序章 第五話「鑑定屋にて」

 ただ素材の換金に来ただけのはずだったが、妙なことになってしまった。


 当初の目的といえば、魔獣の素材を換金しリゼットたちの買い物に役立ててもらうことだったが――


「そうだな……マクダウェル家のメイドとして雇ってやるのもいいな」


「ルイス様、いきなり何をおっしゃっているのですか!?」


「フン、別に構わんだろう? ……ああ、能力の事なら心配ないさ。教育を施せばな」


「いえ、そういうわけでは……」


 どういうことかエルキュールの目の前では、アヤが先客の貴族の青年・ルイスにおかしな勧誘をされている。

 ルイスに会うのはこれが初めてだったが、彼が口にしたマクダウェルの家名にはかねてから聞き覚えがあった。


「……はあ、マクダウェルというと、あの王国議会の……?」


 あまりに横暴な発言を前に、顔に戸惑いを浮かべながら、アヤはルイスに確認する。


 とりあえず、当たり障りない会話から始めて平静を取り戻すのが狙いか。


「もちろん、そのマクダウェル家だ。ミクシリアの王国議会の一員であるマクダウェル家の長子、それがこのボクだ。――そのボクが誘っているのだ。どうだ、光栄だろう!」


 自信たっぷりにルイスは胸を張った。


 オルレーヌは王が君臨する国ではあるが、政治には貴族を中心とした議会も参加する。マクダウェル家も王国議会に召集される名家の一つである。

 相当な名家であることには違いない。高らかに自慢するルイスの表情は、先ほどもまで店主に怒鳴り散らしていたとは思えないほど、清々しいものである。


 しかし、対するアヤの表情は曇っていく。仕方ないことかもしれないが、彼女のルイスへの心証は悪いようだ。


「考えてもみたまえ、この街の呑気な連中のことを。日に日に魔獣の脅威が増しているのにも関わらず、相も変わらず危機感がない。ボクたちマクダウェル家を始めとするミクシリア議会が、貴重な騎士たちを防衛のために配属してやってるからこそ、平和に過ごせていることにまるで気が付いていない」


 ヌール住人への侮蔑を込めて雄弁に語りだすルイスと対照的に、アヤの顔はどんどん暗くなる。


 この街が危機感がないという指摘は分からなくもない。今朝の広場での件のように、首脳が危機感を覚えているのに反し、ここの人々は魔獣についての興味が日に日に薄れているように感じる。


 ただ、わざわざそんなことを口にしてもアヤのルイスに対する評価が落ちるだけだろう。

 ルイスは結局何がしたいのだろうか。エルキュールはリゼットの方に目くばせした。


「……そうねぇ……自分は聡明な人間だとアピールしているつもりなのかしら」


「止めたほうがいいんじゃないか。アヤは乗り気ではなさそうだが」


「……まあそれもそうだけど、アヤも今年で十六になったんだし……これくらい華麗に躱せるようにならなくちゃね」


 小声で話しながらウインクするリゼット。いつも優しい彼女にしては少し厳しめな回答だった。

 だがこれも、リゼットなりにアヤを思っての事なのだろう。エルキュールは事の成り行きを静観することにした。


「貴様には目を見張るものがある。愚鈍な民が住む街にはもったいない。洗練された王都こそふさわしい。もしボクと共に来れば、貴様に相応する生活を保証してやろう。――クク、メイドとしてだけでなくボクの女としても可愛がってやってもいいぞ」


「……そういうことか」


 ますます妄想が飛躍するルイスの言葉を聞き、ようやく彼の暴走の原因に勘づく。

 こんなことが実際に起こるのかと疑問だったが、どうやらルイスはアヤのことを女性として好いているのかもしれない。これが一目惚れというものだろうか。


 こういったことに疎いエルキュールは、貧弱な知識を駆使してそう結論付けた。


 好きな女性の気を引こうというには、かなり強引で常識に欠ける方法ではあるが。


「この辺鄙へんぴな街を抜け出しマクダウェル家に名を連ねる絶好の機会だぞ? さあ、早く答えたまえ。こんな幸運、滅多にないぞ」


 つらつらと好き放題に語っていたルイスはようやく一息つき、アヤに返答を促した。

 こんな突飛な誘いが実を結ぶとは思えないが、ルイスのその顔は自信に満ち溢れ、申し出を断られるかもしれないという考えは微塵も浮かんでいないようだ。


 そんな彼の態度にアヤは呆れたような表情で息を吐いた。


「……ええ、こんな機会は二度とないでしょう。こんな辺鄙な街に住む私には過ぎたものですね。愚鈍な民のことなど忘れて、そのマクダウェル家の名声をぜひ王都で存分に活かしてください」


