一章 第四十四話「決戦・マクダウェル 後編」

 思いもよらぬ方向からの邪魔だてに、ビルも、そしてロベールさえもが不審がる。


「……何の真似だ、エリック。ようやく我が願いの一つが成就の時を迎えるというのに止めるとは、ここに来てわしに歯向かうつもりか」


「いえ、滅相もありません。私はただ、ご主人様をお守りしようとしたまで……」


「守る? 其方、なにを――」


 その瞬間、訝しむビルの傍らでは今まで静かに佇んでいたはずのロベールが身体を翻しており、その彼と後ろに控えていたエリックの視線が交わる。


「くっ……ヴェント・ス――」


「遅いですよ、――アブソプション!」


 一瞬の空白の後。ロベールが得意とする風魔法、その代表ともいえる翡翠色の刃がその形を成した。


 だがその刃が放たれる前に、エリックの左目に埋め込まれた魔動機械から怪しい光が放たれ、あろうことか風の暴刃は力を失ってしまう。


「な……力が……」


 攻撃魔法による相殺でも、エリックの手が放出前の魔素に触れたわけでもない。


 まるで自発的に編まれた魔素が解かれ、そして中空へと消えていく光景を前にロベールがその場に膝をつく。


 その表情も相まって、決死の攻撃が実を結ばなかったことに絶望したように見えるが。


 実体はそうではなかった。


「う、動けん……草魔法、か……」


「ええ、草魔法の術式が刻まれた魔動機械、それこそがこの眼の正体。相手の魔力と筋力を封じる魔法――記憶に干渉するイプノティズモほど高度な魔法ではないですが。難解ではない分、あなたのように対魔法を熟知している人間にも通ずる単純明快な強さを備えています」


 エリックの草魔法によって魔法を維持する魔素感覚どころか、自重を支える力すら失って地に伏すロベール。

 その腕を後ろから押さえつけたエリックが、勝ち誇るかのように語る。


 突発的に起こった刹那の攻防。

 少し離れた地点では盾で身を隠しながらルイスは苦い表情を、二人の近くではビルは呆気にとられた表情を浮かべていた。


「どういうことじゃ、これは?」


「ご主人様は浮かれていらして気付いていないようでしたが……この男は全てを諦めて服従したというわけではないのですよ」


 ロベールを見下ろすその視線は侮蔑を色濃く映し、エリックは拘束を崩さぬように彼の懐をまさぐるとそこからあるものを取り出す。


「それは?」


「魔動通信機のようです。目にうるさい白色、無骨な方形のデザインに、持ち運ぶには少々重しぎる重量。未だにこの古臭い型を使っているのは、組織の無能さを表しているようで実に滑稽ですが」


「……つまり、あれか? こやつはわしらに従うふりをしつつも、どうにかして外へ連絡を取ろうと?」


「左様でございます。己の装備を坊ちゃんに渡したのは、下手を打って彼に魔獣を向けられた場合を想定したためでもあり、私たちの油断を誘うためでもある。さらに、わざわざそうしてまで近づいてきたのは、隙をみて注射器を奪取しようとしたため。違いますか?」


 エリックがつらつらと言葉を並べ立てるたび、ロベールの表情が苦しげに歪む。

 それは示された仮説が真実であることを如実に明らかにし、エリックの愉悦を誘った。


「騎士団長……! くっ……」


「ふふふ、恐怖で動けませんか? 相変わらずの臆病さもここまで来るとお可哀想だ……まあ、今はその方が手間が省けて助かるのですがね」


 自らを守ろうと死力を尽くした人間が、今まさに窮地に立たされている。それでもルイスの身体が盾から出ることはなかった。もちろん彼にこの場を解決する力などはなく。行動したところで、エリックから見ればいつでも滅ぼせる弱い命なのは変わりなかった。


 ルイスが行動でないことを確認し、エリックは手にした通信機を横に放った。

 音を立てて地面を二転三転したところで止まるそれに、周りの兎型と栗鼠型の魔獣が群がる。


 魔獣の身体に隠れた先で、甲高く不快な金属音と何かが潰れたような断裂音が響き、不気味な旋律を奏でた。


「魔動機械は多少の魔素を含む……前菜としては悪くないでしょう」


「やれやれ、大人しくしていたと思いきや、その心の裡にとんでもないものを秘めていたようじゃな。己すらも賭けるその胆力には賞賛を示したいが、如何せん運がなく、其方にとっては全てが向い風……セレの風の導きは、ついぞ其方を見捨てたようだ」


