序章 第十二話「世界に挑む者たち」
シュガールに辛くも勝利したエルキュールとグレンは、闇魔法で捻じ曲げられた空間を抜け、遺跡内部から外へと空間移動した。
「うおっとっと……ここは昼間兎魔獣を狩った辺りか?」
ゲートで空間を跳躍した先は、暫し前に魔獣を探していた平原であった。
エルキュールにとっては慣れたものだが、魔法での移動に慣れていないグレンはたたらを踏んだ。
「ああ、流石にここまでが限界だが」
そう返すエルキュールの表情は硬い。それもそのはず、彼とその家族の安寧の地、ヌールの街が危機に瀕しているのだ。
もう二度と住処を焼かれるなどあってはならないが――
遠くの方で何かが重く響いた。振動が地面を介して二人の足元に伝わる。
振動の源を探すために辺りを見回すと、煌々と赤く光っているのが見える。
ヌールの街の方向である。その事実を認識するや否や、エルキュールは駆けだしていた。
「急がないと……!」
「って、オレを置いてくなっての!」
かつてないほどの焦燥がエルキュールを支配する。これほど強く自身の感情に敏感になったのは、八年前のあの日以来だろうか。
奇しくも、その時と状況が酷似しているものだから本当に忌々しい。
「……煙も上っていやがるな。これもアマルティアの連中の仕業か」
「――――」
エルキュールの隣を走るグレンが眉を歪める。エルキュールの方は持て余す激情を抑えるように息を吐いた。
走る速度を速め、徐々に視界の中で大きくなりつつある門を目指す。
門の付近にまで近づくと、街の様子が嫌というほど目に入る。
立派な石造りの門は表面に亀裂が生じており、部分的に崩壊してしまっている箇所もある。そこから延びている道路には、引っ掻かれた跡と何やら赤黒いものがこびりついていた。
その痕跡の全てが、ここであった惨状を静かに物語っていた。
「惨いことしやがって……って、あいつはまさか……!?」
不快感に堪えていたエルキュールの傍で、グレンは何かを発見したのか小走りでその方へ向かった。
エルキュールもすぐにそのあとを追ってみると、ちょうど街の中と外を繋ぐ門のアーチ部分の真下、内壁にもたれかかる人影がいた。
「……ダメ、みてえだな」
「っ、そうか……」
その人物は、今朝エルキュールたちが外に出るときに立ち会った駐留騎士であった。
着用している鎧を貫通し、腹部には魔獣の攻撃によるものだと思われる赤い血だまりが広がっている。
顔には生気が感じられなく、魂が抜け落ちた虚ろな表情だった。誰が見ようとも、もう帰らぬ人になったのだと分かる。
「ん、こいつは――」
グレンが怪訝そうに見つめる先には騎士の男の首筋――そこにある禍々しい痣であった。
鬱蒼とした森のような暗い緑の光を放つ痣は、ちょうどエルキュールの身体に刻まれているモノに酷似している。
「魔物の汚染を喰らってるな……悔しいが、完全にバケモノになる前に人として生を全うできたのが唯一の救いか」
「……そうだな」
グレンの言葉は正しい。理性ある人間にしてみれば、自身が全く別の存在になってしまうのは死より恐ろしい場合もあるだろう。
本来なら六霊教の教えに則り、死者の身体を焼き、魔素の循環へと還してやるのがいいのだろうが、生憎とそんな時間はない。
簡単な祈りを捧げ、二人は街内に入った。
◇◆◇
数刻前まで平和そのものといってもよかったほどの街は魔物の襲撃を受け、すっかり日常とはかけ離れた様相を呈していた。
混沌を絵に描いた状況の中、街中を走るエルキュールらの耳に、遠くの方から剣戟の音が刺さる。その音が響く先にはヌール広場があったはずだ。
「誰かが戦ってるみてえだ、行くぞエルキュール!」
「ああ……!」
ところどころ亀裂が入った道を曲がると、予想通りの光景が広がっていた。
