一章 第四十八話「魔人交響曲」
フロン、アーウェ、そしてアランと、三体もの魔人を相手取るエルキュール。
思えばアルトニーの森でジェナとカイルを救出した時にも、同じような状況に見舞われたものだった。
あの時と異なっている点は、アルトニーではミルドレッドに汚染された騎士が相手だったが、今回はそれよりも一段と強いアマルティアの魔人が相手だということ。
その上、今回はジェナの助力も借りられない。
三対一という圧倒的な不利状況に、エルキュールは早くも押され始めていた。
「そこだー!」
戦闘中とは思えないフロンの無邪気な声と共に、彼女の持つ
エルキュールは上体をのけ反らせて辛うじてそれを躱すが、鋭い風圧と共に目の前でアッシュグレーの繊維が舞った。
「あははっ、このまま髪型もフロンが弄ってあげよっか? お兄さんお人形みたいだし、なんでも似合いそうだなぁ」
「抜かせ」
避けた勢いのまま宙返りで距離を取ると、外気から闇の魔素を手繰り寄せる。
「――ダークレイピア」
黒の剣を素早く生成し、中級魔法を放出する。
細く鋭く尖った闇が、
「やらせるかって、の!」
横から割って入ったアランが、火の魔素から生み出した燃える剣を片手に、飛翔する闇魔法へと斬りかかる。
火と闇、赤と黒の輝きが衝突して火花を散らすが、魔人の圧倒的な力にいよいよエルキュールの魔法が押される。
止めとばかりにアランが剣を抜くとダークレイピアは弾かれてしまい、遠くの大地に命中し小規模の爆発を引き起こした。
「そらっ、まだまだ!」
魔法を斬り飛ばしたアランはその脚でエルキュールとの間合いを詰めると、細かい連撃を矢継ぎ早に繰り出した。
しかし、知性が芽生えてからまだ日が浅いからだろうか。
その力は強くとも、技術はなんとも粗末なものであった。
エルキュールが身体を捻って回避するたびに、赤い光の
「ちっ、ちょこまかと……ぐっ!?」
数回にわたる空振りに痺れを切らし、僅かに動きが
素早い足捌きでアランとの位置をずらし、その横腹に目がけて掌底を叩きこんだ。
強化魔法エンハンスで増強した打撃はアランを大きく吹き飛ばしたが、なおもアマルティアの攻撃が緩むことはない。
「ほらほらぁ、よそ見しないでよね?」
追撃するフロン。
いつの間にか彼女持つ鋏型の武装は、同じ形の二本の剣へ分裂しており、二刀流となってエルキュールに襲いかかる。
こちらはアランよりも一つ一つの攻撃の力強さにおいては劣っているが、回転率の面では大きく勝っていた。
跳躍して攻撃してくると思わせたり、横に大きく飛んで斬りかかってきたり。
踊り舞うように攻撃を振るうたび、フロンの左右に括った長い髪が揺れ、ドレスの裾は膨らむ。
その芸術的とさえいえる、捉えがたい独特なテンポを持った剣術は、リーチの長いハルバードでは防ぎきるのも一苦労だった。
「――テンポラル!」
自らの防御が長く持たないことを自覚し、エルキュールは咄嗟に風の初級魔法を唱えた。
局所的に突風を巻き起こす魔法、対象地点はエルキュールとフロンの間にある僅かな隙間だ。
「うそ……きゃあっ!」
自然の法則から外れた混沌とした風の流れに、流石のフロンも狼狽える。
それもそのはず、この距離で風を巻き起こせばエルキュールとて吹き飛ばされてしまうのは自明のことであるから。
しかしこの自らの安全をも省みない大胆な手は全くもって予想できなかったのだろう、フロンの小柄な体躯が為すすべなく空に舞う。
「ぐ……」
無論エルキュールの身体も大きく風に煽られるが、術者である彼は備えも当然できている。
外界の魔素を身体の表面に寄せてオーラを形成すると、刃のような鋭さで暴れ狂う風の流れから身を守る。
エルキュールの身体は空中へと浮かされるが、回転する勢いに無理に逆らうことはせず冷静に着地を決める。
風魔法で無理やり脱出し、これで互いの位置関係が振出しに戻った。
しかしエルキュールにとって振出しの状況とは、即ち不利状況に変わらないのである。
「そこ、です……!」
それまで遠くで弓を構えていたアーウェが、限界まで引いた弦を放す。
先ほどと同じく翡翠色の矢。恐らくアランの剣と同じく、濃密な魔素質で構成されたもの。
人間に比べて魔素に近しい生物であるイブリスは、人間に比べて魔素を柔軟に使いこなす傾向にある。