 エリックに伏せられているロベールを、ビルはその髪を掴んで強引に立ち上がらせる。


 それから苦悶に喘ぐ彼の首に改めて注射器を突き立てると、銀色の針でその筋をなぞった。


 嗜虐的なその態度には、獲物に絡みついて絞め殺す毒蛇の如く不気味さが垣間見える。


「芝居をうってこの状況を打破しようとした企みもこれで仕舞いじゃ。其方には一片たりとも抵抗の余地は残されていない。このまま絶望のままにヒトとしての生を終えるがいい」


 依然として力の入らない脚で立たされるロベールの目線が、頼りなく前に向けられる。


 辺りを囲む魔獣に、盾に守られることしかできないルイス。


 後ろには魔獣を操り強力な草魔法を扱うエリックと、狂気に染まって魔素を注入しようとしているビル。


 為す術がない現状に、ロベールは静かに天を仰ぎ見る。


 曇天の空は各地で巻き起こった煙と相まって酷く不透明で、この凄惨には似つかわしかった。



「さようなら、ロベール・オスマン騎士団長」



 不敵なビルの笑みと共に針が首筋の肌を貫き、ロベールの身体へと内容物が注ぎこまれようとした丁度その時であった。



 その澱んだ空に、少し早い夜の到来を思わせるかのように暗い、不気味な穴が生じた。


 そして――。



「間に合った……! お願い、ロレッタちゃん!」


「ええ、任せて! 吹き荒べ氷の弾丸――バールグラッセ!」


 空に開いた穴から飛び降りてきた二つの影。


 一人は白のケープコートを身に纏い、亜麻色の髪を靡かせるあどけない顔の少女。先端の特殊な装飾が特徴的な長杖を両手に構え、もう一人の影に対して懸命な指示を飛ばす。


 それに応えるは、杖の少女の後に続く形で降下してきたもう一人の少女。紺碧色の軽装に、横で一括りにされた水色の髪、左手にはその可憐な容貌には不釣り合いに見える無骨な白銀の手甲を身に着けている。


 その手甲は魔動機械の機構が施されているようで、そこから射出された鎖が複雑な軌道を描き周囲の魔獣を蹴散らす。


 さらには左手に集約させた魔素が、やがて無数の氷の粒へと形を変え、魔獣のコアを次々と撃ちぬいていく。


 予想外の速攻、一切無駄のない的確な魔法に残りの魔獣すらも怯む。


 その隙に彼女らはルイスと魔獣との間に立ち塞がり、瞬く間に防御の陣形を整えた。


 あまりに呆気なく覆される戦局、一早く我に返ったのはロベールだった。


「ぐっ……はあぁ……!」


 力が抜ける身体に鞭を入れて、同じく呆気に取られていたビルの拘束から逃れる。


「させませんよ……!」


 しかしエリックの回復もまた早いもので、肘打ちを入れて脱出するロベールを再び捕らえようと左目に魔素を込めようとしたが。


「おっと、それはこっちの台詞だぜ!」


「何です――ぐはっ!」


 未だ開いていた穴からまたしても人影が現れる。


 それは身の丈ほどもある巨大な剣を携えた赤髪の青年。

 彼は想定外の自体に狼狽え慌てて魔法を放出しようとするエリックの脳天目がけ、降下ざまに大剣を振り下ろした。


 刃を向けてはいなかったが、それでも重力を伴った鋭い落下攻撃に変わりはない。


 巧みに魔動機械を扱うエリックも、意識を保つことができずにその場に崩れ落ちた。


 こちらもまた、少女たちに負けず劣らず鮮やかな手並。


 一瞬でその沈黙を確認した青年は、なおも凍り付いた表情をしているビルへと視線を向けた。


「はっ、あんたには剣を振るうまでもねえな」


「ぐほぉっ!?」


 それから身を翻し、無防備な彼の横腹に掌底を繰り出す。


 目を見開いて苦悶の表情を浮かべるビルの手から、それまでロベールの脅威となっていた注射器が滑り落ちる。


 青年は地面に落ちたそれを足で踏みつぶすと、立ち上がるのが精一杯であるロベールへと手を差し伸べて――。


「助太刀に参ったぜ、騎士団長殿。グレン・ブラッドフォードだ」


 そうして不敵に笑う青年の姿は、ロベールに旧友の影を思い起こさせるものであった。

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