序章 第二話「世界に仇なす者たち」

「はあっ!」


 鋭い掛け声とともに、エルキュールはハルバードを横に薙ぎ払う。


 振るわれた刃は目前の獣型イブリス――魔獣に命中し、不快な音を奏でながら敵を吹き飛ばす。


 この辺り一帯に広く生息する狼型は、ヴェルトモンドでも一般的な魔物の種であった。


 リーベの狼よりも一回り大きい体躯。

 禍々しい紫色の毛並みは逆立ち、犬歯は肥大化して赤く変色している。


 全身を以て醜悪の二文字を惜しみなく表現した様子は、まさに魔獣と呼ばれて忌み嫌われるも納得の姿形であった。


 その上で。彼奴らを魔獣たらしめる最大の要素は、これとは別のところに存在していた。


 手足の先、身体の一部分。所々がリーベとは異なり、完全に物質化していない魔素の集合体で形成されており、赤黒い光が怪しく揺らめいている。

 爛々と赤い輝きを放つ魔素質、胸元にある宝石のような塊は顕著だった。


 エルキュールの胸元にあるそれと同じ、コアと呼ばれる魔素器官。

 魔素質の中でも極めて高純度のもので形成された核のような存在である。


「グ、グ……グルルルル……」


 傷つけられた狼魔獣が低く唸った。

 だが傷つけられた怒りとは裏腹に、エルキュールの与えた傷はまるで何事もなかったかのように回復していく。


 魔物に備わった驚異的な回復力は、大抵の損傷ならば回復させてしまう。

 リーベのように安定した物質だけの肉体ではない、魔素質を多分に含んだ身体を持っているからこそ為せる芸当であった。


「……うん、やはり昨日よりも強くなっているな」


 確信のこもった呟き。

 ここ数年にわたって魔獣の力はみるみる力を増していることも、その数が以前とは比べ物にならないほど増加していることも。


 エルキュールも話には聞いていたが、目の前の狼型おおかみがたはそれを何よりも裏付けするものだった。


 そのうえ殺しても殺しても、湯水のように次の魔獣が湧いてくる。ここから見える景色も疾うに慣れてしまうほど。


 何者かが魔獣の動きを裏から操っているのではないか。そんな不自然さを感じさせる。


「――っ!?」


 ふいに背中に感じた殺気、エルキュールは思考をスキップして素早く横に飛んだ。


 視界の端で元々いた場所を捉えると、二体の狼型が襲いかかっていた。


 咄嗟に躱さなければどうなっていたか。


「考え事をしている場合ではなかったな」


 気を取り直し、片手でハルバードを構える。


「この後には大事な用が控えている――悪いが消えてもらうぞ」


「グゥゥゥ……ガァァァァ!!」


 挑発を理解するだけの知性が魔獣にあるかは議論の余地があるが、ともかく彼らは一斉にエルキュールの方へ飛びかかってきた。


 エルキュールは半ば予測していたその猛攻を、後ろに跳んで回避する。


「――ダークレイピア」


 攻撃を空振り隙を曝す魔獣に、エルキュールは外気に含まれる黒き魔素を使役すると闇の攻撃魔法を素早く詠唱した。


 光を発する黒色の粒子が空中に集まり、やがて三つの細長い剣のような形を形成した。


 黒の細剣が術者の期待に応え、空中を駆ける。


「ギャ――」


 剣はそれぞれの魔獣のコアに寸分の狂いもなく突き刺さり、そのまま魔獣の体を貫通した。

 魔獣たちは飛びかかった際の姿勢を保ったまま一瞬静止し、力なく悲鳴を上げる。


 貫かれた体はやがて重力に導かれ地にたたきつけられる。

 魔獣の首元にあったコアが、エルキュールの魔法の威力によって石が砕け散るように割れ、やがて消滅した。


 コアの消失により回復能力を失った魔獣は、二度と起き上がることはなかった。


 この三体を含め、討伐したのはこれで十体目。

 これくらい狩れば、今日のところは魔獣が街に入ってくる心配もない。


 後の事は街に駐留している王国騎士団に任せれば、全て勝手に収まるだろう。


 ヌールに隠れ住んでいるエルキュールの、街に対するせめてもの貢献。

 二年もの間、ここで魔獣を狩り続けた最大の理由だった。


「……違うか。貢献なんかじゃない。これは、単なる欺瞞だ」


 朝焼けに涼風が靡く草原の中、エルキュールの存在だけが黒く際立っている。


 欺瞞、今のエルキュールの生活をこれほど的確に表す言葉もない。


 眠りを知らないエルキュールは、夜が更けた街を照らす月を、いつも取り残されたような心地で自室の窓から眺めていた。


 ヒトに近づこうと、自分と家族が住むこの街を守ろうと、殺戮に手を染めてきたが。同種である魔獣を殺すことにはやはり躊躇いがあった。


