一章 第六話「森へ」

 グレン・ブラッドフォード――カーティス隊長が呼んだその名前をエルキュールは胸中で反芻する。グレンの苗字を尋ねることはなかったため、今になって初めてグレンのフルネームを知ったからというのもある。

 が、そのこと以上にエルキュールが気になったのは、グレンがその名を冠しているという事実であった。


 ブラッドフォード。先ほどの会話でもあったブラッドフォード騎士裁判所は現ブラッドフォード家当主のヴォルフガング氏の提案で設立された国家機関であり、同氏が裁判長を勤めているというのは広く知れ渡っていることだ。

 もちろんそれも大層なものだが、ブラッドフォード家といえばオルレーヌ建国時から大きな力を持っている武家の一つとしても有名だ。その歴代当主は紅炎騎士の称号で呼ばれ、この国の防衛や政治にも携わっている。


 養子とはいえ、今まで旅をしてきた連れがそんな大家に連なるものだと知れば、多少驚くのも無理はないことだった。


「……ったく、名乗るつもりなんかなかったのによ」


 思わぬところで自身のことを明るみに出され、グレンは煩わしそうに呻いた。


「あなたがあの家に対してどのような思いを持っておられるかはさておき、この場は是非ともお力をお借りしたいものですねぇ」


 グレンの態度を前に、カーティス隊長はその年に相応な柔和な笑みを浮かべた。申し訳なさそうな表情ではあったが、その声は相変わらず強い意志のようなものが混じっており、その年でここの騎士を任せられているのも納得の胆力を感じさせた。


「それは分かってる。ま、一応オレが仲介すれば楽に手続きできるとは思うぜ」


「ええ、感謝しますよ、グレン卿」


 その会話から察するに、グレンの協力によってこのジェイクを正しく裁くように計らうようだ。当の本人はようやくその事実を認識したのか、その顔には絶望の色が広がった。


「な……嘘だろ? 待ってくれ、違うんだ、俺は――」


「いいえ? 何も違うことなどありませんよ、ジェイク。少なくともあなたが虚偽の理由で任務を放棄しようとした事実は、私を含めたこの場の証言だけでも証明できるでしょうし……そちらのご家族の件の詳細によってはより罪は重くなるやもしれません」


 情けないジェイクの言葉を切り捨てると、カーティス隊長はグレンに目くばせをした。


「悪いなエルキュール、旦那も。少し言ってくるぜ。そんなに時間はかからないと思うがな」


 短くこちらに告げると、グレンは抵抗するジェイクを拘束するとカーティス隊長に連れられ詰所の奥の方へと向かっていった。


 ジェイクが犯した罪がどれほどのものかにはカイルの件も関わってくるだろうから、ひとまず彼には謹慎が言い渡されるのだろう。その後の展開は、騎士の規則に詳しくないエルキュールには予想がつかない。しかし、適切な処分が下されることを立ち去る三人の背を見送りながらエルキュールは願った。



 思わぬ事態の連続にエルキュールは嘆息するが、ふとそれまで蚊帳の外に置かれていたクラーク一家のことを思い出す。ジェイクによって状況が少し乱れたが、依然として問題は残っているのだ。


