序章 第十七話「一進一退」

 警戒を保ち、ヌール伯邸へと足を踏み入れたグレンとティック。


 その内部は照明が落とされており薄暗い。このままでは探索の効率が悪い。そのことを速やかに察知したティックは、素早く光魔法を放出した。


「――照らせ、ライト。よし、これで明るくなったっすね……といっても、流石に魔法を使いすぎたのかいつもより光が弱いっすけどね」


 ティックの手元に集まった光の魔素が玄関を仄かに照らした。


 しかし、彼の言う通り球体の光量は平均よりも低い。北ヌール平原の遺跡にて、エルキュールが放出したライトはこれよりも輝きが強かった。


「確かに、魔獣との戦闘もあったからなあ……」


 住民を助ける一環として、グレンたちは魔獣との戦闘もこなしてきた。そろそろティックの集中力も切れ始めているのかもしれない。


 彼のそんな様子を目の当たりにして、ふとグレンの脳裏にあることが浮かんだ。


 ヌール広場で別れて行動しているエルキュールのことである。


 彼もこの街に至るまでに相当な数の魔法を使っていたはずだ。無茶はするなとは言ったものの、やはり少し心配であった。


「まあ、あいつならうまくやるか……」


 逸れた思考を意識の外に押しやる。

 未だ玄関に突っ立っていたグレンは、ようやく内部の捜索を開始しようとしたが、突如として奥の方で扉が開く音が聞こえたことによってその動きは遮られた。


「き、君たちは……!?」


 その扉の音に二人が反応したのと同時に、何者かの声が発せられた。

 声の主は男性のようだが、ライトで照らされているとはいえ薄暗い室内では声の主の相貌を確認することはできなかった。


 得体の知れない人物の登場に身を固くするグレンとは対照に、その声を聞いたティックは安堵したように相好を崩した。


「その声は……隊長っすね!?」


 それから歓声を上げると、ティックはその人物の下に駆け寄った。


「おお、ティックか!? 無事であったか!」


 隊長、と呼ばれた男はティックの姿を認めると、豪快な笑みを以て彼に応対する。 その様子から隊長の男が味方であると判じたグレンは、ティックに続いて彼に近づいた。


「――と、そちらの赤髪の彼は?」


 自分に近づいてきたもう一人の影に、男は怪訝そうな表情を浮かべた。

 彼にしてみれば、見ず知らずの人間が自分の部下と行動を共にしているという奇妙な状況である。その当然の反応を前に、グレンは手短にこれまでの経緯を説明するのだった。




「なるほど、貴方があの紅炎騎士の家系に連なる者でしたとは……お目にかかれて光栄ですな」


 柔和に笑う顔には所々に皺が刻まれており、この街で出会った騎士の誰よりも年を召しているように思えた。年の項は四十半ばであると考えられるが、その精力は十分に漲っており熟練な騎士と呼ぶに相応しい程であった。


「某はニコラス・バーンズ――このヌールに宛がわれた騎士を束ねる騎士隊長であります」


「ああ、よろしく頼む。……まあ、オレはそこまで大した存在じゃあねえから、気軽に接してくれ」


 本日二度目となるそのやり取りに、グレンは億劫そうに答える。こんなように人に敬われるほど、グレンは自分のことを大層な人物だとは考えていなかった。そして、グレンのその態度は己の家に対しても一貫していた。


