一章 第二十五話「種は既に蒔かれていた 後編」

 柄にもなく語気を強める。だがそれだけの興奮があった。

 それはエルキュールらとロレッタの情報を合わせることによって初めて、浮かび上がってくるものであった。


「見てたって、どこでだよ」

「まさにロレッタが言ったように、百貨店の前でルイスたちと遭遇した時にだ。思い出したんだ、あの時の彼の言葉を。『レイモンド、それは誰の……』とあの時彼は戸惑いを見せていた。グレン、君も聞いていただろう?」

「そう言えば言ってたな。あいつの付き人が帰ってきたときだ。でもそれは、単純に名前を間違えただけだと思ってたんだが」

「確かに普通はそう思うのかもしれないが、実際は違うんだ。レイモンド……よくよく思い返してみれば、それはルイスの使用人の名前だ。ヌールで一度会ったことがあるから間違いない」


 そこで言葉を区切り、エルキュールは悔しさで拳を握った。何故今まで気が付かなかったのか。怪しい点は幾つも転がっていたというのに、その間の線を繋げることが、今の今まで出来なかったとは。


「ルイスが先日まで従者であった彼の名前を忘れるなんて不自然だ。仮に彼が健忘症だったとしても、レイモンドやヌールへの滞在の事だけを忘れるなんてことは考えにくい。ロレッタの言うような記憶の歪みがここにも関わっていると見るべきだ」

「……そう、やはりそうなのね。エリックだったかしら、その従者との会話にもどこかぎこちなさがあったもの」

「あまり信じたくねえが、となると記憶が歪ませられているってのも現実味を帯びてきたな」


 現実味を帯びる、確かにそれが状況を表す最適な言葉だった。

 あくまでそう考えると辻褄が合うというだけのこと。それがどうやって引き起こされ、何が狙いなのかは未だ不透明だ。


 目を伏せて渋面を作るエルキュールの脇腹を、隣に腰掛けるグレンの肘が小突く。


「ま、それは単体で見たときの話だぜ。エルキュール、もう少し全体を見てみろ」

「グレン、全体とは――」

「王都での諸々の事件は、ヌールの襲撃と連動している。あのアルトニーの婆さんと話し合ったことだ。そして王都の人間にアマルティアに協力していると思しき奴らがいることも、あの騎士団長サマが仄めかしていた」

「そうか……!」


 グレンのその指摘に、まるで脳天に雷が落ちたかのような衝撃を受ける。

 ロレッタからもたらされた王都での情報、それに意味づけをすることにばかり注力し、あろうことかもう一つの流れを全く考慮していなかったのだ。


「そうだった。記憶の件を始めとする王都での出来事は、悉くアマルティアの有利に働いている」

「マクダウェルの動きが彼らに利用されて……いえ、むしろ二つは結託している? 記憶を操れば、魔動鏡も簡単に乗っ取ることができるわ」


 やはり行きつく先はアマルティアか。偶然の出会いから、よくここまで情報を得られたものだとエルキュールは思った。


「アマルティア……そっか。だったら――」

「ジェナ?」


 ここで暫くの間口を閉ざしていたジェナが声を震わせる。それは何らかの気づきを孕んでいて、三人の注意が自然と彼女に集まる。


「記憶が無くなっちゃうって話を聞いてからずっと思ってたんだけど、実はとある魔法の一つにそういう人の認知に干渉する能力があるんだ」

「なんだよジェナ、そんなもんがあるならもっと早く――」


 記憶を操るとしてその方法がここまで不明であったというのに、ここに来てジェナから有力な情報がもたらされた。

 確かにグレンの言うことは尤もだが、ジェナは硬い表情のまま諫めるように続けた。


「でも本当ならあり得ないの。魔術師のみが閲覧できる特別指定書にのみ書かれた魔法。使用も、みだりに人に教えることも厳禁とされているものだから。私だって昔、修行の一環で勉強した以来で、今まで存在も忘れかけていたほどだし」


