一章 第二十四話「種は既に蒔かれていた 中編」
「何を言ってやがるんだ、お前は!」
空気を読んでそれまで口を挟まないでいたグレンが、これには堪らず声を大にして詰る。
その激情を諫めつつも、エルキュールとジェナもまた、彼女のその言葉に疑わしげに眼を細めていた。
ロレッタとは短い付き合いとはいえ、口は悪いが嘘を言うような人物だとは思えなかった。しかし、ロレッタからもたらされたその内容は、あまりに荒唐無稽でとてもじゃないが簡単に信じられるものでもなかったのだ。
「そうね。今度は私の番、と言ったところかしら。この話で貴方たちが信じてくれるかは半信半疑だけれど……まあこれまでのお礼とお詫びだと思って聞いてちょうだい」
エルキュールらの反応は織り込み済みのようで、然したる反応も返さずロレッタは淡々と続けた。
「順を追って話すとしましょうか。始まりは先月最後の日――ザート・ベルムントの月、30日のことよ。王都付近で魔人が出現したの。魔人自体は王都騎士団とデュランダルが討伐したのだけれど、それに危機感を覚えた王国議会のお偉方が王都の警備をより固めるように進言した。それで周辺の街の危険が増すことを承知の上でね」
「……そのせいでヌールの街の騎士が減らされちゃったってこと?」
「……クソだな」
ヌールという辺境にいては、王都の情報は知ろうとしない限り中々入ってくるものではない。エルキュールもまたその辺の詳しい事情は知らないでいた。
ヌールの被害の拡大の要因にそのような思惑が絡んでいたとは。エルキュールもやるせない気持ちで一杯だったが、恐ろしいことにこの話の要点はそこではない。
「だがそれはあくまでも要望。実行に移されることはなかった」
「え……ど、どういうことエル君!?」
「まあ、貴方になら分かるでしょうね。確かにその通りよ。そんな恣意的な騎士の移動、流石に王国議会でも認められることはなかった……あくまで公式にだけれど」
「ちっ、そう繋がんのか……」
含みを持たせたロレッタの言い草にグレンは苦い確信を得た様子だ。一方事態を追い切れていないジェナは、あわあわと三人に視線を送っていた。
「議会の決定に反し、現に騎士の移動は行われていた。そして例の進言した派閥の中心にいたのが、彼のマクダウェル家の当主……ビル・マクダウェルよ」
「う……それってまさか」
「もちろん確証はないし、当時の私もまだその意味には気付けていなかった。けれど――」
「現実として起こってしまったわけだな、ヌール事件が」
続くロレッタの言葉をエルキュールが汲む。当時は流してしまう小さな違和感がここに来て大きな意味へと変わってくるのだ。
ロレッタは大きく頷く。
「あんなことがあって黙ってはいられない。私はすぐに調査を始めた。つまらないシスター業の傍ら騎士団の動きに注目して、騎士の移動や魔動鏡のことについても知った。それからマクダウェル家に疑いを向けた私は、買い出しのついでに街で情報を集めて過ごした」
エルキュールらが出会ったのはまさにその頃なのだろう。あのルイスとの出会いもそう。つまりはあの時、エルキュールらは彼女の絶好の機会をまんまと奪ってしまったというわけだ。
流石に申し訳なさを感じるエルキュールだったが、もはや本人は気にしていないようだった。
「その内に知ったのよ。貴方たちのお待ちかねの記憶についてのこと」
「記憶――人々にヌールの事が忘れ去られたってロレッタちゃんは言ってたけど」
「ええ、その通りよ。一部の人間の間だけとはいえ、そのせいで大分時間をかけさせられたわ。マクダウェルの事を聞こうとヌールの街やミクシリアの魔動鏡といった言葉を出しても、まるでピンときてないような顔をするの。聞く人聞く人そんな事件は知らないって。世界は平穏だって。おかしいと思わない? ヌールの住人の四割が犠牲になったというのよ。王都ほど人口も多くないとはいえ、決して少なくない数。あれは十五年以来の大事件で、ヴェルトモンド史に刻まれるくらい大きな出来事であるはず。当然そのことの重大さは知っているべきだし、街が魔獣に襲われたことに対して危機感を持つべきなのに!」
最後の方は叫びとも取れるような声だった。冷静なロレッタらしからぬ様子に、エルキュールらも吃驚する。
その反応を見て初めて自覚したのか、ロレッタは顔を朱に染めて大袈裟にもはや数滴しか残っていないカップを呷った。
「だが、実際どういうことだよ。事件に関する記憶だけすっかり忘れて、皆何ともないように過ごしているっていうのか? 確かに街の様子は平穏そのものでオレたちも気付かず楽しんじまってたほどだけどよ」
「そうでないと説明しきれない部分があるわ。あのルイスだって直前にヌールを訪れておきながら、さっきもあの調子だったもの。本当に何もなかったかのようだったじゃない。それとも彼が名優だという線に賭けるかしら?」
これでは話に振出しに戻ったようなものである。ここまでの話を聞いてみても、やはり記憶の消失云々は疑わしい。まだロレッタの思い込みか、たまたまその人が忘れていたという可能性の方が高いだろう。
記憶、つまり人の認知に作用する力。本当にそれがあるのだとすれば、なるほど確かに都合のいい力だ。
ヌールの街の騎士を移動させることもそうだが、何よりも事実をなかったことにできる点が大きい。
事実というのは人々の共通認識とも言い換えられる。それに恣意的な変更を加えることができるとすれば、王国騎士団やデュランダル、ブラッドフォードなどが眼を光らせるこの王都であってもある程度は逃れられるだろう。
だがそれでも、全く都合が良すぎる力だ。極めて存在が疑わしいのには変わりない。
そんな魔法のような能力、直接この目で見ない限り――
「いや、違う……!」」
「急にどうしたの、エル君?」
覗き込んでくるジェナに、訝しげな視線送る二人に告げる。
なんてことはない。エルキュールの琥珀の双眸は、確かにその疑わしい事実を捉えていたのだ。
「俺たちだって既に、その記憶の消失を見ていたはずなんだ!」
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