 ――家も、騎士も、自分自身も、その賞賛に見合うほど優れたものだろうか。


 逸れた思考を切り替えるべく、大きく咳払いをしたグレンはニコラスに質問を投げかける。


「それより、ここにいるのはあんただけなのか? ……というより、騎士であるあんたが何でこんなところにいるんだ?」


 騎士隊長ともあろうものが、外で指揮も執らずにこの薄暗い邸宅にいるというのは、おかしな話だった。


「そうっすよ! 魔獣が攻めてきたというのに、隊長とは連絡が取れなくて……今まで一体何を……」


 グレンの指摘に便乗してティックも不満げに声を上げた。二人の指摘にニコラスは申し訳なそうに眉を下げると、彼が出てきた奥の方の扉を示した。


「それについては済まなかった。事情を説明する故、奥の部屋に来てくれぬか?」


 奥に何があるのか。目を見合わせたグレンとティックは、その誘いを断るわけもなくニコラスの後に続いた。



 ニコラスに導かれて来たのは極めて広大な部屋であった。


 部屋の真ん中には、横長のテーブルと椅子が連なりその上に燭台が一定の間隔で並んでいる。

 また、天井には巨大な照明器具が吊り下げられているのだが、そのいずれも明かりを灯してはいなかった。


 それ故、部屋の様子の全貌を詳しく知ることができなかったが、その調度品の配置からして食堂であることは間違いなかった。


 グレンが部屋を見回している内に、ニコラスは部屋の隅の方に移動し壁に備え付けられたスイッチを押した。


 それと連動し、天井の照明に光が灯される。流石上流階級の邸宅と言うべきか、魔動機械の照明を有しているらしい。


 現代の魔法学の粋によって照らされた室内を改めて見てみると、部屋の奥の方に結構な数の人がいることが確認できた。


 各人は老若男女の隔たりなく、互いを慰めるように寄り添い塊を形成している。恐らくはここに避難してきた住人たちだろう。

 数は結構な数がいて、グレンたちが探しても中央区に人が見当たらなかったのも頷ける。


 この分なら、グレンたちの目的は半分は達成できたといっても過言ではないだろう。グレンが住民の集団を眺めていると――


「騎士隊長さん! 明かりをつけても大丈夫なんですか? 外はもう安全だということですか!?」


 その中の一人、とある青年がニコラスの方に詰め寄ってきた。その声色、その表情、その身に纏うボロボロな服装が、彼の経験したであろうことの痛切さを物語っている。

 痛々しいほど彼の様子に、ニコラスは宥めるような口調でゆっくりと言葉を連ねる。

「ええ、峠は越したように思えますな。少なくとも、ここの明かりを点けたところで魔獣が寄ってくる恐れは消えたと言えましょう」


 ニコラスの言葉に男だけでなく、後方で耳をそばだてていた住民の顔にも喜色が広がる。


 弛緩した雰囲気が場に醸し出されるが、ニコラスは表情を固くしたままこう続けた。

「ですが、未だ油断はできませんな。外に出るにはもうしばらくお待ちください、こちらの方々と今後の方針等を話し合いますゆえ。……状況は良くなってることに違いないので、心配なさらず」


 ニコラスの言葉に男は気を楽にし、それから礼を言って後ろの住民の輪に戻っていった。


 男を見送ったところで、グレンはニコラスの方に視線を戻した。


「あいつらはあんたがここまで連れてきたのか」


「その通りです、グレン卿。――ささ、どうぞこちらにおかけを。某の話をお聞かせしましょう。ほれ、ティックもここに」


 グレンの言葉に大仰に頷き、傍にあった椅子に腰かけるように促すニコラス。先ほど畏まらなくていいと言ったはずだが、彼の態度は依然として変わらない。


 柔和な雰囲気を持つニコラスだが、案外頑固な一面もあるようだ。グレンは諦めたように顔を振り、彼に示された席に腰を下ろした。



「今の外の状況についてはさっきオレが話した通りだが……あんたは今の今まで何をしていたんだ? ティックが言うには連絡が付かなかったみてえだが……」


 座席についたグレンはテーブルに肘をつき、向かい側に腰かけるニコラスに切れ長の目を向けて尋ねる。


「はい、順を追って説明いたしましょう。あれは昨日の事です、ここヌール伯邸においてマクダウェル家のご子息様とヌール伯が会合をなさったのですが――」


 行儀よく背筋を伸ばして座るニコラスは、記憶を探るように上空を見据え緩やかに語りだした。


「某も護衛のために同席をしたのですが、ヌール伯のご厚意で紅茶をご馳走になりまして――と、そこまでは良かったのですが、紅茶が運ばれてくる際にメイドの方が少しドジを踏んでしまいましてな、某の方にもかかってしまったのですよ」


