一章 第四十六話「疾走~分かたれた闇~」

 ビルとエリックを捕らえた直後の事。


 ジェナ、グレン、ロレッタの三人は、騎士団長からの要請を受け中央区の街中を疾駆していた。


「まさか、こんなことになるなんて――」


 最後尾を走るジェナは、魔法に頼ってばかりの自身の身体能力のなさを嘆きながら、屋敷での出来事を思い返す。




『この国でも最も高貴――だと? この空の穴と関係しているというのか』


『ひゃははっ! さて、どうだかなぁ……?』


 ロベールの詰問に拘束されたビルが口を割ることはなかった。


 しかしそれでも、幸か不幸かその事実は現状を把握する上で然したる障害にはなり得なかった。


『見て! 穴から魔物がたくさん……私がさっき使ったのと同じ、やっぱりあれはゲートだったんだ……!』


『ちっ、してやられたわね』


 闇魔法ゲートによる転移。奇しくも敵はジェナたちが用いたものと同じ手段で、大胆に侵入したようだった。


 確かに外からの経路は騎士連中やデュランダルが警戒していて、そこから来る魔物は問題なく対処できていた。


 だがそれすらもビルの、アマルティアの計算の内だったのだ。


 ビルやエリック、外の魔物らを使って王都の内側を攪乱し、その隙に外で待機していた別動隊が一気に仕掛ける作戦だったのだろう。


 皆が状況に気付いたときには、屋敷の周辺も騒がしくなっており、微かに悲鳴やら爆音やらも響き始めていた。


『君たちは一刻も早く向かいなさい。ここの後処理は私とルイス殿、あと周りの部下で行う』


『向かうって……』


『決まっている、王都の中枢――フォンターナ城だ!』




「ぜぇ……ぜぇ……グレン君、王城まで、あとどれくらいなの……?」


「あぁ? ミクシリア広場を経由すっから、まだまだ先はあるぞ」


「ふえぇー……?」



 ここからでも夕空の中に王城の影が見えるというのに。


 思いのほか遠いところにある目標に、追憶から帰ってきたジェナは気の抜けるような声を漏らした。


 それに呼応して、白く細い彼女の脚までも、その動きが鈍くなる。


「まったく、貴女は相変わらずね。でも今回ばかりは休んでいる暇もなさそうよ。奴らの狙いはきっと住民の汚染などではなく、もっと規模が小さく……それでいてこの国にとって最も致命的なもののはずだもの」


 先頭を走るロレッタは少しも呼吸を乱さない、いつもの冷たい調子で告げた。

 彼女とてジェナとほとんど変わらない体格と年齢であるのに、その強さは一体どこから湧いてくるのか。


 こんな状況でなければジェナも問い質していたところだった。


「でも、さあ……こんな必死に走らなくても、今の私なら王城までゲートを繋げられるのになぁ」


「つってもマクダウェル邸の時とは別もんだぜ。今回は何が待ち受けてるのか事前に知ることができねえからな」


「うぅ……」


 粗野な口調も目立つが、こういう時のグレンは意外と冷静だ。


 遠くの様子を窺うことができる光魔法・ビジョンを使うという手もあるが、ただでさえ同じ上級魔法であるゲートを使用したばかりなのだ。

 これ以上、魔力を消費しすぎるのはよくないだろう。


 正論を突きつけられたジェナは、二重の意味で苦しくなる。


 状況が深刻なのはもちろん承知の上だ。

 さらにジェナたちの機動力を確保するため、その他の多くの人たちが街に降下してきた魔物を足止めしてくれているのだ。


 彼らの努力に報い、事件を解決せねばならないという使命感はある。


 しかしそれとは別に、休みなく何時間も広い王都を駆けまわったことによって、ジェナの生物としての根本的な部分が限界を迎えようとしていた。


「……そう言えば。そのゲートをジェナに教えたという彼はどこに行ったのかしら? マクダウェル邸にも向かっていなかったようだけど」


 少し走るペースを遅らせたロレッタが呟く。

 その言葉は聞いたジェナは、まるで六霊教の教えに蒙を啓かれる信徒のような表情を浮かべた。


「そうだ、それだよ!」


 ついに完全に足を止めたジェナ。彼女は懐から魔動通信機を取り出し、ロレッタとグレンに呼びかける。


「エル君にも状況を説明して、一緒に来てもらった方がいいと思うな。きっと今度の襲撃はアマルティアにとって本命の択であるはず。街の魔獣の対処が騎士団みたいな組織の役割だって言うなら、私たちも最善を尽くさなきゃ」


「全体への連絡はあの騎士団長がするという話でしょう? 私たちの目的は一刻も早く王城の様子を――」


「うん。でもあの屋敷に突入する時だって、彼は姿を見せなかった……もしかしたら連絡に不備があったのかもしれないし……」


 声の調子を落として食い下がるジェナに、ロレッタは腕を組んで露骨に不同意を表する。


「少しくらいならいいだろ。ジェナの休憩も兼ねられるしな……それより、お前こそどうしてそんなに焦っている? 無闇に死地へと突っ込んで命を散らしてえのか」


「焦ってなんかいないし、貴方に言われるのだけは心外ね……リスク云々を語るとか、貴方には縁遠いことのはずなのに」


「あぁ? どういう意味だ?」


「別に何も。私からはもういいわ。既にこうして立ち止まっている訳だし、ジェナは私たちを無視して勝手に進めてるし。それなら少しでも身体を休めおくに越したことないもの」


