序章 第二十話「失意の中 後編」

 言葉を選ぶようにゆっくりと、エルキュールは自身の体験を差し支えないように語り始める。


 ザラームのほかにも、フロンやアーウェ、魔人と化したアランの存在。自身の事と「アマルティアのもう一つの目的」には触れずに、事実を連ねていく。


「君には無理をするなと言われたんだが、結局捕まってしまった。だけど、奴らは俺に攻撃を加える前に何やら通信機のようなもので会話をし、そのまま退却していったんだ」


「おいおい……結局無茶してんじゃねえか……!」


 グレンから悲鳴にも等しい声が上がる。申し訳ないという感情がエルキュールの心を掠めるが、彼の鉄仮面を割るには至らなかった。


 エルキュールは相好を崩さず、淡々と続ける。


「彼らが去る前に、王都がどうとか言っていたな。情報といえばそれくらいしかないな」


 あの時の出来事はエルキュールにとってはあまりに刺激的で、正直記憶も曖昧であった。

 それでも記憶の糸を辿り、建設的な会話をするように努めた。


「王都ですか……そちらの方でも彼奴らが暗躍していた可能性がありますな」


「ああ。あいつらはここの魔動鏡を乗っ取っていやがったが、その時のザラームの言葉は国全体に向けたようなものだった。そして、全国にその映像を送信するのに最も適したものは、王都・ミクシリアにあるものに違いねえ」


「理論的にはそうですな。先日も王都周辺で魔人が確認されたとのことです。それは既に討伐されたそうですが、その騒ぎに乗じて潜入したのでしょうか」


 王都の魔人騒ぎの件は、今朝の魔動鏡の放送の際に誰かが触れていた気がする。その後に特に異常は見られなかったという話だったが、その時からこの襲撃が仕組まれていたというのか。

 アマルティアの執念を今一度思い知らされる。


「ふむ、そのことも合わせて騎士団本部に申す必要がありそうですね」


「こうなったらオレも王都の方に顔を出す必要がありそうだな……あまり気は進まねえが」


 グレンもニコラスも、それぞれが自身の今後の方針を定めたようで、ここらで話し合いを一旦終えようという空気が漂う。

 既に日付は変わり、各々の疲労も限界まで溜まっている頃合いだろう。


「お二方に関しましては、この度のご助力大変助かりました。ヌールの騎士を代表して改めてお礼申し上げます。後のことは我々が責任を持って対処いたしますゆえ、どうかご自身の為すべきことを為してください」


 ニコラスはグレンとエルキュールの方に向き直り深々と頭を下げる。この状況に後手に回ってしまったことの自責を感じていたのかもしれない。その声は切実さに溢れている。


 それから二人の目をしっかりと捉え、この後の住民の安全を保障すること、街を復旧することを約束する。


 ニコラスにとってエルキュールが何者であるか知らないはずだし、これから彼がどうするかなど関係ないはずである。

 それでもこのヌールの騎士隊長は、エルキュールが並々ならぬものを抱えているとその慧眼で見抜いたようだ。


「……ええ、分かりました。お気遣いありがとうございます」


 他人との絆を自ら捨て去ってしまった自分には、そう言ってもらえる資格などないと考えていたエルキュールだったが、実際こうして声を掛けられると心が揺れ動いてしまうのを自覚する。


 これから歩む道に、人としての所為は必要ないはずだ。

 しかし、こうして結局人の厚意に甘えてしまうのは何とも情けないことだと、内心忸怩たるものがあった。


「ありがとな、オレもそろそろ休ませてもらうぜ」


 グレンの方は気安い調子でニコラスに返し、天幕内の外へと歩き出した。エルキュールもこの場を去ろうと出口に向かうが、その背にニコラスから声がかかる。


「おっと、申し訳ないエルキュール殿。最後にお尋ねしたいことが……」


 快く送り出した手前、ニコラスの気まずそうな顔でエルキュールを呼び止めた。


「エルキュール殿もあの結界が貼られる前に中央区にいた……それは間違いないですかな?」


 突然の質問にその真意を測りかねたエルキュールは、戸惑いつつも肯定した。暖簾を今にも潜ろうとしていたグレンも後ろで耳をそばだてる。


「ヌール伯の件で少しお話が。昨日――いえ、一昨日には街にいたことは明白なのですが、街を捜索しても見つからず外出記録もなかったので心配で。エルキュール殿は何か存じ上げませんか?」