 ――否、事の深刻さはより増しているといっていい。


 ジェイクの言葉が正しければ、カイルは何の制限もなしに街の外へ出ることが可能だったということだ。そう考えると彼が魔獣に襲われる危険性も同じく高まっている。


「……話の続きでしたが」


 張り詰めた空気を少しでも和らげようと、エルキュールは落ち着いた口調で前置きする。


「あなたたちはもう一度息子さんが街にいないか探してみてください。北にあるという森へは、俺とグレンが探しに行きますから」


「……でも、もし手遅れであったとしたら……」


 精いっぱい優しく語りかけたつもりのだが、リチャードの頭は自ずと悪い想像に向かって行ってしまうようで、その声には覇気が感じられなかった。


 またしても沈黙が場を支配する。


 だが生憎とエルキュールの乏しい対人経験では、これ以上なんと声をかければ彼らの不安を打ち消せられるのか分からなかった。


 魔獣に怯えるその心は理解できるが、かといってグレンを待たずして向かうのも危険な選択だ。エルキュールにとっても歯がゆい時間が虚しく流れ、無力感に苛まれる。


「……ぐすっ、おかあさん……おにいちゃんは……? おにい、ちゃんは……!?」


「…………大丈夫よ、この方たちが、きっと……」


 あのジェイクの言葉で再び不安が押し寄せてきたのか、サラはその目に涙を浮かべながら母親に縋る。


 その母娘の様子が、エルキュールの中のある面影と重なる。


 彼女たちは今頃どうしているのだろうか。エルキュールが姿を消したことをどう思っているのだろう。この家族のような思いをさせてしまってはないだろうか。


「……ちっ」


 忌々しい思考を掻き消すように舌打ちをする。


 結局、エルキュールたちイブリスの存在は不幸を生むことしかない。それは分かりきっていたことのはずなのに、実際こうして目の前に突きつけられると、どうしようもなくやるせなかった。




◇◆◇




 あれから少し間を置いたのち、グレンとカーティス隊長は揃って戻ってきた。用事は滞りなく済んだようで、すぐに話はカイル捜索について移った。

 先ほどジェイクが言ったことも一部正しく、アルトニー騎士隊から人員を割くことは難しい状況だった。物資を効率的に運ぶためや、ヌールの二の舞を踏まないよう警備を強化すること、先ほどの話にもあった森林の任務にも騎士が駆り出されている。


 そこで白羽の矢が立ったのがエルキュールとグレンの二人だった。薬を取りに行ったあの魔術師と数人の騎士が未だに帰ってきていないことから、現在の森林地帯は非常に危険だと予測される。一刻も早い安否確認とある程度魔獣と戦えることを考えると、二人以上の適任者はいなかった。


 そう短く話を纏めると、怯えるクラーク一家を宿屋に預け、エルキュールとグレンはアルトニーの北門を行った先にある森林地帯を目指した。

 急を要する案件のため、二人の緊張感も否応なしに高まっていたが、子供の足ではそう簡単には遠くへ行くことはできないのも事実。すぐに追いかけさえすれば、直に見つかるだろうと踏んでいた二人だったのだが――


「……おい、こりゃあまずいかもな。見渡す限り木しかねえじゃねえかよ」


 アルトニー森林に入って十数分、鬱陶しげにグレンが呟いたのを聞きながら、エルキュールも今回の件が想像以上に厄介なものであるのを感じていた。

 エルキュールが住んでいたヌール近辺にはいくつか林があるものの、これ程木々が密生している地域は皆無である。記憶の中を探ってみてもこれに匹敵すると思われるのは、オルレーヌ東端にあるゾルテリッジ大森林ぐらいだった。


「想像以上に木が密集しているうえ、生い茂る葉が太陽を覆っているから辺りも暗いな……魔獣の存在以前に、下手をすると遭難してしまう危険もあるだろうな」


 どうやら耳にしていた以上に危険な場所であるようだ。早急にカイルを見つけなければ、エルキュールたちすら危険だろう。二人は気を引き締め直し、周囲の探索を続ける。


「カイルのこともそうだが、ここに薬を取りに来たとかいう魔術師たちの様子を探るのも忘れないようにしないと」


「……それもあったか。あーあ、気安く請け負うもんじゃねえな」


「仕方ないだろう、カーティス隊長の頼みだ。この非常時に騎士が帰ってこないのは問題だろうし、彼らがカイルに接触していれば手間も省けるかもしれない」


「そう上手くいけばいいけどな――」


 お互い会話しながらも辺りに注意を配ることは忘れない。エルキュールの場合はその優れた魔素感覚を研ぎ澄まし、周囲で魔獣や騎士が用いた魔法の形跡が残っているかどうかも確認していた。


