一章 第七話「罪深き覚悟」

 魔獣に囲まれていたカイルと魔術師の少女に加勢したエルキュールらの前に現れたのは、人型イブリス――魔人と称される生命体だった。その数は三体であり、それぞれの体表面には深緑の魔素質が浮き出ていた。


「なんでこんなとこに魔人がいるんだよ!」


 グレンの悲鳴は当然のことで、魔人というのは魔獣に比べて数も少なく、通常ならほとんど遭遇することもない。

 その理由には魔人の発生過程が関係している。リーベである人間が魔物による汚染されることで、人間が魔人へと変貌する。現存する魔人はおおよそ汚染によって生まれているため、一般論で考えればここにいる魔人にも元になった人間――オリジナルがいるはずである。


 しかし、こんな森の奥にそんな人間がいるものだろうか――


「……まさか」


「うん、多分……あなたの思った通りだよ」


 エルキュールの中に生まれた確信は、その傍らに構えている魔術師の言葉によって裏付けられた。

 現れた魔人に共通している要素として、身体の大きさ、魔素質の属性はもちろん、身体に付着している特徴的な金属片があった。


 魔人には金属を纏う特徴などない。つまりあの金属片は魔人としての特徴ではなく、人間だったころの特徴であると解釈するべきなのだ。

 そして、あの銀色の輝きはエルキュールの目にも新しく、ここのアルトニーの騎士隊が身につけていた甲冑のものと酷似していた。



 そこまで考えたところでエルキュールは自身の益体のない想像を止めた。これ以上考察を並べても不快になるだけなのは明らかだった。どちらにせよ、これから為すべきことは決まっている。


 エルキュールは手にしていたハルバードを前に構えた。幾度となく魔獣を、同朋を屠ってきた得物である。この武器で今回も同じように斬ってやればいいだけだ。


 刃を向けられた魔人はおぞましい雄叫びをあげた。それに伴って辺りに魔力が迸る。オリジナルとなった人間が騎士であることから、その戦闘力は比較的高いと思われる。流石にカイルを守りながらでは厳しいだろう。


「……魔人どもは俺が食い止める。二人はカイルを守りながら魔獣に対処してくれ」


「え……? で、でもあれは――」


「ああ、そっちは任せたぜ。ほら、さっさとこいつらを倒すぞ!」


 逡巡する少女を制止し、グレンもまた己の得物である銃剣を構え直す。二人の態度に腹を括ったのか、やがて少女も魔獣たちの姿を視線に捉えた。


「あなた、炎魔法の使い手だよね? ここではあまり使わない方がいいかも。私が後ろから魔法で仕留めるから、あなたは魔獣の注意を引いて」


「注意を引く? はっ、オレの本分は剣術だ……あまり見くびってもらっちゃ困るぜ」


「……そうなの?」


 不敵に笑うグレンに目を丸くする少女。確かにグレンが用いる炎魔法はこの森で使うのは好ましくないが、並の魔法士に比べれば攻撃魔法が使えないのは大した問題ではなかった。


 魔法を制限されているにもかかわらず余裕綽々なグレンを不思議そうに見ていた少女だったが、特に異を唱えることはなく彼の後ろで魔素感覚を澄ませる。


「それなら、空を飛んでいるのは私に任せて! 足がついてるのは頼んだよ、赤毛さん」


「グレンだっ!」


「わかった! グレンさん!」


 その瞬間、グレンが地を蹴って魔獣に肉薄するのと、魔獣どもが襲いかかってくるのはほぼ同時の事だった。

 先ほどの不意打ちで数は半分ほどになったものの、その数は十に及ぶ。内訳は犬型が二、狼型が三、鳥型が五と、非常に隙のない布陣である。

 闇雲に突っ込んでは囲まれるのが必至。言わずもがな囲まれれば圧倒的に不利を被る、正面突破するのは最悪な選択肢といえるだろう。


 だが、グレンは敢えてその選択肢をとった。


 真っ直ぐに魔獣に向けて駆けだすグレン。無謀にも突っ込んでくる哀れな男を汚染してやろうと、犬型と狼型は跳躍し、鳥型は中空から彼に目がけて急降下する。


「はっ、馬鹿が」


 敵が仕掛けてきたのを確認して、グレンは手にしている銃剣に魔素を込めた。魔法発動の合図である。

 だが攻撃をするわけではない。先ほどの忠告を聞き流すほどグレンは愚かではなかった。

 放出するのは補助魔法、身体能力を高める炎属性の初級魔法だ。


「――エンハンス!」


 強化された脚部は一時的ではあるが視界で捉えられないほどの高速移動を可能にする。瞬く間に加速したグレンに怯んだのか、魔獣どもの動きが一瞬鈍る。


 たかが一瞬、と思う者もいるだろう。しかし今のグレンにとってはその刹那が何よりも絶好の機会だった。

 向かってきていた狼魔獣の首元に斬撃を見舞わせる。狼型の首には弱点のコアがある。エルキュールとの戦いを経て正確さの増した剣術は、容易くそのコアを破壊した。


 そのままの勢いで残っていた狼型を切り伏せる。一つ、二つと、まるで飛び石を渡るような軽快な動きで。

 最後の狼型を叩き斬り、付近にいた犬型の背中にあるコアも回り込んで回転を乗せた斬撃で砕く。鮮やかに魔獣を打ち倒すグレンのその様子は、さながら一騎当千の騎士に見えた。