安定性した形を持つ物体とは違って脆い魔素質ではあるが、魔人の手によってあそこまで密度を高められたものは例外だ。
「――エスクード!」
馬鹿正直にハルバードで防いでも、力の入らない今の姿勢では相殺は難しいだろう。
立て続けの猛攻にエルキュールは防御魔法を展開する。
無詠唱で放出した土の障壁は、迫りくる矢を受けて砕け散るが、辛うじてその威力は殺した。
だが攻撃を凌いだとはいえ、未だ着地して間もない不安定な姿勢のまま。
エルキュールはすぐに身体を起こそうとするが、今なおこちらを見据えるアーウェと視線が交わる。
「まだまだ……!」
気弱な態度とは裏腹に闘志を漲らせる彼女だが、得物である弓を構える様子は見られない。
そのことに一瞬疑問を覚えたのも束の間、アーウェの持つ弓が突如その形を変えた。
一撃が重い弓から、連射力に優れたボウガンの形へ。
「魔動機械か!?」
フロンの武装についてもそうだが、アマルティアの魔人はやはり少しも油断ができない相手のようだ。
予想外の事態に今まで冷静に対処してきたエルキュールも狼狽えるが、アーウェの矢は既に放たれてしまっている。
これでは魔素を操るには時間が足りない。仕方なく地面を転がるようにして避けるが、すぐに二の矢三の矢が飛んでくる。
「ぐあっ!」
立ち上がり走ろうとしたところで、軸足に激痛が生じる。
見れば輝く翡翠の矢が、エルキュールの脛の辺りを深々と貫いていた。
「とどめ、です!」
動きが止まった隙に、ダメ押しの一撃が放たれる。
「かはっ――」
それは吸い込まれるようにエルキュールの胸元へ命中し、ついにその上体がよろめいた。
身体を支えることができず、その場に崩れ落ちる。
視界の端ではアランとフロンまでもが、背後から接近してきていた。
このままここにいてはまずい。一刻も早く脱出せよと、エルキュールの中の何かが告げてくる。
胸元を抉った傷は決して小さくないものの、幸いコアのある位置からは外れていた。
これならばまだ動くことが可能だ。
久しく感じていなかった激痛に耐えながら、エルキュールは必死に周辺の闇の魔素に意識を移す。
「――ゲート!」
足元に転移の穴を展開すると、エルキュールの身体がまるで沼に沈んでいくかのように闇の中へと消えていく。
「ウソだろ……!?」
エルキュールの消失により、攻撃を仕掛けようとしていたアランは、その対象を失い大きく前につんのめった。
同じく追撃しようとしていたフロンも、ボウガンを構えていたアーウェも、転移先を割りだそうと辺りを見回す。
しかし、時は影が濃くなり始めた夕暮れ。
エルキュールの黒い服装や、普段から自身の魔素を押さえつけている特性も相まって、目視でも魔素感覚を通じても、中々その姿を捉えることはできない。
「クソ! 上級魔法を無詠唱で扱うなんざ、どこの魔術師だよ! おい旦那、このまま逃げるつもりか!?」
「これくらいで怒らないでよ、アラン。ザラーム様も戦うときは注意しろって言ってたでしょ。それにお兄さんは逃げたりしないってば。フロンたちを放っておいたら王都がどうなるか、分かってるはずだもん」
フロンが窘め、その間にもアーウェは黙々と捜索を続けていた。
どうやら見た目の若さに反し、アランよりも少女たちのほうが精神的には強いらしい。
「魔人としての年の功、というところか」
身を隠しながらエルキュールは周囲に悟られぬように呟く。
挑発的な態度が目立つ三体の魔人。
その力は確かに非凡なものだが、やはり技や心には隙があるように見受けられた。
東の亜人国家スパニオには心技体という言葉があるが、こうして見てみるとなかなかどうして説得力がある。
「暗雲よ、闇に閉ざせ――」
有利を取ってなお、エルキュールの表情には少しの弛緩も見られない。
命を繋いだことへの安堵も、上手く出し抜いたことへの優越感も今は捨て置く。
彼奴らを滅ぼすための手段、機械的にただそれだけを考える。
詠唱文を唱えるエルキュールの周りには闇の魔素が渦巻き、そこでようやくアランたちは彼の居場所に勘付いたようだった。
「上か!?」
「もう、いつの間に!」
しかし気付いたときには、既にエルキュールの詠唱は完了している。
「フリューノア」
エルキュールの右手に集約された黒い塊が地表に放たれる。
それは瞬く間に弾け、薄く拡散されていき、風の流れに乗って周辺を覆い尽くしていった。
