一章 第十話「光と闇の交差 後編」
エンハンスで強化されたエルキュールとジェナを見て気が高ぶったのか、それまでの冷静さを失った魔人どもは一斉に嘶いた。その叫びに呼応して、魔人を覆う魔素質と、胸に埋め込まれた深緑のコアが眩い輝きを放つ。
イブリス特有の魔素吸収の合図。その色合いから察するに、彼奴等の魔素の属性は風か草の二択であろう。複合属性である草属性の可能性は低いが、だとしても木々に囲まれた自然多いこの地では、吸収する魔素には困らないはずだ。
そうして先の小競り合いで消耗した力を充填した魔人は、三体同時にエルキュールら目がけて突っ込んだ。人間に比べて一回りも大きい体躯だがその俊敏さは決して鈍くはない。むしろ並の魔法士のそれを遥かに上回る動きで瞬く間に彼我の間にあった間合いを詰めた。
「俺が右の二体を迎え撃つ。左の方は任せた」
「うん……!」
エンハンスの効果によって対応する時間には余裕がある。二人は冷静に分担を定めると二手に別れて迫りくる魔人を待ち構える。
が、待ち構えるというが、魔人と直接ぶつかり合ってもリーチと火力でかなうはずもない。馬鹿正直に向かっても、先刻のエルキュールと同じ轍を踏むのは目に見えている。
特に人間であるジェナは、魔人に近づきすぎれば汚染されるリスクも被ることになる。よって、ここで採るべき方策とは自ずと数が絞られてくる。
「――ダークレイピア」
「――ストラール!」
中でも二人が選んだのは魔法による中距離戦。魔人の豪腕による攻撃を見切れる最低限の距離、上級魔法や特級魔法を詠唱する余裕はないものの、この距離ならば魔人の注意を引きつつ受け手に回りながら攻撃が可能だ。
エルキュールとジェナ。左右それぞれから放たれた黒の剣と白き光線が魔人の強靭な肉体を貫く。身体が損傷を受け苦しみに喘ぐが、魔物の持つ驚異的な再生力によって見る見るうちに傷が治癒していく。
案の定といったところだ。中級魔法程度の火力では魔人の肉体の一部を瞬間的に消し去ることしかできない。ましてや弱点のコアを狙ったわけでもないのだ。
勝負を決めるにはコアを破壊するほかないのだが、やはり敵は三体いるという事実が厄介だ。年単位に渡って魔獣を葬ってきたエルキュールを以てしても突破困難な連携力。それにこうも警戒されてしまっては落ち着いて照準を合わせることなど不可能に近い。
これでは先ほどエルキュールが一人で立ち向かった時と然程状況が変わっていないように思えるが、その時と大きく異なるのはこちらも一人ではないということだ。
エルキュールは魔人との間合いを保ちながらちらとジェナに視線を向ける。エルキュールに比べてなお小さい身体。それでも歴とした魔術師である彼女は、光魔法を絶え間なく放出して魔人を相手どる。時には手に携えた杖を以て降り下ろされる腕を受け流す。棒術のようなその動きは、剣術や槍術が盛んなオルレーヌでは珍しいものであったが、なんとも様になっている。
「はぁっ――!」
襲いかかってきていた二つの巨大な人影をハルバードを横薙ぎにして打ち返す。ほんの一体数が減っただけであるが、今のところエルキュールは完全に相手の攻撃を封殺できていた。やはりジェナが一体でも担当してくれているのが想像以上に大きい。その彼女も余裕をもって敵の攻撃を受け流すことができているようで、戦況は五分にまで回復している。
「さて、ここまではいいのだが」
後ろに飛んで闇魔法を放出しながら一人ごちる。こちらの被弾は抑えられているが、相手に致命的な打撃を与えられてもいない。持久戦に縺れこめば回復力の高い魔人側に戦況は傾いていくだろう。いくら魔術師と言えどジェナも人の子であることは変わらぬうえ、エルキュールもここで魔人としての力を解放するわけにもいかないからだ。
ならばこのまま何の対応もせず静観するのか。迫りくる死を自覚しながら現実に目を背けるのは愚か者の行為である。早急に次の一手を打つべきだ。