 が、その猛攻も終わりを告げる。エンハンスの効果が切れ、高速移動が維持できなくなったためだ。

 持続時間は一秒にも満たなかっただろうが、その働きぶりは大変なものだった。空中の鳥型はさておき、地上にいる魔獣は残すところ一体のみだった。

 ここにきてようやくグレンが背後にまで移動していたことを認識した残党は、彼の方へ振り返ってまるで怒ったような甲高い悲鳴を上げた。


「そうだ、こっちに来い! お前らもすぐに送ってやるからよ!」


 怒れる魔獣どもを前にしても、グレンは不敵な態度を崩さない。


 己の力に絶対の自信があるから――では決してない。むしろ今のグレンは先ほどのエンハンスでほぼほぼ力を使い果たしてしまっており、オーラで身を守る事もできないほどだった。グレンが魔法を不得手にしているのもあるが、あれほどの高速移動を可能にするにはかなり魔素を消費する必要があったからだ。


 そんなグレンの状態を知ってか知らずか、魔獣は再び彼の方に向かってきた。それでもグレンは動じることはなかった。ここまでくると相手を嘲るための演技ともとれるだろう。


 そしてそれは間違いではない。グレンは大袈裟に余裕を見せつけ、魔獣の怒りを煽っていたのだ。

 魔獣に感情があるかは知らないが、グレンに執着している時点で多少は効果があったらしい。


 グレンは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。その視界の奥には詠唱を終えた魔術師の姿があった。それを確認し、グレンは射線上から離脱する。


「煌めく光芒、魔を滅せよ――ストラール!」


 少女の声に呼応して、白き魔素で練られた光線が魔獣に向かって延びてゆく。完全詠唱で放たれた光魔法は、残っていた魔獣の身体ごとコアを破壊した。


「す、すげぇ……」


 塵も残さず魔獣を消し去った魔法の威力を目にし、少女のそばにいたカイルが腰を抜かした。


「……オレの華麗な動きにはなんもないのかよ」


 肩を落としかけるグレンだったが、すぐに気を張り直す。魔獣の脅威は去ったが、まだ肝心の問題が残っているのに気づいたからだ。


「おい、そっちは――」


 グレンたちが魔獣と戦っている間、エルキュールはたった一人で三体もの魔人と相対していたのだ。無論彼の強さは知っているが、魔人相手では流石に抑えるので精一杯のはずだ。

 弾かれるようにそちらを見やる。そこには三体の魔人の攻撃を躱しながら反撃するエルキュールの姿があった。そこまで時間が経っていないとはいえ、無事なのは何よりだった。


「魔獣は片付けたみたいだな」


 魔人が振るった拳を紙一重でいなし、隙を曝した腹にハルバードの一撃を加えると、エルキュールは後方に飛んでグレンらの元に移動した。


「複数相手だとコアを狙う余裕がない。手を貸してくれないか」


 魔人の胸に位置するコアを冷静に捉えながら前方に土魔法の障壁を貼ると、エルキュールは短く合意を取り付けようと試みる。

 グレンの方はその瞳に闘志を宿して首肯するが、魔術師の少女は魔人の正体が気がかりなのか暗い表情をしていた。


「あれはもう人間ではない。放置すれば街に災いを招くだろう……だったら、迷っている暇はない」


「そんなこと……!」


 エルキュールの冷静な説得は逆効果だったようで、少女は声を荒げて彼を睨みつける。が、それも一瞬のことで、すぐに自分に非があると認め真剣な面持ちで口を開く。


「魔人と戦うのはわかった。でも、カイル君を巻き込むわけにはいかない……だから赤毛さん、彼を連れて街まで逃げて!」


「グレンだ――って、今はそうじゃねえ……いいぜ、ここじゃ全力を出せねえオレが適任だろ?」


 不満そうな表情を浮かべるが、自分の役割に徹するグレン。エルキュールの障壁も消えかけており、つべこべ言っている時間はなど残されていない。それにグレンはいま魔力を使い果たしており、回復したとしても森というこの場所とは相性が悪く、ここに残ったとしても大して動けないだろう。


