序章 第十三話「再会」
――エルキュールが飛び出していった後のヌール広場にて。
「君ねえ……勝手な判断はやめてくれないか。どうして勝手に彼を行かせたんだ、今は他に優先するべきことが――」
急展開を前にそれまで呆然としていた騎士が、グレンを窘めようとする。
当然のことだ。
ここにいる市民の数は二十。ここに置いていくわけにもいかないので、他の市民を探しに行くのなら当然彼らの安全を確保するのが前提となる。
対して戦える人員はグレンを入れて四人。本当ならエルキュールにも協力を仰ぐべき状況なのだ。
「ああ。市民を守る――騎士に課せられた使命の一つ、だろ?」
「だったらどうして……」
食い下がる騎士に、グレンは頭を掻いた。詳しく説明をしたいところだったが、時間はない。
諦めたように息をつき、グレンは懐から何かを取り出し、騎士の連中の目の前に示した。
「そ、それは……その家紋はまさか……!?」
グレンが取り出したのは首飾りであった。金色の細い鎖に深紅の楕円形の宝石。恐らくは火の魔鉱石を精錬したものだろう。
それだけでも凡庸な首飾りではないことが窺えるが、その首飾りの価値はそれだけに止まらない。
宝石の中央には剣を象ったような紋章のようなものが刻まれており、それこそが騎士の吃驚をもたらした原因であった。
「これに免じて、ここはオレの指示に従ってくれないか?」
「……ええ、理解しました。これは心強いです、まさか貴方が彼の有名な――」
「いいって、オレ自体はそう大層なモンじゃねえ」
騎士たちの高揚を抑え、グレンはその目に真剣な色を宿した。
「とりあえず、そうだな……街の外に住民を逃がす班と、街中の逃げ遅れてる住民を探す班に分かれるぞ。っと、お前は……」
「私はソーマと言います。こちらはヘルツとティック」
今までグレンと会話していた騎士――ソーマが手短に紹介する。金髪で小柄な騎士がヘルツ、整えられた髭が目立つ騎士はティックというようだ。
グレンは自らの名前を名乗ると、続けてこう説明した。
「よし、ソーマとヘルツはこのまま住民を連れて街の外へ。門を出たら、念のため上空に応援要請用の信号弾を放て。まあ、あのザラームとかいう野郎の演説のせいで無用かも知れねえが……」
「ええ、承知しました」
「了解であります」
グレンの指示にソーマとヘルツはそれぞれ首肯した。
「ティックはオレと街の捜索だ。……確認だが、お前ら以外の騎士の詳しい配属は分かるか? できればそこ以外を優先して探してえからな」
「分かるっすけど……あまり意味はないと思うっす」
グレンの考えは尤もだったが、対するティックは芳しくない表情であった。
意味はない、というのはどういうことか。グレンは眉をひそめてティックに説明を求めた。
曰く、この一週間の間で多くの騎士がミクシリアに召集されたという。王都での魔人が現れたという騒ぎのためだというが、その影響で最近の騎士の配置は通常時のものから大きく変更せざるを得なかったという。
「ちっ……なんてタイミングだよ……仕方ねえ、人が集まりそうな場所から回るしかねえな」
苦虫を噛み潰した表情でグレンは呻いた。ともあれ、今はできることをするしかない。全てが突然のことであったので、周到に立ち回ることは難しい。
「よし、お互いそれで行くぞ!」
頭を切り替え、グレンは騎士の三人に確認をとる。その妙に洗練された要領に、三人は感心しながらも頷いたのだった。
◇◆◇
ヌール広場を飛び出したエルキュールが向かっていたのは、ヌールの中心に位置する中央区であった。
先ほどザラームが映っていた映像の街並みは、ちょうどこの辺りの景色だったはずだ。
目標はそう遠くない――エルキュールは確信を抱き、ふと立ち止まった。
ここまで来るうちに、ザラームの演説は終わっているかもしてない。そうであるならば、彼は既に移動を開始していることだろう。
ザラームは「リーベへの反逆」とのたまいていた。その時の彼の熱が、未だエルキュールにこびりついて離れない。
この世界に魔物の自由な権利は無いに等しい。長い歴史の中で、リーベは自らの脅威となるイブリスを排除してきた。それが自然なことだという思想が遍く流布されてきたのだ。
きっとザラームは、徹底的にこの街を破壊するだろう。自分たちの同朋が、そうされてきたように。
そのために自らも何らかの行動を起こすはずである。
そう推察し、エルキュールは魔素感覚を研ぎ澄ませた。元々は魔法を効率よく使うための技術であるが、今は周囲の魔素の流れを読み異常がないかを探る。
「――ダメだ、魔獣が多すぎるのか全く分からない」
思い通りにいかない結果に、エルキュールは歯噛みする。魔獣に備わる魔素質が発する魔素しか検出できなかったのだ。これだけ混濁としていると、ザラームの痕跡があったとしても把握することは不可能だろう。
一体どれだけの魔獣が放たれればこんなことになるのか、想像も付かない。
魔素感覚による探知が無意味だと分かった以上、エルキュールに残されたのは直接自分で探索するという地道な選択肢のみだった。
