序章 第十八話「独白①~エルキュール~」
『この世界にお前らバケモノが生きる場所なんざねえんだよ!!』
――これは誰の言葉だっただろうか?
あの頃のことは朧気ながらにしか覚えていないらしく、生憎とこの言葉の主の顔は思い出せない。
記憶が蘇るたびに心を抉られてきたというのに、不思議な感覚だな。
思えば、これが始まりだったか。
この世界に俺の居場所など存在しない。その事件を経てからというもの、心の片隅ではずっとそう思っていたんだ。
それでもこの世界で何とか生きてこれたのは、間違いなく母さんとアヤのおかげだろう。
当時、半ば廃人だった俺に教学を、道徳を、愛情を与えてくれた。この世界で生きる術を教えてくれた。
この恩は、きっと生涯忘れない。
母さんもそうだが、まだ小さかったアヤに苦労を掛けさせてしまったことは、謝罪しないといけないな。
ヌールに至るまで家もなく、魔物の脅威に怯えながら各地を転々としたことは、臆病な性格だったアヤにはさぞかし辛かっただろう。
――そう、辛かったはずだ。辛かったはずなのに、俺が謝るたび「いつかお兄ちゃんを守れるくらい、強くなるから」と言って、笑いかけてくれたことは忘れられない。
その言葉通り、本当に強くなったのだから、本当に凄いと思う。
名の知れた魔法学校に入学したこと、臆病な性格を直すために人と話す練習をしてきたこと、数えだしたらきりがない。
もし、それらのことに俺の存在が関わっていたとしたら、少しは共に過ごした甲斐があったのだろうか。
――いや、流石に厚かましすぎるな。
俺もそんな君たちに認められるために、共にいることを許されるために、必死だったな。
その中でも、魔人としての力を抑えることは容易ではなかった。
イブリスは外界にある魔素を吸収することで自らの糧とし、その際にコアが発光するのが特徴だ。
もちろんリーベである人間の世界で表立って魔素の吸収はできない。基本は人目のつかない夜に、場合によっては何日も行えないときもあったな。
魔素が欠乏するたびに身体が激痛に苛まれ、魔素質が崩れ、たちまち動けなくなる。
そうでなくても、外に出るにはコアと魔素質の痣を隠さないといけなかったから、慣れるまでは本当に大変だった。
結局まともに生活を送れるようになるまで、五年もの間二人に厳しい生活を強いることになってしまったのは全く情けない話だが。
それからは、受けた恩を何とか返そうと思って、魔法書を読み漁り、武術を学び、襲いかかる魔獣を駆逐してきた。
最初は自分と同種の生き物を滅ぼすことに幾ばくかの抵抗があった。
しかしそれも、ハルバードを一振りするごとに、魔法を放出ごとに、徐々に鈍麻していった。
魔獣に対し容赦は必要ないはずだ。
魔獣はあの村を焼いた。人々の心を傷つけた。俺たちから住む場所を奪った。
――そして何より、いつも俺の心を酷く波立たせる。
魔物を見ると、自分の罪深さを意識せざるを得ない。そんな存在と自分は異なるものだと、否定したくてたまらなくなる。
魔獣を狩るうちに、自分の中には確かにそういった感情が芽生えていた。
家族のため、人のためだというのは、単に自分の本心を嘯いていただけなのかもしれない。
俺はただ自分を守りたかっただけ。それは心が傷つかないように、ということだけでなく、魔獣を殺すことで自分も人間の仲間であると、家族と共にいてもいい存在だと証明したかったのかもしれない。
考えるうちに、自分の存在が気味悪く思えてきた。
そんな感情を持っていいはずがない。
俺がすべきことは、極力周囲に馴染むこと。これ以上、母さんやアヤに迷惑をかけないこと。
それ以外のことは考えないようにした。
ひたすらに無心になるように努め、何の感慨も抱かずに魔獣を狩り、他人との交流も断ち、見るべきものから目を背けることを選んだ。
――今日という日を迎えるまでは。
改めて気づかされたんだ。
母さんやアヤがどれだけ俺のことを気遣ってくれていたかということ。
どれだけ他者を避けていたとしても、自分の周りには僅かに他者との絆があったということ。
自分の中で自分の限界を定めてしまっていたということ。
そして、やはり俺の在り方は間違っていたということを。
