一章 第四十三話「決着・マクダウェル 中編」
魔素を取り込んで魔人になる。
ビルの申し出を拒否して、囲まれている魔獣と戦闘を繰り広げる。
どちらか一つ、悔いのない方を選べと彼は
前者の方を選んだ場合、ひとまず命だけは永らえることができるだろう。
しかし、それは命と引き換えに他の全てを捨てるに等しい選択肢である。
今までロベールがロベールとして築いてきた全てを、絆を、家族を、同朋を裏切ることになる。
そうして彼らに与し、今まで自分が守ってきたものに、今度は自分で刃を向けることになるのだ。
そんな非道、騎士としての道義に照らしても、絶対に選べるわけがない。
ならば翻って後者はどうだろうか。
ヒトとしての自身の存在を守り、この窮地に抗うという道。
それは後ろの控えるルイスを守り、十数もの魔獣と怪しい魔動機械を有するエリックと戦うということ。
ロベール一人ならばまだしも、碌に魔法を使えないルイスを守りながら遂行することは厳しいだろう。
ルイスに意識を割きすぎればロベールが魔獣の攻撃に倒れ、魔獣との戦いに手間取ればルイスが汚染されることになるのは想像に難くない。
やはりビルの言葉通り。ロベールの実力を以てしても、この場を一人で切り抜けることは不可能に等しい。
もしくはルイスを捨てて逃げ延びるという道もあるだろうが。
果たしてそうやって生き延びた先に、何が残るというのだろうか。
今この瞬間も外から断続的に来る魔獣に対処しているロベールの仲間に、ルイスに、何より自分自身に、申し訳が立たない。
とどのつまり、どちらにしろロベールは失わなければならない。諦めなければならなかった。
そして先に進むために、自ら犠牲にするものを選ばなければならない現状に、ロベールは逡巡を禁じ得なかったのだ。
「この期に及んで迷うか……思えば其方は昔からそうだったな。良くも悪くも保守的で行動を起こすのが遅い。その態度こそが、今の騎士団の混乱と街を襲う災厄を引き起こしたといっても過言ではないというのに」
「ぐ……」
「仕方のない男だ。ならば其方が憂いなく決断を下せるよう、少しだけ付け加えてやろう」
片手に持つ注射器を示しながら、ビルは低い声で誘う。
「抵抗しなければ魔人化の際の痛みはそう大きくはない。魔素を直接注入するこの方法ならそれも可能だ。また、其方ほどの力を持つヒトならば、時が経てば理性を獲得できる……彼の魔人たち、その幹部の例を見ればそれは明らかじゃろう?」
「だからと言って――」
「ああ、そこのルイスの命が心配か? 其方が大人しく従ってくれるというのなら、生かしておくことも検討するが」
「ちっ……ボクを殺そうとしておいて、よくもそんなことが……」
ルイスの悪態は尤もで、ビルの言葉には信用でき得る要素が一切感じられなかった。
全てはロベールを体よく利用するための甘言――それも全く彼の内情に沿わない的外れな言の葉。
状況が状況ならロベールも一蹴していたことだろうが。
「……ふう。しかし本当に鈍いな、ロベール・オスマン。呆れを通り越して哀れに思ってしまうほどだ。だがそれが其方の選択というのなら仕方ない――エリック、やれ」
「承知しました――」
軽やかな声とともにエリックが指を鳴らす。
その音が合図となっているのか、魔獣たちがぴくりと反応し、その内の三体が一斉にロベールらの方へと飛びかかってきた。
「ひっ……」
「ちっ――エスクード!」
複数方向からの同時攻撃。長方盾では防御しきれないという判断のもと、ロベールは土の防御魔法を円状に放出した。
兎型の魔素質を含んだ身体と魔法を形成する黄金色の魔素とが接触し、激しい音と光を散らす。
「ギイイィ……」
その強固な土の壁を突破できないと判断した魔獣は、弾かれるように身体を後方へと飛んで元の陣形へと帰っていく。
有する魔力もそうだが、その細かい判断もまた自然の魔獣と比べてかなり秀でているようだ。
この洗練された力もエリックの、アマルティアに関連する魔法の賜物だろうか。
それを直接肌で感じたロベールは苦しげに息を吐いた。
「おや、一応仕留めるつもりではあったのですが……良い反応です。ですが次もまた同じように防げますか。騎士であるあなたは、後ろの彼を放って攻めへと転じることはできないでしょうし、それでは敗れるのも時間の問題だ」
エリックの冷たい指摘は憎らしいほど綺麗に的を射ている。
魔獣による攻撃に手は抜いていなかっただろうが、彼は全ての魔獣を一斉にけしかけることはしなかった。
能力的にそれ以上多くの魔獣に司令を下すのが不可能だったのか、ロベールに対する最後通告のつもりか。
前者ならばまだ救いはあるのかもしれないが、やはりそれでも死までの時間が遠ざかるに過ぎないだろう。
あと一歩のところで生かされている現状に、ロベールはいよいよ目を伏せ――。
「……承知した、マクダウェル。いま、答えを決めた」
「オスマン騎士団長……?」
絞りだすかのような声に、ルイスが惑い、対するビルは嗤う。
その絶望に染まった面に、ビルは己が望む答えを見出したようだ。