「どうしよう、エルキュールさん……このままじゃじり貧だよ」
「そうだな」
「そうだな……って」
お互い攻撃を受け流し僅かに生まれた隙を活かしてジェナが語りかけてくる。彼女の言い分は尤もなことだが、エルキュールは真剣に取り合う姿勢を見せない。そのことがジェナからの反感を買った。
「受けきるのが精一杯な現状じゃ、そう長くはもたないでしょ……!? 早く突破口を考えないと私もあなたも――」
「もう少し余裕をもってくれ、相手に悟られてはかなわない」
言い争いながらも迎撃の手は緩めることはない。魔人を寄せ付けないよう注意を払いながらも、エルキュールはジェナの非難に応じる。
「下手に行動を起こして今の陣形が崩れてしまえば、もう立て直すことは不可能だ。強力な魔人、それも三体同時にここまでの接近を許している」
「でも、魔物との長時間の戦闘は……」
「ああ、回復力や汚染の事を考えると一般にはよくない。だがそのことをあいつらが知っているとも思わない。魔獣に比べて知性は高いが、そこまで高度な知識を持っているわけでもない」
エルキュールの脳裏に浮かぶのは、かつてヌールで遭遇した魔人についての事だ。
アマルティアの三人は別だが、あの場で人間から魔人に変化したアランは力こそ大したものだったが、人間時代にあった意志のようなものは消え去り、本能に身を任せたような行動が多く見て取れた。
この場にいる三体の魔人についても同じこと。目の前にいる敵を倒したい。人間を汚染したい。魔物という種に刻まれた本能に付き従っているに過ぎないのだ。
だから、身体的な有利を活かそうという発想は奴らにできない。そう言葉を紡ごうとしたエルキュールだったが、不意に頭を掠めたある憶測に均整な眉が歪んだ。
――それが魔人の真の姿だというのなら、エルキュールやアマルティアの魔人のような知性を持った魔人の存在にはどう説明を付ければいいのか。
「……エルキュールさん?」
「……何でもない。大半の魔人は知識をもたないゆえに理性的な判断が不得意だ。本能を優先する獣じみた奴らにできるのは、せいぜいこちら側の簡単な感情を読み取るくらいだろう」
何度も攻撃を受け流されて若干苛立っているようにも思える魔人に対し、エルキュールはかかって来いと挑発するように指を動かす。すると萎んでいた魔人の闘気が一瞬にして復活し、気味悪く雄叫びを上げると型もへったくれもない相変わらずの構えで襲いかかる。
「ちょ、ちょっと……!?」
涼しく受け流すエルキュールとは対照的に、急に魔人を煽った彼に驚いたジェナは額に冷や汗を滲ませながら光魔法で迎撃した。幾度目となる魔法攻撃にさしもの魔人も堪らず膝をつく。
「と、このように……中途半端な知性を有したばかりに、魔人にはこちらの挑発が――」
「と、このように……じゃないよ! いきなりそんなことしたらびっくりするでしょ!?」
これまでの経験から導き出した魔人の弱点を披露して見せるエルキュールに、ジェナの甲高い指摘が飛ぶ。が、今し方エルキュールに注意されたことを思い出したのか、すぐに勢いを引っこめると神妙な面持ちになった。
「そっか……こっちの方が上だと相手に思わせて、焦らすことができたなら、思い通りにいかない焦りから隙が生まれるということ……?」
「そうだ。水中に溺れる我が身を助けようと懸命に藻掻くことが、正しい行為とは限らない」
例によって回復を終えた魔人共の目は、人間時代の影も見せないコアの色とお揃いの純色だ。もはや感情など読み取れるはずもない眼のはずだが、そこからは確かに闘争の色が見て取れる。
さらにはこちらもまた目に悪い光を放ち続ける魔素質とコアの発光は強まり、魔人の身体も心なしか肥大し、単純な質量が増したようにも見える。
「何だかさっきに比べて魔人の身体が大きくなってない……?」
