一章 第三十五話「紅炎騎士の述懐 後編」

 思えばヴォルフガングという男は常にこうだった。

 いや、あの時を境にグレンの養父を見る目が変わってしまったと言った方が正しいだろうか。


 拾われて間もない幼き時分は、何においても質実で真面目であり、類まれな戦闘力を持つ戦士としても、民を守る清廉な騎士としても、家に馴染めず心細い思いをしていたグレンの良き目標であったのだが。


 血を分けた弟の死を経て、自らが表に立つ頻度は減り、王国議会での政治や他の有力の貴族との懇親にその力を注ぎ、グレンに対しても頑固な物言いが目立つようになった。


 義理の弟妹ていまいが生まれてからは、グレンに対しての超然とした振る舞いはより顕著になり、養母のように彼の内情を気にかけることは滅多になくなった。


 決して邪険に扱われたなどとは思わない。

 ただ、いつだって有無を言わさぬ態度で己の考えを押し付け、都合が悪い点に触れられれば煙に巻いて誤魔化した。


 なにゆえグレンが騎士を嫌うようになったか、なにゆえ騎士学校に入学することを拒んだか、その理由すらついぞ聞いてくれはしなかった。


 憧れの彼が、保身と忖度そんたくのみを考える愚者の一員に成り下がるのは見ていられなかった。


 しかし子供ながらにして抱いたその唾棄だきはひたすら蔑ろにされるばかりで、ただただブラッドフォードと限られた貴族衆のための勉学と鍛錬のみを課せられた。


「ちっ……ああ、そうだったな」


 かつてのヴォルフガングに見られた悪しき気質を再び今になって感じ、グレンは苛立たしげに呻いた。


 先ほどの息が合った連携などただのまやかしで。

 養父との間にある溝は、七年の別離を経ても依然として深いまま。


 所詮は魔獣による緊急性がもたらした束の間の絆。グレンはじろりと睨みをきかせて、吐き捨てるように口を開いた。


「そういうとこがうぜえんだよ、昔っから。いつもそうやって取り繕って、余裕ぶって、気味が悪いほどに一貫した態度でオレに押し付けやがって。そのくせ、騎士の汚職が目立つようになったあの時だって、アンタはそれらしい対策を何一つ講じなかった。醜い弱腰を曝すばかりでよ……!」


「グレン、少し落ち着け――」


「うるせえ、気取りやがって! そんな薄ら寒い言葉吐いてんじゃねえ、勝手に出てった不肖の息子なんて、頭をがつんと引っ叩いて、思いっきり口悪く詰ってやればいいじゃねえか! この期に及んでまだ本音を隠してんじゃねえよ!」


 いざ口に出してみると、思いの丈は止まらなかった。


 言いたいことは酷い言葉だけではなかったのに、結局は表面的な怒りをぶちまけている。

 これではヴォルフガングを責める資格もないのではなかろうか。


 そんな不器用を自覚しながらも、グレンは叫ぶ。

 時間は差し迫っているが、この時を逃せば二度と言葉を交わすことはないだろうから。


 憤るグレンに、ヴォルフガングはそれまで湛えていた不愉快な笑みを消した。


「……そうか、本音か」


「ああそうだ。アンタはオレに本音を言ったことがほとんどねえよな? だったらこれもいい機会だ。今は時間もねえことだし、それで勘弁してやるよ。オレはなにぶん酷い息子だった、相応の不満を持ってるはずだろ?」


「――なるほど、よかろう。ならば望みどおりに」


 わざと露悪的に振る舞うグレンとの距離を詰めるヴォルフガング。

 次いで腕が自身の方に伸びてくるのを見届け、グレンは両の目を瞑る。


 思えばずっと、洗礼なようなものを求めていたのかもしれない。


 自分の居場所に疑問を覚えていたのかもしれない。


 自らのルーツを探す旅に出たのも、エルキュールに協力を申し出たのも、それら感情に端を発することだった。


 蟠りを断ち切れるような何かを求めて。覚悟を一新できような何かを求めて。


 我儘だと人は言うかもしれないが、こうして縁を断ち切ることで、グレンは今のグレンとしての在り方を少しでも肯定できるような気がした。自らが歩むべき道へと進める気がしたのだ。


 歯を食いしばる。来るべき衝撃に備えて。


 それは間を置かずに到来する――あろうことか強張るグレンの右肩に。

 そして思ったよりずっと優しく、温かな熱を伴って。



「な、に――」


 グレンが目を見開くと、己の肩に手を置いて笑うヴォルフガングが目に映った。


 温度が感じられなかった出来合いの笑みとは異なるそれに言葉を失う。


「先ほどは済まなかった。いざおまえと相対するとなると、どう振る舞えばよいか分からなくてな。だが、ああ……よくぞ。よくぞ生きて帰ってきてくれたな、我が息子よ。おれは……おれは、おまえと再会できるこの時をどれだけ待ちわびていたか……! 風の大精霊セレの導きに、これほど感謝したことはない!」