 それからルイスの言葉尻を捕らえ、皮肉をたっぷり込めてアヤは申し出を断った。


 存外毒のある物言いに、エルキュールは目を丸くした。こんなにはっきりものを言う子だっただろうか。エルキュールの知らぬ間に彼女も成長していたらしい。


「は……!? ……な、この女っ!」


 何を言われたのか理解できずに呆然としていたのも束の間、婉曲えんきょくに断られたことに気づいたルイスは、先ほど店主に向けていたのと同様に、怒りに身を任せアヤの方に手を伸ばした。


 何もせず静観していたが、これは少し良くない。流石に見かねたエルキュールが、ルイスを止めようとしたその瞬間――


「ルイス様!!」


 後ろに控えていたレイモンドが彼の暴走を止めた。


「……おいたが過ぎますと、お父上にご報告をしなくてはなりませんな」


 続けてレイモンドはそう静かに忠告した。ただの主従の関係でなくお目付け役も兼ねているのかもしれない。


「ぐっ……ク、クソ! 少し顔がいいからって調子に乗りやがって! 久々にいい女に会ったかと思ったが、どうやら思い違いだったみたいだな。所詮、愚か者が集う街にはこの程度の女しか存在しないというわけだ。まあ、こんな場所、ヌール伯との会合がなければ訪れることもないが……フン、


 激昂したルイスは口調をより汚くして、先ほどまで求愛していた相手を詰る。


「……ルイス様?」


「わ、分かっている。……行くぞ」


 再度レイモンドに釘を刺され、不満を露わにしながらもルイスは店を出る。レイモンドは店主とアヤたちに丁寧に詫びを入れてから、主人の後を追った。



◇◆◇



「……はあ、なにあの失礼な人。常識がなさすぎるよ……」


 あの二人が店を出た後、アヤは大きく溜息をついた。


「ふう、せっかくアヤもいい年になったというのに、相手がアレじゃあねえ……残念だわ」


「……そっちの心配をするのか」


 どこか抜けているリゼットを横目に、エルキュールは店主のいるほうへ歩いた。ルイスたちが去ったことにより、ようやく目的が果たせそうだ。


「よう、旦那。悪いな、変な客に目をつけられてな。待たせてしまった」


 先ほどのルイスに対して使っていた敬語ではなく、店主は砕けた口調でエルキュールを迎えた。


「変な客……というのはどうかと思いますよ。曲がりなりにもマクダウェル家の人間ですから」


「とはいってもなあ、貴族というのはどうも好かん。あの傲慢さ、我が物顔で騎士を引き連れてることといい、自分の保身と出世の事しか考えてないんだろうさ。おまけに非常識ときたもんだ」


 確かに貴族階級の人間には傲慢というか自尊心が高い人間が多いかもしれない。常識のなさはあのルイス特有のものだと信じたいが。

 