驚きを隠せないと言わんばかりのジェナの呟きに、本当に魔人は自らの身体を巨大化させたようだ。
恐らく吸収した魔素を魔素質に変換し、その魔素質で新たな体組織を作り上げたのだろう。エルキュールには突如として魔人が肥大化した理由が見えていた。何せエルキュールが限りなく人間に近しい姿を保っているのも、今目の前で自身の身体を拡張させた魔人の技術を応用しているからだ。
世界を構成する物質は元をただせば全て魔素である。その魔素を操ることに長けているイブリスは、物質ほどとはいかないがある程度安定した魔素質を生み出すことができる。大抵の場合、自身の身体を再生するための技術ではあるが、今回は自らを強化するために力を使ったようだ。
「相手も焦っているということだ。自らの守りを固めるのは、こちらを恐れているということでもある」
超然とした態度を崩さず、低く事実を述べる。ここまで演出に力を入れれば後は時間の問題だ。
威嚇するようにハルバードを構えれば、それに応じるような咆哮が返ってくる。
その叫びはまるで負け犬の遠吠えのようにも聞こえ、もはや魔人は完全に己の不利を自覚しているようだった。
しかしそれでもエルキュールは、無論ジェナも、自分たちから攻め入ることはしない。落ち着いて魔法の詠唱を開始する。お前らが相手ではこれで十分だと、そう敵に錯覚させるために。ダメ押しをするように。
魔人にとっては大したことはない火力、だがそれでも確実にその強靭な身体を貫くことができる火力でもある。今は無事でも、あと数回、あと数十回喰らえば、己の身体がどうなるか分かったものではない。
乏しい知性ではあるが、きっとそのように結論付けたのだろう、三体の魔人はかつての連携力が嘘みたいに思える統率の取れていない動きでエルキュールたちに迫る。段階を踏まず急速に肥大化した身体も相まって、もはやエンハンスをかけていなくても見切れるほど、悲しいくらいに残念な動きであった。
「――ストラール!」
ジェナの放つ光線のうちの一本が、魔人の胸にあるコアのすぐ横を掠めた。無論、今までと同じく直に再生されるほどの掠り傷のようなもの。
しかし、そうだとしても。決して落胆も焦燥も表に出してはならない。エルキュールは硬い態度で追い打ちをしようと闇の魔素を操る。
その構えに恐れをなしたのか、先ほど胸部を穿たれた魔人はエルキュールに対して憎悪にも近い感情を向け、ついに残りの二体と大きく分かれるように突進してきた。
「それを待っていた――!」
陣形を乱しこちらに向かってくる魔人にエルキュールは思わず声をあげた。分かりやすい直線的な動き、残りの二体に邪魔をさせられない位置関係。これこそエルキュールが求めていた状況そのものだった。
一目散に駆けてくる標的にエルキュールはついに自分から前に踏み込んだ。意図しない相手の反応に、魔人の動きに微かな動揺が走る。
その隙を衝き、すれ違うように身をかわす。エルキュールの左手には闇の魔素で形作られた小さな矢のようなものが握られていた。素早く、警戒が厳しい魔人相手にこれは通らないものだと痛感していたが、今となっては話が違う。
巨大な魔人の後方に伸びるこれまた巨大な影。ちゃちな子供の玩具の方がまだマシだと思えるほどに大きな的である。
「――シャドースティッチ!」
影に目がけて矢を放る。サクッと、地面の土に刺さる気味の良い音が鳴った。
ところが、地面に突き刺さった漆黒の切り札は魔人に致命傷を与えるばかりか、掠り傷一つも負わせることはなかった。
少し離れた場所にいたジェナは戸惑いを露わにして目を凝らしていたが、やがて一つの驚愕の事実に辿り着いた。
「うそ……動きが止まってるの……? 本当に……? ああ、そっか……これが、闇魔法の――」