「ちっ、またそんな気のいいこと――」


 気味の悪い演技だと思った。いつもの手段でなびかなかったからと、またしても本音を偽ったのかと。


 ところがそんなグレンの悪態も一瞬にして止められる。

 注がれるグレンの視線は、対するヴォルフガングの目元に。


「アンタ、なんで泣いて……」


 彼の目尻に浮かぶ光る水滴と頬に引かれる濃い涙痕るいこんとが、その事実を静かに物語っている。

 これほど近くまで接近して初めて分かったそれに、グレンは狼狽を隠せなかった。


 何せ彼がグレンの前で涙を流したことは、ただの一度もなかったことなのだから。


 指摘を受けたヴォルフガングはもう片方の手で乱暴に目を拭うと、言葉を失うグレンから少しだけ視線を逸らして続ける。


「過去の事でおまえを酷く苦しめたことを、おれは今の今まで後悔し続けてきた。で無二の弟を亡くし、すっかり腑抜けてしまったこと。建国時の封建的な気質を受け継いだ貴族と騎士連中が、魔物の脅威から己が身を守ることだけに固執してしまったのを止めるどころか、それらに与してしまったこと。おまえたちが安泰に過ごせることだけに注視し、その心に寄り添えなかったこと……心苦しいことだが、どれもおまえが実際に家を出て初めて気付いたことであった」


 ヴォルフガングの燃えるような赤い瞳が細められる。その顔に深く刻まれた皺は、抱えてきた心労が真であることを表していて。飾りけもなにもないその言葉は純粋な感情に溢れていて。


 憤怒も吃驚も忘れ、グレンはひたすら聞き入ることしかできなかった。


「それからというもの、おれはシャルル国王陛下に謁見を受けとある案を上奏した。王国議会議員の依願免職や、騎士や貴族による罪を対象としたブラッドフォード騎士裁判所の設立も、その賜物だ。古くから続く専制的な国の在り方と、魔獣の脅威の拡大により生じた歪みを正す、そうすることでおれは自分なりにオルレーヌに貢献してきた……それでお前もこの国へと戻ってくるのではないか。そんな思いもなくはなかったがな」


「…………」


 ヴォルフガングが話した近況は、放浪するグレンの耳にも届いていた。


 オルレーヌというのは保守的な国だ。

 建国時から王を戴き、ブラッドフォードのような有力者らによる封建が敷かれた。

 行き過ぎた支配は時代が進むにつれて薄まっていったが、そこにあった階級自体はなお残り続けた。


 しかし、それによって生じる悪しき影を少しでも照らそうとしているヴォルフガングの動き。


 己の領地、屋敷、身だけを守ろうとする貴族と、それに甘言で唆された騎士の不正を挫く、正義の番人たる存在。


 心のどこかではそれを認めていたからこそ、グレンはオルレーヌへと帰還することを決めたのだと今にして思う。


 ヴォルフガングは確かに愚かな男だったが、その罪を認めて己にできることを粛々と成してきたのだ。


「グレン、過去の諸々を許せとは言わん。おまえこそが正しかった。何にも縛られず、苦しみに喘ぐ全ての者に手を差し伸べることを信条とした先で、おまえが何を見出したのか知らんが……こうして再び見え、おれの言葉に耳を貸してくれただけで本望だ。感謝する」


 グレンの肩に置いていた手を降ろし、深々と頭を下げるヴォルフガング。 指折りの貴族の当主としても、父としても、彼がここまで礼を表することなどなかったように思える。


 グレンが忌み嫌っていた不正の数々は、今の時代既に浄化されつつある。

 それならば、後はグレン自身の心情の問題だ。


 グレンは大きく息を吸って、吐いた。


「――顔を上げてくれよ」

「む……?」


 間抜けに目を丸める彼に、グレンはついぞ呆れた風に笑う。


「顔を上げてくれっつってんだよ……ったく、本音を言えとは言ったが、まさかここまでとはな。いつだってオレの期待に沿ったことはねえよな、親父は」

「グレン、おまえ――」


 思い起こされる旅の記憶。


 オルレーヌ南のエスピリト霊国れいこくを始め、東に位置するスパニオ亜人連合王国。

 そして、オルレーヌと双璧をなし、今ではヴェルトモンド大陸随一の軍事力を誇る、北のカヴォード帝国。


 魔法士としての資格を得て各地を渡ったグレンのやり方は、時に人を救いはしたが、児戯に等しい扱いを受けたことも往々にしてあった。


「……あの時は確かに親父が間違っていて、オレが正しかった。けど、オレだっていつも正しいとは限らねえ。多くの過ちを過去に犯したし、今だって半ば間違えている途中かもしれねえ。この状況もオレが家にいりゃあ少しは違って――」


