一章 第四十九話「葬送」

 ヒトの世界で魔物と呼ばれる魔素生命体は、特別に抑えない限り生活の中で体内の魔素をコアと魔素質から排出している。


 そしてその欠乏を埋めるために魔素を吸収することで、個体の命を存続させている。


 リーベでいう呼吸のような仕組みであるが、これには一つ致命的な弱点がある。


 能力が低く、本能のままに行動することが多い魔獣に関しては当てはまらないのだが。


「ウオオオオォォ……!」


 魔人――特に生まれてから暫くして力が増した場合はそうはいかない。

 目の前にいる変わり果てたアランの姿が、その典型だった。


 原初の姿を取り戻し、エルキュールに迫ってくる赤黒い肉体からは、膨大な量の魔素を絶え間なく放出している。


 そして魔素放出の量は、同じ時間に吸収する魔素の量を上回ることがあるのだ。


 今のアランのように、人間の姿を完全に捨て去って全力を出せば、その魔素の赤字というのはさらに膨らんでいく。


 この調子でいけば、数分の間だろうか。


 そこで完全にアランの体内の魔素は切れ、次は魔素質で構成された肉体を消費していく。


 形が崩壊するほど肉体の魔素がなくなれば、その次はコアを形成する魔素を用いることになる。


 そうして心臓部であるコアが力を失えば、とうとう魔素を吸収することもできなくなり、やがて――。


「……緩やかな死に至る」


 魔素質の剣による攻撃を捨てたアランの拳を、エルキュールは後方に飛んで躱しながら眉を顰める。


 アランの意図が読めない。


 確かに魔力も速度もヒトの姿の頃とは比べ物にならない。

 並の魔法士や騎士ならば、一瞬の猶予もなく倒されてしまうだろう。


 しかし戦闘経験に乏しいアランの、分不相応ともいえる強大な力に振り回された攻撃は、エルキュールにしてみればかなり動きが読みやすいものであった。


 もちろん直接打ち合えばエルキュールの方が押し負けるだろうが、これでは彼の方から攻撃を仕掛ける理由すらない。


「何がしたい? このままだとお前は自滅するだけだ」


「ハァ……アァ……黙レ……!」


 横から飛んでくる回し蹴りを跳躍で避け、前に隙を曝した頭部をエンハンスで増強した脚で叩く。


 着地し、体勢を崩したアランに追撃を喰らわす。


 彼も流石に死を望んでいるわけでもないのか、露わになったコアは丸太のように太い腕で防御していた。


 攻撃する位置を変更し、空いている腹をハルバードで斬りつける。


「グアァッ!」


 しかしその腹の傷も、蹴りつけた頭部も大した損傷ではないようで、すぐに魔素質による回復が施されるのだが。



 それでもなお彼が苦しみに喘いでいるのは、魔素を使っての自己治癒――それ自体が原因なのだろう。


「グ……ウゥ? ウ、動カネエ……」


 結果として二、三回打ち合っただけでアランの身体はその動きを止めてしまう。


 今までの戦いで魔素を消費していたのも確実に響いているはずだが、それにしても消耗の速度が速い。


 やはり生まれて間もないアランには無茶なことだったのだろうか。


 膝をついたアランに歩み寄るエルキュールの眼は、もはや怒りを通り越して悲しげだった。


「終わりだな」


「ウルセエ……俺ハ、マダ……!」


「…………」


 アランの身体はもうそれを構成する魔素が十分に残っておらず、所々が透けて見えてしまっていた。


 日も落ちかけ、暗くなり始めた草原に吹く風が、どこか物悲しい。


「魔人としての力を結集しても、彼女たちを逃がした時点であなたに勝ち目はなかったはず。どうして、こんな無駄なことをする?」


 エルキュールはアランのコアが位置する胸にハルバードを押し当てて訊ねる。


 僅かに言の葉が震える彼に、アランは然したる反抗もせず力なく笑った。


「無駄ナコト、カ……ソレハ旦那ガシテイルヨウニカ?」


「これは無駄ではない」


「無駄ナンダヨ……王都ニハ既ニ幹部ガ向カッテイル。王都民ハ……ソコデ象徴ヲ失ウコトニナル……」


「象徴だと?」


 アマルティアの目的は人間の汚染、そしてエルキュールの存在であると、これまでの経験から考えていたのだが。


 そのどちらにも当てはまらない言葉に、エルキュールは頭を捻る。


 しかし真意がどうあれ、幹部が襲来しているという事実は聞き捨てならなかった。


 即刻この処理を終えたら街に戻ろうと、エルキュールが決心を固めたその時だった。


 どさりと、何か重いものが落ちる音が響いた。


 衰弱したとはいえ目の前のアランから気を抜いてしまったことに焦りを覚え、エルキュールがその音の先を目で追うと――。



「グ、ハハハ……ナンテ、ザマダ……」



 呆れかえったような口調のアランは、四肢が消失しており、残った上体の部分だけが、まるで石くれのように地面に転がってしまっていた。


 コアのある上半身を維持するための防衛機能が働いたか。


 しかしそれでも、一度魔人としての力を解放したアランの肉体は、戦闘と汚染の本能に駆られて魔素を体外に漲らせている。


 こうなってしまっては肉体を構成する魔素質を生成することもできず、ただ命が枯れるのを待つのみ。