影で矢を貫かれた魔人の動きが、時間が止まったかのように完全にその場から動かなくなってしまったのだ。一瞬前の姿勢のまま、一瞬前の表情のまま、鼓動のように明滅を繰り返していた魔素質とコアの光すらも。まるで紙に描かれた絵画のように、より近しく言うなら石で彫られた彫像のように、その場に静止している。
一拍遅れてそのことに気付いた残党はエルキュールを見据えて怒り狂ったように啼いた。そのおかげでジェナの言葉の後半部分が掻き消えてしまったのだが、今はそれよりもやることがある。
「ジェナ、今のうちにコアを破壊してくれ」
「はっ……! う、うん!」
エルキュールは短く告げると、翻ってもうすぐ近くにまで接近していた二体の魔人を迎え撃った。ハルバードを横に構え、降り下ろされた拳を防ぐ。身体だけでなくエンハンスで得物も強化しておいたのが功を奏した。でなければ魔素質で肥大化させた攻撃を受けきることは難しかっただろう。
しかし、それでも魔人の膂力はエルキュールのそれを上回っていた。じりじりと重圧に耐えていたエルキュールの体勢が崩れ始める。
「くっ……」
だが、ここで屈するわけにはいかない。後ろでは魔人を一体仕留めたであろうジェナが何らか魔法を詠唱する声が流れていた。詠唱を省略しない完全詠唱、ジェナは残りの二体を倒すための魔法を放出しようとしている。二体ならばエルキュールがぎりぎりのところで耐えられると踏んで。
「残酷無比の煌めき、万を照らし尽くす暴力的な輝き、一切平伏し、永遠の怒りに焼かれよ――」
一切の淀みのない美しい詠唱が区切られ、自ずと万事順調にいったのだと分かる。ならば、今のエルキュールがすることは一刻も早くこの場から離れることだ。
「――エンハンス!」
そのためにもう一度、火の強化魔法を唱える。今まで使った持続的なものではない刹那的なもの。この一瞬、両手にかかる負荷を押し戻すだけの爆発的な力。
「はああぁぁっ!」
こちらを押し潰さんとする豪腕をより強大な力で押し返す。エンハンスで強化された膂力は、いとも容易く二体の魔人の体勢を崩した。己にかかっていた圧が消え失せたのを確認し後ろに跳んで安全圏へと離脱する。
「――グランツェルガー!!」
ジェナの詠唱に呼応し、光の線が魔人の方へと伸びて行く。光線は回転運動や直線運動を繰り返し、魔人がいる地面に円状陣のようなものを描き始めた。やがて地面に浮かび上がったその陣の外郭に白いカーテンのような結界が形成された。
「くっ……!?」
どことなくエルキュールの特級魔法を彷彿とさせる光景だが、次の瞬間、その結界内で信じられないほどの明るさを伴った爆発が巻き起こり、エルキュールは思わず目を背けた。
絶え間ない光の爆発。圧倒的な光、爆音。火花のようなそれが弾けるたびに、辺りの空間が白く明滅する。それほどの光度、それほどの火力。
であるにもかかわらず、エルキュールらがいる場所までには不思議と攻撃の余波が届くことはなかった。どうやら先んじて形成された結界が外に攻撃が漏れるのを防いでいるようだった。
「いや、そうではない……か」
まるで怒涛のような勢いを持った爆発が収まり、恐る恐る魔人がいた地を眺めていたエルキュールが不意に漏らす。
そこには光の陣も、魔人の身体もない。ただただ深く抉れている地表が無残に広がっているばかりだ。
外へ攻撃を漏らさないためではなく、内にいる敵を逃さないための結界。最大効率を以て攻撃を浴びせるための牢獄であったということだ。
塵一つ残さない徹底的な魔法。確かにエルキュールも似たような魔法を用いるが、こんなにも可憐な見た目をした少女がいざ同じことをやってのけたと思うと、何とも信じられない心地であった。
エルキュールは気が付けば隣にいるジェナをまじまじと見つめており、その視線を受けたジェナは己の為したことに反して無邪気に笑みを浮かべた。
「えへへ、お疲れさま。どうかな? 凄いでしょ、私の魔法」