「上手くいけば、じゃない。上手くやるんだ、絶対に……そう約束したのだから」


「ん? ああ、あの子供の……サラとかいったか」


 グレンが口にしたその名はクラーク夫妻のもう一人の子供のもので、カイルの妹でもある少女を指すものであった。




 ここに来る直前、クラーク一家を宿に送るときの出来事だった。

 あの愚かな騎士――ジェイクの悪意ある物言いも手伝い、母の懸命な励ましでなんとか堪えていた不安がついに爆発したサラは、その場から動けなくなるほど泣き出してしまったのだ。

 痛々しいその様子に両親の方も辛い思いがぶり返し、彼女を宥めることできないほどだったのを覚えている。


 この悲劇にはヌールの襲撃が関係しており、その原因はエルキュールの存在が大きい。それを自覚しておいて、目の前で兄を心配して泣いている少女を放っておくことなどできなかった。


『……君のお兄さんのことは俺たちがどうにかする。だから、今は宿に戻って休もう』


 気が付けばサラの目の前に膝をついてそのようなことを言っていた。エルキュール自身も驚くほど優しい態度だった。


『……うぅ……ひっく……そ、そんなのわかん、ないよ……おにいちゃんも、ぐす……ジェナおねえちゃんも、まじゅうに――』


 涙で濡れたその顔は悲痛そのものであり、エルキュールの言葉など到底信じられないと物語っているようだった。


『そんなことはない。その人は魔術師なのだろう? 魔術師というのはとても強い、魔獣なんて敵じゃない。きっと今頃は、カイルを襲う魔獣も全部倒しているだろう』


『……ほ、ほんと……? で、でも……ん……もりにはたくさん、こ、こわいのがいるんだよ……?』


『ああ、本当だ。でも力を使い果たして疲れているだろうから、俺たちがこれから迎えに行ってくる。大丈夫、また二人に会える……約束しよう』


 出来るだけ事態を楽観できるように言葉を尽くす。その甲斐あってようやくサラの嗚咽は収まり、その顔には涙が残りつつも確かな笑みが浮かんでいた。


『……うん……! やくそく、だよ』




「あの時は随分手馴れてたよな、お前……いつもの愛想のなさが嘘みたいだったぜ」


 こんな状況であってもこちらをからかってくるグレンに、エルキュールは呆れたように目を細めた。


「……昔、妹にもあんな風に接していたから、その応用に過ぎない」


「……そうかよ。ま、約束した以上後には引けないよな、お兄ちゃん?」


 二度目のからかいには一瞥もくれず、黙々と辺りを注視する。グレンの言葉の通り、約束をしたからには絶対にカイルを見つけなくてはならないのだ。ならば足跡でも魔素でも、あるいは音でも、何一つ見落としてはいけない。


 とはいえ、無理に急いで道に迷ってしまってはそれも叶わない。方向感覚を失わないために、エルキュールは一定間隔でそこらの木に魔素を付着させていた。もちろん生態を破壊してしまわないよう調節必要するはあるが、魔素感覚が鋭い者にとっては有効な方法だ。


