序章 第十六話「不気味な静寂」

 エルキュールがアマルティアと対峙していた一方、ヌール広場にて騎士の協力を得たグレンは、崩壊した街に逃げ遅れた市民の捜索をしていた。


 あれからしばらく経ったが経過としては順調で、幾人かの市民を救助することが出来ている。


 そして、今この瞬間にも――


「危ねえ――!」


 目の前でまさに倒壊しようとしている家屋の下、転んで足元を挫いたと思しき女性とそれを心配そうに見つめる少年がいるのをグレンは発見した。


 その光景を目撃するや否や、グレンは考えるよりも早く親子に降りかかっていた瓦礫に向けて、銃大剣に備わる銃砲から火球を放出する。


 火球の威力により、瓦礫は親子に直撃する前に塵と化した。そのことを確認したグレンはひとまず胸を撫で下ろし、彼らの無事を確認する。


「大丈夫か? 怪我とかしてねえか?」


 グレンに声を掛けられたところで、ようやく窮地を脱したことに気づいた二人の緊張が緩む。

 少年の方は堪えていたものが弾けたのか、女性に抱きつき胸に顔を寄せて咽び泣いていた。女性は泣き出してしまった少年の背中を優しく撫でて宥める。どうやら二人は親子であるようだった。


「ええ、おかげさまで何ともありません。……本当になんとお礼を言ったらいいか」


「礼はいい。当然のことをしただけだっての。――おい、ティック!」


 女性に気安く返したグレンは、整えられた髭が特徴的な騎士――ティックに声をかける。彼は後ろから幾人かの騎士を引き連れグレンを追いかけてきていた。


 ティックのほかの騎士たちは、ここに至る途中で合流したヌールの駐留騎士たちだ。


「グレンさん、速いっす。――っと、これは」


 あまりのグレンの速さについていけずにぼやいたティックだったが、彼の傍らにいる親子の存在に気づき、その表情を引き締める。


「ああ……大した怪我はないみてえだが、母親の方は少し脚が悪いようだ。誰かに介助を頼めるか」


「そうっすね……じゃあ君たちに頼んでもいいっすかね?」


 グレンからの要請を受け、ティックは彼の後ろに控えていた騎士の二人に声をかけた。その騎士は快く了承し、親子を安全な場所に連れて行こうとする。


「本当に、ありがとうございました……!」


「う……ぐすっ、ありがとうお兄ちゃん!」


 親子は去り際にもう一度グレンに謝辞を送り、騎士に連れられ街の外へと向かっていった。


「ふう……これで十人か。ティック、他の騎士の状況はどうなってる?」


「そうっすね、一班は約二十名の市民をアルトニー方面の郊外へ避難誘導したみたいっす。先刻、二班が目撃したという黒の結界はまだ継続しているみたいっすね」


「そうか。となると、結界の中は後回しだな……」


 ティックの報告をグレンは冷静に受け止める。


 ここへ来る途中、市民だけでなく幾人かの騎士と合流することができていた。

 その際、騎士の間で用いられている連絡用の魔動通信機を融通してもらえたので、グレンはより多くの騎士を組織できるようになっていた。


 現在グレンたちがいるヌールの西側は、先の報告を聞く限り順調に救助が進んでいるといえる。後は隣町のアルトニーへの連絡が出来れば上出来といった調子だった。


 しかし、ヌールの中央区方面に正体不明の結界が貼られたらしく、その方面の探索は難しい状況になっている。いかにも怪しい結界、十中八九アマルティアの関与があると考えられるが、外側から手は出せないのが全くもどかしい。


「――はい、なるほど……そうっすか。分かりました、連絡しておくっす」


 グレンが脳内で情報を整理している内にも、別の騎士からの連絡を受けていたティック。小型の魔動通信機を片手に頻りに頷いていたかと思うと、グレンの方に向き直った。


「三班のほうから連絡っす。ニースの方面を捜索していた騎士によると、ニースからの応援が駆けつけてくれるみたいっすね」


「……ふうー、そうか。それならそっちの方は何とかなりそうだな。アルトニー方面はオレたちが担当したから……そうなると、残すは結界の中の中央区付近か」


 ティックからもたらされた情報に表情を和らげたグレンだったが、それで全ての問題が解決されたわけではなかった。


 依然として結界の中は探索できないでいたのだ。それ以外の場所は市民も幾人か保護できたが、閉ざされた中央区にも逃げ遅れている人々がいるかもしれない。


 それに加え、もう一つグレンの頭を悩ませる事があった。


 単身ザラームの下へ赴いたエルキュールの事である。一応市民や騎士の動向のほかに、彼についての情報にも探りを入れていたが、そのことに関する情報は全く知ることができないでいた。


