一章 第三十四話「紅炎騎士の述懐 前編」
「その眼差し……少しは慎み深くなったようではないか、
犬型魔獣と対峙するグレンの横に、ヴォルフガングが悠然と並び立つ。
先ほどのグレンの派手な立ち回りの最中、逃げ遅れた少女を安全な路地裏へと匿った彼が構えるは、赤い剣身に金の装飾が映える荘厳な大剣。
グレンの得物と同じく、火の魔素を含んだ
初代オルレーヌ王の右腕にして、建国時この地域一帯に蔓延っていた魔獣を殲滅した無双の戦士、ヴィンセント。
後にブラッドフォードの姓と
全てを守護する
かつてのグレンにとっては、己の身を賭して尊い民を守るという、憧れた理想の騎士像を象徴する剣でもあった。
「ふん……アンタこそこんな犬っころに手間取るなんて、事務仕事で身体が鈍ったんじゃねえのか? それとももう歳かよ?」
「はっはっは! 抜かせ、おれは落ちぶれてなどないわ。原因があるとすれば、おまえが出て行ってくれたおかげで忙しない日々を送っていたせいだろうよ」
「そうか、そりゃ悪かったなあ……! だったら、オレが魔獣を狩るのを黙ってみてろっ!」
数年ぶりに顔を合わせて言葉を交わしたというのに、流れる言葉は淀みない。
先ほど囲まれていたのを心配していたのが馬鹿らしくなるほどの減らず口に鼻を鳴らし、グレンは握る銃大剣へと意識を持っていくと柄に魔素を込める。
目前では犬型がこちらに飛びかかってきていたのだ。
その爪がグレンに届く寸前、身体を捻ってこれを回避。攻撃を外して空中で隙を曝すその魔獣の、
強化された斬撃は容易くその首を断ち切るが、後続の魔獣も決して止まっているわけではない。
その攻撃の隙を突こうと一斉に襲いかかってくる。重たい大剣を振りぬいたばかりの確かな硬直、防ぐことができないタイミング。
一見して、ヴォルフガングとの戦闘で蓄積した経験に基づいた、有効な手だと思われるだろうが、やはり所詮はたかが獣の浅知恵であった。
「させんぞ!」
大剣を横に構え、犬型の攻撃を防ぐヴォルフガング。三連に並んだそれは剣身に頭突きを繰り出し、無理やりに突破しようと試みるが。
「はあっ!」
左手でも剣の先の方を押さえ、凄まじい
そしてそれを逃すヴォルフガングではない。抜け目ない彼は、隆々とした体躯とは似つかぬ跳躍力を発揮し魔獣との距離を詰めると、首のコアを立て続けに三つ斬り飛ばす。
脚の支えのない空中で振るわれたとは思えないほどの力強い斬撃は、魔獣の首元に絶望的ともいえる傷跡を残した。
そして活動を停止した
十体以上いたはずの魔獣は気付けば、奥で様子を窺っていた二体の兎型魔獣を残すのみとなった。
「ギ、ギギ……!」
己の不利を悟ったか、戦闘の意志を見せずに後退を図る兎型。
身をよじり奥の通りを行こうとする彼奴らを目に、グレンとヴォルフガングは目を見合わせて頷く。
姿勢を低くして地を蹴って逃げる兎を追う。脱兎を動作の素早いことにたとえるスパニオの言葉もあるそうだが、今の二人の前ではその意味も成さなかった。
グレンが右の、ヴォルフガングが左の魔獣の逃げ道を塞ぎ、その小さな額に埋まるコアを叩き潰したのはほぼ同時の事だった。
二人とも火の魔法を得意とする魔法士であるゆえ、強化の魔法を用いたその手並は大層鮮やかなものだった。
寸分の狂いもなく振り下ろされた斬撃が、見事にコアの中心部を割っていた。
息を吸って吐く間に等しい、極めて短い時間の共闘。
辺りを見回し、群れの殲滅を注意深く確認するグレン。
すぐに残党の姿はどこにもないと理解できたが、それすらも終えるといよいよ気まずくなってきたようで、今度は意味もなく周囲に視線を彷徨わせ始めた。
急を要する戦いは一先ず終わった。
そしてこの場にはグレンとヴォルフガングの二人のみ。
もちろん当初の目的を忘れたわけではない。ここの魔獣は一掃したとはいえ、未だミクシリアは戦いの渦の中にあるのだ。
一刻も早く事態の収拾に向けて行動を再開させるべきなのだが。
「クソ……」
成り行きとはいえ長い時を経て再会した養父を置いて、このまま何も言わずに行くのも如何なものか。かつては微塵も感じたことのない後ろ髪を引かれる思いに、グレンは戸惑う。
確かに自分から飛び出していったのだが、旅を経験した今となっては反抗心以外にも彼に対して思う部分はあった。
ならば一言でも、謝意を述べるべきではなかろうか。それがたとえ遅すぎる後悔によるものだとしても。
しかし。先ほどは魔獣への怒りで昂っていたから軽口を叩けたものの、いざこうして真剣に切り出すとなるとどうにも勝手が分からない。
そもそも王都に来たのもエルキュールに協力するために過ぎず、家を訪れる気などさらさらなかったのだ。
「あー……その、なんつーか……」
心構えも何もあるはずがなく、ほとほと困り果てたグレンにできたのは、無造作に髪を掻いて曖昧な言葉を発することだけだった。
この期に及んで何を口にすればいいのか悩むグレンだったが――
「七年ぶりほどだったか、グレン? ふむ……なるほどな。改めて見れば、中々どうして顔つきも精悍になり、勇ましくなったではないか。『男子三日会わざれば』とロベールやオーウェンが頻りに口にしていたが、ようやく腑に落ちた心地だ。あっはっはっは!」
「…………は?」
予想外な気安い調子に、否――それすらも通り過ぎたあまりの軽さに、そんな殊勝な思考が容易に凍り付く。
長らく家を空けた不義理を咎めるでもなく、魔獣との戦闘での助太刀を感謝するでもない、彼の口から飛び出たそれはただグレンの成長を称える言葉であった。
「なんで、だ……」
意味が分からなかった。
どうして今になってそんな言葉を吐けるのか不思議でたまらない。
災禍に飲まれる現状と過去の遺恨とを考えれば、お気楽にも程があるはずだ。
堪らずたじろぐグレンに、ヴォルフガングはお道化た口調で続ける。
「うむ……? なんだ、その呆けた顔は。あれだけおれに罵詈雑言を浴びせて飛び出していった愚息にかける言葉としては、この上ないほど優しいものだと思うのだが?」
「…………」
知らずに止まっていた息を、わざとらしく吐き出す。それは何か口気とは別のものさえも外に出してしまったかのようで。
グレンはそっと視線を下げる。両者の足元に忘れ去られていた、粉々にひび割れた路面のみがその視界に映った。
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