 さらに数分経った頃だろうか、肉眼で周囲の痕跡を探っていたグレンが足を止めた。


「これは――」


「どうした、グレン……ん、これは足跡か……? 随分と小さいが」


「ああ、多分カイルの足跡みてえだな……例の魔術師のものかもしれねえが、それだったら他の騎士の足跡がないのが気になるな」


 この辺りは土が柔らかいのか、はっきりと見て取れる足跡が残されていた。それは真っ直ぐ先に伸びているが、しばらくいったところでまた途切れてしまっている。


「とりあえず、こちらの方角に……っ!?」


 足跡を辿ろうとエルキュールが提案しかけたその瞬間、前方に莫大な魔素の奔流を感じた。

 それが何なのかを認識する間もないうちに、辺りに爆発音のようなものが響き渡った。それに伴い空気が振動し、付近にいた鳥たちが羽ばたいた。


「なんだ……!? おい、エルキュール! さっきの爆発、足跡の方だよな?」


「……恐らく魔法によるものだろう。とにかく急ごう――」


 先ほどの爆発が魔法であった場合、魔術師や騎士が魔獣と戦闘している可能性が高い。エルキュールとグレンは頷き合い、音のした方向へ駆ける。



 葉を踏み、枝を折り、茂みを切り開きながら最短で直線距離を進み、やがて鬱蒼とした木々ばかりだった景色から開けた場所に辿り着いた。

 そこで見たものは、ある意味で期待通りの、ある意味で最悪な光景だった。


 辺りの木々が折れて開けている場所の中心、酷く怯えた様子の少年とそれを守るように杖を構える白い装束に身を包んだ少女がいる。状況を考えればカイルと魔術師だろう。

 そして周辺にはやはりと言うべきか魔獣の群れが少年たちを囲んでいる。犬型、鳥型、狼型もいる。そのいずれも瞳には生気が感じられなく、身体中に魔素質が浮き出ていた。


「――ストラール!」


 少女が魔素を使役すると、光の魔素が光線を形成し空中の鳥型魔獣の一体を貫いた。しかし、コアを破壊するには至らなかったのか、たちまち損壊した部分が再生を始める。イブリスに特有の驚異的な回復力である。


「――カーッアァァー!」


 傷をつけられた魔獣は怒ったように声を上げ、その叫びが周囲の魔獣にも伝播し、途端に辺りが騒がしくなる。魔獣の総勢は数にして二十。このままでは数の暴力で押されてしまうかもしれない。

 そうなる前に手を打つ必要がある。幸い魔獣どもはエルキュールたちには気づいてはいない。静かに、それでいて素早く、周囲の魔素を操る。


「ひっ――ジェナお姉ちゃん!」


「カイル君、下がって――」


 凶暴化した魔獣が少年たちに襲いかかるより前に――


「降り頻る暴雨の襲来――プルーヴィア!」


 完全詠唱した魔法は詠唱を省略した場合よりも威力が高い。その最大威力の水魔法は広範囲に渡って魔獣を蹂躙する。


「隙だらけだぜ!」


 エルキュールの放った雨状の魔法を間一髪のところで避けた魔獣を、グレンが銃剣でもって追撃する。コアを正確に狙った斬撃で数体の魔獣が地に伏した。


「あなたたちは……?」


「話は後だぜ、魔術師サンよ! 今ので半分だ……エルキュール、さっさと終わらせるぞ!」


 突然の救援に困惑する少女と、状況を理解していないカイル。その二人を魔獣から守るように、エルキュールとグレンがそれぞれ前方と後方についた。


「……いや、そうはいかないみたいだ」


「っ……ここまで追ってきたの……!?」


「は? どういう意味だ……って、あれは」


 エルキュール、少女が先んじて異常に気づき、グレンも眼前の魔獣を警戒しながらもその方を窺う。


 森の中から三人ほどの人影がこちらに向かってきている。木の陰に隠れて姿は見えづらいが、どうにも足元が覚束ない様子だった。

 それだけなら負傷した騎士や迷った住人が来たとも考えられるが、そんな想像をするまでもないほどに、決定的なものがあった。


 先ほどの少女の言葉もそうだが、エルキュールが自身のコアで感じ取った邪悪な魔素が、思考を最悪な想像へと掻き立てる。


 やがてその人影はエルキュールらのいる広場まで到達し、その姿が陽の光に照らされはっきりと見えるようになる。


「……本当に嫌になるな……」


 エルキュールは自身の想像が裏切られることをこれでもかと望んでいたのだが、どうやら現実はそう上手くいかないらしい。



 ――魔人。エルキュールにとっては二度目となる人型イブリスとの遭遇だった。






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