一章 第四十二話「決着・マクダウェル 前編」
平時は冷静を心掛けているロベールの、滅多にない激昂。
鋭く刺すその糾弾を、十数もの魔獣を従えた金髪の老父――ビル・マクダウェルは涼やかに受け流す。
その面に、狂気的な微笑みを貼り付けながら。
「魔獣を生み出す、か。なるほど……わしらが残してやった痕跡を丁寧に拾い上げてくれたようで光栄じゃな。紅炎騎士が来るか、月影が来るか……予想は様々だったが、よもや王国騎士団長殿が直々に訪ねてくるとは」
「質問に答えてくれと――」
「……逸るなよ、小僧。この魔獣の群れを見ないか。いくら其方であっても、足手まといを抱えていてはこの場を切り抜けることはできまいよ」
脅し文句とともにビルが一歩後ろのエリックに合図を送ると、エリックが徐に右腕を高く上げた。
それに呼応し、まちまちに鳴き始める魔獣に、ロベールは苦しげに威勢を収めるしかできなかった。
ビルのいう通り、こうしてルイスと共に囲まれてしまえば、ロベールとて迂闊に行動はできない。
彼が一人なら逃げおおせることもできようが、その場合この哀れな青年の命を、今度こそ失ってしまうだろう。
一度救った命をみすみす見放すなど、騎士団長としてあるまじき行為だ。
幸いにして、彼は魔獣を侍らせてはいるが何やら機を窺っている様子で仕掛けてくる素振りを未だ見せない。
ならばここで積極的な行動は控えるべきだろう。後ろで呆然とするルイスを目線で励ましつつ、今は耐えることを選択した。その果てに活路を見出せると信じて。
「話が早くて助かるな。流石はオルレーヌきっての武人じゃ」
「ええ、全く。私の記憶介入すらも受け付けてくれないようですよ」
嫌味にしか聞こえない賞賛に、徐に眼鏡を外したエリックが頷く。
細く切れ込んだ目尻は怜悧な印象を主張し、褐色の虹彩にはこちらの勝手を許さない力強さが備わっている。
「……っ」
未だ力の入り切っていない脚で後ろに立つルイスが、その露わになった目元を見て息を呑む。
彼の視線はもちろん、切れ長の目尻に褐色の光彩を光らせるエリックの右目には向いていなかった。
その眼差しは、件の右目とは対称の位置に埋め込まれた、薄く潰された円形の、禍々しい緑光を放つ異物に対して注がれている。
位置を考えるならば眼球に分類される器官なのだろうが。
本来ならば眼に備わっているはずの虹彩も、瞳孔も、何一つ見えずにただただ単色の光のみを発するその『左目』は、どう繕ってもヒトの、リーベが有する器官には見えなくて。
端的に言ってしまえば、イブリスの持つそれに酷似していたのだった。
「そうだ、あの眼だ……! 思い出したぞ、エリック……!」
「おや、その様子……どうやら夢から醒めてしまわれたようだ。何も知らずに私の支配下にいれば、私の声に耳を傾けていれば、辛い思いをされることもなかったでしょうに……ねえ、ルイス坊ちゃん?」
「その名でボクを呼ぶなぁっ! お前如きが――」
気勢を上げて前へ歩を進めるルイスを、ロベールが先んじて腕で制する。
あからさまの挑発に乗って陣形を崩してしまえば、いよいよ取り返しがつかなくなるだろう。その身を後ろへと隠し、ロベールは舌打ちする。
「しかし、その禍々しい光の眼……さては義眼型の魔動機械か? いやしかし、そこまで強力な魔法を放出できるものなど騎士団にも……そもそも記憶に干渉するほどの力をを有したものなど、現代の魔動機械学の技術では有り得ないはずだが……?」
魔法の強大さからも、眼窩と一体となったその悍ましい様式から考えても、その魔動機械はロベールの持つ知識を遥かに超える代物であった。
口ぶりからして、術者の都合のいいように他者の認識を阻害し、恣意的に誘導させる能力。
現実から切り離された夢の中であるかのように、その意識は現実に対する効力を失う。
