序章 第十四話「同胞」
相対する魔人の顔は、この三年のヌールでの生活で見慣れたものであった。
鑑定屋の店主、アラン――今朝の鑑定屋での出来事は、まだ記憶に新しかった。
ところが、今目の前にいるアランの顔をした魔人は、人間のアランとは全く異なる姿形である。
エルキュールはもう一度彼の姿をその眼に焼き付ける。
相変わらず、人間よりも一際大きい身体には至るところに赤い魔素質の痣が広がっており、胸元の深紅のコアが魔人の纏う布の切れ端の隙間から覗かせている。
紛うことなき魔人なのだが、その相貌にはアランの面影がくっきり見て取れる。
それが意味することはもはや一つしかないのだが、エルキュールはそれを直視することができないでいた。
「へーえ、名前を聞く前に魔人になっちゃったから分からなかったけど、このお兄さんはアランって言うんだね。……ふふっ、呼びやすくていい名前ね」
必死にその事実から意識を背けていたエルキュールに、フロンは無邪気な言葉を以て真実を突きつける。
もはや逃げることは叶わない。あの魔人はアランが汚染されたことで生まれたのだろう。
魔物の持つ汚染能力。言葉では知っていたエルキュールだったが、その残酷さを身をもって体感させられる。
「ウオオォォ!!」
もはやアランとは呼べない、赤き光を纏う魔人はフロンの命を果たすべく、呆然としていたエルキュールに向かって飛びかかった。
「ぐっ……!」
完全に油断していたエルキュールは、迫り来る丸太のような太い腕によって道脇の家屋の塀に叩きつけられた。衝撃で塀の一部が音を立てて崩壊する。
「うぐ……アランさん、意識がないのか……?」
悠々と歩いてくる魔人を見て、塀にもたれかかるエルキュールは呻く。
願うようなその声は魔人に届くことはなかったようだ、その歩みは少しも止まる気配がない。
「あれれ、おかしいなあ。魔人の攻撃を喰らって平気でいるなんて……」
後ろから見ていたフロンは小首を傾げる。
確かにエルキュールが普通の人間だったならば、あの攻撃で致命傷を受けていたかもしれない。
しかし、エルキュールもまた魔人という純粋な魔素を糧として生きるもの。その耐久力は並々ならぬものだ。
魔素質に含まれる魔素が尽きるか、コアに損傷を受けない限り身体は再生され、その生命は半永久的に続くといわれている。
アマルティアに属するフロンは、そういった魔物の特性にも精通しているのだろう。大したダメージを負った様子がないエルキュールを見据え、意味深長な笑みを浮かべた。もしかしたら、エルキュールの正体にも心当たりが付いたのかもしれない。
だが、その二度目の失態を犯したことに後悔する暇もなかった。ゆったりと距離を詰めていた魔人が急に動く速度を速め、その巨体で突進してきたのだ。
二度と同じ轍を踏むわけにはいかない。迫りくる巨躯をすれ違うように躱すと、エルキュールは振り返って魔法を放出した。
「――シャドースティッチ!」
手元に小さな黒の矢が生成され、無防備な姿を晒している魔人へと放つ。
矢が魔人の影に重なって地面に突き刺さる。
「ウオォ……?」
シャドースティッチ――対象の影を貫くことでその動きを一定時間止めることができる魔法だ。強力な力を持つ者には効果が薄いのだが、彼の魔人には効果覿面のようである。魔人といえども生まれたてのようなものであるから、その力を完全に発揮できていないのかもしれなかった。
攻撃を加えなかったのは、まだエルキュールの中でアランのことを割り切れていないのだろう。魔法による妨害だけ行いそれ以上の追撃は行わなかった。
その代わり、もう一人のフロンの方に向かって走り出し、ハルバードを横に構える。
見た目は可憐な少女にしか見えないが、アマルティアである以上慈悲をかける選択肢などなかった。
「悪くないね。――けど、前ばっかり見ていちゃ危ないよ?」
「なに――」
声を発する前に、エルキュールは自身の胸元が何かに貫かれたような感覚を覚えた。
それを知覚した瞬間、今まで味わったことのない痛みがエルキュールを襲った。全身に力が入らなくなり、地面に膝をつく。
「うぐっ……う、後ろ……?」
自身の胸元を見ると、緑の光で構成された矢が身体を貫いていた。矢尻が腹の方にあるということは、後ろからの放たれたものだろう。
幸いにも、その魔素質の矢はコアを外れていたので大事には至らなかったが、エルキュールの行動を封じるには十分すぎるほどの威力でもあった。
「ふむ……もう少し加減してほしいものだな、アーウェ」
「も、申し訳ございません……でも、フロンちゃんが危なかったから、つい……」
エルキュールが痛みに喘いでいると、後ろの方から聞きなれた声とそうでない声の二種類が聞こえてきた。何とか顔だけその方へ向けると、動きを封じられているアランとは別の人影が二つ、こちらに接近してきているのが見て取れた。
一人はその顔に銀色を基調とした仮面を付けた長身の男――ザラームである。その身に厳かな雰囲気を纏わせ、見る者を圧倒する。