 ともあれ、この店主のように貴族を嫌う人は一定数存在する。


「はあ……騎士の連中もいざとなりゃ貴族どもを優先して守るんだろうよ……っと、悪い。いつもの通り換金に来たんだよな?」


「ええ、今回はこれです」


 今朝の狩りで採取した狼型魔獣の素材を袋にまとめたものを、テーブルに置いた。


「……? 今日は数が中途半端だな……いつもはまとまった数を持ってくるのに」


「そうですね、今日は――」


 エルキュールが今回の来店の目的を話そうとしたとき――


「ふふ、この子……私たちが買いものに行くっていうから、お金を換金しに来てくれたんですよ、アランさん」


 横からアヤを連れてリゼットが代わりに店主――アランに伝える。


「おお、ラングレーさんじゃないか、久しぶりだなあ。……ん? そっちの嬢ちゃんは娘さんだとして……まさか旦那もラングレーさんの息子だったのか!?」


 心底たまげた様子でアランは叫んだ。アヤはアランの言葉に軽く会釈を返す。

 だが、エルキュールの方はリゼットの暴露に思わず身を固くしてしまう。自分が注目されることに慣れていなかったのだ。


 確かにリゼットとアヤは同じ薄紫の髪を有しており、その顔立ちからも血の繋がりを感じられるが、エルキュールはそうではなかった。


 アッシュグレーの髪に琥珀色の瞳、人間離れした雰囲気は二人とは異なるものである。当然彼女たちとも血は繋がっていない。


 まあ、血の繋がりどころか、エルキュールにはリーベのように血は通っていないのだが。

 幾度となく繰り広げたその思考に、エルキュールは自嘲した。


「ああ……エルはなんですよ。びっくりさせてしまったかしら」


「……なるほどなぁ……すまねえな旦那、気を悪くしたなら謝ろう」


 リゼットのいうことは間違いではないが、真実に迫るものでもなかった。とはいえ、エルキュールの背景にある事情を、アランは自分なりに補完したのか彼に謝罪した。


「いえ、気にしていませんよ。こちらこそ隠していたみたいで申し訳ないです」


 もちろん全く気にしていないわけではないが、アランには日ごろからお世話になっているし、彼が悪人ではないことをエルキュールは知っていた。

 家族以外の人間では最も関わりがある人物であるが、それでもエルキュールはアランに自分のことを多くは語らなかった。


 彼を嫌って話さなかったのではない。エルキュールには自分のことを話すといっても、何を話せばいいのかわからなかったためだ。


 魔人であること、このヌールに引っ越してきたこと、人を避けてきた日々の生活のこと、すべてエルキュールにとっては忌々しいことであり、人に話せるものでもない。


「……そうか。ちょっと待ってな、すぐに鑑定してくる」


 そう言い残し、アランは店の奥に姿を消した。店内には三人を残すのみで、一気に静かになった。



◇◆◇



「わあ……この店には始めてきたけど、本当に変わった品揃えだね」


「でしょう? せっかくだし、ここでも何か買って行かない? 今日はエルからお小遣いも貰えるし――」


 珍しい品揃えを誇る店内の棚を前に、女性陣は目を輝かせている。


 本当に買い物が好きなんだな、とエルキュールは少し離れたところで壁に背を預けて二人の様子を見守る。

 いくらエルキュールがお金を足したとはいえ、調子に乗って散財してしまえば、肝心のニースの大市まで持たないだろう。


「あまり羽目を外させないように注意しないとな……」


 一つ息を吐き、エルキュールは二人を注視しながらアランの仕事が終わるのを待つ。


 その間、エルキュールは先刻の出来事で気になった点を思い返していた。あの貴族、ルイスのことである。


 彼はこの街のことを好ましく思っていないようだが、彼の口ぶりから察するに数日の間この街に滞在していたようだ。

 ルイスの言動は一見すると辻褄つじつまが合わないように思えた。


「……『ヌール伯との会合』……『今回が最後』……どういう意味だったんだ?」


 去り際のルイスの言葉を掘り返し、思考にふける。


 ヌール伯といえば、その名の通りこの街の一帯を管理する領主の名前である。

 オルレーヌの街は王都の議会で定められた貴族が各々の行政を任され、定期的に王都の方から公務の監査が入る。

 その監査のついでに何か話し合いをしたというのも考えられるが――


 しかし、今月はセレの月――俗にいう三月である。風の大精霊だいせいれいの名を冠するその月は、まだその時期には早かった。そんな時期に王都からヌールに赴くというのは違和感があった。


「まあ、考えても答えは出ないな……」


 ルイスの目的はおろか、貴族の使命が何たるかすらエルキュールには理解できない部分がある。まだまだ学ばなければならないことは多い、ということにしてこのことは意識の片隅に追いやる。


「兄さん、何をぶつぶつ言ってるの?」


 棚の商品を物色していたアヤがいつの間にかエルキュールの顔を覗き込んでいた。


「ん? ああ、さっきの貴族のことで少し考えごとをしていたんだ」


「……え? そ、それってもしかして、私のことを心配してくれてた……とか?」


 小首をかしげてアヤは期待のこもったまなざしをエルキュールに向ける。彼女のあまりの目の輝きに、エルキュールはたじろいだ。


「……まあ、確かに彼に声をかけられることはアヤも良く思っていなさそうだったから、部分的にはそうかもしれないな」


「……む、なんか取ってつけたみたいな言い方……」


 自身の求めていた回答ではなかったのか、アヤは残念そうに呟いた。


「ふふふ……アヤは『兄さんが私をことを大事に想っていてくれたら嬉しいなあ』と、思ったのよね?」


 二人の会話に入ってきたリゼットが、アヤの言葉の真意を汲み取る。


「うっ……そ、そうだけど! そんなはっきり言わないで……私は兄さんの口から聞きたかったのに」


 リゼットに指摘されたアヤは顔を赤くして俯いてしまった。どうやら図星だったみたいだ。

 ルイスに声をかけられたとき、アヤは気丈に振る舞っていたが実際のところは不安を感じていたのかもしれない。


「……そうだな。確かに、いきなり男性に声をかけられては、不安や恐怖を感じてもおかしくない。すまない、もちろんアヤのことは気にかけていたつもりだったが……これでは兄としてまだまだ相応しくないな」


