて近づいてくる偉丈夫の姿をしかと捉えていた。


 悠々と散歩でもしているかの如き男に、魔物を片付けた周りの部下も動きが止まる。


 男は浅黒い肌に、褐色の髪、隆々とした体には酷く傷んだ外套を身に纏っており、首に巻いた襟巻が風になびいていた。


 さらにその身体には所々に黄土が付着し、彼の歩くたび後ろからも砂塵が零れている。


 まるで砂嵐が吹き荒ぶ砂漠からそのままここまで来たかのような、風変わりな出で立ち。


「カヴォード人か……?」


 北の帝国を想起させる特徴に思わず呟くシオンだが、すぐに認識が塗り替えられる。


 破れた外套の隙間から光る、黄金色の光によって。


「ヒトを模倣した、魔人か……! ちっ、手の空いた者は即刻奴を取り囲め! 怪しい真似をさせるな!」


 騎士衆の間には驚愕が走っていたが、フォンターナ城の守護を任される部隊は伊達ではない。


 上官の命令に従い瞬く間に陣形を変える彼らに、砂を纏う男の動きが止まる。


 数に気圧されたかに見えたが、男は余裕綽々といった様子。


「魔法士と同等の騎士が十六、かァ……? よく見りゃ雑魚ばかりじゃねえの、オイ。そっちのイカした鱗の野郎はかなりやりそうだが……チッ、魔獣の攪乱が効きすぎたな、こりゃ」


