一章 第四十七話「根ざす本能」

 背広を着た魔人、アランは告げる。

 エルキュールが予感し、認めたくなかった事実を。


 あまりに軽く、あまりに嫌味に。


 不敵な態度で構える彼に、エルキュールは未だに信じきれない様子で尋ねる。


「ヌールが襲撃されたあの時、魔人となった彼……それがいま目の前にいるあなただというのか?」


「ああ。あの時は生まれたてで記憶も曖昧だったけどな……今ではこうしてヒトだった頃を思い出し、ヒトの姿を真似ることもできるようになった」


「……記憶も、人格も、変わらずに?」


「それもさっき証明しただろうに。俺は間違いなく、かつてヌールで雑貨屋を営んでいたアランだ。身体に関しちゃ、すっかり別物だけどな?」


 アランが怪しく笑みを浮かべると、顔の一部分に赤い魔素質の模様が浮かび上がり、胸元にも深紅の光が現れる。


 コアが発する魔素の輝き。魔人であることの証明。


「なら、何故だ! どうして人間だった頃の記憶を保持しているというのに、当たり前のようにアマルティアに従っている! どうしてかつての同朋を裏切り、この襲撃に加担しているんだ!」


 だからこそエルキュールには分からなかった。


 アランがここにいる意味が。


 王都に災厄を振りまいたのは、あの空に生じた穴を見れば、ほぼアマルティアの主犯によるものだと断定できる。


 そんな中にアランは現れた。

 短い間ではあったが、街に現れた魔獣を統率しているようにも見えた。


 そうなってくると、両者に関連を見ないことの方が難しい。


「どうして、か……逆に旦那に聞いてみたい気もするけどな。どうしてイブリスであるのにそこまでリーベ共の肩を持つ? 誰もあんたを心から理解してやることはできないというのに」


 アランが纏っていた魔素の輝きが消える。

 神妙な顔で尋ねる彼は非人間的な態度が霧散し、まるで在りし日の影を映しているようだった。


 口ぶりから察するに、アランは既にエルキュールの正体を知っているのだろう。

 ザラームといい、ミルドレッドといい、十年近く抱えた秘密は同種である彼らには隠し通せぬらしい。


 それともザラームらから直接事情を聞かされたのかも知れないが、エルキュールにとってはもはやどうでも良いことだった。


 芸のないお決まりの質問に、お決まりの答えを返す。


「それは俺に自己が芽生えてから、ここが俺の生きる世界だったからだ。理解されるかなんて関係ない――そしてそれはあなただって同じのはずだ!」


「勝手に決めつけるなよ。はあ……マジか。直接目にするまで信じられなかったが、旦那……あんたにはまさか本能というものがないのか?」


「な、に――」


 その質問はエルキュールにとっても予想外だった。


 逆に疑いの目を向けられていることにも戸惑ったが、本能――殺伐とした空気のなかで、その言葉だけがやけに彼の心をざわつかせた。


「俺たちイブリスは有機生命体であるリーベをオリジナルとして生まれる。そうして誕生したイブリスには他にはない多くの特徴が備わる。無尽蔵の魔力、半永久的に続く生命――どれもほとんどの人間からすればどう足掻いても手にすることができないものだ」


 滔々と語るアラン。


 先ほどまでのどこか高揚した熱気も、エルキュールを煽っていた態度も、まるでどこに消え失せてしまったかのよう。


 その変貌に、エルキュールは口を挟めずに押し黙る。


「だがその代償として、魔素生命体である宿命として、俺たちはいくつかの制約がある。そうだよな?」


「……己の身に魔素を取り込まなければならない。コアを存続させ、魔素質で形作られた肉体を維持するために。あなたが言いたいのはこのことか?」


「ほぉ……いい線はいってるが、それだとせいぜい五十点ってとこだな。旦那は別に完全に、魔素の吸収を抑えているわけでもない。隠していても魔人となった俺には、その力強さが伝わってくるからな。あんたのはそこじゃあない」


 目つきの悪いアランの視線がエルキュールの胸元を、コアのある位置を捉える。


 魔人としての自分が暴かれるような気がして、エルキュールは思わず全身に力を入れて魔素の流れを抑えた。


「分からないのか、汚染だよ」


「――っ」


「リーベを汚染してやりたい。自らの同朋を増やしたい。それはイブリスが生まれながらにして持つ根源的な欲求のはずだろ。魔素を吸収するのが食事や睡眠だとするなら、汚染は生殖と言い換えてもいい」


