一章 第三十一話「いとけなきハルピュイア 前編」
エルキュールとの通信を終えたジェナとロレッタ。彼女たちの戦いは続いていた。
六霊教の本山であるミクシリア協会を擁する北西区は、その関係者や中流家庭が住まう園であり、雑然とした南東区とは異なって統一感の白石の街並みが人気を博していたのだが。
「……」
街中を疾走する傍らでロレッタは見た。倒れ伏した人を、まだ魔素に還っていない魔獣の死骸を。ひび割れた路面を、攻撃の余波で崩れた瓦礫を。
シスター職など単に与えられた役割に過ぎず、この国にもこれといった愛着はない。
それでも、やはり――。
「お、おーい……! ロレッタちゃーん! ま、待って、走るの速すぎぃ……!」
「……はあ」
後ろから飛ぶ情けない叫びに下らない思考を塞がれ、ロレッタは呆れながらもその足を止めた。
見れば白いケープコートを揺らしながら、亜麻色の髪の少女が走ってきている。両手に杖を握りしめているからか、その足取りは危なっかしい。
「待つのは結構だけれど。その分、誰かが殺されてしまうかもしれないわよ」
肩で息をするジェナに意地悪い言葉を浴びせると、彼女は頬を膨らませて反応する。
「それは、確かに一大事なんだけど……はあ、はあ……一人で行ったらダメだって、エル君にも注意したばかりでしょ?」
「そう? あの馬鹿も、黒づくめの彼も、今は一人で行動しているんじゃないかしら。それは許容するというの?」
「二人は強いから大丈夫なのっ」
「それなら、彼が飛び出していった時も、あんなに慌てる必要がなかったと思うけれど」
「あ、あれは、エル君があんなたくさんの魔獣に突っ込むから、心配になっただけ! もう行くよ、ロレッタちゃん!」
すっかり元気を取り戻したジェナは前を見据える。「まったく、世話が焼けるわ」とロレッタ肩をはすくめて、ふと視線を滑らせた。
北西区の中心に聳えるミクシリア教会。非常時における避難場所の一つとして定められている場所。聖職者の中に魔法が長けた者が多く、故にここ一帯の安全は他の街区と比べても保障されているといってもいい。
「闇雲に動き回るよりも、やはり出どころを潰した方がいいわね。街は彼らや騎士たちに任せましょう」
「うん。それで、この先に街を出入りするための門があるって話だったよね? そういうことなら、このまま――」
気合を入れ直し、方針を再確認したところで。
前方から何かが崩れるかのような連続的な爆音と、大地を揺るがす重い衝撃が生じ、二人の間に緊張が走った。
「ジェナ――!」
「門の方向だね、行こう!」
頷き合い、再び走り出す。瓦礫を越え、曲がり角を行き、すぐに門の入口が見えてくる。
魔獣の襲来。犬型と鳥型の群れ、どちらも薄緑の魔素質に覆われており、数は十もないほど。
動きの俊敏さから見て、どれもあまり強くない個体。これを対処すること自体は恐らく造作もないだろう。
しかし、それでもロレッタは警戒を怠らなかった。
もちろんどんな弱い魔獣でも気を抜けば汚染を受けてしまうこともある。
ただそれよりも、エルキュールが接敵したという魔物は、その全てが赤黒い魔素質を持った個体だったこと。それこそが問題だった。
「異なる色――つまり異なる属性を持つ魔人に汚染されたということ」
この襲撃にアマルティアが関わっている以上、汚染を行ったのは十中八九そこに属する魔人である。
よって、この近くには少なくとも二体以上、強大な力を持った魔人が潜んでいると考えたほうがいい。
「ジェナ、貴女は空中の鳥型をお願い。私は犬型をやる」
ロレッタの指示に無言で頷き、早速魔法を詠唱するジェナ。
出会って間もないとはいえ、既に協力して数多くの魔物を倒した仲。その連携はとても滑らかなものだった。
ロレッタもまた、対する犬型に集中をする。
左手に装着した特殊な手甲型の魔動機械を、迫りくる魔獣の横を目がけて構える。