そうして体のいい傀儡は完成し、ここまで場を掻き乱すに至ったということなのだろう。
間違いなくそれは脅威と言える。だが、今更になってその力の実体を明らかにする必要などどこにあるのだろうか。
エリックの様子を見る限り、ロベールらを洗脳するつもりもない。
まるで、情報を与えること自体に目的があるような――。
「ひひ……随分と頭を悩ませているようじゃな、オスマン騎士団長。そう急かずともよいではないか……」
下卑た笑みを浮かべるビルは、明らかにこの状況を愉しんでいる。
まさかこのままこちらを揶揄い続けるだけで何も行動に移さないというのか。それともロベールの力を恐れ、煙に巻いた態度をとることで彼をこの場に縛り付けようという算段か。
いずれにしろロベールにとっては不都合なことだが、やはり魔獣に囲まれたこの状況を打破する術は見つからない。
焦燥に耐えるロベールに、ビルは一転してその不快な笑みを消した。
「まあ、戯れはこの辺りにしておこうか。先日の騎士団編成に関する議会で、其方に散々横やりを入れられたことに対する意趣返しだとでも思ってくれ」
耳障りな高音から、肝を冷やすような低音。ビルの纏う空気が一段と暗くなったのを感じた。
「これで全ては帳消し。将来の同志に対しての不要な反感は、あらかじめ消しておかねば、なぁ?」
「将来の、同志だと……? 何を言っているのだ、マクダウェル!」
気味悪く、馴れ馴れしいその態度に、ロベールは叩きつけるように叫ぶ。
向けられる感情も、言葉の意味も、到底受容できるものではなかった。
「ああ……済まない。頑固で保守的な其方には、多義的な物言いは良くなかったようじゃな」
憐み、嘲り、様々に表情を変えるビルは、やがて歯の根が浮き出るほどの凄絶な笑みを浮かべて告げる。
「これから其方には、ヒトとしての生を捨て去ってもらう。そうして其方はわしらと……彼らと共に、圧倒的な力で他を征服する道を行くのだ。新たに生まれ変わった魔人としてな……!」
再びもたらされた言葉は、ロベールの憤慨を一瞬吹き飛ばすほどに突飛で、それでいて恐ろしい事実を示唆していた。
ヒトの生を捨てる。魔人として生まれ変わる。
それだけを考えれば、この場にいる魔獣に襲わせて汚染してやるという単なる脅し文句にも受け取ることもできるかもしれない。
しかし『新たな同志』という言葉、この場に従わせている魔獣の存在、エリックの持つ魔動機械、そして「あの男が辿った末路」を考えれば、やはりそれは希望的観測にすぎなかった。
さらにロベールが先刻尋ねたあの質問。なぜビルが魔獣を生み出しているかという疑問も、これで半分は示されたようなものだった。
「まさか、本当の事だとは信じたくなかったが……、やはり貴方がアマルティアと……」
ロベールがその名を口にした瞬間、背後のルイスは息を呑み、対するビルとエリックは満ち足りたような表情を浮かべた。
「彼らの力は素晴らしい……おかげで魔獣を服従させ、人の行動を意のままに操り、この国の愚かなる権力者どもを出し抜くことができた。いとも容易く、いとも屈辱的に。ああ……何たる全能感、何たる至福か……!」
嬉々として語られる言葉はあらゆる侮辱に富んでいて。
ロベールは我を忘れて彼に掴みかかりそうになった。
だがその前に、危うく選択を誤る前に。
「ふざけるなっ! それが、それが貴様の望みだというのか!? そんなもののためにアイツを……レイモンドの命を弄んだっていうのか……!」
乱暴な言葉が耳をうち、視界の縁で金色がふわりと揺れた。
ロベールの横では一歩前へと踏み出したルイスが、この上ない憎悪と侮蔑を実の父へと向けていた。
「ほう?」
しかしそんな息子の真剣さも、狂気に堕ちたビルには届かないというのだろうか。
彼の激昂を気にも留めないその態度は、それまで彼の存在をまるで忘れていたのかとさえ勘ぐってしまうほどに冷たい。