 昨日のヌール伯とマクダウェル家との会合の件は、グレンも噂に聞いていた。この時期に会合とは珍しいと思っていたので記憶に残っていたのだ。


「ヌール伯のメイドにしては珍しいっすね……。まあ、とにかくその時に魔動通信機に何かあったということっすか?」


 ニコラスの隣の席に座っていたティックが、彼の発言の真意を汲み取る。


「ああ、そうなんだ。通信機に不備があることは会合の後に気づいたのだが、生憎と替えのものが無くてね。とはいえ、休日である明日にでも暇を見つけて修理に出せばいいと思い、当時はそこまで深刻に考えていなかったのだ」


 一つ息を入れたニコラスは、「まあ、それこそがこの体たらくに繋がってしまったのだが」と、自嘲的に続けた。


「――連絡が取れなかったのは分かった。それで、今日の話だが……連絡が取れないなりにも、あんたはこの辺りで独自で救助活動をしていた、そういうことか?」


 「騎士たるもの常に魔獣の警戒はすべし」とはいうが、この街においてはその脅威も薄まっていたのも事実。ひとまず連絡を取れなかった原因について納得したグレンは話を進める。


「ええ。襲撃の際、まずは人の多く集まるこの中央区を守るのが先決だと考え、急いで駆けつけたのです。……しかし」


「しかし?」


 それまで落ち着いていたニコラスの態度が、ここに来て崩れる。額に滲んだ脂汗を胸元から取り出したハンカチで拭い、ニコラスは深呼吸をする。


「某の力不足が招いたことではありますが、救えない方々もおりました。ここにいるのは全体からすればほんのわずかな住民たちであります」


「隊長、それは――」


「……うむ、途中で魔人と化したものと遭遇してな……連れていた住民たちの安全を確保するには、泣く泣く殺めるほかなかった」


 自らの手を見つめながら悲嘆の声を漏らすニコラス。


 彼は自身を責めるように首を垂れるが、魔獣と同様に魔人も汚染能力を持つといわれている。被害の拡大を防ぐためにはそうするしかなかったのだろう。


 自身の守るべきだったものを自身の手で殺すというのは、騎士にとっては耐えがたいものだろう。話を聞いていたグレンもティックも、思わず拳を握る。


「――あんたはただ守るべきものを守ろうとした。街が滅茶苦茶になっても、自分のしていることに不安を覚えても、そのために自分の感情を律して為すべきことを為したんだ。十分過ぎるくらい立派だったと思うぜ、力不足なんかじゃねえよ……!」


「グレン卿……かたじけない」


 気づけばグレンはその場に立ち上がっていた。そうでもしないと、この街を破壊したあのザラームとかいう男に対する義憤を襲え切れなかったのだ。


 彼のその情熱に、ニコラスはその禿頭を深々と下げた。


「……って、悪いな、話の腰を折って。クソ、ガキの頃じゃあるまいし」


 少し熱が入りすぎたようだ。こんな熱血漢の性格は過去においてきたはずだったが、元来の気質はそう易々とは変えられないようだ。


 今は一刻も早く情報を共有しなければならないというのに。グレンはばつが悪そうに頬を掻いて着席した。


「住民を守りながら、某は辛くもこのヌール伯邸に辿り着いたのです。ここの安全を確保したところで、再度外へ探索しようとも思ったのですが――」


「結界、か」


「はい。丁度そのタイミングで謎の結界が貼られ、また奇妙な爆発音のようなものも聞こえましてな。住民の方々が酷く怯えてしまいまして、ここを離れるのはよくないと判断したのです」