「……ああ。流石は国の宝とも評される魔術師だ。恐れ入った」
「む……ほんとに思ってる? 何だかずっと真顔だし」
「顔は生まれつきだ。それよりも先ほどの言葉に嘘はない。俺など及ばないくらい君は優れた使い手であるし、今回に関してはとても助かった」
戦闘中こそ気が付かなったが、やはりジェナには見た目通り若干幼い部分があるようだ。不満そうな顔を浮かべる彼女にエルキュールは半ば呆れながらも、決して偽りではない賞賛の言葉を並べ立てる。
ところが意外なことに、エルキュールの賞賛の言葉を受けたジェナは心なしか一層表情を暗くしたように見えた。
伝え方がまずかったのかと、エルキュールはすぐに取り繕おうとしたが、それよりも早くジェナの口が開かれる。
「……ねえ、それって私の魔法の方が優れているってことかな? あなたの、その闇魔法に比べて……」
「……どういうことだ? 魔法の属性によって貴賤が決まるわけではないだろう。確かに闇魔法は使い手が少ないとされていると聞くが、それは強さとは関係ない。魔法士として優れているかは、より上級の魔法を使えるかどうか、より早く、より正確に放出できるかどうかじゃないか?」
「……うん、そうだよね……うん、その通り。あー……ごめんね! 何だか変なこと聞いちゃって! 闇魔法だなんて珍しいなって、思っただけだから」
エルキュールの回答にはっとした表情を浮かべると、ジェナは両手を勢いよく振ってそう早口で捲し立てた。彼女の物言いには何か含みがあったように感じられたが、別段踏み入る必要がない。
ただでさえ彼女が六霊守護にまつわる人間だということを聞いてしまっている身だ。これ以上人の個人的な事情を詮索するのは褒められた行為ではないだろうと、エルキュールはそれ以上この件には触れまいと心に決めた。
が、一度会話が途切れると得てして余計な事を考えてしまうものなのだろうか。ジェナは己が放った魔法によって荒れた地を今度は悲しげに眺めていた。
エルキュールたちが戦っていた魔人、あれは状況から察するに騎士が汚染された成れの果てだと思われる。戦闘中は危機的状況だったために麻痺していたが、エルキュールたちがしたこととはかつて人間だった命を奪ったことに他ならない。戦いを終え、その残酷な事実に改めて気付かされる。
抉れた地面を見つめるジェナの両手は悔しさからか細かく震えている。もしかすると、彼女がエルキュールに明るく語りかけてきたのも、無意識に自らの為した行いから逃避していたからなのかもしれない。そう考えるともう少し気の利いた答えをしてやるべきだったと、エルキュールは彼女の横に並び立ちながら考える。
「ふぅ……なんて、今更後悔したっていけないよね。やっぱり、私がまだまだ弱いから……もっと私に力があれば……」
しばらくは好きにさせてやろうと、静かに少女の悔恨に耳を傾けていたエルキュールだったが、その内に何か重要なことを忘れているような焦燥感に駆られ始め、ついに耐えきれずジェナの方に向き直った。
「なあ、俺からも少し聞きたいことがあるんだが……構わないか?」
先ほどの反省を活かすわけじゃないが、努めて優しく声をかける。幸いジェナはそこまで精神的に参っていないのか、快く応じてくれた。
「まず、君は騎士たちと一緒に薬を手に入れにこの森にやって来た。そこまでは分かるんだが、今に至るまでの経緯を聞いておきたいと思ってな……辛いと思うが重要なことかもしれない」
「……うん、分かったよ」
曰く、ジェナとそれに付いていた三人の騎士はこの森の奥地で任されていた薬を入手することに成功した。事前にカーティス隊長から聞いていた情報では最近になって魔獣が増殖しているとのことで警戒を強めていたが、帰りしなに遭遇した魔獣はそれを遥かに上回るものであったということ。
「数は……五十は超えていたと思う」
「五十体以上……!? 君たちがここで囲まれていたときの倍以上じゃないか」