「……そうかよ。相変わらず解せない奴だ」


 グレンの助言もあり、ロレッタがそれ以上反発することはなかった。


 ジェナが連絡を行っている間、二人も辺りを警戒しつつ休憩をとる。


 ミクシリアの中央区、外の城門からはもっとも遠いこの区は他と比べて建物の損傷等は軽微である。


 それでも、住民の姿が全く見えない街並みが、酷く寂れて映るのには変わりなかった。


「お前さあ」


 探る視線はそのままに、グレンは塀に背中を預けてぽつりと零す。


「さっきも言ったが、やっぱり焦ってるんじゃねえか? 生まれ故郷が危険に曝されているとあれば仕方ねえけどよ。一人で突っ走り過ぎだ」


「……それは私がジェナの疲労を気遣えていなかったことを指しているのかしら。それとも私がカフェで取り乱してしまったことが原因? 乙女の事情に無遠慮に突っ込んでくるなんて、あまり褒められたものではないけれどね」


「何が乙女だっつの。きっかけならまあ、お前が言った通りだが……付け加えると、その一介のシスターとは思えねえ体術と武術、魔法の腕前だ。流石に魔法ではジェナに、武術ではオレに及ばない。だがそれでも、さらっと流せるもんじゃねえ」


 グレンの感情的で荒々しい口調に、どこか無機質で冷たいものが混じる。


 ロレッタは魔素感覚を研ぎ澄ませて周囲を索敵すると、顔だけで彼の方へ振り返った。


「……貴方、飄々とした態度に反して案外疑い深いわね。少なくとも、ジェナと彼に比べたらずっと」


「あいつらはオレたちと違って人が好いようだからな。つっても、オレもそこまで懐疑的な性格じゃねえ。現にジェナたちとは出会って間もないがある程度は信用してる」


「なるほど。要は私の正体が胡散臭すぎて、共に戦うにはまだ信用が足りないと……傲慢にも貴方はそう思ったわけね」


「癇に障る言い方だが、そうだ」


 向けられる疑心にロレッタは肩を竦める。


 南東区で出会い、グレンたちの事情に触れて以来、そのまま流れで事が進んでしまっていたが。


 確かに成り行きだけで同道するにはここらが限界だろう。


 非常時だから看過されてきたものだが、非常時だからこそ安心して連携をとれるようでなければならないのも事実だ。


「簡単に言ってしまえば黒づくめの彼と似たような状況かしら。魔獣の襲撃に遭って、居場所を奪われて。私の場合は家族も帰らぬ人になってしまったのだけど」


「……そうかよ。てっきり王都育ちかと思ってたが、勘違いしていたらしい」


「あら、気にするところはそこかしら? 言うべきは他にあると思ったのだけれど」


「ふん……オレが下手に慰めても、どうせ鼻で笑ってただろ。あの時のエルキュールとも違う……お前はとっくに自分の道を見つけてる。でなきゃ、お前みたいなか細い女がその辺の騎士を凌ぐ戦闘力を手にするなんざできねえよ」


「……そう」


 納得した表情を浮かべるグレンに、ロレッタは束ねた髪を撫でつけながら素気無く返した。


「ちなみにシスターの身分は、たまたまミクシリア教会に縁があったというだけで、私個人の思想とは何ら関係ないわ。私はただ私の復讐のために魔物を殺すだけ……さあ、話はこれくらいでいいかしら?」