「はっ――!」
魔素を込める。白銀の手甲、その甲の位置にある設えらた射出口から鎖が、術者の魔素に呼応して勢いよく発射される。
先端に刃が付いた鎖だ、その勢いもあって当たれば容易に魔獣の身体を貫ける威力だろう。
「グゥ……?」
だが、あろうことか、その凶刃は魔獣に命中することなく、その付近の住宅の塀に深々と突き刺さった。
困惑する犬型をよそに、ロレッタは再び左手に魔素を注ぐ。魔動機械に刻まれた術式が発動し、伸びた鎖が今度は急速に巻き取られる。
その収縮の動きに身体を預け、ロレッタは鎖で突き刺した塀へと高速で移動する。
その曲芸的な動きに魔獣が翻弄されている最中、ロレッタはさらに魔素を操る。今度は魔動機械のある左ではなく、右手に。
鎖の収縮が終わる。左手と片足で身体を支え、すぐさまその壁を蹴って空中へと跳躍した。
壁を伝い、無理やりに魔獣の背後を取った恰好だ。
「――バールグラッセ!」
右手に集約した魔素を一気に放出する。水と土の魔素の複合による氷の弾丸が、犬型の背にある薄緑のコアを砕く。
「ガアアァァァ!」
醜い断末魔と共に、呆気なく地に伏す魔獣たち。
上手く戦術がはたらいたとはいえ、その手応えの無さは逆にロレッタの不安を煽った。
「こんな雑魚を小分けにして……本命はいつ、どこで来るというのよ……」
数はそれなりに揃っているが、一体の力が弱すぎる。隙を見てエルキュールとも連絡を取り合っているが、相変わらず敵の動きは変わらないようだった。
「記憶を操ったから、この程度の戦力でも足りると踏んだ? いえ、それは流石に頭が悪すぎるわね。仮にも国の首都なのよ? アマルティア幹部の一体すら姿は見せないなんて……」
ここまで仕込んだのだから、何か動きがあるはずなのだが。その『動き』が一向に来ない。
あまりの不可解さに焦りすら覚える。
「……と、今は考える時間ではなかったわね」
息を吐き、首を左右に振る。地上の魔獣は殲滅したが、ジェナに任せた分がまだ残っているかもしれないのだ。
ロレッタは思考でいつの間にか沈んでいた顔を上げると、ジェナの方に目を向けた。
高空を飛ぶ厄介な鳥型とはいえ、ジェナほどの使い手なら恐らくとうに終わっているだろうと、少し楽観的に見込んでいたのだが。
「――ストラール! えいっ、って……あ、あれ? また躱された!? もう、すばしっこいんだから!」
「……ジェナ、貴女なにを……?」
何度も光魔法を放っては悔しさを滲ませているジェナに困惑する。
口ぶりから察するに、鳥型に苦戦しているようだが、優れた魔術師である彼女がこの程度の相手に遅れを取るとも思えなかった。
ロレッタは疑わしげに魔法が放たれた方角を見上げる。
「あれは――」
遠くの空には確かに飛翔する影があった。連続して放たれる光線を華麗な動きで躱しているのが見て取れる。
なるほど、あれほど俊敏だと苦労もするのも頷ける。ロレッタは得心がいったように息を吐いて。
「いや、ちょっと待ちなさい! あんな遠くを飛んでいるなんて変よ。鳥型は犬型と共に出てきたのに……」
「それはとっくに倒したよ! だけど遠くから近づいてくる影があったから、入ってくる前にやろうって……もう、それにしても避けすぎだって!」
答えながらジェナが放った白光は、またしても回転運動で躱される。
と、再三の攻撃を煩わしく思ったのか、その鳥型と思しき影はロレッタたち目がけて勢いよく降下してきた。
風を裂くような、鋭い直線運動。その圧倒的な速度に目を見張る。
「なんか大きくない……!?」
ジェナの言葉通り、接近したことで分かる、その圧倒的な存在感。
リーベの小鳥よりも一回り大きいほどだった鳥型が、あの距離で目視できるのかと疑問だったのだが、まさかここまでとは。
明らかに大型の猛禽類のそれ、ともすれば人間に匹敵するほどの大きさに見えるが。