 確証はないが、エルキュールの居場所も結界により隔離された中央区にあるのかもしれない。


「クソ、やっぱり中央区が鍵か……」


「そうっすね、しかし二班から報告があったのはしばらく前の事。今なら状況が変わって――って、んん?」


 怨恨の籠った声色でぼやくグレンに相槌を打つティックだったが、何かに気づいたように空を見上げた。


「グレンさん、あそこを。あの一帯を覆っていた結界が弱まってるみたいっす」


「あ……?」


 ティックに示された中空を見れば、そこにある黒の結界の光が薄れているのが辛うじて分かった。

 それから間もなく、その結界を構成していた闇の魔素が粒子状になり、泡沫のように消滅した。


「――思った通り消えたっすね。渡りに船っす」


「ああ、これで道が開けたみてえだ……つーか、お前よく分かったな?」


「はい、魔素感覚は良いほうっすから」


 人懐っこい笑みを浮かべティックが答える。


 なるほど、ヌール広場にいたあの三人の騎士の中で、最も高位の魔法を放出していたティックであったが、予想以上に魔素に関する才があるらしい。


 魔法が苦手なグレンと相性がいいということでティックを同行させたが、その判断が意外なくらい功を奏した。


「――グレンさん!」


 障害が消え、これより中央区へ向かおうと考えた矢先、丁度その方から騎士が走ってきた。


「グレンさん、結界が――!」


「ああ、分かってるぜ。――よし、お前らオレの後に続け!」


 わざわざ結界の件を伝えに参じた騎士に頷き、グレンは後ろに控えていた騎士たちに声をかけ、中央区への移動を開始した。




◇◆◇




 中央区はヌールの街の中でも一際入り組んだ地形が特徴の区域である。


 この街を訪れてからまだ一週間であるグレンにとって、この複雑な地形を一人で探索するのは骨が折れたことだろう。


「なあ、ティック。住人が避難しているとしたらヌール伯邸が一番可能性が高いって話だったな?」


「はい、あそこはこの辺りで最も頑強な造りをしてるっすから。――っと、この道は左っすね」


 ティックの先導に続くグレン。やはり彼を連れてきて正解であった。



 ――騎士を引き連れて中央区へと到着したグレンは、すぐに騎士を散開させ手分けして捜索をするように命じた。


 というのも彼の結界が消失したのと同時に、街を蔓延っていた魔獣のほぼ全てが姿を消したという報告を受けたからだった。


 詳しい原因は知らないが、その報告を受けた騎士曰く何らかの魔法によるものだという話だ。


 ともかく魔獣の脅威が薄まった今、戦力を集中させるよりも機動力を確保したほうが断然いい。

 魔獣のほかにも、火事や家屋の倒壊などによる危険に晒されている住民も数多くいるはずだからだ。


 そのような判断の下、グレンはティックの案内を頼りにヌール伯邸を目指していた。

 未だ中央区で市民と遭遇することはなかったが、そこに避難している可能性は大いにある。


「見えてきたっすね……って、あの破壊痕は……?」


「ああ、確かにひでえが……それよりもこの感覚は……」


 角を曲がり、ようやく目当ての場所の手前に差し掛かったのだが、二人の表情は芳しくない。


 ヌール伯邸は健在だった。その豪奢な風貌はこの非常事態においても変わることはなく、これまで目の当たりにした惨憺たる様と比べると傲然とすら思える。


 そのような感想を抱かせるのも、その横にある家屋が酷く損傷し道の脇の塀が崩れているせいもあるだろうが。


 しかし、そんな光景はもはや見慣れたもの。この場における異常とは物理的なものではなかった。


「そうっすね、この魔素の残滓は……どうやら、何か強力な魔法が使われたみたいっすね」


 グレンの呟きにティックも同意する。騎士を率いて街を奔走していたグレンだったが、これほどまでに魔素が濃い地域はなかった。


「間違いねえな。魔素感覚が鈍いオレですら感じるほどのモンだ。それに、この身の毛がよだつ感じ……魔物が放つ魔素に似ていないか?」


「――! グレンさん、それはまさか」


 グレンが投げかけた問いに、ティックは目を丸くする。やはり、彼の魔法の才は相当なものであるようで、グレンの意図にいち早く気づいた。


「魔獣が魔法を使うことはほとんどねえ。そして、この気味悪い魔素が本当に魔物が原因なら、これはひょっとすると」


「――魔人、っすね」


 二人を目を見合わせ表情を硬くする。人型の魔物である魔人は、知能の面でリーベの人間と似ており、魔獣と違って魔法を操ることができるのが特徴である。


 この禍々しい魔素は恐らく魔人によるものである。先ほどのように強力な結界は魔獣には放出できないだろう。


 魔人がこの街にいるという事実は、グレンの警戒をより強固にさせた。


「アマルティアに魔人が紛れていたのか、それとも住民が汚染されちまったのか……クソ、この状況じゃあ分からねえ以上、考えるのはやめだ」


「――とりあえず、各地の騎士に魔人の存在に注意するよう連絡したっす。まあ、魔獣がいなくなったとはいえ、念を入れておくに越したことはないっすからね」


「助かるぜ、お前は騎士にしては中々柔軟だな」


 魔人の痕跡を前にし、自らの判断で連絡を行ったティックに礼をいうグレン。厳格な上官であれば、彼の判断を咎めたかもしれない。


 しかし、グレンはそうはしなかった。というのも、その行き過ぎた頑固さがグレンが騎士を嫌う理由の一つであったからだ。


「けど、ここに来るまで魔人には出くわさなかったし、騎士からのそれらしき報告もねえ……何か妙なんだよな」


 痕跡こそあるものの、その実体は確認できない。一抹の不安がグレンの心に芽生えるが、そこに拘泥している場合ではない。


「って、考えるのはやめだって言っただろうが。ティック、ヌール伯邸に急ぐぞ。――警戒を怠るなよ」


「了解っす」


 短く言葉を交わし、二人はヌール伯邸の門をくぐり玄関の前に立ち寄る。


 そして、平均的な住居よりもいくらか大きい扉に手をかけ、戸を引いて中に入り込んだ。


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