「ああ、事情は大体分かった。ご協力、感謝するぜ?」


「全く、どうして貴方がそんなに偉そうなのかしらね。事あるごとにサポートしてくれたジェナや、あのとき最初に事情を話してくれた彼ならいざ知らず」



 少しの間だけ休むはずだったが、結果的に長く留まってしまっていた。


 そのことを自覚したのか、ややきまりが悪そうにロレッタは背を向ける。


 そもそもこの休憩時間はジェナが発端となって発生したもの。


 これだけ暇をつぶせば十分だろうとロレッタは視線をやるが、どういうわけか彼女の様子はおかしかった。


「ジェナ? 顔をそんなに強張らせてどうしたのよ」


「あ、ロレッタちゃん……えっと、その」


「あいつは来れないって?」


「グレン君……ううん、違くて」


 どうにも歯切れの悪いその態度に嫌な予感が芽生え、ロレッタとグレンは顔を見合わせる。


「……それが、何度やっても繋がらないの」


 たっぷりと間をおいてから、ジェナは心配そうに吐き出す。


「繋がらないって……故障か?」


「ううん。周りの状況を知るついでに各地の人たちにも試してみたけど、繋がらなかったのはエル君だけ。だから、向こうの端末に何かあったのか、それとも――」


 せっかくの休息も虚しく、ジェナの表情は前と比べても苦しげだ。


 離れた地で戦う仲間が、彼女にとっては一人前の六霊守護としての力を備えるための闇魔法の師が、何かしらの災難に見舞われている可能性があること。


 その事実がジェナの心を蝕んだのだ。


「悪いように考えるなよ。あいつは強い。お前だって知ってるだろ? アルトニーの森でアマルティアの魔人に襲われても、無事に切り抜けられたくらいだぜ?」


「アマルティアの、魔人……?」


「ああー、ロレッタには言ってなかったか。オレも話しか聞いていねえが、こいつとエルキュールは風魔法を操る魔人、ミルドレッドとかいう奴に絡まれたんだと」


「な、何ですって――」


「ま、驚くよな。アマルティアの魔人……オレはあのザラームしか直接にしか知らないが、確かに凄まじい奴だった。恐らく親父や騎士団長が全力で戦って五分になるかどうかだ。エルキュールが戦ったってのも向こうにとっちゃ想定外だったみてえでな、運よく生き延びられたって話だ」


 ミーティスでロレッタと会話したときには、この話題は割愛していた。


 詳細は知ったロレッタは驚愕からか暫く放心していたが、すぐにいつもの無愛想な顔に戻った。


「……そう。ならそこまで気を落とすこともないんじゃないかしら。それに彼……私は会って間もないから確かなことは言えないけど、どこか抜けていそうだし、魔物との戦闘に気を取られているだけってのもあると思うの」


「はっ、確かにな。後になって『ああ、済まない。うっかりしていた』なんてほざくあいつの顔が目に浮かぶぜ」


 お道化た調子でグレンまでが乗っかる。


 二人の言葉を耳にして幾分気が晴れたのか、それまで沈んでいたジェナの血色はみるみると良くなり、それから鈴を転がすかのような心地よい声色で笑い始めた。


「ふふ、そうだねっ。ごめん、二人とも。疲れてたせいかちょっと弱気になっていたみたい」


 両手の前で拳をつくり、問題がないことを見せつける。


 道を行けば、小気味いい足音が鳴り、亜麻色の髪がふわりと揺れた。


「空も少し暗くなりかけている、そういうことならとっとと先を急ぐぞ。まずはミクシリア広場だ」


 グレンもロレッタもそれに続き、三人は改めてフォンターナ城を目指して進み始めた。





◇◆◇




 ジェナたちが王城への道を行っているのと同時刻、王都ミクシリア南東区の城門前にて。


「よお、旦那。お仲間さんからの通信は出なくていいのかい?」


 格調高い黒の背広に身を包んだ男が、対する青年に対し砕けた口調で投げかける。


 両者の距離は優に数十歩分は空いているが、混沌とした街中から外れた草原では遮るものが何もなく、お互いの声は愚かその心の内すらも見通せるようだった。


 青年が着込む外套のポケット越しに発光した通信機が主張をするが、彼は軽く一瞥しただけで、それを手に取ることはしなかった。


「もしくは呑気に駄弁っている場合じゃないってか? ま、無理もないと思うがな」


 背広の男の軽い調子に青年は一歩近づく。

 背の高い草と柔らかい土を踏む感触が青年の足に伝わった。


 王国で最も栄える王都であっても、少し外に足を踏み入れるだけで、もうそこは人の生活の場ではなくなる。



 魔物が――イブリスが跋扈する地なのだ。



「おいおい……いきなりやり合おうって? 少しは会話を楽しもうぜ、ここまでわざわざご足労頂いたってのによ。それとも、そんな茶番はにとって必要ないか?」


「――少し黙ってくれ」


 相手を小馬鹿にする耳障りな高音に比べると、青年のそれはどこまでも低く、鋭いものであった。



 青年は珍しく怒っていた。


 ミクシリアが魔獣の襲撃にあった時は無力な自分に苛立ちはしたが。

 今回ばかりは、対するあの軟派な男に明確な憤怒を覚えていた。


 突如ミクシリアの空に出現した幾つもの黒い穴から、件の男を始め多くの魔物が降りてきたこと。


 ひときわ激しく街で暴れ散らかすこの男を追ってみれば、こんな離れにまで逃げられたこと。


 追い詰めたと思った矢先にこうして煽られていること。

 むしろここまでの顛末が男にいいように操られているのではないかということ。


 理由を上げれば枚挙にいとまがないけれど、この時青年が怒っているのはもっと単純なもののためだった。


 青年は自身の胸に手を当て、コアの中で蠢く魔素を静めているよう。


「厳しい物言いだなあ。一週間前ヌールの雑貨屋で会ったっきりだってのに……ああ、その後にも一度顔を合わせてたか?」


「――っ」


 初めて青年の表情が歪む。琥珀色の瞳が揺れる。貼り付けた面が剥がれ落ちる。


「まさか、本当に……本当にあなたは……」


 動揺が走る青年を見据え、背広の男は口角を吊り上げた。


「ああ――改めて、アマルティア所属のアランだ。また会えて嬉しいぜ、エルキュールの旦那?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る