 目を細めるヴォルフガングに、グレンは一瞬息を呑む。


「と、今はそうじゃなかったな、悪い。とにかく親父の本音、確かに聞かせてもらった。謝罪も感謝も、積もる話も、オレだって色々と言いたいことはあるが……状況が状況だ。これが終わったら家に帰らせてもらう、だから頼む今は協力してくれねえか?」


「……ふはは、おれが責められるべきだろうに、随分と殊勝になったものだな。よかろう、何やら酸いも甘いも噛み分けてきた様子、気にはなるがお前の言う通り今は感慨に浸っている場合ではないからな。協力もやぶさかではない」


 お互い視線を交わして頷き合う。その顔はもはや子としての顔ではなく、親としての顔でもなかった。

 民と街を守る騎士としての顔。ともすれば、もっと根源的な何かの為に力を振るう戦士としての顔つきだった。


 グレンがマクダウェルに関する詳細を告げれば、ヴォルフガングは得心の言ったように声を漏らした。


「……なるほど、そうか。ならば急いだほうがいいだろうな」

「どういうことだよ」

「おれたちが戦った魔獣、あれは城門がある外側ではなく、この先のマクダウェル邸の方角――つまり内側から来たとしか思えんのだ。襲撃時からここブラッドフォード家の周りを警護していたが、明らかにその方から走ってきていた」


 外から侵入した以外の魔獣。その存在にグレンは僅かな驚愕と大いなる納得感を覚えた。


 内にいる魔獣は脅威だが、それを考慮すれば先ほどヴォルフガングが囲まれていたのも説明がつく。

 一人の少女を庇っただけであれだけの不利を被るほど、彼も落ちぶれてはいないだろう。要するに、彼の心構えを崩す想定外の何かがあったとものだとグレンは考えていた。


 それにあの兎型の魔獣は、今までのエルキュールたちの報告では一向に話題に上がらなかった種類でもある。


 グレンはより一層警戒を強めた。


「そういうことなら急いだほうがいいみてえだな。オレはもう先へ行く、親父は――」

「おれは引き続きこの辺りを守ろう。その方が幾分動きやすいものでな。あの少女もブラッドフォード邸で匿う所存だ。先ほどは魔獣にしてやられたが、ここから先は騎士団らとの通信での連絡も再開し、万全を期して事に当たる算段だ」


 グレンの言いたいことを全て先回りして答えるヴォルフガング。

 まるで「これくらい当然だ」とでも言いたげな彼に鼻を鳴らす。


「はっ、そうかよ。随分と粋がってるみてえだが、この事件にも騎士や貴族が関係している。つまりは広い意味ではこれも親父の管轄だ、せいぜいブラッドフォードの真髄っつうものを見せてもらいたいもんだなぁ?」


「抜かせ。祖が示したという、魔を下し、活路を開くブラッドフォードの猛勇。この宝剣レーヴァテインに懸けて、今一度その期待に応えると誓おう」


 紅と黄金の剣を掲げて放つその闘志は、かつてグレンが憧れた勇士そのもので。

 グレンは言葉少なに返すと、綻ぶ顔を隠すように背を向けた。


 そうして今度こそマクダウェル邸を目指そうと足に力を込めたのだが。


「グレン」

「あ……? まだ何かあるのかよ?」


 背にかけられた名に、振り返らずに問う。


「……死ぬな、グレン。おれだけではない、アンドレアも、ルシアンも、ロザリンも。みながお前の帰還を今なお望んでいるのだ。家に帰るという先の己が言葉、決して違えるな」

「……!」


 それは有無を言わさぬ物言いだったが、過去にグレンが嫌った冷たいものは一切なく、心からの激励にグレンの心の裡がかっと熱くなる。


 養母も、義理の弟妹も。勝手をしたグレンをずっと気にかけてくれていたのだ。


 そして、この瞬間までそれに気付かず、どこか冷めたような腐った態度を取っていた自分を恥じる。

 これでは、今も失意と抗い続けるあの黒き相棒に面目が立たないではないか。


 詰まっていた息を吐き、グレンは首を横に振った。


「そんなの当たり前だろうが。アイツらにも、オレが旅で得たものを見せてやりてえからな」


 首だけ振り返って不敵な笑みを返す。


 周り道をした果てに取り戻した絆、そして新たに紡いだ絆のために。

 真に過去を清算する一歩としても、グレンはここから前へ進まなくてはならないのだ。


 鷹揚おうように頷くヴォルフガング。もはや言葉をいらなかった。


 邂逅を経て、グレンはマクダウェル邸を目指す歩を再開した。



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