一章 第五話「騎士の責任」

 ヌールからの旅人であることから、アルトニーの騎士詰所を訪ねるよう申し出を受けたエルキュールとグレン。その言葉の通りに赴いた二人だったが、そこで待ち受けていたのはある男の悲痛な叫びであった。

 男の放った言葉に、グレンとエルキュールの顔も険しいものに変わった。


 ――このままでは息子が……カイルが魔獣に殺されてしまうかもしれないのです……!



 魔獣に殺される。あまりにも物騒なその言葉に、それまで入口の方で様子を見守っていたエルキュールも、男たちがいる詰所内の隅の方へ向かう。


「それはどういう意味ですか?」


 エルキュールが突如として会話に入ってきたことに多少驚いた素振りを見せたが、男は絞りだすように詳しい経緯を語り始めた。


 男の名はリチャード・クラーク、傍らにいる女性と少女はそれぞれ彼の妻と娘であり、ここから西にあるガレアで農業を営んでいるらしい。

 ここアルトニーへはニースで催されている大市に参加するために一時的に滞在しており、本来ならば一昨日の三日にはヌールへと向かっていたはずだった。


「あなた方もご存じかもしれませんがその日は魔獣が大量発生しており、一般人の通行が制限されていたのです」


 あの日のことについてはエルキュールもよく知っていた。ヌール・ガレア方面での魔獣の大量発生、当日の該当区間の通行には魔法士などの専門職の同行が必須だったのだ。


「まあ、制限の方は然程問題ではなかったのですけどね……本当にあの魔術師さんには頭が上がりません」


「魔術師だ? そんなお偉いさんがこの街にいたのかよ」


 魔術師という単語にグレンは大仰に反応した。魔法士の上位職である魔術師は数も限られており、優れた魔法技術を持つことから国からも重宝されている。

 一介の農商が雇うというのは少し珍しく、エルキュールも意外そうな目で相槌を打った。


「いえ、雇ったというより彼女の目的のついでに、といった話でしたが……ともかくこれで何の憂いもなくニースへ、そう思っていたのに」


 リチャードはそこで話を一度区切ると重い溜息を吐いた。話すのも一杯一杯なその様子に、それまで娘をあやしていた妻が夫であるリチャードを慮り、彼の代わりに続く話を語り始めた。


「あの日の夜……ヌールが襲撃されたとの知らせを受け、周りの全てが変わってしまいましたの……」


 クラーク夫人は娘である少女の手を固く握りしめる。それは娘を安心させようとしているのか、はたまた忌々しい記憶を掘り起こすための勇気を得ようとしているのか。

 その様子につられ、エルキュールの脳裏にも蘇ってきていた。


 あの街を焼く劫火が。恐怖に彩られた悲鳴が。魔人と化したあの男の姿が。

 そんな不快感をおくびにも出さずにエルキュールは夫人の言葉に耳を傾ける。


「それで、ニースへ行く予定も潰え、そればかりか今はヌールからの難民のためこの街も忙しない様子で……ジェナさんもまた昨日の時点で、自身の務めを果たしに行かれましたわ」


「ジェナ……? それが例の魔術師の名前ですか」


 聞きなれない名前をエルキュールはこれまでの文脈から推定する。夫人からはすぐに肯定が返ってきた。


「ええ、この非常事態ですから……何でも街の外へと用があると仰って……ああ! そうだわ! やはり、あの時に私がしっかり――」


「エイミー……」


 何の拍子だろうか突然声を荒げる夫人――名をエイミーというらしく――をリチャードが宥める。

 それまで口を挟まずに話を聞いていたエルキュールとグレンの方は、どうにも中々話の真意が掴めないことに困惑し、再び顔を見合わせた。

「……なあ、辛いことを尋ねちまって悪いが……息子が魔獣にとかいう話はどういうことなんだよ?」


 落ち着いた口調、しかし核心を衝く鋭い言葉でもって、グレンは終点を見失った物語を正しい方向へと導く。

 その指摘に一瞬怯えたような目をしたクラーク夫妻だったが、すぐに言葉を紡ごうと口を動かし始める。


「……うちの子供たちは……カイルもサラも、ジェナさんを大層気に入っていたようで、彼女と別れるとき、とても悲しがって……『行かないで』と、彼女を止めようとしていたんです」