ヌール広場の魔動鏡周辺、幾人かの市民とそれを庇うように陣形を組んだ騎士、そしてそれと相対する犬型魔獣の集団があった。
「ちっ、消えろ魔獣め!」
「――轟け雷鳴よ、オンウィーア!」
「――荒れ狂う風の暴刃、ヴェント・スカーレ!」
騎士たちは、ある者は騎士剣術による斬撃を、ある者は複合属性である雷魔法を、またある者は速度に長けた風魔法を以て、魔獣に攻撃を繰り出す。
しかし、民を守りながらでは思うように戦えないのだろう、次第に騎士たちの勢いがなくなる。
有利をとった魔獣どもは背中にある禍々しい濃緑のコアを光らせ、騎士に猛攻を仕掛けようとしたが――
「させねえぜ!」
「――ダークレイピア!」
その牙が届くより早く、エルキュールたちは魔獣のコアを的確に破壊した。弱点であるコアの消失に、魔獣どもは為すすべなく斃れた。
突然の援軍の登場に、戦っていた騎士も怯えていた市民も一瞬呆然とした表情を浮かべる。
しかし、それも次第に安堵に変わり、市民たちが帯びていた緊張も弛緩していった。
魔獣の脅威が消失したことを確認した騎士たちは戦闘態勢を解き、エルキュールたちの方へ歩いてきた。
「何者だか存じ上げないが、とにかく助かったよ。礼を言う」
先頭の長身の騎士が代表して二人に謝辞を述べた。その額に滲む汗が、魔獣との戦闘の過酷さを、事態の切迫さを表していた。
しかし、笑顔で二人に感謝していた騎士が、不意にグレンの方を見て怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
「君は……まさか、あの時の酔っ払いか!?」
「……げ、その節はどうも」
騎士の言葉にぎくりと肩を震わすグレン。そういえば、エルキュールに出会う以前に騎士からお叱りを受けたと言っていたが、この騎士が相手だったようだ。
「つーか、今はそんな場合じゃねえ。おい、ここにいる住民の他はどうなってるんだ?」
珍妙な巡り合わせを面白がっている時間はない。見たところ、ここにいるのは騎士三人、市民は二十人ほどである。
ヌールはそこまで大きな街とは言えないが、街一人の人口は無論この程度に収まらない。ならば、残りの住民はどこに行ったのだろうか。
「正直分からないんだ……何分急な魔獣の襲撃だったものだからね。本当は多くの人を捜索しに行きたいところだが、付近の市民を守るので精いっぱいだったのさ。君たちが来てくれて本当に助かったよ」
「なるほど。……では、怪しい人影を見かけませんでしたか? 全身を白いローブに――」
この騒ぎにはあの遺跡で遭遇した男が関わっているはずだ。そう結論付けたエルキュールが騎士に尋ねようとした瞬間、魔動鏡の鏡面が淡く光り渦のようなものが出現した。
「なんだこれは、どうなってやがるんだ……!?」
突然の魔動鏡の起動に一同は戸惑いを隠せない。
もしかしたら、この街の危機を察した他の街の騎士団が信号を飛ばしてきてくれたのかもしれない。
だが、その真相は予想の斜め上――否、予想の斜め下のものだった。
鏡面の画の背後には、舞い上がる火の粉と黒煙に塗れた街並み、崩壊した道路と街路樹。今いるヌール広場近辺よりも、数段酷い惨状に見舞われたヌールの街並みだった。
しかし、注目すべきはそこではない。
画の中央に、とある男性の胸像が映し出されていたのだ。
身には白い装束を纏い、顔には銀を基調とした仮面が装着されており目元から頬の辺りまでを完全に覆っている。
夜を閉じ込めたようなその漆黒の髪は、背景の赤との対照でさらに暗く見えた。
身に纏う装束は、かつて遺跡で会った男が着ていたものに酷似している。嫌な予感がエルキュールの胸に広がり、コアに不快な疼きも生じていた。