「なにこれ、見えないよー!」
「ちっ、旦那はどこに……?」
暗い霧に包まれた草原はまるで深淵のよう。
中にいる者の視界と力を奪う闇に、フロンたちは喚く。
魔人の視覚はヒトよりも大分優れているとの説もあるが、この濃霧ではそれも意味を為さないようだ。
魔法が魔素で形成されているという性質から、魔素感覚による索敵能力も霧の干渉を受けて鈍ってしまう。
二人の動きが静止したのを確認し、エルキュール自身も霧の中に紛れ込んだ。
この霧は術者にも少なからず影響を及ぼす。
視界が暗闇に閉ざされ、エルキュールは身にのしかかる倦怠感を早くも感じていた。
「いつだ、いつ仕掛けてくる……?」
少し離れた先からアランの声が微かに聞こえる。今頃はこの霧の中で来るべきエルキュールの攻撃に身構えているのだろう。
フロンもアーウェもそれと同様に、この霧の中で下手に動こうとはしていないようだった。
無闇に攻撃を振るえば同士討ちが起こるだろうし、空振ったところをエルキュールに狙われるのは避けたいはず。
「確かに賢明だが……ある意味で愚かだ」
防御に転ずるとは即ち、自ら数の有利を放棄して、エルキュールに主導権を明け渡したことと同義といえるのだから。
霧で視界と力を削って不安を煽り、誤った判断へと誘導したのはエルキュール本人ではあるのだが。
「……漆黒の影、彼の者を貫け――」
冷たく、静かに、エルキュールは暗闇に閉ざされた視界の中で再び詠唱を始める。
フリューノアを展開する前に、敵の大凡の位置は把握している。
故にエルキュールは迷うことなく魔法を放出できた。
「ダークレイピア」
アランたち目がけて――ではなく、さらに離れたところにいるであろうアーウェに向けて。
「きゃ……!?」
魔法による微かな爆発音に混じって悲鳴が聞こえる。
「な……アーウェちゃん!?」
フロンの心配の声が飛ぶ中、エルキュールは彼女たちに位置を特定されないよう、かつ動きを察知されないよう極めて慎重に移動する。
それから何度も、何度も、エルキュールは詠唱を続け、同じ回数だけそれをアーウェの方へと放った。
その度に爆音と、彼女の細い声が鳴る。
恐らく彼女に当たっている魔法はそう多くないはずであろうし、当たったとしても大したダメージにはならないだろう。
それでも仲間の一人だけが絶え間ない攻撃に曝されているという現状は、残りの者の不安をさらに煽ったようだ。
「アーウェちゃん、今行くから……!」
「ち、おい待て――」
視力も魔力も、この霧の中では十全に効果を発揮できない。
音だけが、空気の流れだけが、情報を伝える唯一の要素なのだ。
暗闇によって分断され、攻撃によって不安を駆られ、堪らず飛び出していったフロンの動きも、その唯一の要素に含まれる。
アーウェのいる方角とフロンの地を蹴る音から、走る彼女の正確な位置を割り出す。
「……そこか」
そうなればもはや隠れておく理由もない。
溢れ出る魔素も気にせず、エルキュールはエンハンスを自身の脚へと付与する。
増強された脚力で以て、エルキュールはフロンとの距離を詰めた。
あと数歩いけば手が触れる、そこまで近づいてようやく、濃霧の中でフロンの小柄な輪郭が朧気に見える。
「え――」
もちろん対するフロンにも見えたことだろう。
感情をどこかに置き去りにしてしまったかのように冷たい表情で、今まさに自身の胸を貫こうとしているエルキュールの姿が。
「きゃああぁぁ!」
ハルバードの切っ先で繰り出した刺突が、フロンの持つ紅のコアと衝突し、眩い光彩を散らした。
響き渡る悲鳴に少しも臆することなく、エルキュールはコアを砕かんと力を込める。
このまま押せば確実に彼女の命を奪うことができる。
しかし――。
「痛いっ! 痛い痛い痛い! 放して、よ!!」
「ちっ……」
胸を刺されながらも繰り出したフロンの決死の抵抗が、エルキュールの身体を掠めた。
その悪あがきを避けようと姿勢が崩れ、ハルバードに加えていた力が弱まってしまう。
攻撃が弱まった瞬間をついて、フロンは身を捩るように後方へ飛んで距離を取る。
「逃がさない」
あと少しでコアを完全に破壊できるところだったのだ。エルキュールは冷たく判断すると、追撃を加えようとするが。
「フロンちゃんを虐めるなっ!」
横から放たれる翡翠の矢に動きを止められる。
