一章 第二十二話「冷徹なるシスター 後編」

「……それ、七年も前の事だろ? ブラッドフォード家の問題児といわれたガキの話だ。騎士や家に逆らって、挙句に王都を飛び出していった馬鹿野郎って聞いてるぜ。それがオレだって思ってるなら残念、人違いだぜ。よく考えてみろよ、話に聞くだけでもわかる無能さだ。今頃とっくにどこかで野垂れ死んでるだろうよ」


「……」


 シスターの少女の棘を刺すような言葉から一早く立ち直ったグレンが、貼り付けたような笑顔で惚ける。

 エルキュールもジェナも、彼の事情を知っているだけに、かつての彼の悪評を聞いて眉を歪めた。

 仲間として否定したい気持ちは無くもないが、当の本人はやはりこの話題を口にしたくない様子なので、それについて何かを言うことは憚られた。


「惚けるのね。それならそれでいいわ――でも、こちらの人たちはこの話についてどう思うかしら? 見たところ連れのようだけれど」


「な……お前ら」


 互いにしか向いていなかった二人の注意が今にしてようやくエルキュールらの方へ向けられる。

 しかしそれは限りなく最悪なタイミングであり、グレンも、話を振られたエルキュールらにも動揺が走る。


 答えるべきか、沈黙するべきか。一瞬判断に困る。だがそれとは別に、エルキュールの頭にはある疑問が浮かんでいた。


 他でもない、この少女の正体だった。


 このシスターが何を抱えているのか知らないが、少なくともただのシスターには思えなかった。ルイスに対する対応も、グレンに対する冷たい態度も、意味深な発言の数々も。


 今のエルキュールにはその何れも分からない。それでも、エルキュールの目的の一つであるマクダウェル家、それに意図して近づいたと見える彼女に興味を覚えたのは確かだった。


 グレンの代わりにその気持ちを晴らすことも兼ねて、ここは彼女の質問に答えてやることにした。


「俺は王都の者ではないから、その話も詳しくは知らないんだが。ただ、その彼が昔どうあったとしても、今の彼も同じであるとは限らないんじゃないか? 王都を出た先で彼は、自分の過ちを悔いたのかもしれない」

「エルキュール、そいつは――」


 エルキュールの弁護に何かを言いかけたグレンだったが、その言の葉は霞のように消え失せた。

 その様子に、対するシスターは口の端を吊り上げた。


「確かに一理ある、けど……この状況はとんだ茶番ね。彼がグレン・ブラッドフォードであることは、あの嫌味な貴族との会話でとっくに分かっているの。そんな悪名高い彼が相変わらずの態度で私を妨害するものだから、文句の一つも言いたくなるでしょう?」

「本当っに生意気な女だな、お前は……けどオレだってこれ以上醜態を曝すわけにはいかねえ。お前の言い分も認める」

「あら、随分と殊勝ね……そう、ならいいわ。貴方が矛を収めるというのなら、私もこれ以上争う気はないもの。失礼したわね、連れの人たちも。では、私はこれで――」


 譲歩の姿勢を見せるグレンに、シスターはそれまで張り詰めさせていた態度を軟化させた。張り詰めていた糸が切れたような、あるいは急に興味が失せたような、そんな風に立ち去ろうとするシスターに、エルキュールはまたもや眉を顰める。

 彼女に関する疑念がまた一つ積み重なってしまったが、下手に情報を聞き出してこの場を掻き乱すのもよくない。

 円満にこの諍いが解決できるならばそれでいいと、何も言わずに傍観していたエルキュールであるが。


「おい、待てよ」


 そのエルキュールの思惑とは裏腹に、今度はあろうことかグレンの方からシスターを呼び止めた。

 立ち去ろうとしていた彼女は、疑念の表情のままに振り返る。


「……何かしら」

「まだ用は済んでないってことだ。いいか? お前の言い分は認めるし、オレの態度が気に障ったようなのも悪かった。だがな、説明くらいはしてくれてもいいんじぇねか? お前の目的なんざ知らねえが、傍から見ればシスターが圧倒的に立場が上の貴族サマにいじめられてるようなもんだ。普通は助けるだろうが」