「……ルイス。まさか未だ生きているとは……どうやら折角こしらえた墓も無駄だったようだな」
「ええ。用が済んだ駒を一気に片付ける、素晴らしい策だと思ったのですが。彼に対してもそう。一方的に立場を借りることになった分、代わりの役割を与えてやったというのに……使えない。やはり魔人としての資質は、オリジナルの人物の能力に大きく左右されるらしい」
「ぐっ……なぜ、そんな……」
一切の淀みなく流れる下衆な発言の数々。
人情は捨て去り、闇に堕ちたその姿は、もはやロベールに僅かな怒りすらもたらさなかった。
放心の中、思考だけがひとりでに巡る。
ビルが変わってしまったのは、一体いつからなのだろうか。
昔から欲深い一面がありはしたが、大胆な立ち回りをする胆力もない小心者であった。
決して良い性格だと褒められる男ではなかったが、良くも悪くも平和を重んじるその考えだけは、ロベールも信頼を置いていたというのに。
その彼がどうしてここまで。見知らぬ魔動機械を有し、家族を切り捨て、民を死に追いやる外道へと成り下がってしまったのか。
振り返ってみれば、先月末の王都での魔人騒動、それに対する議会での彼は、平時よりも傲慢な物言いが目立っていたような印象がある。
先刻ロベールが彼の書斎で発見した書類から見ても、その辺りから今日のこの事件を予期、乃至そうなるように裏から操っていたのだろう。
やはり問題はどのように彼奴らと接触したかだが、もはや悠長に場を見定めている時間は残されていないようだった。
「エリック」
「は――」
一変して厳かな態度で頷き合う二人に、ロベールは身に纏わりつく緊張を思い出す。
エリックは懐から取り出したものを、恭しくビルへと差しだした。
目を見張りその正体を探ろうとするも、生憎と小さすぎて正確な判断はできない。
苛立たしげに呻くロベールに、ビルは大きく笑って一歩前に足を踏み出した。
件のものがよく見えるように、手を前方に掲げて。
「さて、話に付き合うのはここまでじゃ。遅くなったが、これでようやく其方に『洗礼』を与えられる」
ビルの右手で透明に光るのは、細長い容器だった。
片手で構えるその先端にはさらに細く、長い針が生えており、その反対の指が宛がわれた部分には、押下するための突起が備えつけられている。
長い針が少しだけ攻撃的に映る以外は、何の変哲もない注射器だ。
しかし、それはあくまでも注射器に関しての話に限る。
魔獣で囲み、ロベールらが下手に行動できないのをいいことに、ビルが注射器を片手に近づいてくる。
そして透き通る容器の中にあるものも、次第に肉眼で見て取れるようになる。
「……それ、は」
それは黒く、淡い光を放つ粒子だった。
粒子は透明な水か何かと入れられているようで、歩くビルの動きに揺られて液体と共にうねるような動きを見せていた。
「ふむ、この距離でも見えるか。流石の魔素感覚じゃな、騎士団長。そこまで類まれな力を見せつけられると、期待で胸が裂けそうじゃよ」
「魔素感覚……? ボクの目には何も見えないが……」
賞賛するビル、困惑するルイス。二つの反応は異なる視点から一つの事実を浮かびあがらせる。
怪しく輝く粒子の正体が魔素であること。
そしてその事実は、さらなる狂気的な意味を持っている。そんなロベールの予感と共に――。
「さあ、ロベール・オスマン。選択の時だ。この魔素を取り込み魔人へとなるか、それとも虚しい抗いの果てにその生を無残に散らすか……せいぜい悔いのない方を選ぶんじゃな」
ロベールとの距離をあと数歩の距離までに縮めてビルが突きつけたのは、リーベにとって、理性あるヒトにとって、限りなく屈辱的で、冒涜的な二者択一であった。
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