「ヌール伯、ですか? …………いえ、見てはいませんが……」


 確かにヌール伯の姿は見ていないのは事実だ。だが、その名を聞いたエルキュールはある出来事を思い返していた。


 今朝の鑑定屋にて、マクダウェル家のルイスが放った言葉である。ヌール伯との会合があったと言っていたが、ここに来て妙な引っ掛かりを覚えたのだ。


「ニコラスさん、ヌール伯がマクダウェル家との会合をしていたというのはご存じですよね?」


「ええ、某も護衛のためにすぐに駆けつけられる位置で待機しておりましたゆえ。しかし、会合の内容については存じませんが」


「……念のため、関りのあったマクダウェル家に尋ねてみるか、できるのなら騎士団本部でも尋ねてみてはいかがでしょう」


 不吉な考えがエルキュールの頭をもたげるが、相手は名だたる貴族の家。明確な証拠もなしに滅多なことをいうのは、この騎士の前では憚られる。


 アマルティアの情報のついでにヌール伯のことも気に留めておこうと決心し、結局エルキュールは当たり障りのない助言をするに留めた。


「そうですな。……引き留めてしまって失礼しました、今日のところはゆっくりお休みください」


 ニコラスの言葉に頷き、今度こそエルキュールは出口の方へと向かった。


「よう、休めることころに案内してやるよ」


 出口付近でこれまでの会話を聞いていたグレンがエルキュールを誘う。このまま人知れず出発しようと思っていたので、この誘いには少し困惑してしまう。


 だが、ここでこの誘いを断るのはあまりにも不自然であろう。エルキュールは渋々グレンの言葉に従うことに決め、彼と共に暖簾をくぐった。




◇◆◇




「ここの天幕だ。入ろうぜ」


 グレンに連れられやってきたのは、先ほど話し合いをした場所の斜向かいに位置していた天幕だった。

 そこそこの大きさを持つその天幕の中に入ると、何人かの人々が各々就寝の準備をしている最中だった。男性しかいないことから、ここは男性用の寝室として宛がわれたのだろう。


「まあ、こんな他人が周りにいて寝心地が悪いかもしれねえが、我慢してくれよ」


 グレンはどこからか手にした毛布をエルキュールに渡しながら苦笑する。そこまで良質なものではないが、眠る場所が提供されているというだけでありがたいことなのだろう。エルキュールはもちろん、ここにいる元住民たちからも文句の声は聞こえない。


 ふと、これだけの設備を短時間で用意できたのが気になって、渡された毛布を何気なく観察する。


「ああ、それは隣のアルトニーの宿屋から支給されたものだぜ。こっちからの連絡に、向こうの騎士が支給品を持って駆けつけてくれてな」


「随分手際がいいんだな……これも君の手腕によるものか?」


 寝具と設備の出どころに納得したエルキュールだったが、その瞳はグレンの方を鋭く射抜いていた。


 あの騎士隊長のニコラスの態度といい、エルキュールを捜すように騎士に言付けを頼んでいたことといい、まるでグレンがここの騎士を主導していたように思えた。


 何故ただの旅人であるグレンにそのような芸当ができるのか、少しの冷静さを取り戻したエルキュールは疑問を感じていた。


「……まさか。あのニコラスがやってくれたに決まってんだろ? さ、あっちの空いてる方に行こうぜ」


 エルキュールの追及を露骨に逸らし、グレンは奥の好いている空間へと移動する。エルキュールの方も彼が本気で答えるとは思っていなかったようで、それ以上は何も言わなかった。



