一章 第二十三話「種は既に蒔かれていた 前編」

 王都南東区の百貨店前にて、ルイス・マクダウェルに絡まれていた謎のシスターロレッタを加えたエルキュールら一行は、同地区にある人気カフェバー『ミーティス』を訪れていた。

 設置された特大の窓ガラスから入る日光で店内は明るい雰囲気に包まれ、お昼時である今となってはカウンター席もテーブル席もかなりの賑わいを見せている。


 その盛況ぶりに、エルキュールは席に座れるだろうかと心配していたのだが、店の回転率がいいのかそれほど待たずとも店内に入ることができた。


 明るい笑顔が眩しい店員の女性により奥のテーブル席に案内される。先ほどの悶着からロレッタはグレンの隣に座るのを嫌ったため、彼女の隣にはジェナが腰掛けることに。エルキュールはロレッタの正面にグレンと並んで席に着いた。


「さーて、何を食べよっかなー……ってもう決まってるようなものだけどね!」


 この状況を作りだした張本人であるジェナは、我先にとメニューに手を伸ばし、心底楽しそうに注文を決め始める。

 食べることが大好きな彼女の事だ、早くここの名物であるミーティスパフェを食したくて食したくて仕方がないのだろう。

 逸るジェナに生温かい視線を送りながら残りの三人は適当にオーダーを決める。

 最近はこうした機会が多いものだなと、エルキュールが思案に耽っている間に、全員分の食事がすぐに出揃った。

 それを確認するや否や、グレンは待ちわびたかのように一つ咳払いをすると、勿体付けるような口ぶりで声を発する。


「で、だ。そろそろ教えてもらおうかロレッタさんよ? どうしてあんな貴族に目を付けていたんだ?」

「……ふう」

「っておい、なにくつろいでやがる」

「あら、ごめんなさい。ここの珈琲がおいしくて、つい。豆はスパニオ産かしら、細かく挽かれていてとても濃厚ね。気に入ったわ」

「……こいつ」


 この期に及んで挑発しているのか、楽しめるものは楽しむ主義か、はたまたただの珈琲好きか。マイペースを崩さないロレッタに、グレンは露骨に苛立った表情を見せる。


 ジェナの方を見れば、念願のパフェを前に恍惚の表情を浮かべている。あれではしばらく話にならないだろう。

 エルキュールは諦めた心地で息をつく。二人が頼りにならないというのならこの場は自分が取り仕切るしかないだろう。

 場の空気をこれ以上壊してしまわないよう、エルキュールは慎重に言葉を選ぶ。


「なあ、そのままで良いから答えてほしいんだが……君のことはひとまずロレッタと呼べばいいだろうか」

「……まあ、ええ。それは好きにすればいいと思うけれど。見たところ年上のようだし」

「そうか、ありがとう。あと、先ほどはすまなかった。君への興味が先行して、少しばかり礼節を欠いていたみたいだ。警戒させてしまったのなら謝りたい」

「……それも問題ないわ。私も少し、冷静ではなかったから」


 そこで初めてロレッタが薄い笑顔を見せた。人によっては笑顔とはとらないような微笑だが、いつもの冷徹さは大分消えていた。

 ひとまずエルキュールの話は聞いてくれるようだ。そのことに安堵を覚えたエルキュールは本題を切り出す。


「君について尋ねる前に、先に俺たちについて話しておきたい。君に突っかかってしまったのにも関係していることだ」

「貴方たちのこと?」

「エルキュール、いいのかよ」

「ああ、構わない。他人を詮索したいのなら、まず自分たちが情報を開示しなくてはいけないだろう。これも人を頼るための措置だ。君が教えてくれたことだろう、グレン」

「……そうかよ。本当変わったな、お前も」


「何でもかんでも信じろとは言ってねえんだがなぁ」と、上体を背もたれへと預けるグレン。

 それからすっかり氷が解けてしまった水をぐいと一気に飲み干す。どうやら渋々同意してくれたようだ。


「ありがとう。ジェナもそれで――って聞いてないか」


 一応ジェナの了承も得ようと思ったが、彼女は相も変わらず縞模様のそれと対話していた。ちなみに半分も減っていなかった。どれほど大事に食べているんだと、内心文句を言いたかったが、ここは放っておくのが一番だ。今はロレッタとの話に注力する。


 だがこれはこちらが情報を聞き出すための対価に過ぎない。故にエルキュールは端的に纏めた。

 自身の家族のこと、ヌール襲撃のこと、グレンとジェナとの出会い、ロベールからの要請、アマルティアとの因縁に、魔動鏡を始めとする王都の不穏の動き。時系列に沿って、過不足なく、淡々と。


「――マクダウェル家の事もそうだ。だからここであのルイスたちを見たときはとても驚いた。そしてなにより君のあの意味深な発言だ。気になるのも無理はないだろう?」

「……なるほど、ね」


 途中からは食い入るようにエルキュールの話に聞き入っていたロレッタが、そこで得心がついたように声を漏らした。

 再び珈琲に口をつけるその表情は、何かに思いを巡らせているかの如く渋い。まさか産地である東の亜人王国に感慨を覚えているわけではあるまいが、あまりの沈黙の長さについ邪推してしまう。


 気まずさに耐えかね、いよいよエルキュールが口を挟んでしまおうかとその口を開きかけたところで、ロレッタはその玻璃のような眼を向けてきた。


「驚いたわ。あのヌールの事件を覚えているどころか、そこまで詳細に知っている人と巡り合うなんて」

「なんだと……」


 その奇妙な言い回しにグレンだけでなくエルキュールも、いつの間にかパフェを完食したジェナも眼を見開く。


「覚えているとは、どういう意味だ」

「そのままの意味よ」


 尋ねるエルキュールに、ロレッタは横に束ねた水色の髪を撫でつけながら吐き捨てるように言った。その信じがたい事実を。


「この街の住民の何割か、詳しくは分からないけれど。多くの人々の間であのヌール事件に関する出来事が、あのアマルティアの演説についての内容が、そこだけがまるで虫食いのように忘れ去られてしまっているのよ」

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