一章 第三十二話「いとけなきハルピュイア 後編」

「騎士団所属ですって? 貴女が? 冗談でしょう」


 まるで突風のように目の前に現れた少女、ナタリアに向けられるロレッタの視線は疑念に満ちたものであった。


 白銀の胸当てと最低限の武装。恐らく羽の付いた鳥人種である彼女専用のものであろうその恰好は、他の騎士と似ていることは確かなのだが。


 問題はそこではない。


 華奢なジェナよりもなお小さい体躯。丸っこい瞳。短い頭髪とお揃いの、薄桃に色づいた白く可愛らしい翼。大層な肩書を名乗るその顔は、まるで玩具を自慢する子供のよう。


 どれだけ譲歩してもせいぜい十二、三歳といった容姿のナタリアを前に、ロレッタは助けを求めるような心地で隣に控えるジェナを見やった。


 彼女ならば上手く対処してくれるだろう、そんなことを考えての行動だったが――。


「あはは……まあ見た目は凄く可愛いし驚くのも仕方ないけど、それだけで全部を判断しちゃダメだよロレッタちゃん」

「な、なんですって、貴女さっき――」


 予想外に、窘める口調。ロレッタは思わず声を荒げそうになる。

 先ほどの顔を見合わせたとき、てっきり彼女も同じような心情だと察していたが、これではまるで裏切られたような格好である。


 当のジェナはロレッタからの不平を尻目に、膝を折ってナタリアとの目線を合わせると申し訳なさそうに眉を下げた。


「あの、魔法の件は本当にごめんなさいナタリアさん。私、ずっとあなたのことを魔獣だと勘違いしていたみたいで……」

「もうよかですよー、ちょびっと驚かそう思っとっただけやけん。いっちょん怒ってなか」

「……? ならよかった、です? あの、ところでナタリアさん。あなたは凄く変わった話し方をしていますし、見た目もその……まあ、それはともかく。私たちの名前を知っているということは、本当に騎士の人……いえ、亜人なんですよね……?」


 朗らかに返すナタリアと異なり、その独特な口調を前に未だ距離感を掴みかねているのか、それとも彼女の素性を信じ切れていないのか、ジェナの話しぶりはいつになくたどたどしい。


 それでも精一杯情報を整理して、真摯に対応する彼女の態度はナタリアの心にも響いたのだろう。


 ナタリアは苦笑しながら頷いた。


「ほんなごとばい。亜人は人間に比べて若く見えるけん、無理ないっちゃ――こほん、無理ないですけど」


 自身の話し方に慣れていないようで、ナタリアは気まずそうに言葉を切る。「何となく分かるので、話しやすいほうでいいですよっ!」とジェナが気遣い、彼女は恥ずかしそうに礼を言う。ロレッタは直してもらった方がありがたいと考えたが、未だ彼女を疑っている身であるので異を唱えることはしなかった。


 それに無駄に時間を費やすより、単刀直入に話をする方がロレッタの好みであった。


「ふう、それで貴女が騎士団所属だとして、私たちにちょっかいをかけている暇があるのかしら。魔獣の勢いは一旦収まったとはいえ、今なお危機は続いているのよ?」


 それまで半ば置いてかれていたロレッタが口を開いたことによって、残る二人の視線がその方へと向く。


 宥めるような目線と、興味深そうに細められる視線。

 後者の方は、その幼い容姿とは裏腹に、内に抱える少しばかりの侮蔑までもが見透かされているような気がして、好かない感じであったが。


「ありゃ、これはこれは。噂の教会のシスターしゃんはばりきつかねぇ」

「噂って何よ?」

「あのアレクセイ大司教のお膝元で好き勝手なす、へんちくりんのシスターっちゃんね? 最近ではブラッドフォードの坊ちゃんとおんなじくらい騎士団の中では名が知れてるっちゃよ」