後ろからも魔素質で形作った剣を片手に、アランが迫って来ていた。
「……フリューノアが切れたか」
彼らが攻撃を仕掛けてきたのは霧が消失していたためらしい。
暗闇から解き放たれた草原が、日没時間だというのにやけに明るく感じられた。
遠く離れた地ではフロンが倒れている。
特殊な鋏型の剣を用いる彼女はこの三人の中で最もエルキュールと相性が悪かった。
まだ死んではいないだろうが、暫くあの連撃に苦しまないで済むだけ及第点だろう。
飛んでくるボウガンの矢を躱し、落ち着いてアランが振り降ろす剣を受け止める。
ひとまず彼の拘束から逃れ、フロンに止めを刺す。
当初の想定とは異なるが問題ない。
そう自分に言い聞かせるエルキュールだったが、すぐにその思考は泡沫のように消え失せてしまう。
「アーウェ! 作戦は失敗だ! あんたはフロンを連れて離脱しろ!」
「なに――」
信じがたい言葉が耳を打ったのだ。
そして、いま目の前にいるアランの必死な表情もまた、エルキュールの閉ざされていた心を震わした。
「で、でも、アランくんは……!?」
「俺も後で合流する! とにかく、今すぐ行かないとフロンが死んじまうぞ!」
アランは本気だった。本気で命を守ろうとしていた。
彼の言う作戦――恐らくあの時のザラームと同じくエルキュールに関すること――よりもフロンの生命を優先している。
そして仲間の叫びを受けたアーウェもまた彼の叫びを聞き、必死の形相で倒れ伏すフロンに駆けよっている。
仇敵を前にしてなんて健気なことか。
その絆のなんて美しいことか。
そしてなんて――。
「……なんて身勝手なんだ」
「ぐ……!?」
エルキュールの力が一段と増し、アランとの均衡が崩れる。
「なあ、どうしてそこまで平気でいられるんだ? どうしてあれだけ多くの人命を奪っておいて……それでいて当然のように仲間を気遣えるんだ?」
「な、んだこの力……おい、早くしろアーウェ!」
力に任せて押し込むエルキュールの顔からは、模倣している人間の肌が崩れ去って、剥き出しの魔素質の肌が痣のように広がっている。
抑えつけているコアの発光も、服の外にまで漏れるほど強くなっていた。
だが、それでいてエルキュールの瞳は、平時は輝いてさえ見える琥珀の瞳は、光が抜け落ちたかのように昏い。
敵意を通り越した殺意とも呼べるモノが、エルキュールの中に渦巻いていた。
「ぐはっ……!」
なおも増し続ける力に、ついにアランの身体が吹き飛ばされる。
「お前はあとだ」
アラン一人ならばいつでも倒せる。
邪魔が無くなったいま優先すべきは、手負いのフロンとそれを介抱するアーウェだ。
「大いなる闇、其は空間を制する力なり――」
アーウェが詠唱しているのはゲートの詠唱文に間違いなく、どうやら本当にこの場を離脱しようとしているようだった。
すぐさまその口を、意志を、生命を止めてしまおうとエルキュールは地面を蹴るが、後ろから伸びた手がそれを妨害する。
「行かせるか!」
腕を掴まれ物凄い力で引っ張られるが、エルキュールはそれに構うことなくアランもろとも強引に前に引きずっていく。
「ここに奇蹟を示したまえ――ゲート!」
詠唱が終わり、アーウェたちが立つ草原に漆黒の円が形成される。
ちょうど先ほどのエルキュールと同じように、二人の身体が穴の中に消えていく。
「ちっ……逃げるな! 自分たちだけ助かろうなんて、俺は――!」
転移するアーウェらに向かって手を伸ばすが、あと少し、ほんの一瞬だけ間に合わなかった。
伸ばしたエルキュールの手が掴んだのは、アーウェでもフロンでもなく、地面に生えていた名もなき雑草のみ。
「クソ……!」
強引に掴んでしまった草を放し、エルキュールは未だ己の脚にしがみつくアランの腕を蹴った。
ここまで引きずっていったせいか大した抵抗もなく、アランは短い呻き声と共に地面を転がっていく。
その様を見ながら、エルキュールは悲痛な表情を浮かべる。
結果として三対の魔人のうち、二人も逃がしてしまった。
単純な力で劣っている訳でもなく、ただただエルキュールの詰めが甘かったために。
この失態が将来的にどれだけの損失を生むことになるのか、エルキュールには分からない。
だがそれが、また誰か無関係な人々を、あるいはエルキュールの知り合いを、不幸にしてしまうことは容易に想像がつく。