ザラームは途中、エルキュールの魔法で拘束されていた魔人を一瞥し、魔素を操り地面に突き刺さっていた黒き矢を分解した。その矢は既に術者から離れ半ば自動的に発動しているので、外部からの妨害にすこぶる弱いのだ。
解放された魔人は、すぐさまエルキュールに襲いかかる素振りを見せるが、ザラームがこれを制止する。
そして、いとも簡単にエルキュールの魔法を無力化したザラームの一歩後ろにも、こちらに向かってくる影があった。
ザラームやフロンと同じ白の装束を身に纏う、華奢な少女であった。
ウェーブがかかったダークグリーンの髪は、彼女が一歩歩みを進めるたびに微かに空に揺れる。手には翡翠の光を湛えた弓が握られていた。その色を見るに、エルキュールに傷をつけた凶器で間違いないだろう。
「ナイスタイミングだったね、アーウェちゃん! それに、ザラーム様も」
「う、うん……! フロンちゃんに怪我がなくてよかった……」
蹲るエルキュールの頭上を、そんな二人の会話が抜けた。そのやり取りから、ザラームはもちろん、ダークグリーンの少女――アーウェもアマルティアの仲間であるようだ。
三人、魔人と化したアランも含めれば四人目となる敵の出現に、エルキュールは暗澹とした気分が自分の内に広がっていくのを感じた。
「――遺跡での邂逅以来だな、エルキュール・ラングレー」
エルキュールの目の前まで来たザラームが見下ろしてくる。彼の左右にはフロンとアーウェが並び立ち、同じくエルキュールの方に視線を向けている。
ザラームの制止を受けた魔人は、エルキュールの後ろに陣取り、退路を塞いだ。
流石にこの状況はまずい。グレンに注意されたにも関わらず、全く不甲斐ないことに逃げ場を失うほど追い詰められてしまった。
自らの愚かさを悔やんでいたが、ザラームの発言の中で一つ奇妙なことを思い出し、エルキュールは彼を睨みつけた。
「……なぜ、俺の名前を知っている……?」
そう、確かにこの男はエルキュールの名前を呼んだ。今となっては、家族とグレンと人間だったころのアランぐらいしか知らないはずの名前を。
それほどまでに、自分を閉じ込めて生活してきたつもりだったが――
「そう怖い顔をするな、貴様の知りたいことには存分に答えてやるつもりだ。……だが、その前に――」
エルキュールの当然の疑念にザラームは笑みを漏らし、手を上空へと伸ばした。その手に闇の魔素が集約するのを感じたエルキュールは身構えるが、脇の二人がそれを牽制する。
しかし、エルキュールの懸念に反し、その魔法を彼に危害を加えるものではなかった。ザラームの手から飛散した魔素は、エルキュールたちがいる空間を囲うように上空を飛翔し、やがて大きな半球体の結界を構築した。
「ふむ、これで問題ないな。邪魔が入ることもないし、貴様も自身を押さえつける必要が無くなったと言えるだろう?」
「くっ――」
一体どこまで知っているのか、見透かすようなザラームの発言はエルキュールを苛立たせた。
「んんー……? あ、そっか! やっぱり君も魔人だったんだね。だから、アランの攻撃を受けてもピンピンしてたんだ?」
二人のやりとりを見ていたフロンが手を叩く。あの魔人をアランと呼んだことにも納得いかないが、それ以上にまたしても聞き捨てならない台詞がフロンの口から飛び出した。
「『君も』……というのはどういう意味だ……!?」
もはやエルキュールの思考は濁流に呑まれたような混沌と化していた。本来ならこんな問答をしている場合ではない。
敵に囲まれているこの状況を打破しなければならないはずなのに、エルキュールの本能がその問いを求めてやまなかった。
「ふう、質問が多いな。……仕方のないことだと思うがね」
必死なエルキュールの態度にザラームは嘆息する。仮面の奥では呆れた目をしているに違いない。
だが別に質問に答えないわけでもないようだ。ザラームは一つ咳払いをして――
「そうだな、先にフロンに対しての質問から答えさせてもらおうか」
そう低く言い放ち、ザラームは横に控えていたフロンとアーウェに何やら合図を送った。
それを確認した二人は互いに頷きあい、纏っていた白の装束を脱ぎ捨てた。
目に入って来たのは、それまで纏っていたのとは反対色である、黒を基調とした薄手のワンピースドレス。フロンの方は暗いピンク、アーウェの方は暗い緑が、その黒を引き立たせておりシックな印象であった。
だがエルキュールがそれに反応することはなかった。否、反応できなかった。
外套が取り払われたことで二人の露出度も上がったわけだが、それこそが問題だったのだ。
露わになった肌にはそれぞれ赤と緑の痣が刻まれており、胸元には薄手のドレスの内から同色の光が漏れ出ている。
「まさか……!」
「ふ、何を驚いているのかね?」
目を見開いているエルキュールを嘲けるように、ザラームは自身も装束を脱ぎ去った。
格式ばった黒の礼服が露わになり、その胸元にはもはや言うまでもなく黒い光が輝いていた。
「私たちは同じ存在――ただ、それだけのことだ」
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