 自身の察しの悪さを恥じながら、エルキュールは謝意を示した。


「分かってるよ、兄さんが気にかけてくれるのは。……でも兄さんが兄として相応しくないっていうのは絶対違うよ」


 アヤはエルキュールの目をしっかりと見据えてゆっくりと言葉を紡ぐ。


「それに……私が兄さんの妹で、兄さんが私の兄なのは、どんなことがあっても、誰が否定しても変わらないんだから、いちいち気にしなくていいの」


「……ああ、その通りだな」


 また思考が暗い方向に行くところだった。

 確かに、たとえ本当の兄妹でなくても、種が異なっても、十年共に過ごした二人の間には確かな絆があるはずだ。


 そのことを確認し、二人は互いに笑いあった。


 それから、今度はエルキュールも伴い三人で店内を物色していると――


「旦那ー! 終わったぞー!」


 袋を載せた木の平皿を手に、アランが店の奥から戻ってきた。鑑定が済んだようだ。

 代金を受け取ろうとエルキュールはカウンターの方に向かう。


「今回は狼の爪が十二個、牙が六個、細かい毛も合わせて、全部で一万二千ガレだ」


「少し待ってください。今回持ち込んだ素材はいつもよりも少ないはずなのに、金額の方はそこまで変わらないのですが」


「あー……ま、ちょっとしたサービスさ。さっきは悪いことをしちまったし……あと、旦那には世話になってるからな」


「とはいっても、取引は公平でないと……一方的に得をするのはよくないと思いますが」


 アランの好意を前に、エルキュールは渋い顔をした。素材と金との取引の間に突如として現れた人情に、エルキュールは戸惑う。

 無論、家族以外の人間に優しく扱われるのに慣れていなかったのもある。


「気にすることはないさ。店の事だけじゃない、旦那が魔獣を狩ってることは街にとってもいいことだと思うぜ。魔獣は増えてるってのに騎士の野郎どもは最近は数が減っているしな……ホントにいい仕事してるぜ」


「……うーん、まあ……分かりました。そういうことでしたら、ありがたく受け取っておきます」


 別に大それた理由でそうしているわけではないが、過度に遠慮するのもよくないことかもしれない。エルキュールは通常よりも多い額を受け取ることに決めた。


「じゃ、またのご利用を」


 アランの挨拶に会釈をしてから、エルキュールはリゼットとアヤの下に戻る。


「ほら、これを。俺はもう約束の時間が迫っているから、これ以上は同行できない」


 換金したてのガレをリゼットに託す。もうグレンとの約束まで時間が残されていなかった。


「……ちょっと待ちなさい、エル」


 エルキュールを引き留めると、リゼットは彼から受け取った袋の中からいくらかガレを取り出し彼に差し出した。


「……これは?」


「おまけしてもらったんでしょう? そしてそれはあなたに向けられたもの、その分はあなたが持つべきだわ」


「……別に必要ない。俺には使う当てがないから」


 先ほども似たようなやり取りをしたが、それは遠慮しているからというよりもエルキュールには金に対する執着がなかったからだ。武器の手入れや服のために多少使うことがあっても、リーベの人間のように生活するのに金はそれほど必要ではなかった。


「この後お友達と魔獣と戦いに行くんでしょう? それが終わったら一緒にお茶でもしたらどう? ……それに、息子にこんなにしてもらったらお母さんの立つ瀬がないわ」


「だから友達ではないんだが……まあ、ありがとう」


 まだ勘違いしているリゼットはともかく、これもありがたく受け取ることにしたエルキュール。たまには二人を見習って散財するのもいい経験かもしれない。


「はあ、いいなあ……そのグレンさんって人。……もう少し強くなったら、私も魔獣狩りに連れて行ってね、兄さん」


「ああ、そのうちに」


「お土産たくさん買ってくるから楽しみにしてるのよー?」


「……あまり調子に乗りすぎないようにな」


 二人と軽く言葉を交わし、エルキュールは扉をくぐる。


 外に出ると、春の温かな陽気がエルキュールを迎える。約束の時間はもうすぐのようだ。

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