「ふむ、こんなものだろうか。――オルレーヌにお住まいの諸兄姉に告ぐ。私はイブリス至上主義団体・アマルティアが幹部の一人、ザラームだ。予てより水面下で活動していたが、未だ碌な挨拶もできていなかったのでね。本格的に活動するに至って、リーベの文明の利器である魔動鏡にて話をさせてもらおうと思った次第だ、暫し付き合ってもらおうか」
仮面の男――ザラームは燃える街の中でもかかわらず、悠々たる態度で勝手に挨拶の言葉を述べ始める。
服装だけでなく、その声すらも遺跡内で対峙したあの男のものと寸分違わず同じであった。
「さて、我々の目的については薄々気づいていることだろうが……改めて表明しておこう。――言うまでもなく、それはリーベへの反逆だ。長いヴェルトモンドの歴史において、貴様たちは傲慢にも我々を傷つけ、排し、その命を奪ってきた」
滔滔と語るザラームの表情は完全には把握できはしないが、その語気には黒い熱のようなものを感じられる。
――と、そこまで聞いたところでエルキュールは我に返った。ここで静かにザラームの言葉を聞いていてはいけない。
虚を突かれたというのもあるが、いつの間にかザラームの言葉に耳を傾けてしまっていたようだ。
「このまま奴を放っておくのはまずい……グレン、急がないと」
「つっても、こいつらのことだって放っとけないだろ」
「それは、もちろんその通りだが……」
確かに人命が最優先なのは間違いない。ここにいる人々の安全を確保するのは必要であるし、この場にいなくとも助けを求めている人もいるだろう。
とはいえ、ザラームの脅威が底知れないのも確かだ。魔獣だけでなくアマルティアまでも本格的に動き出したら、いよいよこの街に生きる全ての人が無事では済まないだろう。
幸い、今のところザラームは演説に集中している。今すぐに向かえば、被害をこれ以上広げられることはないかもしれない。
何を為すべきか迷っている間にもザラームの演説は続いていた。
「愚かにもリーベは、自分たちのためにこの世界が存在していると考えているようだが、それは他を顧みない傲りから生じた間違った思想だ。正さなくてはならない、その歪みを。守らなくてはならない、我々の生存の権利を。我々の戦いは、我々の存在が世界に許容されるまで続くだろう。今宵のヌールへの襲撃はその序章に過ぎない」
ザラームの言葉はエルキュールの心を酷く締め付けた。その言葉に共鳴するように、エルキュールの意識から負の記憶が沸々と湧き上がってくる。
あの日、自分はどうして心無い言葉で詰られなければならなかったのか。今こうして自身の力を押さえつけ、魔人であることを隠しながら生きているのは正しいことなのか。
長年抑圧されてきた感情が爆発してしまうのを、エルキュールは懸命に堪えた。
やはり、このままザラームを放っておくことはできそうにない。
「……はあ。仕方ねえな、お前は」
エルキュールの様子に見兼ねたグレンは大きな嘆息を漏らした。それから大きく息を吸い、何かを決意したのか深く頷いた。
「こっちのことはオレに任せろ。お前はあの野郎の下に急げ」
「グレン、君は……」
「ただし、無茶はするなよ。オレたちが安全に住民を保護する間、あいつに妙な動きをさせないだけでいい」
そう言って不敵に笑うグレン。「ちょっと!」と騎士が文句を言う声が聞こえたが、彼はそれを手で制止ながら顎でエルキュールに再度促した。
短く礼を言い、エルキュールはヌール広場を飛び出した。
魔動鏡に映っていた場所には見覚えがあったため、ある程度は推察できるだろう。その手掛かりをもとに、ザラームの下へ駆ける。
かつての整然とした様子を見る影もなくすっかり崩壊した街並みは、疾駆するエルキュールの心中を表しているようだった――
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