「ああ……」


 ここまで話を聞いて、エルキュールはようやく得心したように声を漏らした。


 その魔術師と彼らの子供たちは親密であり、カイルもここにいるサラも街の外へ行かなければならない彼女との別れを惜しんでいた。そして、現在この場にカイルの姿がないことや、先ほどのリチャードの叫びを踏まえると――


 それまで不明瞭だった点に線が引かれた、エルキュールの中にはそんな確信が生まれていた。


「つまり、カイルという子は魔術師の女性を追ってあなた方の下を離れた……そしてその行先はアルトニーの街の外、魔獣に遭遇する可能性があるということか」


 エルキュールの推論が正しいことは、一家の驚いた様子を見れば火を見るよりも明らかなことだった。


「ええ……! そうなのです! 私たちが目を離した隙にです! もう街中なんて可能な限り探しています! だからこうしてここに来ているというのに――」


 リチャードの非難じみた言葉に、それまで沈黙を貫いていた騎士の眉間に皺が寄る。

 国民を守る騎士がそのような態度を表に出すのはどうかとエルキュールは思うが、それでも先ほどの話には未だ不確定な事も多いのも事実だった。


「けどよ、そいつが街の外へ出たという確証もないんじゃねえか。仮に出ようとしても、門には大体騎士がついてるんだろ?」


 グレンの当然の指摘を聞き、得意げになった騎士は意気揚々と頷いた。


「ええ、その通りですよ! 街の外へ出るには騎士が見張っている門を通らなくてはいけない! ですが、どこの門の騎士からも子供が来たなどという連絡はない! まったく……まだ見失って間もないのだから、もう一度自分らの手で探すように申し上げているのに――」


「ああ……そんなに怒鳴るなって」


 息子が行方不明になり混乱状態にある者への応対は、それ程までに神経にさわったのか、騎士の男は微かな怒りを滲ませながら自身の正当性を主張した。ただでさえこの一家は傷心であるのに、これ以上下手に刺激されるのも面倒だと、グレンが止めに入る。


 おかげで騎士の機嫌も収まり、それ以上この場の雰囲気が悪化することはなかった。


 騎士の態度の変容によって緊張が走る一同を尻目に、エルキュールは思いを巡らせていた。


 夫妻はカイルが街の外へ出てしまったのだと思い込んでおり、騎士はそんな事実はないと断言している。だからこそ、エルキュールたちがこの詰所を訪ねた直前、言い争いをしていたのだろう。

 両者の主張は食い違っている。しかし先ほどの話だけに限れば、騎士の言葉は聞こえが悪いものの、他の騎士の証言に基づいた正確なものだと思える。


「そのはずなんだが……妙だな」


「あぁ? 妙って何がだよ」


 自然と溢れ出たエルキュールのその言葉に、グレンも他の者も困惑の反応を見せる。


「……そういえば、クラーク夫人。あなたがいうにはジェナという魔術師は昨日の時点であなた方から離れていた……そういうことでしたね」


「ええ、その通りですわ……」


 エルキュールの突然の質問に、エイミー・クラークは困惑の顔を強めた。対してエルキュールはその質問に満足気に頷いた。


「では――カイルが行方不明になったのも、昨日の事ですか?」


 ここまで家族にまつわる話を聞いてきたが、カイルがいつ消息を眩ましたのかが謎だった。エルキュールは例の魔術師が役目とやらを果たしに行ったすぐ後に消えたのだろうと推測していたが、返ってきたのは予想を裏切る答えだった。


「いえ、昨日ではありません。今日の朝食の際、あの子が用を足しに行くといって食堂の上の階に戻ったんです……そうしたら『ジェナさんを追う』という旨の短い手紙が部屋に……」