 暗い天幕の中、襲撃からの避難で疲労困憊であった人々は、身を横にするなりすぐに寝息を立て始め辺りは静寂に包まれていた。


 エルキュールは床に敷かれた茣蓙に寝転がり、ぼんやりと中空を見つめていた。魔人であるエルキュールにとっては睡眠など必要ない。だが、こうして休むふりでもしておかなければ後々面倒になる。


 頭では分かっているが、エルキュールの心は虚しさでいっぱいだった。どこまでも中途半端。その在り方は矛盾だらけ。自他を騙しながらでないと生きていけない自分が、今のエルキュールにとっては酷く悲しく思えた。


 家族と共に今まで通り人間のように過ごすのも、ザラームらのように魔人として人間と敵対するのも、エルキュールには苦しくて選べなかった。


 それ故の現状にエルキュールが嘆いていると――



「なあ、エルキュール……起きてるか?」


 少し離れたところで横になっていたグレンから声が掛けられた。


「起きているが……何か用か?」


 背中越しに用件を聞く。その声に少し鬱陶しさが混じっていたのは、グレンが起きているせいでエルキュールが今こうして無為に過ごさなければならないからであろう。


「これからお前はどうするのかと思ってな。オレは一休みしたら王都に向かうつもりなんだが……」


「ああ……どうするかな……」


 呟きにも等しい声がエルキュールの口から漏れる。これ以上自分のことを詮索されることを是としない、エルキュールの抵抗にも感じられた。


 エルキュールの異常に気づいたのか、グレンは寝返りを打ち彼の方へ身体を向ける。


「……やっぱ辛いよな。住んでいた街を壊され、これからの生活を思うと不安になるのも無理はねえ。オレみてえな部外者が何言ってるんだと思うかもしれねえが」


「――心配には及ばない。もうしばらくすれば、難民の受け入れも開始されるんだろう?」


 心にもないことを言う度に、エルキュールの心が痛む。これ以上会話を続けても、グレンを騙すことしかできない。

 エルキュールは横向きに姿勢を変えグレンに背を向けた。


「そうか……ああ、そうだな」


 グレンの方もエルキュールのその動きを目にし、彼に倣うように反対に身体を転がす。今は放っておくのがいいのだと判断したのだろう。


 それきり二人の間で会話が交わされることはなく、天幕内を満たすのは人々の寝息の音のみとなった――





 グレンを含めた全ての人が寝静まったのを察知したエルキュールは、周囲に気づかれないようにそっと身体を起こした。

 それから念のため全ての人が寝ているか、エルキュールは顔の動きだけで確認する。

 周囲を丁寧に観察し、最後に隣にいるグレンに視線を向ける。その目蓋は閉じられ、胸も規則正しく上下に揺れている。

 誰の目から見ても彼が熟睡しているのは明らかだったが、身体の上に掛けられていたはずの毛布が剥がれているのが気になった。


 ――別にそのままにしておいてもよかった。


 しかし、最後くらい人に親切にしておいても、人らしく振る舞ってみても許されるのではないかと、エルキュールは頭の隅でふと思った。


 これからの戦いの中で自身がどのように変容するのか、アマルティアに屈してしまうのか、培ってきた人間性までも捨て去ってしまうことになるのか、エルキュールには分からない。


 だが、せめてこの一瞬だけは、家族に愛された人間としての自分でいたいとエルキュールは感じていた。


 溢れ出る欲求に駆られ、エルキュールはそっとグレンに毛布を掛け直す。それは、まるで誰かに許しを乞うための行為にも思え、そのことがエルキュールの自嘲を煽った。


 グレンを起こしていないか再度確かめると、エルキュールは音もたてずに立ち上がると、静かに息を吐く。


 エルキュールは足早に、かつ足音が響かないように出口まで移動して外へと出る。


 春の季節にしては外の空気は冷たいもので、空は少し白んでいた。どうやら、夜明けが近いらしい。

 ここの人たちが就寝したのはまちまちだったため、そろそろ起きてくる人もいるかもしれなかった。


 ここで人の目に触れては今までの茶番も意味がなくなってしまう。とりあえず人のいないところへ移動してしまおうと、エルキュールは薄暗い平原へと歩き出した。


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