「私たちは地道に数を減らしながら来た道を引き返したんだけど……消耗するだけじゃなくて、途中でここに迷い込んじゃったカイル君とも会って……」
カイルと合流してからはとりあえず彼を安全な場所へと逃がそうとしたらしく、魔獣の迎撃は騎士に任せ、ジェナは街までの道を急いだという。
だが結果的に、ジェナたちはこの場所で再度魔獣の群れに襲われ、騎士たちも汚染を受けることになってしまったようだった。
「つまり、今の話からすると……騎士の汚染の原因はあまりに多すぎた魔獣が原因か」
「直接見たわけじゃないからわからないけど……多分その通りだよ。私と別れてからまた新たに魔獣襲われてしまったのかもしれないし……」
「そう、か……それはもっともだが……だが、やはり妙だ……」
ジェナから十分に説明を受けたはずだが、どうしても疑問が拭えないのかエルキュールは悩ましげに唸り声をあげる。
「何がそんなにおかしいの?」
「そうだな……まず魔獣の数が多すぎる。絶対数というより、増え方の問題だ。君が話してくれた報告から考えると、こんな短期間で五十体以上の魔獣と遭遇するのはあり得ない。間違いなく魔獣の増殖があったと考えるべきだが、それでも振れ幅が尋常じゃない」
「それは確かに……エルキュールさんの言う通りかも」
「そして魔獣の動きが妙に統率が取れていたことだ。魔人はともかく、魔獣が群れを成して標的を追いかけたり、相手を囲んで逃げられなくするというのは普通では起こりえない。同種のリーベから生まれたものが群れるのなら分かるが、俺たちが遭遇した魔獣は少なくとも三種類はいたはずだ」
エルキュールの指摘にジェナも訝しげに眉を顰める。確かにリーベもイブリスも、群れるときには大抵が同種で集まるものである。今回のように異種の生物が集い、共通の目的のために力を合わせるというのははっきり言って異常事態だった。
「何か、作為的なものがあったと感じざるを得ない……」
思考が巡ると同時に、無意識にエルキュールの脚も歩き出していた。
記憶に新しいのはヌール事件での出来事だ。あの時も統率の取れた魔獣によって街が襲われることになった。
その時はアマルティアが魔獣を操作していた。当日ヌール平原で見かけた魔獣には、首元には奇妙な術式が刻まれていたのだ。
それを追った結果、エルキュールはアマルティアの幹部だと名乗るザラームと対峙することになった。
魔獣と術式とアマルティア。この三つは繋がっている。もし今し方倒した魔獣を注意深く観察すれば、なにか見えてくるかもしれない。
不快な予感は確信へと変わり、浮かび上がった仮説にエルキュールは勢いよく面を上げた。そうして自身の考察をジェナに共有しようと身を翻し――
「――危ないっ!」
「……っ……!?」
結局、言葉を発しようとしたエルキュールの口からは、細い口気が漏れ出るのみであった。
突如自身の身体に外から強い力を加えられ、両の足で支えていた自重が崩れて初めて、エルキュールは自分がジェナに突き飛ばされたのだと理解した。
なぜ、そのように尋ねたい一心で動かした視線の先には、どういう訳だろうか、自身が一瞬前までいた地点を途轍もない突風が一直線に吹き荒んでいた。
ここは木々が生い茂る森の中。そんな強風が都合よく生じるとは考えにくいわけで、誰かしらが攻撃を行ったものだと想像できる。
しかし、エルキュールの目前に広がっているのはそれよりさらに単純で、認めがたい現実だった。
「う、ぐっ……」
「ジェナ……!」
少女の体躯でエルキュールを突き飛ばすには、当然ながらかなりの力を要する。それこそ己の全体重をかけなければならないだろう。
そこまでしてエルキュールを突き飛ばした彼女は、その突風の線上に直撃してしまった。
放たれた突風はやはり攻撃を目的とした魔法なのだろう。それを受けたジェナの身体が風に煽られるだけでなく、その表情は苦痛に歪んでいた。
