序章 第十九話「失意の中 前編」
家から出て、とりあえずはこの街を出ようと考えていたエルキュールだったが、街が存外静かなことに気づきその足を止めた。
先ほどまでは辺りに魔獣が闊歩し炎に包まれていたというのに、今となっては魔獣の姿は忽然と消え、燃え盛っていた炎の勢いも弱まっていた。
それでも、ここまで倒壊した家屋が多いと復旧に時間はかかるだろう。すぐに以前のような生活に戻ることは見込めない。
「……変に冷静な自分が嫌になるな」
どこか他人事のように荒れ果てた街を分析していたエルキュールだったが、不意にその眉を歪めた。
彼も当事者であることに変わりはないはずなのだが、その態度は不思議なほど落ち着いたものであった。
そんな光景に慣れてしまうくらい、長い時が流れたというのもあるだろう。
しかし、そんな量的な問題では到底片付けられないものが、エルキュールの心に重く沈んでいた。
アマルティアとの邂逅、それに伴う自己認識の変容。
世界と自分との間の壁が一際厚くなったような感覚をエルキュールは感じていた。
「とりあえずの脅威は去ったのか……?」
せめて生存者が無事に避難できたのかだけは、この街を発つ前に確認しておくべきだろう。
この地に災害を招いた遠因として、それくらいは行って然るべきだ。
「郊外に出てみれば何か分かるかもしれないな」
もう、あらかたの救助は済んでいるはずだ。そう判断し、エルキュールは歩みを進める。
――目指すはアルトニー方面。ニースの方には足が向くはずもなかった。
ヌールには街の外に出る三つの門がある。
一つは、今朝アヤとリゼットを見送ったニースへと続く東門。
一つは、グレンと共に魔獣を狩りに言った際に通った北門。
そして、最後がアルトニー方面に造られた西門。こちらを通るのはおよそ三年ぶり、初めてヌールの街に来た時以来になる。
北ヌール平原に魔獣を狩りに行くとき以外は、この街から外に出ることはなかったからだ。
そう考えると、いかに自分が閉鎖的な空間で生きてきたのかと、エルキュールは実感せざるを得なかった。
それでも何故か、アマルティアの連中に目をつけられる羽目になってしまったが。
自責やら怨恨やらで混沌とした心気を宥めながらエルキュールは道程を行っていたが、前方に見える人影にその足を止めた。
「あ、あなたはもしかして……!?」
その人物もエルキュールの姿を認めたらしく、こちらに向かって小走りで駆けてきた。
その様子から人影に敵意はないことは分かるが、緊張した面持ちでエルキュールは待ち構えた。
「や、やっぱり……! あなたはエルキュールさん、ですか!?」
「……ええ、そうですが」
人影が近くまで来たことでその姿もはっきり見て取れる。見慣れた鎧を装着しているところから推察するに、街をヌールの騎士であろう。
ヌール広場で会ったあの三人の騎士とは別の騎士であるが、どうしてエルキュールのことを知っているのか。
不信感を募らせるエルキュールとは対照的に、騎士の男は相手がエルキュールだと分かると安堵したように息をついた。
「はー、よかった! グレンさんがあなたのことを捜していたんです、こちらへ来てくれませんか?」
「グレン、か……」
しばらく人と関わるのは御免だと考えていたエルキュールだったが、そのよく知る名前に表情を穏やかなものに変える。
ついさっき別れたはずなのに、まるで何年も会っていないかのような感覚を覚える。
しかし、この騎士とグレンとの間にどんな繋がりがあるのか、そんな疑問が新たに浮上してきた。
エルキュールがこの誘いに乗るか決めあぐねていると――
「――話はグレンさんに直接聞いてみてください。さあ、こっちです!」
エルキュールの思考を察したのか、男はそれを汲み取ったうえでエルキュールを促した。
エルキュールと別れた後、グレンはこの街で救助活動をしていたはずだ。彼に聞けば、そこらの詳しい事情も把握できるだろう。
そうすれば後顧の憂いもなくなり、この街を出発できるというものだ。
方針を定めたエルキュールは、その騎士に従うことに決めたのだった。
◇◆◇
西門をくぐると、月明かりに照らされた平原に入った。北ヌール平原とは異なり、こちらはアルトニーへと続いている関係で人や馬車が通るための道がある。
また、その道に沿うように幾つかの天幕が掛けられていた。周りにも人が疎らにいる。避難誘導を受けここまで来た住民たちと、それを一時的に収容するための施設群であろう。
ものの数時間でこれらの設営が整えられたことに感心していると、エルキュールをここまで連れてきた騎士が懐から通信機のような物を取り出し、何か連絡を取っていた。
「さあ、こちらですよ」
それから道沿いにある天幕の一つを指し示し、エルキュールの前を歩き出した。予想外に人が多いことに緊張したが、ここまで来て引き返すことなどあり得ない。エルキュールも男の後に続く。
入口に垂れ下がっていた暖簾を手で押しのけ中に入る。
「皆さんただいま戻りました。この通り、エルキュールさんも連れて参りました」
天幕内には入ってきたエルキューらを除き、二人の先客がいた。
一人はもちろんグレンだったが、もう一人の禿頭の騎士はエルキュールの知らない人物である。
気にはかかったが、とりあえずそのことは置いておく。自分から積極的に話を動かそうという気力がエルキュールにはなかったのだ。
「おお、ありがとな。……ったく、無事だったかエルキュール?」
エルキュールを連れ来るという役目を終えた騎士は一礼してから外へ戻っていった。グレンはそれを見届けてから、エルキュールに声をかける。