「そんなことはな――」


「あるんだよ。現に俺は魔人として再誕した時、食事や睡眠なんかにはすっかり興味をなくし、代わりに魔素の吸収や汚染の欲望が自分の中に刻み込まれているのを感じた」


 有無を言わさぬ物言い。


 エルキュールはもはや反論のための言葉を探すというより、今のアランの話と自分との経験を照らし合わせることにのみ思考を費やしていた。


 そして、彼の言い分が悉く自分に当てはまらないことを自覚していた。



 八年前までの村での暮らしのときも、それからの放浪のときも、ヌールでの暮らしのときも、家族と離れてからも。


 確かにエルキュールは人を、その他の動物を、汚染しようとしたことはないし、そんな衝動に駆られたこともなかった。


 それどころか人の社会を壊さぬように魔素の吸収も最小限に留め、限りなく身を隠して生活するようにしてきたのだ。


 それは始めからそういうものだと、人の世界にいたからだと、己が魔人であることとは関係がないと、エルキュールは割り切っていたのだが。


 いま対峙しているアランの在り方は、ザラームの時とは別の形でエルキュールの認識を揺るがした。


 アランは人の世を知っているはず。

 家族の温かさや絆の尊さに触れてきているはずなのだ。


「なのに、どうして……」


 まるでコインを裏返すかのように、簡単に切り替えることができるのか。かつての思いを捨て去ることができるのか。それが本能だとでもいうのか。


 エルキュールにとって、アランという魔人の例は信じがたいものに思えてならなかった。


「――と、いうわけでな」


 草原に吹き付ける風が草を揺らす中で。アランが一歩、また一歩と近づいてくる。


「アマルティアとして同朋を保護するのは当然として。旦那のその特異さもザラームの野郎のお眼鏡にかなったってわけだ」


「……! そうか、やはり今回も俺を……」


「ああ、でも今回はあくまでついでだぜ? ヌールみたいな片田舎はさておき、王都ほどでかい街の秩序をぶっ壊せば、王国全体を汚染するのもやりやすくなるだろうしな」


 聞かれてもないのに得意げに語るアランは、すっかり以前の調子に戻っているが。

 話を聞いたエルキュールの方は、再び闘志を燃やすほどの余裕はない。


 接近するアランに身構えるも、行動に移す素振りは見られなかった。


「ザラームの野郎がヌールでしくじりやがるから、俺たちもこうして付きまとわないといけないわけだ。いやー、旦那も行く先々で災難だなあ」


「くっ、まるで他人事かのように……」


「八つ当たりはやめてくれよ? 俺たちが行動せずとも、同類であるあんたが持つ魔素は魔物を惹きつける。魔素を求める習性を刺激する。実際、八年前のエスピリト霊国ではそうだったんじゃないか?」