 無謀な力の使い方をした代償といえばそれまでだが、同じく魔人であるエルキュールからすると、その様は見るに堪えなかった。


 毅然とした態度もここにきて崩れ、呆然と俯くことしかできない。


「……ク、クク……ドウシテ、旦那ガソンナ顔ヲシテイルンダ?」


「どうしてって――」


「マサカ……俺ガ元人間デ、アンタノ知リ合イダッタカラ、トデモ思ッテイルノカ……?」


 エルキュールは答えなかった。


 そうすればその甘い考えを否定することができると考えたのだろうが、むしろその沈黙は肯定と同義だった。


「甘イ、ナ。俺ニ限ラズ魔人ッテノハ全テガ元ハ人間サ。フロンモ、アーウェモ、ザラームモ、ミルドレッドモ……アンタモ多分、ソウダロウ……?」


「…………」


「ソレゾレニ家族ナリ仲間ガイタ……旦那ラハ、守レナカッタ元同朋ヲ機械的ニ敵ト見做シ……排除シテイルッテワケダ」


 それを狂っている、間違っていると言わずして何と言う。そう言いたげなアランの嘲笑が、エルキュールの心を抉る。


 単にエルキュール個人の道徳や正義の問題ではない。


 これは人間社会の、ヴェルトモンド全体が見て見ぬふりをしてきた事実なのではないかと、改めて問わなければならないものではないかと、そう感じられたからだ。


 根本的で重大な問い。


 エルキュールは自身が進んできた道に転がる数多の屍に恐怖したが、拳を握ってそれに耐え忍ぶ。


「……だがそれでも、あなたたちは人間と敵対する道しか選べないのだろう? これからも、俺の邪魔をするのだろう?」


「ソウダロウナ。何セ俺タチハ……イブリスダ」


 薄く消えかかった身体とは思えない、力強い言葉。


 再びエルキュールは長いこと沈黙したが、それから何かを決心した顔つきで懐からあるものを取り出した。


 エスピリト霊国で造幣される世界共通貨幣であるガレ。


 鈍く光る銅の硬貨を、エルキュールはアランのすぐ横の地面にそっと落とした。


「何ノ真似ダ」


「餞別だ。あのとき鑑定屋でおまけを貰っていたことを思い出したんだ……厳密にはあのガレは既に使ってしまったから、あくまでこれは代わりなんだが」


「…………」


 アランの赤く染まった眼には瞳孔や虹彩、角膜などなにもない。故に視線を読み取ることなどできはしない。


 だがそれでも不思議なことに、今の彼はここではないどこか遠いところを見ているような気がした。


「相変ワラズ、冷タイ顔シテ律儀ナ奴ダ。同情デモシタカ……?」


「全くないとは言わない。ただそれ以上に、あなたの言葉や……彼女たちとの戦いの経験は、俺のこれから行くべき道を改めて明らかにしてくれたと思う」


 エルキュールを家族と認めてくれた彼女たちと、共にいて許される自分になりたい。


 そのためにアマルティアを倒そうとするエルキュールに力を貸してくれる、あの仲間たちに報いたい。


 しかし、失意と憤慨に由来するエルキュールの意志は、今のままでは甘いと言わざるを得ない。


 敵について、生命を奪うことについて、考えが足りていない。


 それを考えるための知識や経験も、閉じられた世界で生きてきたエルキュールには、まだ十分備わっていない。


 戦うために、それを手に入れる必要があるのだ。


「あなたを討ち、王都に平穏を取り戻し、ヌールから続くアマルティアの一連の悪事を解決したら……俺は答えを探しに行く」


 横たわるアランの胸、力なく発光するコアに、ハルバードの刃を突き立てる。


「最近になってここまで魔獣が増えた原因を。その増加を未然に防ぐ方法を。その途中でアマルティアが立ちはだかるというのなら……それも全て潰す。手を汚すこと、自分の存在意義が揺らぐことへの葛藤に抗い続ける」


 震える身体に鞭を打って、硬いコアの表面を刃で刺していく。


 苦悶の表情浮かべるアランの目が、横に置かれたガレへと滑る。


「……ハハ、五百ガレ硬貨カ……。俺ノ命ト交換スルニハ安スギルガ……アンタノ御高説ニ免ジテ、受ケ入イレテ、ヤルヨ……」


「……餞別だと言っているだろうに」


 最後まで不敵な態度を崩さないアランに、エルキュールは最後の一押しを加える。



 ひびの入っていたコアが、派手な音をたてて砕け散る。



「アァ……魔人ニナレバト思ッテタガ……俺ハ、弱イ……ママ、ダッタ、ナ……」



 アランの最後の呟きはエルキュールにもほとんど聞こえず、辛うじて残っていた上半身は急速に魔素の粒子へと還っていった。


 赤く、火花のような魔素が、すっかり暗くなった草原にゆっくりと跡を残す。


 その様をエルキュールは静かに見守っていたが、すぐにかぶりを振って自らを戒める。


 魔人のこと、これからの目的のこと、時間をかけて考えるべきことが山ほどあるが、今のエルキュールにそんな余裕はなかったのだ。


 王都の上空に現れたゲートから出た魔物について。

 そしてアランが口にしていた幹部について。


「間に合うか……? いや、たとえ間に合わなくても――」


 地面に取り残されたガレをその場に埋めると、エルキュールは今も戦いの渦中にあるであろう王都に向かった。



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