街に放たれた魔獣のため、戦える者たちは分断を余儀なくされたが、もっとほかにやりようがあったのではないか。
これではグレンたちと出会う前の愚鈍な自分と変わらないと、場違いな後悔までもが湧きたってくるが――。
「今は……違う」
力なく立ち上がったアランを見据える。
反省や行き過ぎた敵意に身を置いて、このまま彼までも逃してしまってはいよいよ悲惨である。
彼の言う合流、そんな都合の良すぎる未来だけは、なんとしても阻止しなくてはならなかった。
「は、はは……ざまあねえな、旦那。ここまで一人でのこのこ誘い出された挙句、この失態だ。なんて惨めなんだろうな」
「強がっている場合か? 彼女たちもいない今となっては、もはやお前はただ俺に殺されるのを待つことしかできない」
「殺す、ねぇ……俺はもともとヌールの住人で、本来ならばお前が守りたいと願った人間サマの一員だったんだぜ? 俺だけじゃない、魔人なんてのは全員そうだ。ある程度月日を重なれば、人間だったころの記憶を思い出す」
一歩、牽制の意味を込めて前に出れば、アランは再度作り直した魔素質の剣をエルキュールへと向けた。
「分かるか? 広く見れば、俺たちも人間も変わらない。あんたはそんな俺たちを今まで殺してきて、そしてこれから殺そうってわけだ」
「何が言いたい」
「あんたはどこまでも歪みきった狂人って話だ。こんなことをしても人間になれるはずもない。フロンたちにした仕打ちを考えれば、俺たちアマルティアと共に生きる道も潰えただろうな」
「……それが最後の言葉ということで構わないか? 聞き飽きた言葉ばかり並べ立てても、俺の手が緩むことはないがな」
この期に及んで食い下がるアランにハルバードを突きつける。
先ほどアーウェにつけられた傷も、逃したことのショックも完全に回復していた。
「……そうかよ」
一瞬だけ、アランが悲しそうに微笑んだような気がしたが、エルキュールにそれを確かめる隙はなかった。
「それは――」
もはやぼろきれのように汚れた背広が、精巧に人の姿を模していたアランの肉体が、突如として赤い光に染まり始めたのだ。
コアを失った魔獣が魔素に分解される時の現象にも似ているが、それにしては力が消失しているようには感じられない。
むしろ力は次第に強まっているようにも、なにか枷から外れているようにも見えた。
「旦那、俺たちアマルティアがナぜアンタのように人の姿を模しテイると思ウ?」
身体が赤く染まり、その輪郭すらも光でぼやけてしまったアランの言葉は、どこか不気味な調子が混じっており、およそ人の発する声とは遠ざかっていた。
「俺たちハ、あんタのように人ニ媚びル必要はなイ。ソウ……理由があるとすれバ――」
「……愚かだ。そんなことをしても結果は変わらないというのに」
光と化したアランの身体が徐々に再構成されていくその形を見て、エルキュールはようやく悟った。
かつてエルキュールが家族から居場所を奪ってしまった時と同じ、魔人としての力を最大限発揮できる原初の姿。
そしてその姿を解放するということは、自己の身体を維持することを放棄するというアランの決死の覚悟を表していた。
「――自身ヲ蝕ム程ノ魔人ノ力ヲ抑エル為ダ。エルキュール・ラングレー、ココハ勝タセテモラウゾ……!」
先刻と比べて大きく歪に肥大した肉体には、魔素質が完全に剥き出しになっている。
顔面は人間というよりもはや獣のそれに近しく、双眸は火の魔素が発する赤で塗り潰されてしまっている。
魔人としての原形を取り戻し、凄まじい魔力を発するアランは、ヌールの街で再会したときとよく似ていた。
「やはりその姿は見るに堪えないな。かつての愚かな自分と悉く重なって見えるんだ。無謀にも力に身を任せるところが……それが他の誰かのためであるところが」
アランがフロンたちを救うために逃したこと。
エルキュールが今まで接してきた人間が持っていた温かさを、彼らの中にも同じく感じたこと。
それによって生じた、彼らを殺すことへの逡巡と、それでもなお人に仇なすことしかできない彼らへの憤慨と憐憫を、エルキュールは言葉と共に断ち切る。
「それでもアラン、あなたには死んでもらう。仲間との約束が、家族への誓いが、今の俺にとっては何より大切だから……!」
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