焦らし焦らされ

「ねぇ、あの雲、ヤバくない?」

 久しぶりのデートだというのに終始目を合わせようとしない彼女が、その態度を誤魔化すように空模様を話題にあげる。

「会話の基本を良くご存知で……」

 みっともないのは承知の上。

 でも、敢えて拗ねて見せる。

 そうでもしないと気持ちが伝わらないから。

「冷たい返事だなぁ」

 ぷくっと頬を膨らませる彼女に力強く問いたい。

 それは一体誰のせい?

「駅から家に着くまでに降らなきゃいいね」

 そうですねー。


 各駅停車のドア付近で最寄り駅まで立ち話。

 例えば、座席に座れば肩を寄せ合い最接近。

 でも、視線は平行線。

 例えば、一人が座れば向かい合わせ。

 だが、如何せん目線が遠い。

 だから、敢えてのドア付近。

 絶妙な距離で向かい合えば、囁き声が通る程に寄せ合う仕草も自然に出来るし彼女の表情も全てがバッチリ視界に入る。

 それは相手も同じはず。

 なのに、なのに、なのに!

「はぁぁぁ〜〜……」

 この口から出るのは、溜め息ばかり。


 ◆ ◆ ◆


 駅から彼女の自宅マンションまでは徒歩十分。

 買い物後の荷物を抱えて走れば五分強。

 但し、それは体力が持つ場合。

 互いに運動不足の上に彼女の体力は平均以下。

 何度も休憩を挟むから、歩きと変わらない。

 だから……。

「はわわー、降ってきたー!」

 ボタボタと落ちる、信じられない程の大粒の雨。

 あっという間に車道を色濃く変えていく。

「お願い〜! 三年前まで付いていた商店街のアーケードを今すぐ召喚して〜!」

「魔法使いではないんで、そんな無茶なお願いは聞けませんっ!」

「うわ〜〜ん!」

 肌にぺっしょりと張り付く各々の髪。

 びっしょり、ぐっしょりの水も滴る女がふたり。

 無言でエレベーターを待つ羽目になる。


「ふわぁ〜、やられたね。部屋に戻ったらシャワーを浴びようね」


 それは、一緒に、というお誘い的なやつデスカ?


 ポーンと到着音が鳴り、無言で歩いて行く彼女の後を追う。心の臓はバクバクと煩い。

 ガチャガチャと解錠してドアが開くと、色濃く甘美な彼女の香りが包んできて目眩がしそう。

 おまけに、パンプスを脱ごうと屈む彼女の、濡れて艶めくゆるふわボブを不意に耳へと掛ける仕草が首筋がモロ見えにさせて……これがまた……。


「ちょっと待ってて……お風呂場の用意、するね」

 なーんて間を置きながら言われた日にゃ、もう!

 キメるしかないでしょう、そうでしょう!


「準備おけだよ〜、お先にどうぞ〜」

 何だよ、別々かい!

 先走らなくて良かったわー。


 ◆ ◆ ◆


 この部屋に来るのは二回目。

 ソワソワしかしない、しっかりしろー!


 先に上がって彼女が新しく用意してくれた部屋着に身を包み、リビングで寛ぐこと三十分。ずぶ濡れからサッパリした彼女が冷蔵庫を漁り、飲み物を用意する。


「サンキューって、あれ? これ、飲み物じゃ無いんだけど?」

 よく見れば、手渡されたのはグラスではなく虫さされの薬剤。


「何かね、背中が痒くて。触ったらプクッてなってたっぽいから塗ってくれる?」

 そう言うとソファに腰を下ろしてスウェットをペロリと捲る。


「ん……ぐふっっっ!!」

 目の前の光景に一瞬たじろぐ。


「どうしたの?」

 何事かと呑気な声が帰ってくる。

 いやいやいや、どうもこうもないわ!


「えーと……お嬢さんのその身を縛るはずのが一切見当たら無くてですね」

「あぁ、おブラね。自室だし、もうでかけないから良いかな、と。ダメだった?」

 ダメではないけど、ダメだと思う。

 頭ン中はてんやわんやだ。


「蚊に刺されている模様。薬を塗ります」

 棒読み台詞で心を落ち着かせ、きめ細かな柔肌に液体薬剤の先端をそっとつけてクルクルする。


「ん? 全然出てないよ?」

 なぬ?!

 試しに先端のボールを押して再挑戦するも。


「うひゃぁ! 垂れてる垂れてる、冷たいよ!」

 あわわ、あわわ、と大わらわ!

 大量に出た薬剤が腰回りまで伝ってしまう。

 これにはもう、お詫びしかなく。


「不甲斐なくて申し訳ない……」

 項垂れて言うと、

「本当にね」

 ガッカリよろしく、呆れた声で彼女が続ける。


「びしょ濡れでエレベーターに乗って部屋に入れば玄関で強引に壁ドンちゅーすると期待してたのに、そんな気配すらないし」


 ……はぁ?


「何の為に夕立来そうな日を選んで、丸一日我慢強く目も合わせず焦らして、あれこれと匂わせ発言ブチかましたと思ってるの? ちゃんと気付いてよ、もう!」


 ぷぅーっと片頬を膨らませてそっぽを向く彼女に言うべき言葉は、コレである。


「そんなねぇ……三日前に読んだマンガそのままのシチュを再現なんて出来るわけ無いじゃない、こっ恥ずかしい!」


「何が減るわけでも無し、そこはやっとくものでしょ? しかもご丁寧に背中も見せて誘ったのに乗ってこないし……そんなに魅力が無いのかと正直自信無くしましたよ!」


 あぁ言えばこういうとはこの事と思いつつ、先走っても完全にセーフだったのかと安心もする。


「一応、聞いてからの方が良いかなと思ったから。もしかして、ボトムスは無事だから上着を脱げば済む話なのに、わざわざシャワーと着替えをさせたのも作戦の一つだったりする?」


「当然、そうですよ! 悪い!?」


 じとーっと睨みながらも出る、照れ声。

 これがまた、滅茶苦茶可愛い。

 なので、ここは降参しておこう。


「ゴメンね、寝室へ行く?」

「いいえ! 有無を言わさず、ここよ! 徹底的にお仕置きしてあげるから、覚悟しなさい!」

「ふふふ、お手柔らかにお願いしま―――」


 あっという間に唇を塞がれて互いの舌が吐息とともに重なり合い、あれよあれよ脱がし脱がされて彼女の甘美な蜜の香りに抱かれていく。






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