エルキュールは再度脚に力を込めて走り出そうとしたが、それとほぼ同時、彼方から重い低音が空気を震わしたのを感じた。
それだけなら家屋が崩壊した音にも思えたが、どうやら違う。その音は単発に終わらず、一定の間が空いた後再度エルキュールの耳を刺激した。
何かの爆発音ともとれるその音に伴い、強烈な光も明滅していた。これはただ事ではあり得ない。
「あの方角は……ヌール伯邸か?」
その先はヌールの中央にある中央区の、さらにその中心に位置しているヌール伯の邸宅の方角であった。
当たりをつけたエルキュールは、すぐに目的へと急行する。
道を左手に曲がると、さらに酷い光景が広がっていた。
その道中は動かなくなった魔獣の骸や瓦礫の数々が散乱し、とてもじゃないがまともに通行できたものではなかった。
この惨状から察するに、魔獣どもは人の多い中央区に集まってきているようだった。多くの人間を汚染することができる効率的な動きの裏に、人為的な誘導が透けていた。これもザラームの仕業なのだろうか。
ただ、ここ一体の魔獣は既に生命活動を終えているようだ。数刻前にはここで騎士が戦っていたのは明らかだった。
突然の魔獣の襲来で、騎士たちの統率は取れてはいないものの、この様子だと各自で出来ることを為しているのかもしれない。
幾ばくかの安心を得たエルキュールは、悪路に構いもせず障害となるものを飛び越えて、もしくは自身の得物であるハルバードで薙ぎ払いながら突き進む。
そうして何個目かの角を曲がると、周りの住居よりも一際大きいヌール伯の邸宅が目に入る。
それと同時に理解する。先ほどの爆発音と思しきものの正体を。
「ウオオォォ……」
「あはあ、お兄さんすごいねえ。もうこんなに魔力を制御できるようになって……でも、知性がないのが残念かなあ?」
邸宅の前にいたのは二つの人影。
一つは白い装束を纏ったダークピンクの髪の少女。二つに結われたその片方を手で遊びながら、もう一人の影に対して軽口を叩いている。
もう一つはおよそ人間とは思えない呻き声をあげ、ただならぬ魔力を湛えていた。
その手には赤く輝く魔素の残滓が残っており、彼の横にあった家屋は煙を上げ粉々に壊れていた。恐らく、魔法かそれに準ずるもので破壊されたのだろう。
だがそんな痛々しい光景以上に、その人影の姿形自体に問題があった。
一般の人間よりも一回り大きい体躯に、何故かあちこちが破けている布切れが纏わりついていた。
その肌は普通の人間とは異なり、まるで火傷を負ったかのような赤黒い痣が爛々とした赤い光を伴い蔓延っている。――魔物に特有な魔素質であった。
「嘘だ……」
人型の魔物、それを見た途端、エルキュールの口から声が漏れたのを咎めるものはいないだろう。
エルキュールにとって、自分以外の魔人を間近で見るのはこれが初めての事だった。
もちろん、魔獣に比べて魔人の数が少ないというのもある。
だがそんな理由よりも、ヌールに至るまでの放浪生活においても、ヌールに住んで魔獣を狩るようになってからも、魔人が出没する場所には行かないように徹底してたから、というのが大きかった。
「んー?」
不注意にも漏れたその声に反応して、少女が振り返る。エルキュールは自身の失態を呪ったが、時を戻すことはできない。
「あれ、この辺りの人はとっくに逃げたと思ってたんだけど……まだ人がいたんだねえ」
少女の目がエルキュールを品定めするかのように動く。その顔は幼さが残っており、この場には似つかわしくないように思えた。
「……いや、その服装、君もアマルティアだな?」
魔人の存在に意識を引っ張られていたが、よく見れば少女の身につけている装束は、あの仮面の男・ザラームが身につけているのと同様だった。
その事実を確認し、エルキュールは警戒を強めた。
「へえ、フロンたちの詳細は、まだ限られた人たちにしか知られてないはずなんだけどなあ……?」
ただ人ではないことを悟ったのか、アマルティアの少女・フロンにも幾ばくかの緊張が走る。
エルキュールの言葉を否定しないあたり、本当の事なのだろう。まさか、ザラームのほかにもヌールの街に来ていたとは驚きだ。
それに対して、半ば自身がアマルティアであることを認めたフロンは、隣で虚空を見つめていた魔人の方を見やる。
「これは丁度いい機会だね。お兄さん、あの人やっちゃってよ」
「オオォォオオォ……」
フロンの言葉を受け、魔人は緩慢な動きで振り返りエルキュールと対峙した。すると、それまで後ろ姿しか確認できなかった魔人の前面がはっきり見て取れる。
「え――」
その姿を見た瞬間、先ほどよりもさらに細い声がエルキュールの口から漏れた。
奇妙なことだが、その魔人の顔に見覚えがあったのだ。魔人に会うのはこれが最初だというのに、一体なぜ――
いや、そんな思考をするまでもなく心当たりはあった。
ただ、だからといって簡単に認められるわけもなかった。
「アラン、さん……?」
それは、数時間前に会ったばかりの、鑑定屋の店主その人の顔であったから。
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