 そうすることでリーベの世界の住人だと自らを騙すことに、疑問を覚えない日はなかった。


 しかし。


「今日は……今日だけは、せめて明るい気持ちで過ごしてみよう」


 空を見上げれば、狩りを始めたときよりも高くなった日がエルキュールを照らしている。

 約束の朝食時が近づいていた。


 エルキュールは踵を返してヌールの街へと歩き出す。

 その背に射す温かな光に、燻ぶる苦心が浄化されるような錯覚を覚えながら。





◇◆◇






 王国内では比較的自然が多いヌールの街中をエルキュールは足早に歩く。


 いつもなら魔獣を狩る以外に予定もないので、図書館で魔法書や学術書を読み漁ったり武器の手入れをしたり、なるべく目立たないように過ごしていたが。


「習慣に身を任せて道を違えないようにしないと」


 エルキュールの住む家は街の外れに建てられており、こことは正反対に位置している。


 朝食まで時間はあるものの、余裕をもって行動するに越したことはない。

 それにもし油断して時間に遅れることがあれば、少し面倒なことになるとエルキュールは感じていた。


 母であるリゼットはいざ知らず、妹のアヤは遅れたことでひょっとしたら機嫌が悪くなってしまうかもしれない。


 幼い頃のアヤは素直な性格であり、人情に疎いエルキュールからしても彼女のことはなんとなく理解できていた。


 ところが年月が過ぎて成長するにつれ、アヤの心情を理解することが次第に難しくなっていった。


「もう十六だったか……」


 その頃のヒトは、思春期と呼ばれる色々と難しい時期だと、書籍である程度は学んでいた。けれども最近はどうにも上手くいかない。


「……女性の心情の機微はやはり難しいが、これ以上溝を深めることはしたくないな」


 たとえそれを除いたとしても、時間に遅れるのは一般常識的にあまり良くない。


「今度、年頃の女性が好みそうなプレゼントについて調べてみよう」と思考を締めくくり、エルキュールは先を急ごうとした。


「ん……?」


 その歩みはすぐに中断させられた。


 道を行きヌール広場に近づくにつれて、いつもに比べてやけに人の往来が多いことに気付いたのだ。

 日ごろ周囲の目には注意を払っている彼は、周囲の目にとても敏感であった。


 落ち着いて気配を消し、観察する。

 人々はどうやらエルキュールが向かっているのと同じ方角、即ちヌール広場方面に流れているようだった。


「もしかして、魔動鏡まどうきょうに何か映し出されているのか……?」


 そうだとすると、エルキュールとて様子を見に行かざるを得ない。

 人々の流れに身を紛れさせ広場にたどり着く。そこには予想通りの光景が広がっていた。


 三叉路に面した空間にあるヌール広場は、周縁が花壇や小さな木々によって彩られている。

 中に備え付けられた木製の長椅子は、広場の中心を囲むように整然と並び

人々が次から次へと腰をおろしていた。


 そしてその諸々よりもさらに内。

 中心部にはエルキュールの部屋にある姿見など比にならないくらいの、巨大な鏡が圧倒的な存在感を伴い鎮座している。


 青みがかかった鏡面と魔法術式が刻まれた紫紺の枠。ヌール広場の最大の特徴でもある魔動鏡だ。


 オルレーヌ国内の広場にはほとんど魔動鏡は存在するが、ここまで大きさは少々珍しい。


「ふわあぁ……こんな時間に何が映るってんだぁ? まだ朝の報道の時間には早いはずだろ?」


「さあ? 緊急の知らせかもしれんな」


 中年の男二人組が、そんな会話を繰り広げながらエルキュールのそばを通り過ぎる。男たちはそのまま空いている椅子に座った。


 魔動鏡は文字通り魔法による動く鏡であり、市民に対しその日の出来事などの情報を伝える機能を持つ。


 音と映像を伝達する魔動機械の一種で、光の上級魔法・ビジョンが付与されているためとても貴重である。

 故に公共施設などの限られた場所にしかないが、それでも極めて便利な代物には違いない。


「……少しだけ確認してみるか」


 先ほどの男も言っていた通り、定時ではないこの時間に映像が映されるのは稀なことだった。

 空いている後方の椅子に座り、鏡面に視線を向ける。

 すると鏡面は光りだし、次第に渦のような模様が現れる。ビジョンが発動する前兆だ。


「――六霊暦ろくれいれき一七〇八年、セレの月、三日。オルレーヌ放送が最新の魔獣情報をお伝えします。本日未明、ヌール方面とガレア方面において魔獣が大量発生したとの情報がありました。当該地域にお住まいの方は十分に警戒を……」