 これ以上の魔獣の襲撃はなく、この場にいた全ての兵が魔人と対している状況。

 先の洗練された連携を見ても彼の不利は明らかだというのに、当の本人は露骨に落胆を示すだけ。


 侮られた騎士の中には、眉を寄せて憤る者さえいた。


「ロベール団長から賜った守護の精神も、魔人風情には分からないようだな! シオン補佐官、ここは数に任せて押してしま――」


「クハハ、そういうとこだっつの、青二才どもが」


 若年の騎士の啖呵にも意を介さず、魔人はおどけた態度で距離を詰める。


「第一から第六、近距離武器で対処! それ以外は攻撃魔法で応戦、奴の態度に惑わされるな!」


 剣と槍を構えた前衛部隊が一斉に魔人に向かう。後衛の者は魔素を使役し、魔法の準備に入った。


 シオンとその部下が得意とする堅実な作戦。

 他の騎士団員とは違い、普段から纏まって行動しているからこそ為せる、数を活かした隙の無い波状攻撃。


 それほど外へ討伐に行かない分、戦闘経験はナタリアやロベールの隊に比べて少ないが、知能ある魔人を何度も屠ってきた部隊には変わりない。


 一人目が斬りかかり、二人目は躱されたところに刺突を繰り出す。


 その間にも魔法が詠唱され、順次放たれていく。


 魔人は防戦一方であり、その余裕ぶりの根拠が表に出てくる間もなく、決着がつくと思われたその時。


 騎士たちの足元にある地面に、突如として亀裂が生じた。


「な……うおっ……!」


 その場にいた前衛の騎士たちの重心が崩れ、足取りは覚束ないものに。


「おおっと、大丈夫かァ?」


 不幸にも戦いの最中に隙を曝した騎士の一人に、魔人は戦闘中であることを感じさせない、人好きのする笑顔で手を差し伸べた。


 足場が陥没し、危うく転んでしまうところに差し出されたそれを、彼は決死の表情で掴む。


 掴んでしまった。


「はっ……あ、あ、ああぁあぁ……!?」


 反射的とはいえ、魔人に触れたことにぎょっとしていた騎士の顔つきが、次第に歪み始める。


 叫びを上げるその様は苦痛に染まっており、見れば魔人と繋いだその手が徐々に茶色くしていた。


 異常な変色はなおも進み、手から腕、腕から胴体へと進行していき、ついにはその騎士の身体の全てが黄ばんでしまう。


「あ……ぁ――」


 やがてその身体は、まるで砂で形作られた人形かのように急速に原形を失った。


 かつては人間だった砂の山がさらさらと流れる音、彼が着込んでいた甲冑が地に落ちる音だけが虚しく響いた。


 そのあまりに不可思議、それでいて暴力的な光景に、熟練の騎士たるシオンも動きが止まる。


 魔法を放出していた部下も、地割れから脱出した前衛も一様にどよめいていた。


「……はっ」


 それは気の抜けたような、憐れむような声だった。


 砂が付着した己の手を見つめていた魔人は、酷く落胆した様子で徐に前に向き直る。


「……っぱダメみてえだわ。お前らじゃ俺様を満たすことはできねえってこった」


 魔人が指を鳴らす。すると地割れから黄金の魔素が湧きたち、彼の手に収まった。


 男が力を漲らせるのと同時に、広場に蔓延る亀裂は膨張し、辺りには砂嵐が吹き始める。


「なら仕方ねえ、価値のない屑どもにはとっとと退場してもらうとするかァ……?」


「くっ……皆の者は援護に回れ。前衛は我が努める!」


 広場中央にある公園の木々も、噴水も、周辺にある家屋も、視界の全てが荒れ狂う粉塵に満たされようとする中。


 シオンは狼狽える部下に檄を飛ばし、砂の魔人に対峙するのだった。




◇◆◇





「二人とも! あれって!」


「まずいことになってるな。マクダウェルが言っていたのはあれか……?」


 マクダウェル邸を離れフォンターナ城を目指していたジェナ一行は、城の目前にあるミクシリア広場の入口で足を止めた。


 自然現象だとは到底思えない、局所的な砂嵐が前方で巻き起こっていたためだ。


 広場内部に来るものを拒絶するかのように、風が吹き荒れている。


 このまま何の備えもなく立ち入れば、飛び交う砂に身体が切り傷塗れになるのは必至だろう。


「この力……今まで街にいたどの魔物と比べても圧倒的ね。正直言って、私たちだけでどこまでやれるか……」


「へえ……あれだけ威勢がよかったのに、ここにきて急に逃げ腰か? つっても今は王都全体が混乱してる……どっちにせよ動けるオレたちが向かうしかねえんだけどな」


「……ふん。貴方に言われなくても分かってるわよ。私はただ、この先にいる相手の力量について分析しただけ」


 以前に比べて会話は成立するようになったとはいえ、グレンとロレッタの間にある空気はどこか危なっかしい。


 まるで突けば割れる泡のようなそれに、ジェナは溜息を零す。


「……この砂、魔法とは少し違うみたい。もっと原始的な何か……推測になるけど魔人が操っているものだと思う」


 風の魔素を込めた長杖をジェナが振るえば、砂嵐の壁に人が通れるほどの隙間が生じた。


 盾が剣の威力を削ぐように、反する属性の魔素の力を加えれば、このように任意の魔素質を破壊することもできる。


 六霊守護の一族として、魔術師として、魔法の造詣が深いジェナだからこそ為せる業だろう。


「流石だな」


「ううん、違うよ――」


 障壁を解除して、始めて明らかになったことがある。


 少し離れたミクシリア広場の方から微かに聞こえる、魔法の放出音、爆発音、剣が風をきる音。


 即ち、それは戦場の旋律だった。


「戦闘、そう遠くはねえみてえだ……!」


「多分やり合っているのは騎士団と……さっき言った魔人だと思うけど。私がさっき言ったことが正しいなら、魔人の方はあれだけの規模の砂嵐を生成しながら戦っているということだね」


