一章 第九話「光と闇の交差 前編」

 カイル捜索のためにアルトニーの北に位置する森林に赴いたエルキュールは、魔獣の群れに囲まれる彼と話に聞いていた魔術師の少女と遭遇した。

 共に駆け付けたグレンのおかげで魔獣を撃退することには成功したのだが、追い打ちをかけるように現れたのは三体の魔人。いずれも魔術師の少女に随行していた騎士の成れの果てだと思われる。


 エルキュールにとっては二度目となる魔人との邂逅。あの時はオリジナルとなった人間のこともあって動揺してしまったが、今回は不覚を取るわけにはいかない。


「アアァァァ!」


 エルキュールの目の前、三体の魔人は威嚇するように雄叫びをあげた。どうやら先ほど受けた風魔法による怒りがまだ尾を引いているようだ。

 相対しているだけでその力の強大さが伝わってくる。全力ならいざ知らず、魔人としての力を封印している今のエルキュールでは少々厳しい相手だろう。


 だが、それは一人である場合でのこと。今のエルキュールにはグレンに代わる頼もしい協力者がいるのだ。


「魔法の詠唱をするのなら、少し離れた方がいい。あれの攻撃は中々激しそうだからな」


「分かった、気をつけてね!」


 後方で構えていた少女に指示を飛ばす。魔術師である少女は魔法を主体とした戦法を得意とし、近接で戦うには向いてない。


 しかしその反面、魔術師は魔法を操ることに関してはこの上ない才能を持っている。魔法の威力だけでいえば、恐らく今のエルキュールのものより何倍も強力だろう。


 だがその強大な魔法を最大限に有効活用するには、詠唱を省略しない完全詠唱で魔法を放出する必要がある。

 もちろんその間には無防備な時間が生じる。エルキュールが補助しなければ、少女は詠唱を終えることなく無残に殺されてしまうだろう。

 加えて相手が魔人であるなら話はそれだけに留まらない。万が一にも少女が汚染されるようなことがあれば、リーベにとってこの上ない損害となるだろう。

 魔術師になるほど優れた才を持っている人間が魔人と化せば、それによって誕生する魔人の力は絶大であろう。


 何としてもそれだけは避けなくてはなるまい。


「――エンハンス」


 魔人の注意を少女に映らせないよう、エルキュールは先んじて前に出ることにした。炎魔法で脚部とハルバードの刃先を強化すると、勢いよく地を蹴って魔人に斬りかかる。


「ウゥゥ!」


 通常ではあり得ない加速に魔人共は少しも臆することがなく、後ろに一歩飛んでその攻撃を躱した。

 大きく振りかぶったエルキュールに対し、魔人は最小限の動きで攻撃を回避した。この隙の違いを活かさないほど魔人は愚かではなかったらしく、回避によって離れた間合いを一気に詰めてくる。


 だがその程度のことはエルキュールも織り込み済みである。視界の端で魔人の追撃を確認すると、ハルバードを振るった際の回転に身を預け、その場で一回転して瞬時に身体を正面に戻した。


「――エスクード」


 横一列に迫りくる魔人を正面で捉えると、土の防御魔法を展開する。薄黄色の防壁がエルキュールと魔人を隔て、魔人の目論見はこれで阻止できた――そう思っていた時のことだ。


「ウゥ……アァァア!」


 真ん中に位置していた魔人が声をあげると、両端の魔人がそれに応じて動きを変えた。

 具体的には横から縦へ、その陣形を変化させたのだ。予想外の動きに嫌な予感を覚えたエルキュールだったが、既に目前に迫っていた魔人に他にどうすることもできなかった。


「シャァァ!」


 先頭の魔人が振るった丸太のような腕がエスクードの防壁にぶつかる。魔人の拳にある魔素質と防御魔法のそれがぶつかり、衝突した魔素が火花のように散った。魔法に用いた魔素が削られるほどの攻撃だが何とか防ぐことに成功した。

