一章 第三十三話「断罪の焔」

『――とのことですので、グレン殿も魔物の対処を終えたらマクダウェル邸に向かってくださいませんか。中央区と北東区の境にある大きな建物がそれです。また、敵の動きには惑わすような動きが多く、その隙に乗じて何か良からぬことを企んでいるかもしれない……というのがナタリアさんたちからの警告です。ロベール騎士団長も既に向かっているとのことですが、グレン殿も十分に警戒しながら当たってください! では!』


 言いたいことだけを言って早々に切られた騎士からの通信。

 渋面をつくったグレンは、用の済んだ通信機を無造作に懐に仕舞う。


「……言われなくても、やってやるつーの」


 一瞬だけ毒づき、すぐさま言われた地点へと向かうグレン。

 それでもその表情には、微かな躊躇が浮かんでいた。



 エルキュールが飛び出していってからのことだ。ジェナとロレッタと別れたグレンは元居た南東区を北上し、騎士団本部が位置する北東区を目指していた。


 騎士たちにとっての総本山であり、数多くの貴族の邸宅が立ち並ぶこの地にも、やはり魔獣に荒らされている痕跡は至るところに見られた。


 それは戦闘の余波で倒壊した建物。それは急な襲撃で身動きが取れなくなった住民。それは魔物によって地に伏し、汚染されてしまった同朋。


 周辺のデュランダル構成員や騎士連中とも連携を取れたこともあって、対処するのにはそこまで手間はかからなかった。

 しかしそれでも、最後の汚染問題に関してだけは、熟練した腕を持つグレンであっても度々憂鬱な気分にさせられた。


 魔物を駆逐することも勿論のことだが、時には汚染を受けて体組織が浸食された者を、微かに人間としての意識が残っている者を、この手で葬らなければならない場合もある。


 現状、魔物による汚染を回復できる手段は確立されていない。汚染源から侵入した魔素が体組織を侵していくのを止めるのは、例え優れた魔術師であっても不可能な芸当だ。


 魔素を操る専門家も、生物の身体ほど複雑な魔素の集合に介入する術までは持たない。


 故に二次被害を防ぐため、その浸食の過程に進行してしまった汚染者を、完全なイブリスへとなる前であっても排除を認めるという、国際的な取り決めさえあるのだ。


「本当に、嫌になっちまうぜ」


 ヌールに続いて二度目になる『仕事』に、再度暗い呟きが漏れる。


 しかし――。


「これも贖罪しょくざいだ。気合を入れろ、グレン・ブラッドフォード」


 在りし日の華やかさを失った街並みを駆けるグレンの脚が、一層その勢いを増す。


 吐いた弱音を毅然と切り捨てるように、あるいは心によどむ妄念から逃げるように。




◇◆◇




 目的地であるマクダウェル邸までの道程を半分切ったころ。

 突如として、空気を切るような鋭い音と大地を震わす爆発音が聞こえ、それまで街中を走っていたグレンの顔にも警戒の色が宿った。


 足を止め、すぐに周囲の魔素を探る。

 魔獣の持つ魔素や、魔法の残滓ざんしを見つけるには、こうして魔素感覚を研ぎ澄ますのが最も有効であるのだが。


「――って、エルキュールやジェナのようにはいかねえか。クソ、とにかく音の方角を目指すしかねえな」


 こういう時には己の才のなさを嘆きたくなるグレンだったが、逡巡する間もなく手段を切り替える。


 音の出どころはグレンから見て右方向、目的のマクダウェル邸からは少し逸れた所にある。


「流石にこっちのが急を要するか……」


 事態の真相を解明するのも大事だが、それは街と民の安全を前提に行われるべきこと。

 あの音が魔獣に関連している可能性がある以上、グレンの為すべきことは一つに限られていた。


 通りを右に曲がり、直進する。その間にも音は断続していた。やがてその大きさは進むごとに強まり、立ち並ぶ住宅に付けられていた傷が深くなっていく。


 間違いなくこの近くで戦闘があった、ないし今も続いていることの証左。

 不穏が突き進むグレンをより駆り立てる。


「それに、それにこの場所は……」


 不意にグレンの眉が不快感に歪み、それと同時にある記憶が脳内に再生される。


 等間隔に置かれた街路樹が彩る通り。立ち並ぶ建物の位置関係。王都の街の外観では比較的珍しい、赤煉瓦を建材とした街並み。


 荒らされた今となっては記憶に残る影との相違が残酷に映ってしまうが、ここはかつてグレンが過ごしていたブラッドフォード邸の近辺で間違いなかった。


「こんな形で帰省する羽目になんのかよ、ふざけやがって……!」