 アマルティアの魔人というのは、つくづく相手の触れられたくない部分ばかりを責めたてるものだと思った。


 しかしいつまでも過去や、新たに生じた自分自身への疑念に囚われているエルキュールではない。


 下らない問答はそろそろ終わらせるべきだろう。

 エルキュールには果たすべき約束が、守りたい者たちが、踏み入ってはならない領分があるのだから。


 なけなしの気力を引き絞ってアランを睨みつける。


「あれは力を暴走させた俺に非があること。二度と起こらないし、起こさせない。とすれば、俺にとって最も邪魔なのは、お前たちアマルティアの存在だということになる」


「おぉ……怖い怖い、そんな汚い言葉遣いをしやがって。前に雑貨屋で顔を合わせていたときの方がまだマシだったな」


「黙れ。お前はもうアランではない。人の皮を被った魔人だ」


「どの口がと言いたいが、まあいい。旦那も変わったみたいだ……ヌールではかなりの醜態を曝したと聞いていたが、この頑固さは骨が折れそうだ」


 ふとアランの歩みが止まる。


 もうお互いその気になれば攻撃を仕掛けられるほどに、両者の間隔は狭くなっていた。


「ザラーム、ミルドレッドに続き、これで三度目。ルシエルの顔も三度までって言うだろ。大人しく同行したほうが身のためじゃないか?」


「人に仇なす者が人の諺を使うのか、滑稽だな」


「やれやれ、最後通告のつもりだったんだが。……後悔しても知らないぞ」


 ここで初めて、アランの表情に明確な敵意が生じた。


 会話による交渉から、武力による制圧へ。彼の目的が決定的に変わった瞬間でもあった。


 その変移を目聡く見つけたエルキュールは、素早くハルバードを構えるとアランに向かって飛びかかろうとするが。



「ちっ……」


 攻撃の直前、エルキュールの魔素感覚に何かが引っ掛かった。


 その直感にも等しい曖昧な感覚に彼は身を任せる。


 前に行こうとする力を強引に捻じ伏せ、大きく横へと跳躍したのだ。


 直後、エルキュールがいた地点を、矢を模した翡翠色の光が通り過ぎていった。


 同じく突然現れた、夜を閉じ込めたような漆黒の穴から放たれた確かな攻撃である。


「ゲート……つまり」


 流れるように受け身をとりつつ、エルキュールは攻撃の正体を把握していた。


 少し前に王都の空に現れたものと同じ。

 だが無作為に魔物を投下した前と比べて、今回はエルキュールの位置を性格に把握していたことから、術者の居場所も近い。


 恐らくは、あのゲートから――。


「お話は終わったみたいだねぇ? フロン、待ちくたびれちゃったよ」


「む……アーウェの矢、今度は……避けられた……」


 漆黒のゲートから代わる代わる出てきた二人の少女。


 片方はダークピンクの髪を左右で括り、それと同色の差し色が映える黒のワンピースドレスが風に靡いている。


 もう片方の少女もお揃いのドレスを着込んではいるが、こちらはウェーブがかったダークグリーンの髪色と対応していた。


 アマルティア幹部であるザラームの部下、フロンとアーウェだ。

 背格好から態度、服装などどこか対称性を感じさせる二人だが、なるほど確かに彼女たちは以前も闇魔法を使役していた。


 つまり断続的に空へ放出されていた転移魔法は彼女たちによるもので、先の攻撃もアーウェの持つ翡翠色に輝く弓からゲート越しに放たれたものだろう。


「これで魔人が三体……少し面倒だな」


 突如湧いて出た新手を冷静に分析するエルキュールだが、その表情に苦難の色はあまり見られない。


 片方の魔人、フロンが不思議そうに目を丸める。


「ふーん……フロンたちの不意打ちに気付いたのは、運が良かったんだと思ってたけど。ミル姉から聞いていたとおり、今の君はヌールの時とはちょっと違うみたいだねぇ?」


「……ミルドレッドのことか。あの時と何か違うとするなら、今の俺はお前たちを滅ぼすのにそれだけ本気だということだ」


 数の不利に怯んだ様子は見せないで、エルキュールは毅然と振る舞う。


 事実、確かに三対一は厳しいものだが、あの時とは身体に内包する魔素の容量が異なる。


 そして幸いここに人の目はない。

 即ち普段は制御している魔素質とコアの動きを、ある程度は無視しても許される状況であるのだ。


 十分に勝算はあるだろう。


「アーウェ、ザラーム様の分も……ミル姉さんに鍛えてもらった分も頑張る。だから……か、覚悟してください……!」


「おっ、アーウェちゃん、やる気満々だねー! これはフロンもお姉ちゃんっぽいところ見せないとなー」


 得意げにフロンが構えるのは、巨大な鋏の形を模した特殊な武具だった。

 さながら本物ののように持ち手には二つの穴が空いており、刃の部分は二枚が折り重なっている。


「ふふん、かっこいいでしょ? 切れ味も相当なんだから」


 二つの持ち手の中間を片手で握り、切っ先を向けてくるフロン。


 並び立つアーウェも弓の弦に指をかけ、エルキュールの方を見据える。


「どっちが妹かは、ともかく……任務は、やり遂げるだけ……」


「まだそんなこと言う!? もう……じゃあ、あのお兄さんを倒した方がお姉ちゃんってことね!」


「……ったく、予定通り来てくれたとはいえ、姦しい双子だ。だからザラームのところは嫌だったんだよな」


 フロンたちの後ろからエルキュールの方へ躍り出てきたアランも、赤く輝く炎の魔素を剣の形へと変化させる。


 三者三様ではあるが、臨戦態勢に違いなかった。


 対するエルキュールも隙の無い構えをとりながら、徐々に己の中の魔素を滾らせる。


 エルキュールにとってはヒトとしての在り方を懸けた戦いでもある。

 八年前、家族から居場所を奪ってしまった時のような醜態も、ヌールの襲撃の際の迷った自分も、見せる訳にはいかなかった。


 自分のための戦いで、自分を捨てるなど本末転倒。


 家族との約束、仲間からの教えを守るためにも。


 エルキュールは改めて覚悟を決めると、略奪者たる三体もの魔人をしっかりと視界の中心に捉える。


「行くぞ、アマルティア……!」


 夕刻の平原に、戦いの幕が切って落とされた。

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