 そう言うことならこの現状にも納得だ。話は終わりだと言わんばかりに、グレンは再度立ち上がった。


 その後の出来事ならグレンもよく知っている。とりあえず、これでニコラスと中央区の事情は概ね把握できたといえるだろう。


「話してくれて助かった、そろそろ他の騎士も捜索も終わった頃だろ。……っと、そうだ、もう一つ。人を探しているんだ、全身を黒い服に包んだグレーの髪の男なんだが……知らねえか?」


 立ち上がったグレンは思い出したように尋ねたが、ニコラスはその首を横に振るばかりで良き返答は得られなかった。

 グレンは溜息を漏らしそれ以上追及することはよそうとしたが、それでもなおニコラスは肘を顎において思案を巡らせていた。


「何か気になることがあるのか?」


「ええ。すみません、その方の行方は存じ上げませんが、行方不明といえば、少しおかしな点があったことを思い出しまして……」


「おかしいって、どこがっすか?」


「ヌール伯の姿が確認できないのだ。某が来た時、ここは既に無人で照明も落とされていた。てっきりご自分で避難されたか、騎士の誰かが傍について避難させたものだと思っていたのですが……それにしては内部が妙に整頓されていて、今日の昼時までに限った話だが、彼がこの街を発ったという記録もなかったことを思い出しまして」


「それって結構まずいんじゃないっすか!?」


 ニコラスの追加情報に、ティックは悲鳴にも近い声を上げた。確かに、街の統治者であるヌール伯が行方不明というのは非常事態であろう。

 グレンが聞く限り、騎士の中で彼を保護したという情報はない。それならば、ヌール伯はどこに行ったのだろうか。


「すぐに他の騎士にもこのことを知らせるぞ!街の捜索だけじゃなく、外出記録も改めて確認する必要があるな……」


 街と市民の問題はある程度は片付いたことで緩みかけた顔が一瞬にして強張る。ここに来て浮上してきた新たな問題に、グレンは頭を回転させて策を練る。


 その間通信機を片手に連絡をとっていたティックが、一段落したのかグレンの方に向き直った。


「グレンさん、アルトニーとニースからの応援が到着したみたいです。中央区の方も建物の損傷は激しいようですが、住民の何人かは保護できたとのことです」


「ああ、分かった。とりあえず街の外側の方は問題なさそうだな。中央区にいる騎士にここまで来るように伝えてくれるか? いつまでもここにはいられねえ。街の外に避難させるんだ」


「了解っす!」


「オレたちはヌール伯の行方も含めて住民たちの生存の確認をするぞ、それでいいかニコラスさん?」


「承知しました……!」


 冷静に素早く方針を共有したグレンは騎士の到着を待っていたが、その顔色は優れない。


 ヌール伯の行方が知れないというニコラスの言葉が頭から離れないのだ。今の今までヌール伯の存在が頭から抜け落ちていたが、彼の存在を考えると今の状況が不可解に思えて仕方がなかった。


 このオルレーヌでは、統治者に任ぜられた貴族はその地域において大きな権力を持つ。

 それこそ、グレンが今こうして行っている騎士の組織や住民の保護は、統治者に課された重任であるはずだった。


 だが実際にはその責務は果たされていない。


 考えられるのは三つ。一つはヌールにはいるがその責務を全うする余裕がないという可能性。

 しかし、これほど長い間騎士からの目撃情報がないのは少し不自然だ。


 もう一つは、そもそも襲撃当時に既にこの街の外にいたという可能性だが、その場合これまで連絡がないのはおかしい。このヌールの惨状は、隣町はおろか王都にまで知られているだろう。


 そして、三つめは――


「ちっ、悪いように考えても仕方ねえだろ……」


 大きく舌打ちをし、おぞましい考えを思考の外に追いやる。


 今は一人でも多くの住民が安全にこの夜を明かせることを祈ろう――グレンは心を落ち着かせるようにそっと瞳を閉じた。


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