 視界の端に映る一際大きな屋敷、その方角から件の音を聞いたグレンは一目散に駆ける。


 地面に散乱する砂利を避け、辿り着いたその先で――。


「な……」


 グレンは見た。


 一つは、通りの中央に立つある一人の男の背。


 その赤黒い騎士装束は、恰幅のいい身体と嫌味なくらい似合っていて。

 その燃え盛る焔のような赤髪は、ありもしない血の繋がりを想起させ、しばしばグレンの不快感を煽ったもので。

 その両の手に構える煌びやかな大剣は、在りし日の稽古では何度やっても届かなかった目標で。


 何の巡り合わせか、今グレンの目の前にあるのは、オルレーヌ王とも関係が深い偉大なる紅炎騎士の一族にして、王国で指折りの貴族であるブラッドフォード家の現当主。そして彼にとっては多大なる恩義と不満を抱いてきた養父でもある、ヴォルフガング・ブラッドフォードその人であった。


 家を出奔してから実に七年ぶりとなる邂逅に息が詰まるが、そんなことに感慨を覚える暇すらなかった。


 ヴォルフガングを囲む無数の黒い影である。地上に立つもの、空に浮かぶもの、形態は様々であるがそのどれもが忌々しい魔素質の体表面を覗かせている。


 醜悪な見た目のそれは不出来な連携で以て、中心に立つヴォルフガングを攻め立てている。その動きは何ともお粗末ではあるのだが、やはり問題はその数だ。

 たとえヴォルフガングほどの実力者であっても、十を超える魔獣に囲まれては劣勢も止む無しであるようで、動きが重い大剣も相まって明らかに手数で押し負けている様子。


 そして止めと言わんばかりにあるのが、彼の足元で身を縮こませている少女の姿。


 ヴォルフガングの動きがどこかぎこちなく見えたのは、その少女を守りながら立ち回っているからなのだろう。


 グレンの懸念どおりに、犬型の突進を剣で防いだヴォルフガングの重心がついによろめいた。


「ちっ――」


 このままでは、確実にやられてしまう。魔素を全身に纏わせるオーラによる防御でも、直に耐えきれず被弾を許し、やがてその身体は汚染を受けるだろう。


 そうすれば必然、彼をオリジナルとした魔人が誕生することになる。

 父であり、王都でも名の知れた傑物。今ではかつてグレンが絶望した騎士職の闇を払わんと尽力している革命家である。


 そんな大物が今、魔獣の毒牙に掛かろうとしている。

 少年の頃のグレンがどうやっても超えられなかった彼が。憎らしくも偉大な背を見せ続けてくれた彼が。


 たかだか魔獣ごときに屈しようとしている。


 そのことを認識した瞬間、グレンの中で何か熱いものが弾けたような感覚が生じた。


 痛心、憤怒、使命感。諸々が複雑に絡み合った感情を乗せ、グレンは声が割れんばかりに叫んだ。


「伏せろぉ!! 親父ーーっ!!」


「――――!」


 瞬間、よろめいていたヴォルフガングの胴体がその芯を取り戻したかのように制止する。

 そのまま彼はグレンの忠告通り、片腕で少女の身体を庇い身を屈めた。


 何か声を発したようにも思える。顔は窺い知れないが、グレンには彼が笑ったように感じられた。


「であああぁぁぁぁ!!」


 裂帛の気合と共に銃大剣に魔素を込めると上段に構える。剣に刻まれた術式が発動し、刃に紅蓮が宿った。


 燃え盛るような赤光を帯びたその剣身を思い切り横に振りぬくと、半円状の斬撃波が水平に飛んでいく。


「グアァァッ!?」


 空気すら切り裂くと見紛うほど鋭く放たれた烈炎は、ヴォルフガングらの頭上を通り過ぎ、経路上にいた魔物を纏めて吹き飛ばした。


 もちろん並外れた回復力を持つ魔物を、これだけで滅ぼせるなどと自惚れてはいない。

 畳みかけるように魔素を使役し、強化魔法・エンハンスを両脚に付与。一時的に得た絶大な瞬発力で手前の方の鳥型に飛びかかり、その羽に組み込まれているコアを破壊する。


 そしてその勢いを殺さずに、グレンは奥の犬型とヴォルフガングとの間まで躍り出ると、未だ熱を帯びる銃大剣の切っ先を前方に突きつけた。


「……あの時アイツが怒ってた理由、ようやく身に沁みて分かったぜ。そりゃ頭にきて当然だよなぁ……? 目の前で大切なモンを好き勝手弄ばれて、黙ってられるわけねえだろうが!!」


 久しく忘れていた本当の怒り、湧きたつような感情。

 上辺だけの義憤に留まらない灼熱が、ねめるグレンの瞳に宿っていた。


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