 朝食時ということはカイルがいなくなったのはつい最近の出来事のようだ。今から探せばそこまで大事には至る前に見つけられるかもしれない。

 それは僥倖なことだが、その事実は同時に最悪な可能性を孕んでもいた。

 エルキュールはちらと騎士の方に視線を向けた。相変わらず黙っているようだが、その顔はかつて見ないほどに青白く、額からは脂汗が垂れていた。


「そうなんですか、初めて知りました。最後に、そのことは……こちらの騎士には既に相談していたことですか?」


「い、いいえ……息子がいなくなったことだけは伝えましたが、他の騎士に確認してもそんな事実はないと突っぱねられてばかりで碌に話も……って、あ――」


 否定。カイルが消失した正確な時刻は今このときを以て初めて語られた、その事実からエルキュールもグレンも、クラーク夫人も同じ疑問に至ったようで、揃って騎士の方に視線を向ける。クラーク家の娘サラだけは事の重大さが分からず、泣き腫らした赤い目を不安そうに母親に向けていた。


「おい、あんたさっき言ったよな? 『まだ見失って間もないのだから』ってよ。あれはどういう意味だ? 何で知ってやがった」


 グレンが代表して騎士の男を糾弾する。先ほどの話では、彼がカイルの消息不明からそれほど時間が経過していないことを知る由はなかったはずだ。ならばこの騎士が最初にすべきだったことは、この家族の懇願を拒否することではない。

 消息をくらました時刻から時間が経っていればいるほど、クラーク夫妻が言う魔獣に襲われる可能性というのは現実味を帯びてくる。その事が不明なあの時点で、『もう一度よく探せ』などという悠長な言葉は出てこないはずだ。


「何か知っていることがあるなら今のうちに――」


「う、うるさい! 君たちがいるのならもう私は不要だろう!」


 エルキュールが言い終わる前にその言葉を遮ると、この場から立ち去ろうと踵を返した。その豹変ぶりを見て放っておくわけにはいくまい。逃げる騎士の肩をグレンが押さえつける。


「逃げるな。いいか、人命が懸かっているかもしれねえんだ! お前には説明する責任がある」


 肩を掴んだ手のまま、騎士の身体を強引に向き直させると、その目を睨みつけながらグレンは語気鋭く迫った。


 その有無を言わせぬ態度に騎士は諦めたように息を吐き、自嘲気味に笑った。


「……俺は元々このアルトニーの北門を見張る役目を任せられていたんだ。そう、あんたらが言っていた魔術師サマが向かった森林地帯に続いている門さ」


 騎士としての折り目正しい口調はすっかり忘れたその言葉は、どこか開き直っているようにも思えた。


「俺のここでの仕事といえばそれだけだったさ……はっ、楽なもんだったよ、最近は魔獣騒ぎも少なかったからなぁ……なのにあの事件のせいでよ……薬が必要とかで俺ら騎士衆が魔術師についてあの森に行く羽目になったんだ」


 ヌールからの難民のため、あらゆる資源が足りなくなっているというのはエルキュールも至るところで耳にしている。そのためにあの魔術師とアルトニーの騎士が駆り出されるというのは理解できる話だった。


「だけど、せっかく楽な見張りの仕事をこなしていたっていうのに、急に魔獣がうろつく危険な森に入って薬を取って来いって、無茶苦茶だと思わないか? 俺は思ったね。だから、仮病をつかって抜け出して、いつもの任務に戻ろうとしたんだ。それで隊長に今日から俺をまた見張り番にするよう掛け合って、これでようやく俺の日常は返ってくる……そう思っていたのによ」


 次第に声が荒くなる騎士の様子にエルキュールは何か嫌な予感を感じた。落ち着いて話すように一旦彼を止めようとしたのだが――遅かった。


「ガキが行方不明になっただ? それもあの魔術師を追って? 俺が昨日まで番をしていた方角へ? もし俺が抜けていた隙にそのガキが外に出ていたとしたらどうなる? 俺の上流階級としての人生はお終いじゃないか、冗談じゃない!」


 そこまで聞いてようやく一同は理解した。男の豹変の理由を。彼が頑なにカイルの捜索を拒否していた理由を。そしてそれがどこまでも自分勝手な都合によるものだったいうことに。