「って、そんな巨大な鳥型がいるなんて、聞いた事な――」
一つ潰しても次から次へと湧くその疑問を口にすることは叶わなかった。
弾丸の如く鋭い軌道で落ちてくる巨大な影は、ロレッタらのいる通路の傍にまで近づいたところで両翼を大きくはためかせ、降下の勢いを和らげて着地した。
その際の風圧は凄まじく、ロレッタは自身の身体が吹き飛ばされてしまわないよう、懸命に己の両足に力を込めた。
「なんなのよ、こいつ……」
吹き通る風に瞑っていた目を辛うじて開ける。一刻も早く、この謎の影の正体を探らなければならなかった。
朧気な視界で最初に目に入ってきたのは、桃色がかった白い羽毛。
それから綺麗に折りたたまれた翼。力強く佇む堅固な脚、鋭い金色の瞳と嘴を覗かせる頭部。
その何れも先の薄桃の羽毛ですっぽり覆われており、魔獣に特有な魔素質やコアなどの身体的特徴は一切見られなかった。
「え、え……? 魔獣、じゃない……?」
明らかに魔獣とは別の生物。ロレッタと同じくそのことを認識したジェナは素っ頓狂な声を上げ、顔を気まずそうに歪ませた。
魔物でもない相手に、あれだけ派手に魔法を放出していたとなれば当然のことかもしれないが。
「…だとしたら、この図体のでかい鳥はなんなのよ……」
戦場と化したミクシリアの上空を飛翔し、急にロレッタたちの目の前にこの怪鳥の正体は、依然として不明のまま。
目の前の異常に、ロレッタが怪訝な表情を浮かべたその時。
「なんね、あんたたちは!? さっきから魔獣だ図体がでかいだ、そげん失礼かことこいて!」
「はぇ!?」
「ふにゃあ!?」
姦しい少女の声が聞こえた。あろうことか、目の前の怪鳥から。
こればかりは普段冷静に振る舞うことを信条としているロレッタでさえ、ジェナに負けず劣らずの奇声を上げてしまう。
驚きと羞恥で動揺する心を静めるように胸に手を置き、ロレッタは大きく深呼吸した。
「……そうか、分かったわ。獣の状態を見るのは初めてだけれど、もしかして亜人かしら……? 鳥の姿ということは
上ずる声を抑え、平静を装って尋ねる。
するとその返答と言わんばかりに、目の前の怪鳥の全体が眩い光に塗りつぶされたかと思うと、光は粘土のように形を変え、やがて巨大な鳥の姿から人の姿へと変貌した。
「そう、やっぱり……」
詳しくは知らなかったが、ロレッタは聞いた事があった。
オルレーヌから東に位置するスパニオを主な生息地とする亜人は、人の姿と獣の姿の両方に自在に化けることができるということを。
王国で暮らすものはほとんどいない亜人だが、王国騎士団の構成員の中にはその特異な身体能力を見込まれて、少数ながら含まれているという噂を。
この光景を見てようやく、ロレッタは合点がいった。
「……こほん、失礼しましたです。ロレッタしゃんとジェナしゃんと? ウチ――いえ私は、王国騎士団・特別補佐官ナタリア・フローレスばい。仲間やけん、今度からはあげん魔法ば撃たないでくださいねっ!」
背中に生えている桃色交じりの白い翼をはためかせ、握った拳で金属製の胸当てを叩く。
独特な言葉の訛りと不格好な敬語交じりで語る彼女は、自分こそが噂に聞こえる騎士団所属の亜人だと自称しているが――。
「……彼女、まさか本気で言っているの?」
「ねえ? これは、どう見ても――」
先ほどの納得感はどこへやら。
快活に自己紹介を述べる鳥人種の言を微塵も信じていない様子で、ロレッタとジェナは顔を見合わせた。
だが、それも当然の事であろう。
何せそれは女性というにはあまりにも幼い顔立ちで、その背丈はジェナやロレッタよりもなお低い、騎士団所属などとは到底思えない可憐な少女だったのだから。
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