 が、やはりというべきか攻撃はそれだけでは終わらなかった。縦に並んでいた魔人のうち、後方の二体の魔人が膠着状態のエルキュールの両端から同時に飛びかかってきた。


「波状攻撃だと……!?」


 想像を遥かに越える連携力に琥珀色の瞳を見開くエルキュール。両端から迫りくる攻撃も防ぎたいところだったが、生憎防御魔法は正面の魔人を受け止めるだけで限界だった。ここからさらに二方向に障壁を張ることは不可能に等しい。

 その他にも身体に沿って魔素を纏わせるオーラという防御術もあるが、それでは障壁を維持することはできないだろう。


 残された手はハルバードによる物理防御のみ。それでも一方向からは攻撃を受けることになるが、背に腹は代えられない。


 そうエルキュールが覚悟を決めた瞬間――


「――スパークル!」


 後方から少女の声が響き、今まさにエルキュールを攻撃しようとしていた魔人の目の前で光が弾けた。その光の爆発は決して威力の高いものとは言えなかったが、少なくとも魔人を怯ませることには成功したようだ。

 眼前で弾けた光でよろめく魔人に、逆にこの隙に魔人の胸部にあるコアを破壊してしまおうと空いている手でハルバードを振るおうとした。


「グウウゥゥゥ……」


 しかし、魔人もまた己の弱点を理解しているようで、コアを破壊させまいと両の腕でそれを覆った。流石にあの分厚い腕を貫いて奥のコアを攻撃するのは厳しい。


「ちっ……」


 やはり魔獣に比べて知能が高い。決死の反撃が届かないことを悟ったエルキュールに、僅かな焦りが生じた。

 そしてそれは、今まで極限のところで正面の魔人の攻撃を防いでいた魔法にも影響を及ぼした。

 焦りによる意識の乱れとなおも圧し掛かる魔人の力によって、エルキュールが敷いていた防壁が割れるように散った。


 エルキュールは再度立て直しを図るが、この至近距離では魔法やオーラを放出する時間もなければ、それに集中する心理的余裕もなかった。


 万策尽きたエルキュールは自身の判断の甘さを呪った。


 その刹那。


「――テンポラル!」


 防御魔法を貫通した魔人の腕がエルキュールに襲いかかる直前、またもや後方の少女が魔法を放出した。先ほどエルキュールも放った風魔法だが、その威力は何倍も強く魔人を三体纏めて吹き飛ばした。


「ちょっと、大丈夫!?」


 目まぐるしい展開に思わずその場に膝をついたエルキュールに少女が駆け寄る。

 特に身体に問題がないこと事を示すように、エルキュールは少女に視線を送った。その際に少女の亜麻色の髪が太陽に照らされ輝いているのが見え、その眩しさからエルキュールは思わず少女から視線を逸らした。


「……ほんとに?」


「ああ、それよりも――」


 その挙動不審な行為に疑わしい視線を向ける少女に返しながら、エルキュールは外套に付いた汚れを払いながら立ち上がる。


「あれを倒す魔法はどうした? 援護自体は助かったが……」


 エルキュールが魔人の注意を惹きつける一方で、少女が魔人を倒す魔法を詠唱する。これが事前に打ち合わせた手筈のはずだった。

 エルキュールを援護するための魔法を放出していることから、件の魔法の詠唱は行っていないと考えられる。


 話が違うと言わんばかりのエルキュールの態度に、少女は露骨に頬を膨らませた。


「あなたが魔人を引き付けるって言って失敗したくせに……せっかく闇魔法も使えるんだから、しっかりしてよね」


「……そうだったな、すまない。奴らの連携力を甘く見ていた」


 少女の放った魔法により未だ離れた所で倒れ伏している魔人を睨めながら、エルキュールは悔しげに呟いた。

 魔人が厄介であることなど、あのヌールの件で少なからず知っていたというのに。そもそもエルキュール一人で三体の魔人を相手にするのは間違っていたということだ。


 作戦は失敗したと認めざるを得ないが、かといってあの魔人は放置してよい存在ではない。今この場で処理する必要があった。


「ねえ、一人じゃ押し負けて厳しいんでしょ? だったら私も前に出るよ」


 この先どうするかを考えあぐねていると、少女の方から大胆な提案が飛び出した。確かに前衛が二人に増えれば手数に翻弄されることはないだろうが、だからといって彼女を魔人に近づけるのには抵抗があった。


