一章 第四十五話「他を生かすことが、己を生かすこと」
マクダウェル邸の中庭に突如として舞い降りた三つの影。
どこからともなく現れたそれは、ロベールを苦しめていたしがらみを、ビルらが仕掛けた卑劣なる罠を、いとも容易く打ち砕いた。
一瞬前までは影も形もなかったその戦士たちの姿を、先ほど掌底を喰らって地に伏したビルは苦しげに眉を歪めて睨んだ。
「な、何奴じゃ……そもそもどうやってここへ……」
「あー、はいはい。別にあんたに答えてやる義理は少しもねえんだがなあ? ……先に周りの魔獣を片付けっから、お喋りはその後で頼むぜ」
自身の身長に迫る程の銃大剣を構えたグレンは、侮蔑と憐憫が混じった口調で返す。
それから前に向けた視線の先では、二人の少女が魔獣と対峙していた。
水色の髪を横で一括りにした少女は、手甲から放たれる特殊な鎖を存分に振るい、数の差を物ともせずに魔獣と渡り合っている。
そのすぐ後ろ、ロベールから託された盾に隠れていたルイスの傍に構える少女は、幾度となく魔法の詠唱を繰り返し、前衛の役割を負う少女の手助けをしていた。
十以上いた魔獣の群は既に一桁まで数が減っており、その連携力にグレンも堪らず瞠目する。
個人と個人が力を合わせることによって生まれる力は戦いにおいて肝要だとされるが、彼女たちのそれは一般的な騎士や魔法士と比べても高い効果を発揮しているように見受けられた。
しかしたとえそうであっても、魔獣側の持つ数の有利も侮れないもの。
それを示すかのように、同朋を失い気が立った魔獣の攻撃はその勢いを増して、徐々に少女たちは劣勢に追い込まれてゆく。
「やっぱり、お前に前衛は荷が重いみてえだな、冷徹シスター殿?」
ルイスの安全に気を配りながら戦う彼女たちは、機動性を殺されているに等しい。
その欠点を突こうと小賢しくも裏に回ってきていた兎型魔獣を、グレンは一飛びに距離を詰めてその額にあるコア目がけて剣を薙いだ。
大剣による一撃は不気味な音を響かせ、頭部ごとコアを破壊する。残酷なほどに徹底的な攻撃に、後ろからはルイスの悲鳴が上がった。
「……はあ? さっきまでそこの腐ったご老人と楽しく語らっていた人の発言とは思えない失礼さね。それともその熱すぎる炎で、考える頭までも溶かしてしまったのかしら」
少女は魔獣を近づけないように鎖を巧みに操りながら、魔素を使役して氷の弾丸を前方の栗鼠型に放つ。
栗鼠型の腹に位置するコアは高速に迫る氷塊と衝突し、魔素に特有な発火を残して砕け散った。
コアのみを狙った規模の小さい攻撃だが、イブリスにとってその消失はあまりに致命的だ。
グレンの攻撃とは対照的な必要最低限の一手により、二体の栗鼠型の身体は瞬く間に掻き消えた。
口を動かしながらも、その手管は熟練。
先ほどの少女たちの連携に負けず劣らず、こちらも息の合った動きであった。
「あら、図らずも私の方が多く殺してしまったようね。貴方のような口だけが一丁前の三文魔法士とは出来が違うみたい」
「はははっ! 戦果の数で優劣を競うあたり、どうやら冷徹な上に随分と幼稚なシスターらしいな。可哀想なのも極まると存外笑えるもんだぜ」
「……私はロレッタ。その耳障りな呼称はやめてくれる?」
「お前がオレをグレン様と崇め奉るっていうなら、この事件を解決した後にでもゆっくりと検討に検討を重ねてやるよ」
互いにまたひとつ魔獣を討ち取り、また一つ言葉を交わす。
その度に彼らの攻撃と語気は鋭くなっていったが、反して連携のための柔軟さは欠けていった。
故に、後方から迫っていた魔獣たちへの対処が遅れてしまった。
「ギイイィィィッ!」
「ちっ……」
「面倒ね……」
それでも二人は焦らず、迅速に防御に専念しようとするが――。
「煌めく光芒、魔を滅せよ――ストラール!」
グレンらが対処するよりも前に、さらに魔獣が二人に突撃するよりも前に、光魔法の詠唱を終えていた三人目の少女が魔法を放出した。
白く輝く光の魔素で構成された光線が、不意を衝こうとしていた三体の魔獣を悉く焼き尽くしたのだ。
「もう、二人とも痴話喧嘩なら後にしなさいっ! あなたたちが争ってる間に、残りも私が全部倒しちゃったよ?」