「私は……私はその魔素を取り込み、魔人へと生まれ変わる道を選ぼう」
「騎士団長……急に何故……!」
重苦しく告げるロベールと激昂するルイスの反応は、まるで舞台の再演のよう。
その男の苦渋の決断を耳にしたビルだけが、配役を全うしない不出来な演者の如く、暗い空気を漂わせる場の中とち狂ったかのような哄笑を上げた。
「ひゃひゃひゃっ! そうか、そうか……なるか、魔人に……! ああ、実に……実に素晴らしい選択じゃなぁ……!?」
目を見開いて狂気的な笑みを浮かべる彼は、心の底から歓喜に打ち震えていて。
「屈服させた! 服従させた! 絶望させた! やった、やったぞ! 王都で指折りのこの傑物を、ついに我が支配下におけるとはなぁ! そうと決まれば、さあ……! 早くこちらへ寄るがいい……!」
「何故だ、何故なのだ! オスマン騎士団長!」
対照的な後ろからの言葉は、殊更にロベールの心を刺した。
振り返ることもせず押し黙る彼はその決意を自ら表すかのように、身を守る武装を解き始める。
「そちらへ行く前に武器はここで外す……代わりにこれをルイス殿に預けても構わぬか? 彼の安全を考慮するとは言ったが、それに関しては完全に信用することもできないのでな」
「わしが約束を反故にしたとして、その盾であやつが助かるとも思えんが……その殊勝な態度に免じる。好きにするがいい」
胸当てを脱ぎ捨てたことにより、ロベールの身を覆うのは紋章があしらわれた服のみとなった。
それから盾を両手に横たえて、ルイスへと差し出す。
「これは受け取れない! ボクには扱えない、考え直してくれ!」
「ルイス殿、申し訳ありません。私の力不足です」
「謝罪など聞きたくない! なあ、ボクだって今さら臆するなんてしない、だから今すぐ改めて――」
騒ぎ立てるルイスに、ロベールは有無を言わさず自身の長方盾を押し付けた。
「うぐ……こ、これは……?」
「確かに預けましたよ、ルイス殿。どうか、気を強く持ってください――それだけでよいですから」
口を引き結ぶルイスに宥めるような言葉だけを残し、ロベールは丸腰でビルの方へと歩み寄る。
絶好の得物を意のままに従わせたことによる快感が抜けきらないのか、ビルは恍惚とした表情で両手を広げて歓迎の構えを見せた。
「注射するのは頸部だ、騎士団長。それが最も傷をつけることなく確実に魔人化に至らしめる方法なのでな。そのままわしの方へ寄り、後ろを向いて安静にしておれ」
沈黙を貫き、ひたすら命令に従うロベール。
その表情は強張り、眼差しはまるで人を射殺すが如く鋭い。
ロベールとて服従することは本意ではない。その内に渦巻くのは絶望や諦念の他に、悔恨や憤怒もあるのだろうが。
しかし彼のその一切を押し殺した態度にビルは気付かない。浮かれた様子で注射器を構え、それをロベールへと向ける。
「ふん、これまで慎重に策を練って、機を窺ってきたが……実行に移してみればなんともあっけないものじゃなぁ。だが十五年前の事件以来すっかり腑抜けてしまったオルレーヌの現状を思えば、わしが動かずとも遅かれ早かれこうなっていたことか」
「……マクダウェル、最後に一ついいだろうか」
「なんじゃ、最後とは。魔人になっても死にはしないというのに」
ロベールの言葉を鼻で笑い、それから「続けろ」とビルが短く促す。
「貴方はどうしてアマルティアと手を組んだのか。貴方自身が汚染を受けていないということは、対等な契約関係ということか?」
「はっ、そのことか……」
数瞬の間をおいて、ビルは歓迎の意を込めた穏やかな口調で語り始めた。
「単純な話だ。もともと強い方、安全な方へとつくのがわしのやり方なのは其方も知っていることだろう。そしてこの数年で力を増した彼らの存在と、守りを固める王国への侵攻を手間取っていたというその内情を、ありがたく利用させてもらったまで……これより詳しいことが知りたければ、事が済んでから直接彼らに尋ねるのだな」
「……そうか。ならばそうさせてもらおう」
会話を打ち切り、翻ったロベールの先には、ルイスが地面に盾を立てて身を隠そうとしていた。
その様子を見てロベールは大きく息を吐いて目を閉じる。その姿は何か意識を集中しているようにも、まるで六大精霊に祈る敬虔な六霊教信徒のようにも見えた。
ビルは佇むロベールのもとへと徐に足を伸ばし、やがて互いに触れられる位置にまで両者の距離が近づく。
そして彼の持つ注射器の内にある魔素はなおも黒い輝きを放ち、その光はリーベを汚染するという魔物が持つ本能を代弁しているかのよう。
「では……今ここに、哀れな騎士団長との別離と、新たな魔人の誕生を――」
「――少々お待ちください、ご主人様」
一瞬のあとには、ビルがその冷ややかな針をロベールの肌へ宛がい、その存在を根本から変質させてしまう、そんな時であった。
その決定的な動きを止めたのは、あろうことかそれまでビルに付き従っていたはずの部下であるエリックであった。
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