序章 第四話「ささやかなお礼」
朝食を終えたラングレー家では、久々にゆったりとした空気が流れていた。
エルキュールにとって食事というのはほとんど必要のないものであったが、こうやって家族と過ごすことは貴重なことである。
同じものを共有するのは悪い気はしない。これからは変に家族を避けることはやめようと、エルキュールは改めて決心し――
「そうだ、買い物には一緒にいけないが、ヌールを出るまでは送っていこうか?」
一つ提案を投げかけた。せっかく誘ってくれたのを断ってしまうのはやはり申し訳なかった。
「あら、いいの? お友達を待たせてるんでしょう?」
「……別に、友達ではないが。彼との待ち合わせの時間にはまだ少し間があるから、それを無駄にはしたくない」
「じゃあ、途中まで一緒に行こう、兄さん! ふふ、三人で外出なんて何年振りかな……そうだ、このことは日記に書いておかなくちゃ」
声を弾ませ喜ぶアヤに、リゼットもつられて笑う。
確かに、こんな風に外出するのは何年ぶりだろうか。なんとかこの地に定住してからは、もう二度と二人にあんな思いをさせまいとして、彼女たちに頑なに接してしまっていた。
「そうだわ、エル。今日は魔獣が発生しているっていう話だったわね?」
「ん? ああ……今朝の報道ではそう言っていたな」
隣町に行くという話だが、街の外に出る場合、常に魔獣との接触のリスクが少なからず存在する。
エルキュールが今朝に魔獣を討伐したとはいえ、その脅威は健在だろう。
「魔獣の心配なら大丈夫よ、母さん。今日は馬車を使って行けば。それに、私だって魔法学校に通う生徒なんだから、大事にはさせないよ」
そう言ってアヤは、ヌールの魔法学校の記章を自慢げに見せる。魔法学校の生徒であることの証明だ。
街と街の間を移動する馬車には、魔獣が不快に感じる魔除けの道具が備わっているため、徒歩に比べて安全に移動することができる。
加えて、アヤは魔法学校に通う生徒である。多少の戦闘の心得は知っているだろう。
なるほど、それほど心配する必要はなさそうだった。
「私だって兄さんに負けないように頑張ってるんだよ。兄さんも心配しなくていいから、ね?」
「もちろん。全く心配していないわけじゃないが、アヤのことも信頼している。母さんのことは頼んだ」
エルキュールはアヤの美しい紫の髪を優しく撫で、彼女に念押しした。
「うん……ふふ、こうやって兄さんに頭を撫でられるのも久しぶりだなぁ……」
「……ああ、すまない。つい、昔のように接してしまったな」
アヤが幼いころはよくこうしていたが、今となってこの距離感は少し良くなかったかもしれない。もう彼女も子供ではないのだから。
エルキュールは手を引っ込めて自らの迂闊な行動を謝罪する。久々の兄妹の交流がかつての感覚を呼び戻したのだろうか。
「……もう、何でやめるの……バカ」
エルキュールなりの配慮だったが、それまで気持ちよさそうに目を細めていたアヤは、一転して不満をあらわにする。
予想外のアヤの反応にエルキュールは戸惑う。やはり、年頃の女性の心はエルキュールには理解できないようだ。
「仲良くしてるとこ悪いけど、エルの時間が限られてるでしょう? そろそろ出発しないかしら」
二人のやりとりに和みながら、リゼットは催促した。確かにそろそろ出発しなくては、約束の時間に間に合わないかもしれない。
「うん、そうだね母さん。ほら、兄さんも早く行こう?」
アヤが先行して玄関の方に向かう。笑いながらリゼットがそれに続く。
二人とも今日は本当に楽しそうであった。エルキュールはその姿を目に焼き付けつつ扉をくぐった。
◇◆◇
三年に及ぶ生活を通して、すっかり馴染んだヌールの街並みを三人並んで歩く。
とはいえ、今向かっている方向はエルキュールがいつも魔獣を狩っている平原とは逆の方向であるため、彼にとってはそれほど親しんだものでもなかった。
「ほら、兄さん。あれが私が通ってる学校だよ。兄さんはあまり見る機会がないでしょ?」
隣を歩くアヤが指さした先にはヌール魔法学校の敷地がある。恐らくヌールで最も広大な施設だろう、その敷地内には多くの建物が林立し、休日であるにもかかわらず賑やかな声が聞こえてくる。
「かなり騒がしいな……今日は休日だろう? こんなに賑わうものなのか?」
「うん、休日でも設備は使えるし……それに座学や実技の授業が難しいから、休みでも学校に来て勉強だったり魔法の練習だったりする人も多いみたい」
「そうなのか……それで、アヤは勉強しなくていいのか? もう二年目だし授業も難しいんじゃないか?」
魔人であるエルキュールは学校に通った経験がないので、そういった知識には明るくなかった。
幸い知識は書物である程度得ることができたので問題ないのだが、いわゆる常識というものには疎いままだ。
「私、これでも結構優秀なんだから心配いらないよ。それに、いざとなったら兄さんに教えてもらえればなぁ……って」
「……そんなに上目遣いをしても、魔法学校の勉強は教えられない」
アヤの頼みを一蹴してエルキュールは前に向き直る。流石に高等教育を教えられるほど、エルキュールの知識は多くない。彼のそっけない反応にアヤは頬を膨らませた。
独学の成果から、エルキュールは闇魔法を中心にある程度は使えることができるが、それでもその実力は