あのアマルティアが、遂に俺たちの街を襲ってきたんだ。
以前から名前と簡単な情報だけは知っていた。俺と同じ魔人で組織された集団であること。水面下で魔獣を率いて活動し、リーベに敵対していること。
その幹部だというザラームが俺の目の前に現れた。
『エルキュールよ、貴様の在り方はそれで正しいといえるのか? リーベに諂い自身を抑圧しながら生きる在り方が』
彼は俺を仲間に引き入れるために、今回の騒動を起こしたらしい。
意味が分からなかった。どうして俺なのか。どうしてそんなことのために魔獣を街に放つという残酷非道が為せるのか。
だが実際、街を襲い人間を汚染するのは二の次であったようで、俺がその件を断ると彼らはあっさりと退却した。
去り際に再会を期する忌々しい言葉を吐いていたことから、別に諦めたというわけでもないのだろう。
本当に最悪な気分だった。
このままいけば、うまくやっていけると思っていた。窮屈ではあるが、ささやかな幸せを享受できるものだと勘違いしていた。
とんでもない誤解であった。
どれほど巧妙に忍んで生活しても、結局は俺の存在は周囲に不幸をもたらす。
アマルティアの目的が俺であり、彼らは手段を選ばないと分かった以上、それは確実だろう。
俺の在り方は間違っていたということだ。
母さん、アヤ、二人には本当に感謝している。
ありがとう、俺を人間と変わらず接してくれて。俺の存在を認めてくれて。
感謝している。一緒にいられて幸せだ。
――幸せなはずだ。
ついさっきまでは二人のことを思うと胸が暖かくなった。これからも共にいられるよう頑張ろうと思えた。
なのに、今はとにかく心が痛い。
共に過ごした日々までも、間違いだったように思えて仕方がない。
本当に俺は君たちのそばにいるべきだったのか? 君たちの幸せを望むのなら、恩を返したいと思うのなら、離れるのが正しかったのではないだろうか?
たとえ絆を感じても、それは捨て去るべきだったのものではないのか? 想いが膨れ上がる前に、関係を断つべきだったのではないかとすら思う。
築き上げてきた関係がまるで枷のように感じられる。こんな想いは抱きたくなかったな。
俺はアマルティアを追うことに決めたよ。
奴らを野放しにしていては、安心して二人と共にいられない。周囲が傷つくのに、これ以上耐えられない。
しばらくは家に帰れない。二人を巻き込みたくないんだ。
黙っていなくなることになって申し訳ない。
身勝手なことだと分かっている。これが単なる「逃げ」であることも。
それでも、俺には今一度自分の存在価値を見つめなおす必要があると思う。
いつか、アマルティアとの決着がついたら、俺のせいで二人が傷つかないと確信できたら帰ってくる。
十年間ありがとう。
◇◆◇
「よし、これでいいだろう」
運よく倒壊を免れた自宅の居間、今朝食卓を囲んだばかりの長テーブルに向かっていた俺は、それまで文字を綴っていたペンをそっと下ろした。
手紙を書くという経験は初めてのことで、未だうまく頭が回っていないため変なことを書いていないか心配だ。
したためた手紙を封筒に入れ、目立つように宛名を書き机の上に放る。
今頃この街の惨状は多くの人に知られていることだろう。これからどうなるかは判然としないが、数日後には国からも災害救助用の騎士が駆けつけ、より大規模な捜索と復旧の見通しが立てられることだろう。
その時に、この手紙も彼女たちの手へと渡るはずだ。
――さて、もうやり残したことはない。
徐に立ち上がり、旅立つまえの最終確認を行う。
ザラームによって破かれた服はもう替えてある。ここに来るまで人に会わないか冷や冷やしたが、もう心配の必要はない。
低下していた体力もある程度は回復した。アマルティアの連中は厳しいだろうが、周辺の魔獣程度なら難なく撃退できるだろう。
用意が整ったことを確認し、玄関の方に向かう。
扉の取っ手に手をかけると、二人と別れた時の光景が頭に浮かんでくる。
――これ以上はやめよう。
俺は首を横に振ると、未練を断つように勢いよく扉を開けた。
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