まるで時が引き延ばされているかのような視界の先で、エルキュールはその無残なさまをまざまざと見せつけられていた。風の槍とでも言うべき突風は、まるで紙切れの如くジェナの身体を吹き飛ばす。
その光景に耐えられず、エルキュールは自身の腕を伸ばそうとする。
「くっ――!」
だが、それはかなわない。ジェナが何者からの攻撃から自身を庇った。その事実を認めるや否や、突然世界が思い出したかのように、突風の余波がエルキュールにも伝わってきたのだ。
高く舞う土煙に、ジェナの髪から抜け落ちたと思われる亜麻色の繊維、そしてそれに伴う強風。後退る身体に力を込め、エルキュールは何とか転倒しないように努めたが、それよりも今はこの暴風を諸に受けたジェナの身が心配だった。
強風に煽られないように姿勢を低く保ち、急いで目線をずらしてその安否を確認する。
ここから幾らか離れた木の幹の下、凭れかかるように倒れているジェナの姿が確認できる。位置関係と体勢から、風力でその幹に叩きつけられたのだと思われる。
離れていてよく見えないが目立った外傷は見えない。しかし、ぴくりとも動かないことを見ると、衝撃で気を失っている可能性がある。
どの道安否を確認するにはここからでは遠すぎる。あの家族と交わした約束を違えるわけにもいかず、エルキュールは直ちにジェナの元へと駆けだそうとしたが――
「ちっ――」
自身を襲う魔の手の脅威は未だ健在である。そのことを思い出したエルキュールはすんでのところで身を翻し、再度放たれていた風魔法を躱した。
「あら、残念。流石に不意打ちじゃないとダメみたい」
不意に耳を打った言葉は、魔法が放たれた方角から発せられていた。エルキュールは敵意を隠しもせずに、その方を見抜く。
見れば、先ほどまではそこになかったはずの人影が悠々とこちらに近づいてきていた。どうやら女性のようだ。
すっかり荒れ果てたこの地には不釣り合いな薄緑のドレス。それと同色の長い髪は、彼女が歩を進めるごとにふわと揺れ、まるでそよ風を思わせる。踵の高い靴を強調するような優雅な歩き方は、その内に内包する気高さを示しているかのようである。
ふと歩みが止まる。が、静止しているとはいえ相手は不意を打って魔法を放ってくる不届きな輩だ。エルキュールは警戒を怠らず、注意深く視線を上にずらした。
見ているだけで突き刺されているような
どれもその女性がただ者ではないことを示唆するが、そんな見てくれとは関係なしに、エルキュールは本能的に彼女が人外の域にいるものだと察していた。
「……まさかとは思ったが、やはり魔人だな……?」
「ふぅん……そういう貴方も、何やら可笑しな気配をしていますわねぇ……?」
女性が興味深そうに視線を送る。その瞳が揺れ動く度に、己の内が曝け出されているような心地がして、エルキュールの胸に刻まれているコアが不快に反応した。
「ああ! その灰色の髪! 輝く琥珀の瞳! 怪しく付き纏うこの闇の魔素の気配……! 貴方……もしかしてザラームの言っていた――」
得心がいったように大声をあげる女性の口から出たその名前に、エルキュールは背筋が凍るような感覚を覚えた。そればかりか、先のその言葉は、この女性の正体を決定的なものへと変えた。
「お前が、ここの魔獣を操り……そして騎士を汚染した……そうだろう!」
「あら怖い……まあ、そうですねぇ。貴方の正体も知らず、いきなり攻撃をしてしまったお詫びに答えてあげましょうか」
怒気を孕むエルキュールとは対照的に、女性は落ち着き払った態度を崩さず告げる。
「――まずは自己紹介から。ワタクシの名はミルドレッド。アマルティア幹部が一人。以後、お見知りおきを」
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