半目で睨みつける少女が、手にした杖で横を示した。
そこには先ほどの他にも既に討たれた後の魔獣がいくつも倒れ伏しており、骸はその瞬間にも粒子状の魔素へと還っていた。
「……流石は魔術師さん。頭が上がらねえな」
「ごめんなさい、ジェナ。私としたことが少し熱くなり過ぎたみたい」
「ふふふ……別にいいよ、二人が派手に戦ってくれたから私も隙がつけたんだし」
ばつの悪そうに振る舞う彼らに、ジェナは控えめに笑いかける。
この場の誰よりも多く魔獣を倒したとは思えないほどの和やかさだった。
それからジェナは一呼吸間を置くと、今まで蚊帳の外へ追いやられていた者たちへと目を向けた。
ルイスは当面の脅威が去ったことを理解したのか、目を丸くしつつも安堵していた。
ビルは未だに信じられないといった表情を浮かべ、エリックに関しては依然として気を失っている。
ロベールだけは現状を全て把握しているようで、魔法の効力が抜けきらない身体を支えながらも、助太刀に来た協力者へ力強い笑みを返した。
「――ああ。来てくれたのはやはり君たちか。ブラッドフォードに魔術師……まさか教会の見習いシスターまでもいるとは予想外であったが」
「な、ロベール……其方はまさか……」
ロベールの言葉はまるでこの状況を予知していたかのようで、ビルは未だにグレンの掌底の痛みが引かないのか腹を抑えながら呻く。
それから暫くなんとか立ち上がるものの、如才なく割って入ったグレンに剣を突きつけられ、忌々しげに奥歯を噛みしめた。
「余計な真似はするなよ? 記憶を操ってた野郎も、囲んでいた魔獣も、オレたちが排除した。ここまでの大事をしでかしたバカでも、いま自分がどうしようもなく不利な状況に立たされていることは分かんだろ」
「黙れ! 名家に名を連ねながら身勝手にも出奔した浮浪児ごときが、わしに無礼な口を利くなっ!」
「家を出たのは丁度あんたみてえな奴が蔓延る王都に嫌気がさしたってのもあるんだが……仕方ねえな。騎士団長、代わってくれよ」
依然として無駄に強硬な態度をとるビルに嫌気がさしたか、グレンは肩をすくめながら振り返る。
覚束ない足取りも幾らか回復したロベールがビルと対峙する。
ついでに魔獣の沈黙を見届けたジェナやロレッタ、隠れていたルイスまでもが彼を囲むようにして並び立った。
「ロベール……どんな謀を巡らせたのかは知らぬが、よくもわしの一世一代の機会をふいにしてくれたなぁ……!」
「貴方が練った計画とやらに比べれば、簡単な仕掛けではあるが」
冷たく射貫くようなロベールの目線がルイスの方へと向けられる。一歩ビルの方へと歩み寄った彼が手にしていたのは、黒い箱型の魔動通信機であった。
「い、一体いつの間に――」
「……騎士団長がボクに盾を譲った時にだ、父上。そして盾で身を隠しながら、あくまで状況に怯えるだけの弱い自分を見せながら……近くにいる協力者のため通信機に魔素を込めたのさ」
「魔素を込める……お前が? わしがいくら良い家庭教師をつけても碌な魔法も覚えられなかったお前がか?」
「別に信じて頂かなくとも結構だ。とにかく、貴様はボクを侮っていた。だからこそボクはあの窮地から辛うじて逃れることができ、それが巡り巡って貴様自身の首を絞めたのだ」
もはや父としての感情など持ち合わせていないとでも言いたげに、ルイスの態度は一貫して毅然だった。
それでも彼は少しだけ憐れむような、悲しむような目をビルに向けると、手にしていた通信機をロベールへと返した。
「ちなみに先ほどエリックが破壊したのは私物の通信機だ。現在ミクシリアで動いてくれている者たちが使っているものとは別の規格。私自身の身体と偽の通信機に気を取られ、貴方がたはまんまと見過ごしてしまったというわけだ」
「……ひ、ひひひっ……ロベール、よもや其方がそこまで無謀な手に走るとは。一つ掛け違えれば天下の王国騎士団長ともあろう方が、みすみす犬死になっておったじゃないか……!」
策を封じられ、敗北を悟ってもなお、ビルの目にある狂気的な色は濃い。