 先ほどの砂塵は、要するに強すぎる力の余波によるもの、もしくは増援を呼ばれないために片手間に起こしたものだと考えられる。


 ジェナの意味するところを理解したか、二人の顔が強張る。


「グレン君たちが戦ったっていうザラームや、私とエル君が出会ったミルドレッド。その魔人たちと同じ……ううん、ひょっとしたらそれ以上かも」


「超幹部級の実力者ということかしら。そこらの魔物と比べるのも烏滸がましい話だったわけね」


 この場に立つだけでも分かる強敵の気配。


 ここにいる者たちは、どれも一般的な魔法士よりも腕が立つだろうが、それでも相対すれば命の保障はできない。


 しかしここで二の足を踏んでいてはいけない。上空からの魔物の転移は勢いが止んでいる。


 ここの問題さえ解決できれば、今度こそミクシリアの問題を解決できるやもしれないのだから。


「どれだけ強くても、魔物を放置していくわけにはいかないわ」


「街が襲われて、人が汚染されて……これ以上、ここの人たちに悲しい思いをさせるわけにはいかないよね」


 砂嵐の防壁に生じた穴へ、我先に入っていくロレッタ。


 ロベールの突入の連絡を入れ、ジェナもそれに続こうとしたが、何か物思いにふけっている様子のグレンにその足を止めた。


「グレン君も来てくれないと困っちゃうな?」


「あ、ああ……。悪い、ちょっとな」


「心配しなくても、ロレッタちゃんと私がついてるよ。それに今ならエル君から教えてもらった力もある……それをぜんぶ合わせれば、きっと負けないからっ!」


「……ったく、お前は調子乗り過ぎだ。魔人との戦いで最も気を付けるべきことは、汚染による二次被害……さっきはそれを自分に戒めていただけだっつの」


「あははっ! ロレッタちゃんみたいなこと言って、仲良しだね!」


 グレンと、入口にいたロレッタから同時に否定の言葉が飛ぶ。


 ジェナは二人に取り合わなかった。グレンらは苦い顔で不満を飲み込むと先に行く彼女を追う。


 そうして過度な緊張が解れたところで、三人は改めて気を引き締めて広場へと入っていく。


 フォンターナ城を目前に控えるミクシリア広場近辺にある公園は、異常なほど砂に覆われていた。


 破壊された噴水には水の代わりに黄土が垂れており、足を踏みしめるたびに道路に撒かれた砂利が音を立てる。


 ここだけ砂漠かと目を疑いたくなる光景だが、意外なことに建物に目立った損壊もなく、魔獣も見当たらない。


 一見して危機に瀕しているとは思えないが、濃い魔素の感覚だけが異様に満ちていた。


「この感じ……奥にいくにつれて濃度も増しているみたい」


「奥っつうと王城の方角か。ちっ、この様子だと住民の汚染は二の次らしいな」


「狙いは王城に住む最も高貴な者……確かに反逆者が考えそうなことだわ」


 敵対していたマクダウェルの言葉であっても、この光景を前にしては信じざるを得ない。


 手遅れになる前に止めなくては。

 三人は頷き合い、警戒しながら奥へと進む。


 途中に地割れがあったり、割れた魔動鏡の破片があったり、進むほどに荒れていく街並みを見てジェナは気を引き締めた。


 やがて広場を抜けると、巨大な城門が姿を現した。


 固く閉ざされた門には、水と光の大精霊をモチーフにした、紺碧と白金色の美麗な模様が描かれている。


 王国で発行される魔法士・魔術師の記章、王国騎士団の紋章の元にもなっている由緒正しき印。


 そして、オルレーヌが誇る自然調和の世界観、その象徴たる門の前には、夕陽に浮かぶ人影が二つ。


 一つは騎士団の甲冑を着込んだ亜人。


 ジェナたちが出会った鳥人種ハルピュイアのナタリアとは違って、高い背丈に黒い鱗状の肌を備えた竜人種の男だ。


 その厳めしい出で立ちと刀身が曲がった双剣を携える彼の亜人は、騎士団でも上位とされる特別補佐官のはずだが。


「ぐふっ……」


 今では苦しそうに呻き、口の端からは青い血が滴っている。


 戦闘のダメージによる出血。

 恐らくは亜人が睨む先にいる、もう一人の人影とやり合った結果なのだろう。


「フン、俺様が触れても砂にならねえあたり、そこそこの強者なんだろうがなァ……渇きを癒すには程遠い。それとも駒がいなけりゃあ、なんにもできねえか、このトカゲ野郎が」


「はぁ……ぐっ、我のことはまだしも、彼らを……我の部下を……侮辱するな……!」


 息も絶え絶えの亜人に対する浅黒い肌の男は、悠然たる態度で敗者を睥睨している。


 その大柄な体躯と、傷だらけの外套が夕焼けの中ではためく様は、あらゆるものを超越しているかのような存在感を放っていた。


 ジェナも、グレンも、ロレッタも、その男の纏う威圧に暫し吞まれてしまう。


「……ハン? 新手か?」


 正直ここに足を踏み入れたことを後悔しかけていたジェナだが、こちらに振り向く男に、いよいよその思考すらも凍り付く。


 獰猛さの権化と見紛う顔つきに、破れた外套の隙間から漏れ出る黄金の光、見る者を震えあがらせる闘気。


 魔人であることも、アマルティアの幹部級の力であることも、予想していたことだが。


 実物を前にしたときの、それら言葉のなんと薄っぺらいことか。


「あな、たは――」


 震えるジェナの声に、魔人が不敵に笑う。


「あァ、活きのいいのが三人とはな……ひょっとしてお前らか? このディアマントの渇きを癒してくれるのは。アマルティア幹部の身においてなお燻ぶり続ける、飢えを満たしてくれるのはよォ……!」


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