 そうと決まれば行動は早かった。


「おら、行くぞ!」


「え……? って、うわぁ! は、はなせー! ジェナお姉ちゃん!」


 有無を言わせずグレンの肩に担がれたカイルが手足を振り動かして暴れる。魔物との遭遇により怯えきっていた様子だったが、この暴れっぷりならばいらぬ心配だったようだ。


「うるせえ! お前は帰ったら説教だからな!」


 暴れるカイルに構わず、グレンはその身体をしっかりと片手で固定して来た方への道へと引き返す。


 それを尻目に確認し、エルキュールは驚くべきことに魔法の障壁を解除した。

 魔物から直接攻撃を喰らえば汚染を受けるのは当然のことだ。エルキュールはともかく後ろにいる少女にとっては下手したら命にかかわるだろう。

 一見して愚行にも思えるその隙を目聡く狙い、魔人が腕を伸ばすが――


「――テンポラル」


 エスクードを解除した時点でエルキュールの次の行動は決まっていた。素早く魔素を操り風魔法を放出する。そしてそれをハルバードの切っ先に付与すると横一文字に薙ぎ払った。


「グォッ……!?」


 刃が届くことはなかったが、一閃に纏った突風が迫りくる魔人を吹き飛ばす。

 初級魔法にしてはかなりの強力な力を秘めるが、所詮はただの風。吹き飛ばされた魔人は体勢を崩して地面に叩きつけられたが、防御力が極めて高いその身体を傷つけるには至らなかった。


 ――だが、それでいい。


 肝要なのはエルキュールたちと魔人との間合い。あちらは武器を持たないが、こちらはハルバードと魔法のおかげで攻撃範囲では勝っている。故に、狭まった距離を戻すことが唯一にして最大の狙いだった。

「これで仕切り直しだな……さて、どうやって倒す?」


「……私の魔法なら倒すこと自体はできると思う。けど、それは放出までに時間がかかるし、素早い魔人相手に当たるかどうか……」


 困ったように応じる少女だったが、「倒すことはできる」と簡単に言ってのけるくらいには魔法の扱いにはが自信あるらしい。

 魔人は魔獣に比べて数段手強い敵であるのだが大したものである。


 しかし、問題は魔法が当たらないという部分だ。


 確かにどれだけ強力な魔法でも予備動作や詠唱の時間などの都合により、相手に躱されることは往々にしてある。人間に比べ知能は低いとされる魔人だが、それくらいの対策は本能的にできてしまうだろう。

 以前、ヌールの遺跡でシュガールという大型蛇魔獣を相手したときと状況は似ている。あの時はグレンがエルキュールの特級魔法の隙を埋めてくれたのだった。


 だったら今回も同じようにやるだけだろう。エルキュールは少女を安心させるべく、しっかりと少女の瞳を見つめて告げる。水晶のような輝きだと、こんな状況だというのに思ってしまう。


「心配しなくていい。魔法の準備が整ったら合図を。そうしたら俺が奴らの動きを止める」


「止める? 氷魔法や草魔法ならできるかもしれないけど……どれも複合魔法だし、確実じゃないような――」


「いや、もっと確実な方法がある」


 確かに少女が言うような魔法でも動きは妨害できるだろうが、その何れも複合魔法といわれる難易度の高い魔法だ。基本的な六属性しか使えないエルキュールには縁遠いものだった。


 だがここで長々と説明するのは時間が惜しい、ここは実物を見せたほうが話は早いだろう。エルキュールは闇の魔素を操り、漆黒の矢を手の中に生成した。


 シャドースティッチ、相手の影を射抜いてその動きを止める闇魔法だ。

 他の魔法に比べ闇魔法は空間に作用することに長けている。相手を空間に固定することがこの魔法の本質であり、最も確実に相手の動きを止める手段であるとエルキュールは確信していた。


「……え、それは……!」


 これで心置きなく戦えるだろうというエルキュールの思惑に反し、少女はどういうわけか闇魔法を見ると吃驚した。


 だが、それも一瞬。不要な思考を追い払うように顔を横に振ると、魔人に対して杖を構える。


「ううん、何でもないの。じゃあ、私の準備が終わるまでなんとか堪えて!」


「――ああ、任せてくれ」


 闘志を漲らせる少女に倣い、エルキュールも魔人の方に向き直る。この短い間に吹き飛ばされた魔人も体勢を整えたようで、威勢のいい咆哮で彼らを威嚇する。


 ハルバードの柄を握りしめる手が強張る。これから自分が為そうとしていること、同族を殺すことに対する悪寒がエルキュールの全身を伝う。


 魔獣はこの手でさんざん屠ってきたが、魔人となると話は別だ。こうして相対していると、かつてのザラームの言葉が聞こえてくるようだ。


 ――エルキュールよ、貴様の在り方はそれで正しいといえるのか?


 ああ、そうだ。正しいとは言えないだろう。それでも――


「それでも俺は、お前たちとは相容れない」



 エルキュールの微かな言葉は誰かに聞き届けられることはなく、今ここに戦いの幕が切って落とされた。





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