「……彼と並べられるなんてこの上なく不快だけれど。いいわ、その口ぶり……どうやら本物のようだし。はあ、疑って悪かったわよ」


 肩を竦めるロレッタに、「そんならよかばい」とナタリアがしてやったりと笑う。

 見た目とは裏腹に彼女はかなり頭が回るようで、疑う余地もない言い回しにむしろ感心するほどだった。


「――で、ウチがここにおる理由ですね? それはもちろん、あんたたちに言いたかことがあるけん……です」

「言いたいこと……もしかしてこの襲撃の件で何か分かったんですか?」

「そうやね。暫く空から見とって分かったことばい。なしてか分からんけど、魔獣の動きがぼんぼん収まってるんです。やけん、この隙に街の守りば固めたか思って。まずそれが一つ目っちゃね」

「一つ目、ね……」


 癖のある口調をなんとか咀嚼し、ロレッタは呟く。


 その理由が非常に解せないところだが、魔獣の動きが収まっているというのは、事実ではあるとロレッタも感じていた。


 襲撃が始まった時は阿鼻叫喚であった街中も、今では幾分か落ち着いている。

 このことはもちろん、対処が遅れたことで犠牲者を出してしまったというのも関係しているだろうが、暴れまわる魔物どもを駆逐してきた証左だとも捉えられるだろう。


 確実に、その数は減らしている。

 ただそう考えると、一つ無視できない問題が生じてきてしまう。


「でも、やっぱり変だよ。本当にこれだけが狙いなのかな……街の人を汚染するなら魔獣を小出しにするのも、記憶を操ることもちょっとやり過ぎな感じがする」

「前者はともかく、後者はそれなりに上手い手だったと思うけれど。私たちだけでなく、ここに本部を構える騎士団やデュランダルまでも後手に回らせたのだから」


 暗に非難を込めてナタリアの方を見れば、彼女は露骨に溜息をつく。


「――それも、二つ目に関係しているたい」


 それまでの高い声色から、一つ落ちた暗い調子。

 ナタリアの丸っこい目の先では、到着した騎士たちが慌ただしく往来を動き回っている。

 彼女の命令で街の被害状況や魔獣の討伐状況などを共有するほか、散乱した瓦礫や避難を終えた住民への支援などが行われているのだが――。


 そのどれもが、どこか連携がぎこちなく、統一的でないように見えた。


 再度溜息を吐き、ナタリアはぽつぽつと語り始めた。


「記憶んこつは騎士団の仲間もやられとったね。いっちょん言うこと聞かんけん、ほんとに困ったです。やけん、ダーリ――団長と他のちゃんとしてるもんで急いて原因ば調べよーってなったです。したら……」

「そしたら……?」

「ミクシリアの外で……ついさっき見つけたとよ」

「見つけたって……何をかしら?」


 遠回しに進む話に痺れを切らしたロレッタが口を挟むと、ナタリアの瞳が一際大きく揺れる。


 それは抵抗か、はたまた後悔を孕んでいるようにロレッタに映った。


「……おったのはずーっと行方不明になっとったヌール伯たい。騎士団、デュランダル、それとあのエルキュールしゃんも捜しとったという。ばってん、ウチらが見つけたんは……もう死んでしもうた彼の姿でしたけど」