「前に出るとは言っても、どう見ても君の適性は魔法を主体とした後方向きの――」


「そんなことない! 魔法を使うからどうとか、あなたに決められる筋合いなんてない!」


 魔術師になるほど魔法を学ぶものは、概して武術等を用いた近接戦闘が不得手である。そんな一般論を述べようとしたエルキュールだったが、予想外の気勢に口を噤んだ。


「……ごめん、いきなり大声出しちゃって。でも私だってちゃんと戦える。これくらい、できるようにならないと……六霊守護の名に相応しくならないといけないの……!」


「六霊守護、か。そうか……やはり君は――」


 その称号を耳にしてエルキュールは目を細めた。次いで少女の恰好を改めて見やり、納得したように呟く。


 後ろを結われた亜麻色の髪に、端正ながらもあどけない顔立ち。少し丈があっていないようにも見える白の装束。魔術師という大層な職に反して、どこか頼りなく、そして幼いように思っていたのだ。


 しかし、少女が六霊守護に関わる人間だとすれば、その違和感も大した問題ではなくなる。


 六霊――即ち古の六大精霊が住まうとされる六つの聖域、それを守護する六つの一族を六霊守護と呼称する。

 代々受け継がれるその役目だが、もちろん力なきものに任せられるほど軽くないのも事実。その任を負うものは何らかしらの修行が課されることが習わしとされる。


 魔術師がこんな辺境にいると聞いて最初は驚きこそしたが、少女がここにいる理由を修行の一環だと考えれば全て納得できる。


 無論、修行云々はエルキュールが勝手に推察した根拠のない想像だ。実際は異なるかもしれない。

 しかし、少女の覚悟の一端に触れた今、その言葉を無下に扱うなどエルキュールにはできなかった。


「……確か君、名前をジェナというのだったか」


「え……なんでそれを……?」


「あの家族から聞いた……そして、君とカイルの無事に連れ帰ると、約束をしたんだ」


 少女に覚悟があるように、エルキュールにも譲れない一線がある。サラに誓った言葉もそうだが、何よりエルキュールはもう目の前で魔獣に苦しむ人々を見たくはなかったのだ。


 正面の方では風魔法で吹き飛ばされた魔人が起き上がろうとしていた。もはやここで言い合っている時間は残されていない。


「先ほどは失言だった、すまない。何をすべきなのが正解だとか、どうあるべきが正義だとか……特に人の根源的な部分においては、誰にも決められることではない」


「あ……」


 素直に自身の非を詫びる。いや、もしかしたらその言葉は自分に言い聞かせるためのものだったかもしれない。


 一方で完全に体勢を立て直した魔人共は立ち上がり、深緑の魔素質で輝きを帯びたその瞳で二人を捉えた。



「俺の名はエルキュール。この危機を乗り越えるため、力を貸してくれないか、ジェナ」


「……! う、うん……!」


 改めての申し出に、ジェナは花が咲くような笑みを浮かべて彼の横に並び立った。


 対する三体の魔人といえば、二度も同じ手を喰らったためか、先ほどまでの威勢のよさは鳴りを潜め、冷静に二人の様子を窺っていた。


 大した学習能力だと、エルキュールは内心驚嘆する。強靭な肉体に加え、あのような冷静さまで併せ持つ。

 改めてあれと一人で戦うなど愚か極まりない行為だったと痛感せざるを得ない。


 エルキュールは短く反省しながらも、周囲の炎魔素に意識を込める。ジェナもそれに倣って詠唱を開始し、やがて二人の声が重なり――


「「我に力を――エンハンス!」」


 完全詠唱の強化魔法が二人の全身に付与される。圧倒的な身体能力を持つ魔人と近接でやり合うとなれば、エンハンスを付与することは必須である。


「さあ、今度こそ決着をつけよう――」


 エルキュールの啖呵を皮切りに、三体の魔人が一斉に啼いた。



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