願いが破れて気が触れたのか、もしくはイブリスに全てを売った愚かさを自嘲しているのだろうか。
ロベールは憐憫に目を細めて続けた。
「そうだな、確かに無謀かもしれん。しかし私はこの一連の事件に身を置いて学んだのだ。『他を生かすことが、己を生かすこと』なのだと。幸い、こちらに向かってきてくれていた若者たちのことは伝え聞いていたのでな。通信機で詳しい地点を示せば、必ずあの状況を打破してくれるだろうと踏んだまでだ……闇魔法で直接向かってくるとは思わなんだが」
「彼に教わった闇魔法――早速お役に立てたみたいで何よりです」
少し照れたようにジェナは長杖を両手で握り直す。
「……なるほど。君のような者がなぜ彼の地を離れているのかと疑問であったが、何やら事情があるようだ」
「彼の地って……」
事情を知らないであろうロレッタは怪訝そうに言葉を零す。
しかしロベールもジェナもそれに答えることはしない。
無論、それよりも優先するべきことが目の前にあるからだ。
「話はこれくらいにしておこう。取り敢えずビル・マクダウェル並びにエリックの処遇についてだが――」
「それなら一先ず、こっちで拘束できるように親父に取り次いでおくぜ?」
「ふむ、七年にわたる決別も些か回復したようだな」
「あー……まあ、綺麗さっぱりとはいかねえが」
顔をしかめるグレンに、「ヴォルフならば安心だ」とロベールが頷く。
グレンが王都を出てからの七年で、ブラッドフォードが王都の暗部に蔓延る罪を幾度なく明かしてきたことを、ロベールもまた知っていた。
程なくして合意に達し、グレンは魔動通信機を取り出し連絡を行う。ロベールの方はジェナたちにエリックを任せると再びビルに視線を向けた。
「これで終わりだ、マクダウェル。貴方がたを捕らえ、この屋敷の後処理を終えれば、残す脅威は外にいる魔物だけだ。多少犠牲は払うことにはなったが、それについても解決の目途はついている。大人しく従うことだ」
かつてとは立場が逆転し、ロベールはビルの両腕を後ろに抑えながら冷たく告げる。
近づいて確認したところ、あの注射器の他にビルは凶器類を持っていないようだった。
完全に制圧した。その事実を疑いようがないものと思われたが。
「……ひひ、はははは……!」
「……何が可笑しい」
「ああ、失敬。単なる思い出し笑いじゃよ。それに、わしは少しばかり思い違いをしていたようだ……」
この期に及んでなにを呑気に笑っていられるのか。
途中から諦めたような態度が目立っていた彼だが、これは少し尋常ではない。
状況にそぐわない楽観的な所作に、一瞬ロベールの眉が動く。
「ロベール、確かに其方は言ったな? 『他を生かすことが、己を生かすこと』に繋がると……それは本当に共感に値する言葉だと、感心してしまってな」
「どういう、ことだ――」
凄絶な笑みを浮かべたビルを問い質すロベールの声が震える。
もちろんその常軌を逸した態度に怯んだためではない。
ぞわりと、ロベールの魔素感覚が不吉な感覚を捉えたのだ。
予感に身体が弾かれるように、ロベールは上空のある一点を見据えた。
夕刻が近づいているとはいえ、そこは不自然に暗く、染みのように大きな穴がいくつもぽっかりと開いていた。
丁度、グレンたちが出現したときと似たような様相であった。
「なあ……ロベール。どうしてわしがヌール伯殺害の際に分かりやすい形跡を残したのだと思う? どうしてわしがあのとき其方たちとの無駄話に付き合ってやったと思う?」
通信機を片手にグレンが慌ただしく駆け寄ってくる。
ジェナもロレッタも不安を滲ませながらそれに続く。
「まさか……いや、違う。『まさか』などではない。最初から危惧すべきことだったというのに……!」
自身の至らなさを悔いるロベールに、いよいよビルは噴き出した。
「ひゃはははは! 有名どころが揃いも揃いおって。残念じゃったな、ロベール。わしを止めたところでこの災厄は終わらんよ! せいぜい指をくわえて見ているがいい、この国で最も高貴な者が、アマルティアに穢される瞬間をな……!」
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