いつもは苛烈に燃えるような深紅の瞳は、この時に限っては温かみのある色をしているように見えた。どうやら、相当エルキュールのことを心配していたようだ。
「……ああ、特に怪我とかはしていない」
実際、エルキュールの経験した精神的な摩耗を考えると、決して無事だとは言えない状態であろう。
しかし、そこに至る経緯は他人に口外するにはエルキュールの内面に深く関わりすぎている。その代わりに、身体の具合はひとまず問題ないことを伝えておいた。
「この方がエルキュール殿、ですか……おっと失敬。某はニコラス・バーンズ、ヌールの騎士を束ねるものです。よくぞご無事で」
言葉少なにエルキュールの安否を確かめたグレンの横で、禿頭の騎士が口を開いた。
柔和な表情に古風な言葉遣いが特徴の男であるが、力強い精力も漲らせていた。騎士隊長という肩書も納得の出で立ちであった。ニコラスの丁寧な態度に、エルキュールは軽い会釈で返す。
「……? まあ、無事ならよかったぜ。そうだ、お前にも伝えときたい話があるんだが――」
一段と物静かなエルキュールに若干の違和感を覚えたのだろう、グレンは眉をひそめた。
しかし、それも一瞬のこと。怪訝の色はすぐに消え、彼はエルキュールと別れた後の自身の経験について語りだした。
グレンは極力私情を抑え、事務的にこれまでに判明した出来事を語った。
主犯は仮面の男のザラームと、その部下と思しき二人の少女。そのいずれも魔獣を操る能力を持っていたという。
彼らが街にある三つの門から同時に襲撃を開始したようだ。というのも、街の破壊状況は魔獣が攻めてきた三つの門の周辺が特に酷く、そこから中央区に至るにつれて損傷は浅く広くなっていたという。
崩壊の度合いはまちまちだが、広範囲に及ぶため完全な復興には時間を要するだろうとのことだ。
この襲撃から避難できた住民は人口の三割程であった。その住民は、現在急遽造られたこの天幕内で一時的に滞在しているらしい。
残りの七割のうち三割は、街の外への外出していたものもいたようだ。事件当時が休日だったことやニースの大市も関係しているのだろう。
逆算すると行方不明、死亡及び魔人と化した住民は四割ということになる。想定外の奇襲とはいえ、多数の犠牲者を出してしまったことにエルキュールは悔しげに俯いた。
エルキュールにとっては想定外の事ではなかったからだ。アマルティアが街を襲う前に、あの遺跡でザラームをどうにかできていれば、もう少しうまくやれば結果は変わっていたかもしれない。
そんな後悔をせずにはいられなかった。エルキュールの様子を見兼ねたグレンが、滔々と述べていた報告を一旦中止する。
「――お前の考えていることは分かるが、あの遺跡の時のオレたちにはあれが限界だった。例え念入りに準備しても、そもそも襲撃前には間に合わなかったはずだぜ」
「あの遺跡……?」
その慰めの言葉に反応したのは、グレンの横にいたニコラスの方だった。確かに、ニコラスにとっては把握しかねる会話だろう。グレンは簡単に遺跡での件とそこに至るまでの魔獣の術式についてをニコラスに説明した。
「なるほど……話を聞く限り、彼奴等は不気味なほど周到に準備をしていたようですな。丁度騎士が少ないこの時勢を狙い、魔獣の勢力を増やしていたのでしょうな。今朝の魔獣情報もその影響かもしれませぬ」
グレンからの情報を受け入れ、ニコラスは一際低い声で情報を整理する。言われてみれば、北ヌール平原のあの術式付き魔獣も、此度の襲撃のための準備の名残だったのかもしれない。
「恐らく、そのザラームとかいう賊はその遺跡周辺で水面下の活動をしていた……そして話に聞く大蛇の魔獣はその集大成ともいうべきものでしょうな。それを街の襲撃に使われる前に討伐できたのはグレン卿と――エルキュール殿、あなたのおかげに他なりません」
事情を汲んだニコラスが、グレンに並びエルキュールに再度慰めの言葉をかける。彼の言う通り、大蛇魔獣の討伐にはエルキュールの功績が大きい。しかも特級魔法によってようやく葬ることができたほどの怪物である。街に放たれていたら、さらに被害は拡大していただろう。
「……ありがとうございますニコラスさん。グレンも、話を止めてしまって済まない」
難しいことだが、いい加減切り替える必要があるだろう。エルキュールはここにきてようやくまともに口を開いた。
「それで、そこまでしてあいつらが街を襲った理由だが……ここを襲ったのはこの世界への反抗のためだという話だったな? 要するに、これは始まりにすぎねえってことだ」
「ええ。彼奴等はこのオルレーヌ、ひいてはヴェルトモンドの全てのリーベ国家に仇なすつもりでしょう。……とりあえずはここでアルトニー・ニースの難民受け入れを待って、一段落したら王都の騎士団本部にも連絡をしなくてはな」
アマルティアの目的――詳細は依然として闇に包まれているが世界に歯向かう思想を持っていることは公に明らかになっている。すなわち、今後もこのような襲撃がまた引き起こされるかもしれないということだ。
「そうだ、お前の方はなにか収穫はあったか? 別れてから全く情報がなかったからな、とにかく今は奴らに続く手掛りがほしい」
グレンの問いかけに、反射的に身を固くしてしまうエルキュール。話せることは限られているゆえ、慎重に言葉を選ぶ必要があった。
かといって、何も言わないのは不誠実だ。アマルティアはもはや正式に世界の敵といってもいい。その情報はできる限り共有するべきである。
エルキュールは意を決し、自身の得た情報をできる限り語り始めた。
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