「――! ふざけるな!」


 身勝手に喚く男にグレンはついに激昂した。夫妻に至ってはあまりの衝撃に何も言えないようで、その顔には絶望の念が広がっている。 男の短絡的な職務放棄によって騎士隊の組織としての機能が乱れたばかりか、よりによって息子が危険の大きい森に入ってしまったかもしれないのだから無理もない。


「いいか! 騎士っつうのは民を守るのが職務の本質のはずだ! だからこそ騎士という職は人々からありがたられ、そこには特権が認められる! それなのに、いざとなったら自分の保身の事しか考えられねえのが現実だ! そんなんだからオレは――」


「グレン……」


 男の胸ぐらを掴み、今にも殴り飛ばしそうな勢いで叫ぶグレンをエルキュールは制止する。彼の怒りは理解できるものであったが、ここで彼に手を汚させるわけにはいかない。今はそんなことに拘っている場合ではないのだ。


 グレンは何言わずに男を掴んでいた両手を放した。解放された男はそれまで胸元を押さえつけられていた苦しみから咳をしていたが、やがて落ち着くと二人を嘲るように笑った。


「はっ、お前みたいな若造が知ったような口を。それに俺のした選択は間違ってなんかない。騎士の端くれである俺は万が一に過失があったとしても、すぐに刑罰を受けるなんてことはない……だったら命を大事にした方が利口だろ? ほら、知ってることは一応話した。せいぜいお前らはガキのために頑張って――」


「残念ですが、そうはいきませんよ、ジェイク」


「……!?」


 あくまでも自身のしたことを省みない男の言葉を遮ったのは、凛とした女性の声だった。

 声のした方向を見やると、そこにはこの詰所には似つかわしくない年老いた女性がいた。その女性は騎士の制服を着こんでいることから、驚くべきことであるがこの街で勤めている騎士の一員らしい。


「あまりの騒ぎに見かねて来てみれば、随分と込み入った状況のようですが……とりあえずジェイク、あなたの件から処理しましょうか。そちらのご家族の件もその後に然るべき対応をさせていただきます」


 老婆は一瞬でこの状況を分析すると、騎士の男でも家族でもなく、エルキュールたちに目を向ける。


「ああ、あなたたちがヌールからの……話には聞いていましたが、まさかねぇ――」


 エルキュール、グレンと順番に視線を向ける老婆だが、グレンに対する視線は何処か意味深なものを含んでいるように思えた。グレン本人もそのことは気づいたのか、きまり悪そうに頭を掻いた。


「さて、ジェイク。あなたは騎士階級であるから確かに通常なら過失を犯してもすぐには罰を受けない。騎士は貴重でいてとても重圧のかかる職業ですからねぇ、場合によっては情状酌量を受けるなんてこともありましょう」


「そ、そうですよ、カーティス隊長……お、私はあの時具合が悪く、あのまま任務に同行していてはきっと足手まといに――」


 先ほどの態度とは打って変わってジェイクは詭弁を弄する。そんなことが嘘偽りであることはこの場の誰にとっても見え透いていた。


「ええ、それは昨日も聞きましたよ。確かにそれを裁判の場で答えれば、あなたの罰は軽くなるでしょう。しかしねぇ、一つ例外があるのを忘れているのではないですか」


「例外……」


 老婆――カーティス隊長から出たその単語に、エルキュールは眉をひそめた。

 王国騎士団の騎士に認められる特権はその過酷な任務に値するからこそであるが、中にはその特権を悪用しようとする輩も存在していた。数年前まで、それを現行の法に則って裁くことは難しいとされていたのだが、ある事件をきっかけにその悪行を断罪するための法整備が整えられてきたと、エルキュールがかつて読んだ書籍には記されていた。

 その一つが王国裁判所とは異なる騎士を専門とした特別な司法機関――


「ブラッドフォード騎士裁判所……」


 エルキュールのその言葉にカーティス隊長は微笑んだ。



「ええ、その通りです。そして、あなたの養家でもある……そうですね、グレン・ブラッドフォード」





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