「それは……」

「同感だな。グレンは一般的に見れば間違ったことはしていない。君が聞いたという噂のせいなのか、それともグレンが何か他に粗相をしたのか知らないが……少し冷たく当たり過ぎに思える。納得できる理由があるなら、ぜひ説明してほしいものだ」


 一度引いてからの畳みかけ、グレンも中々上手い手を使うものだとエルキュールは感じ入る。それにこのシスターの素性についても知りたくて堪らないと思っていたところだ。エルキュールはこの機に乗じて畳みかける事にした。


 シスターの方も少しは自分の態度に無理があると思っていたのか、問い質す二人にまごついていた。

 これはこのまま押せばいける。そう確信し、エルキュールは再度口を開こうとするが――


「こらぁーー! エル君もグレン君もそこまで!」

「え……?」

「あん……?」


 今の今まで押し黙っていたジェナが大声を上げたかと思いきや、エルキュールらとシスターとの間に割って入り、その華奢の両腕を精一杯広げてみせた。まるでシスターを守るかのように。


「気持ちは分かるけど、そんな怖い顔してたらこの子を怖がらせちゃうでしょ?」


「怖いか?」

「さあ……」


 エルキュールらを一睨みすると、ジェナはシスターの方に向き直って穏やかな笑みを浮かべた。


「ごめんね、急に色々尋ねちゃって。迷惑だったよね?」

「……別に、私のせいでもあるし。あと子供扱いは止めてちょうだい」


 今までの冷たさとは異なり、本気で戸惑っている様子だ。シスターは目を逸らしながら早口で告げる。


「あはは、ごめんごめん。じゃあ、そのお詫びと仲直りも兼ねて、これから一緒にお昼でも食べに行かない? お代は私たちが出すからさ」

「は? 勝手に決めんなって――」

「グレン君は少し黙ってようね」


 当然の疑問のように思えるが、圧倒的な凄みでグレンが気圧される。また話が妙な方向に向かいつつあると、エルキュールは思わず目を伏せた。


「ね、どうかな?」

「どう……って急に何なのよ」

「ああ! 一緒にご飯食べようってのに、まだ自己紹介もしてなかったね。これはよくなかったね。えーと、まず私はジェナで、こっちの黒いのがエル君――もといエルキュール君。で、こっちの赤髪の人は……必要ないかな」


 身を退けるシスターに一人で盛り上がるジェナ。彼女なりに和を保とうとしているのは分かるが、あの調子では彼女の心を絆すことは難しいように思える。エルキュールは一歩前に踏み出そうとするが。


「……はあ、仕方ないわね。全く、変な人たちに目を付けられたものだわ……」


 根負けしたと言わんばかりに溜息を零すシスターに、エルキュールは前につんのめりそうになってしまった。


 今までの問答は何だったのか、そんな徒労を感じている間に、シスターは頭に身に着けていたヴェールを脱ぎ去っていた。

 清冽さを感じさせる鋭い双眸も、横で結われた水色の髪も、その全貌が見て取れるようになる。


「――私はロレッタ。ロレッタ・マルティネスよ。一応、北西区にあるミクシリア協会に所属しているわ。私の落ち度とそのしつこさに免じて、事情の説明も食事の件も纏めて付き合ってあげるわよ」

「わぁ……! ありがとうね、ロレッタちゃん!」


 大層喜んだようでジェナはロレッタの両手を硬く握りぶんぶんと上下に振った。

 あまりの呆気なさにエルキュールグレンは顔を見合わせる。

 これもジェナの人徳なのだろうか。あっという間に仲を取り持ち、思わぬ形でエルキュールらの目的までもを叶えてしまった。

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