「……え?」

「そんな……」


 流れる川がせき止められたかのような唐突な空白。

 遅れて二つの口から出てきた、頼りない呟き。


 死、ヌール伯。その二つがようやく頭の中で結びつき、ロレッタはナタリアに詰め寄った。


「死因は!? まさか魔獣にやられたわけではないのでしょう!?」

「……そうやね、胸ばナイフかなんかで刺されとるような傷があったとですね。あんまし時間も経ってなかようでした」

「え、ナタリアさん……その、遺体はさっき発見したって言ってましたけど。ということは――」

「犯人はこの街の近くにいた人物、かつ犯行は襲撃と同時期であった可能性が高い……」


 そして、行方を眩ませていたヌール伯が最後に出会っていたのがあのルイス・マクダウェルだという情報。

 彼と共にいたエリックが、件の記憶改ざんに関わっているという仮説。その記憶を操る異能はヌール騎士を不当に移動させ、ミクシリアの守りまでを崩した。


 それだけに及ばず、マクダウェルの当主であるビルは、先日の王国議会でこの騎士の移動について示唆していたという。


 状況の全てはただ一方向のみを指し示しており、事件の諸々の真相を明かす鍵もまた、そこにあると考えられる。


「あの、このことはもう他の人たちにも……?」

「うん、今動いている騎士にはもう伝えちゃる。他の人たちにもすぐ言うけん、この件は団長たちに任してあんたたちはここでウチと――」

「貴女と、ここ北西区で防衛に徹する……そう言いたいのかしら」


 ナタリアの提案を遮るロレッタの声には、今までの冷徹な彼女らしからぬ力強さが込められていた。

 対するナタリアも、隣のジェナも、その氷山の如き凛とした気迫に一瞬押し黙る。


「……ごめんなさい、補佐官さん。貴女の言い分は正しい。情報もとても助かったわ。さっきの私の態度も含めたら、ここは従うのが筋なのでしょうけれど……けれどね。それは聞けない話よ。魔獣を使ったこの一連の事件の黒幕を、アマルティアとの繋がりを持った悪党を前にして、それに関わらないという選択肢は私にはないもの」

「ロレッタちゃん……?」


 その声に沸々と暗いものを滲ませるロレッタ。冷徹な印象の彼女のさらに冷たく、暗い部分。微かに覗かせるそれは、狂気ともいえる情念を孕んでいた。


「私から全てを奪った魔獣を、それを利用して悪事を働くアマルティアの魔人を……私は決して許すわけにはいかない。その憎たらしい姿をこの目でしっかりと捉え、その醜悪な身体をこの手で完膚なきまでに屠り、その悪行の全てはこの命を代えてでも断罪しなくてはいけないの。必ず、必ずよ。そうでないと、私は……」

「もうよか、ロレッタしゃん! そこまでたい!」

「あ――」


 両腕を胸の前で交差させ大袈裟に声を上げるナタリアに、それまで滔々と捲し立てていたロレッタは肩を震わせた。


 それから彼女は戒めるように首を横に振る。

 かつて捨てたはずの激情にまたしても苛まれる。目的を達するため、ロレッタ・マルティネスは常に冷静でいるべきだというのに。


「――ごめんなさい。少し、冷静さを欠いていたわ」

「ほんと、こら噂で聞いとった以上の問題児やね……」

「……そんなこと、自分でも分かってるわよ。だから、いいわ。今のはどうか聞かなかったことに――」

「ばってん、ウチは好いとうですけどね、そういうの」


 虚を突かれ目を丸くするロレッタに、ナタリアは呆れた笑みを浮かべて続ける。


「あんたが着いた時には、もうダーリンが対処しとるような気もするとに……まあよかばい。そげん熱か思いば持っとるなら行ったらよかと。ウチも特別補佐官たい、ここは大丈夫とよ」

「……本当に、いいの?」

「ジェナしゃんと一緒という条件付きですけどね。あんた一人はいかんよ」


 ロレッタは縋るようにジェナの方に目を向ける。

 これまで勝手に振る舞っていた分、またしてもここで勝手に頼むのはさしものロレッタも気が引けたのだが――。


「そんな顔しなくても、私はロレッタちゃんと行くよ? というより、言われなくてもそのつもりだったからね?」

「ジェナ、貴女――」

「……それに、あなたにとって何より大切なことなんだったら、諦めろだなんて酷いことは言えないもん……」


 一瞬だけジェナの表情に生じた翳り。だがそれは、ロレッタが気付いたころにはもうすっかり消え失せていて。


「ほらっ、ぽけーっとしない! 行くんでしょ? 私はあんまり王都に詳しくないんだから、ロレッタちゃんが先行してくれないと、ね?」


 彼女はすぐに、陽だまりのように心地よく、見ているだけで活力が湧いてくるような笑みを見せてくれる。


「――ええ、分かったわ」


 不意に曝け出してしまった時は後ろめたく思ったが、その光はロレッタの内にある凍てついたモノさえも温めてくれるように感じられた。


 久方ぶりの熱に高揚を覚えながら、ロレッタはジェナを先導する。


 目指すはマクダウェル邸、ヌールとミクシリアにおける魔獣騒ぎを扇動した外道の根城である。

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