ヌールの外に出る門が視界に入り始めた頃、エルキュールはとあることに気づく。
「ところで、この辺りはいつもこんなに人が多いのか?」
「あら、言ってなかったかしら? 今日から隣町のニースで月に一度の大市が始まるのよ。珍しいものもあるから、せっかくだし足を運んでみようと思ってね」
「……そういえば、もうそんな時期か……」
あまりそういったイベントのことは意識して来なかったので、気づくのに遅れてしまった。
隣町――ニースはヌールの東に位置する交易が盛んな町である。
ニースでは毎月三日から八日までの六日間、すなわち一週間にかけて大きな市場が開催される。
わざわざ買いものに行くのに隣町に行くと聞いたときは、ただの気まぐれかと流していたが、こういうことだったのか。
「それで人がいつもより多いのか……」
この状況に納得したエルキュールだが、その表情は翳る。まあ、家を出る前に外見は整えてきたのでそこまで心配はないが、それでも不安は隠せなかった。
「……兄さん、堂々としてれば兄さんが魔人だってことはバレないから、大丈夫よ」
エルキュールの懸念に気づいたアヤが小声で励ます。
「……そうだな、見送りはここまでにしてもいいんだが……少し寄るところもあるし、門までは一緒に行こう」
「寄るところ? もしかして、素材の換金に行くの?」
左手にある鑑定屋を示しながらアヤが尋ねた。
「ああ、その通りだ」
先ほど知り合ったグレンも同じことをしようとしているが、エルキュールも普段から同様に素材の換金は行っている。
いつもはそれを家計の足しにリゼットに渡しているのだが、今回は買い物の足しにお金を持ってもらうつもりであった。
「しばらく鑑定屋には行ってなかったわね……店主のアランさんも元気にしているかしら」
「母さんも店主と面識があったのか」
「ええ。ここでは珍しい雑貨も少し置いてあるから、たまに来るのよ」
お世辞にも人気のある店とは言えないが、買い物好きのリゼットはこの店にも足を運んでいるようだ。
古めかしい扉を開けると、独特な雰囲気の店内が目に入る。
リゼットは雑貨といっていたが、お洒落な調度品からエルキュールの目にはガラクタのように思えるようなものまで置いている。あまり店の棚に注目していなかったが中々の品揃えである。
店のカウンターの方に目を向けると、店主は何やら客と話している様子が見えた。見たところ、それ以外の人の姿は見えない。
「はあっ!? 在庫切れだと!? この前来た時もそう言っていたじゃないか!」
「ふう……そう申されましても、ないものはないのですよ。勘弁してくれませんか」
――ただ話をしていたわけでなく、何やら揉めているようだった。
客は二人組の男で、店主に怒号を浴びせているのは煌びやかな服に身を包んだ青年であった。身につけている装飾品も高価であることから、恐らく貴族だということが推察できる。
しかし、エルキュールの貴族像といえば優雅で落ち着きのあって高貴な存在というものだったが、目の前にいる青年はその印象とは異なるものだった。
「ルイス様、ここは落ち着いてください。魔獣の剥製など……そうそう扱っているものではありません。その希少性は坊ちゃんも存じているでしょう?」
もう一人の客――騎士装束に身を包む男が貴族風の青年を窘める。主人に仕える近衛騎士だろうか。
「……それは分かっている! だが、ここは魔獣の素材を扱ってるという話ではないか! ……あと、坊ちゃんはやめろ!」
大声でまくしたてる青年――ルイスに騎士の男は「それは失礼しました」と華麗に受け流す。
その二人のやりとりを見るに、やはりルイスは身分の高い家柄であるようだ。
それにしても、魔獣の剥製というものが貴族の間では好まれているのだろうか。エルキュールはその事実に少し辟易したように眉を歪める。
「……ウチの店には置いてませんが……王都の方では扱っているかもしれませんよ」
店主はルイスの剣幕を収めるように、優しい口調で話を逸らしつつ代案を述べる。
「フン、言われなくとも、こんな片田舎の野暮ったい街にはもう用はない! ……予定より少し早いが……王都に戻るぞ、レイモンド!」
レイモンドと呼ばれた騎士の男は主であるルイスの後ろをついて、エルキュールたちがいる入口の方に向かってくる。
位置関係上、ルイスの目に当然入り口付近にいるエルキュールたちの姿が映る。
そのまま店内を出てくと思われたが、ルイスはエルキュールたちの方を見て……正確にはアヤの方を見たまま動きを止めた。
「ほう、貴様……」
「あの……私に何か用ですか……?」
突然見つめられ、気まずさからアヤは視線を逸らす。先ほどのやり取りを見て、ルイスとは関わりたくないと思っていたのかもしれない。
「ふむ、これは中々……」
そんなアヤの様子は気にも留めず、ルイスはじろじろと彼女の顔を見つめ続け、険しい顔で何かをぶつぶつと呟き、意を決したように頷くと――
「――よし、決めた! どうだ貴様、これからボクと共に王都に来ないか? こんな街にいては貴様の美しさも価値が薄れる。貴様にはもう少し有意義な生活をさせてやろう」
いきなりとんでもないことを抜かした。
その突然の告白に、店内にいた全員が固まり、それまで騒々しかった店内の時が止まった――
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