 報道員が原稿を読む姿が魔動鏡を通じて映される。

 緊急の魔獣情報のようだ。


 先ほども一端に触れたが、魔法による防壁と騎士によって守られた街を少しでも離れれば、そこは魔物が跋扈する危険な地だ。


 最近では一般人の移動に制限が設けられ、特別な魔除けが施された馬車や護衛の者がない限り、自由に街の外へ出ることは認められない。


 魔獣は数が増えすぎると、獲物を求めて凶暴さが増し、防壁を突破して街に侵入することもある。

 故に魔獣情報は、今日のヴェルトモンドに暮らす人間にとって不可欠の情報であった。


 だが。


「なーんだ、魔獣のお知らせだったみたいね。大したことなかったじゃん」


「ホントになー……ったく、朝っぱらから広場に来たのによー」


 エルキュールから数人分離れた席から、若い男女二人組の会話が聞こえてくる。

 その声はいかにも拍子抜けした、という感情を雄弁に語っていた。


「魔獣に警戒って言ってもさ、最近なら街にまで来ることもないし……」


「騎士サマと防壁が守ってくれてるもんなぁ、俺達には縁のない話だぜ……つーか、この前王都では魔人が出たんだろ? そっちの方がヤバくね?」


 青年が立ちあがり、女性を連れて広場を去っていく。

 エルキュールはその様子をちらりと見た後、魔動鏡に向き直った。

 この間も映像はまだ続いていた。


「王都ミクシリアの騎士団本部や、対魔物専門機関・デュランダルによれば、前回の王都の件に引き続き、この件もイブリス至上主義団体・アマルティアが関連している可能性が高いとのことです」


 アマルティア。


 その単語を耳にしたエルキュールの、全身の魔素質が疼く。


 その団体の存在が確認されたのは、いまから約十年前のこと。

 魔物の活性化と時期を同じくして現れた、イブリス至上主義を謳う団体である。


 名前の他はほとんど素性は知られていないが、辛うじて判明しているのは、強力な魔人で構成され、魔獣を操る力をもったリーベ全体を脅かす敵であるということ。


 今朝、魔獣と戦闘していたときにも、エルキュールの意識にはその存在がちらついていた。


 かつて住んでいた土地を追われ、家族ともども放浪し、このヌールに移住するまでの間。

 魔獣を操るというアマルティアに関する噂は、エルキュールを頻りに不安にさせた。


 もし昨今の魔獣の増加にアマルティアが関与していたら。

 自分と同じ存在がこの世界に害をなしているとしたら。

 そう思うたびに、エルキュールはいつもある種の罪悪感を覚えた。


「……だが先ほど戦った魔獣、それ自体には特に不審なことはなかった」


 湧きたつ負の感情から逃れようと、エルキュールはあのときに問題が起こっていなかったかを確かめる。


 しかし思い返してみても、アマルティアの介入の形跡に思い当たる節はなかった。


 そもそもアマルティアに関しての知識は、ここの住民のものに少し毛が生えた程度にしか持ち合わせていなかった。


 だからここでいくら頭を回転させたとしても答えが見つかることはないのだが。


「あの名前を聞いて、じっとしてはいられない」


 不安要素はなるべく排除しておきたい。朝食を済ませたら改めて調査してみようと思い、エルキュールは腰を上げた。


 思考の旅を終えてあたりを見渡せば、あれほどいた人々はほとんど散り散りに去っていた。

 あの若い男女のように、魔動鏡の魔獣情報には早々に興味をなくしたようだった。


 今この世界が危機に瀕していること。

 それはあくまでも騎士や報道でもあったデュランダルが対処すればよいだけのことで、一般の市民にはあまり馴染みのないことだとでもいうのだろうか。


 街の外に出ない、もしくは魔獣の脅威を直に知らない者からすれば、この平和は当たり前のように存在しているものに見えるのだろうか。


 しかし実際、この街の平穏は何も自然にもたらされているわけではない。

 その実現には騎士の活躍や、エルキュールの力も僅かながらに関わっている。


 今は安定しているが、それが後にも続くと限らないのだ。


 怯えずに毎日暮らせているなら何よりであるが、もう少し魔獣情報に対して気を配ったほうがいいのではと、魔人である立場ながら思ってしまう。


「全く、なんて呑気な――」


「やれやれ、随分と呑気な連中だな」


 エルキュールが人々のそんな様子を見て柄にもなく呆れていると。

 後ろから軽い声が発せられた。

 偶然とは思えないその言葉に思わず振り返ってしまう。


 他人との関りを極限まで減らしているエルキュールは、その自身の甘さを呪ったが、遅い。


 一人の青年がエルキュールの目をしかと見据えて笑っていた。


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