 ジェナは声を抑えて、「このことは内緒にしてね」と付け加える。モノがモノであるためここまで言えなかったのだろう、エルキュールは気遣うように頷いて見せる。


「その禁断の魔法を、アマルティアが用いていると?」

「うん。どこから持ち出したのか分からないけど。似ているだけで独学で辿り着いたのかもしれない、彼らには独自の魔法文化があるみたいだしね」


 独自の魔法、それを聞いて思い当たるのは、ザラームのヴォイドシールドや、魔獣を操るときに刻まれる術式といった正体不明の魔法だ。

 正真正銘ジェナが言う魔法かはさておき、アマルティアならば記憶の操作という突飛なことを行ってきても不思議ではないということだ。


「でもそんな魔法を人知れず使えるのかなって、ずっと思ってたんだ。強力な魔法だから放出には時間がかかるし、詠唱すら気付かれていないみたいだし」

「この感じだとそうなんだろうな。ったく、親父も騎士団も何してやがるんだ……?」


 彼らを無能扱いしたくないが、そんな強力な魔法をここまで気付かれずに使用できるだろうか。

 よっぽど目立たないやり方だと窺えるが。


「可能性があるとすれば魔動機械じゃないか? 術者が放出しなくてもいいこの方法なら詠唱も必要なく、発動する際の予兆も魔素の光のみで悟られにくい」

「それはそうだけど……強力な魔法なほど機構が複雑になるし、ただでさえ広く知られていない魔法だという、のに――」

「……どうかしたのかよ、ジェナ」


 後半になるにつれてジェナの言葉が途切れ途切れになる。丸っこい目は大きく見開かれ、驚愕に揺れている。


「まさか、あれが……?」

「何か気が付いたのか」

「その、さっき出会ったあの付き人のことで。あの時彼が立ち去る時、何かがおかしい気がしたんだけど……エル君も似たような事言ってたよね?」

「ああ……野次馬を華麗に流したこともそうだが、妙な迫力があった」

「うん。そしてあの人の目、黒眼鏡越しにだけど一瞬光って見えた。その謎の光――ずっと何なのか分かんなかったけど、あれは魔素の光だったんじゃないかな」

「……待ってくれ、それは」


 エルキュールは手で一旦制止し、解けてしまいそうな手がかりの糸をどうにか頭で繋ぎとめる。


 もし記憶の喪失が、騎士の移動や魔動鏡を乗っ取るために使われていたとしたら、そこには間違いなくアマルティアの関与があるわけで。

 そしてそれを引き起こした魔法の術者があのルイスの付き人、エリックであるとしたら。


「アマルティアと結託したマクダウェル家が、諸々の騒動の元凶だと……そう考えるのが一番納得できるわね」


 ロレッタの呟きにより、それまで幻のように揺らいでいた仮説が、一気にはっきりとした真実に変容していく、エルキュールの内には確かにそのような感覚があった。


 ヌールの事件を直接体験したエルキュールがいたからこそ、ここまで情報を精査できたのだ。直ちにこれを各所に共有し、事実確認及び対策を練らなければなるまい。


「会合の日を待ってなんていられない。既に起こってしまったヌール事件はともかくとして、十中八九行われている記憶の喪失――それを放置していたらまずいことになる。すぐにでも動きださなければ」

「まずいって……まさか――」


 それは、エルキュールが告げた内容を周りの三人が理解したのと、ほぼ同時に生じた。


 遠く離れたところから低く鈍い音が鳴り、大地が震えているかのような衝撃が伝わる。

 そして窓の外から見える店の外が、一瞬明るくなったと思いきや――


「きぃやあああぁぁぁ!!」

「うわあああぁぁ!!」


 耳を劈くような悲鳴が外から聞こえ、それに端を発したかように周りから周りへと動揺が伝播し、ついにそれはエルキュールらがいる店内にまで及んだ。


「お、おい……何なんだ、あれ!?」


 カウンター席にいたある男性客が、驚愕を露わにして叫ぶ。

 尋常じゃないその様子にエルキュールは急いで席を立ち、窓の先へ向いている男性の視線を辿った。


「あ――」

「エルキュール、おい何が……って、冗談だろ……?」

「そんな……」

「遅かったのね……あまりにも」


 次々に付いて来たグレンたちもエルキュールと同様に声を震わせる。


 特大のガラスから見える外の通り、その奥から幾つもの黒影が迫ってきていた。それまで通りを歩いていた通行人も、店の軒先で談笑していた婦人たちも、その影を見るや否や皆一面と怯えたような表情をつくり、逃れるように駆けている。


 あまりの突拍子のなさにエルキュールは暫くその場から動けないでいたが、時間が引き延ばされたような意識の下、彼の琥珀の双眸は件の黒影の姿をまざまざと映していた。


 一見すると四足歩行の犬と狼の群れだが、その身体のあちこちが赤黒く染まり、まるで不出来な縫いぐるみのように見える。

 前を見据える瞳は、肌の痣とお揃いの赤で塗りつぶされており、不気味な光沢を湛えていた。

 異常に発達した牙は鋭く、口から分泌された唾液が滴っている。


 その姿は通常のリーベからは考えられないほどにおぞましく、所謂魔獣と呼ばれる生物の特徴を有していた。


「――ふざけるな」

「エ、エル君!?」


 それを認識して、エルキュールが平静でいられるはずもなかった。ジェナの声を背に受け、乱暴に店の戸を開けて外に出る。


「もう二度と、同じ轍は踏ませないと誓ったんだ……!」


 そして自らの身体に鞭打つように、もはや阿鼻叫喚と化している王都の街中へと駆けだした。

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