遠回りしちゃったね

「先輩、今日は来てくれてありがとうございました。ちょっとお時間貰っていいですか?」


 公立中学校への進学とは異なり、見知った顔を探す方が難しい高校生活にも漸く慣れた初夏。

 かつて在籍していた部活に新入生が数多く増員され、以前より男子率が上がったその歓びを連絡してきた後輩を冷やかしに仲間と中学へ寄った帰り際。

 不意にキミに呼び止められる。

 副部長としての心構えでも知りたいのだろうか。


「いえ、個人的なお願いです。先輩、高校生活を楽しむのは一年間だけにしてくださいね」


 それは一体どういうこと?


「今年の受験で合格もぎ取ってあなたと同じ高校の上位クラスに食い込んだ暁には、あなたとお付き合いを始めて一生束縛するからです。

 こんなに価値観ピッタリの相性抜群な人間なんてこの世に二人といないんだから、最早運命を感じてもらわないと。抗おうなんて無駄ですよ、諦めて。

 本当はこうして告った時点から縛りたいけれど受験でまったりデートも出来そうにないから、干渉出来ないこの僅かな時間は自由に楽しんでください。

 友達100人作るもよし、中学同様部活に励むもよし、相変わらずの成績上位をキープしながら遊びまくって逆ハーレムを作るのも……それは控えていただきたいかな。

 好きピとイチャつくのも……まぁ許すとするか。先輩の初めては絶対誰にも譲りたくないけど、逆に経験積んだあなたにリードされるってのも悪くないしね。でも来春には必ず別れてくださいね。腕力弱いから修羅場ってもボコられて亡き者になるのがオチなんで」


 これは、どこからツッコむべきなのか?


「いや、一切ボケてはないですよ?」

 ちなみにこう言ってはなんだが、私の知る限りキミのおつむは我が校へ入るには月ほどに遠いはず。

 そして、学年はひとつ違えど幼い頃から同室で英会話を学び、受験に合わせて通った学習塾でも偶然居合わせた幼馴染み感覚のキミへ、後輩でも塾仲間でもない恋愛感情を抱くことなど有り得ないに等しいのに。

 なのにこの傲慢な自信は一体どこからやってくるものなのか。


「先輩、もう少し言い方を考えてくださいよ」

「冗談はいい加減にしなさい、ショウ」


「んー、まだ、これ以上ない存在だと肌で感じてないんですね。ならば、それもこの一年で思い知ってください。『あぁ、これが運命なんだな』って確信しますから。絶対に」


 憎たらしい程のドヤ顔をぐっと近づけながら余裕たっぷりに言い切るキミには、最早、何を言っても無駄のようだ。

 早々に切り上げてしまおう。


「相変わらず可笑しな事言うのね。残念ながら私は好きに生きますので悪しからず。さて、もう帰るわ。勉強、頑張ってね、受験生」


「先輩、絶対に合格してあなたの元に向かいますから、待っててくださいね」


「いいえ、期待もしないし待ちもしません。でも理想に向かって無事に羽ばたいてね」


 ◆ ◆ ◆


 そうして別れてから半年後。

 私の隣には、背の高い二つ年上のカレが居る。

 推薦入試で進学先を早々に決定した彼とは前期に行われた文化祭委員で初めて顔を合わせ、隙間時間の世間話で同じ中学校学区だと知ると、帰りを共にするうちに自然と告白を受ける事になり、今に至っている。

 最近は日暮れが早いので、駅まで自転車通学の私が駅近くに住む彼の自宅にたまにお邪魔しなから帰宅することが多い。


 彼は長子らしい優しさと頼もしさを持ちながらも、二人きりになると甘えたがる一面も有り、そのギャップで謎の母性本能をつい擽られてしまう。

 だからといって強引な押しがあるわけではない。

 共に初めてという事実が今どき珍しい程ゆっくりと時を進ませ、クリスマスも正月も、きゅっと手を組み合い互いに照れながらキスを交わすなど、いつまでも心穏やかに過ごしていた。


 そして迎えたバレンタインデー。

 試験期間中ではあるが、主要三教科を終えてから会う約束をし、駅からふたりで自由登校となった彼の家へと向かう道すがら、思わぬ人物と遭遇する。


「コウタじゃん、彼女連れ込んで何する気ー?」

 後ろから掛けられた声に心臓がドクンと跳ねる。


「おわっ! ビックリさせんな、バカ! 期末試験の真っ最中だから勉強を見るんだよ、決まってるだろうが。お前こそ、中坊のくせに真っ昼間に何ブラついてんだよ!」


「今週は三者面談で早いんですー。コウタには勿体ない美人さんだね。、彼女さん」


 彼と慣れた口調で話すショウが初対面のように振る舞う様子に動揺しつつ、彼に気付かれぬよう笑顔の裏にひた隠してそれに合わせる。


「こんにちは、お知り合い?」

「近所の中坊。俺が公立中学じゃないからって小学生時代の流れで今でもタメ口、生意気なヤツ」


「あんまり色ボケしてると推薦取り消されんじゃないの? いっその事そうなってしまえー」

「アホ、先輩として面倒を見てるだけだ。受験生はさっさと帰って勉学に励めよ」


「あっそう……じゃあね、ごゆっくり、彼女さん」


 これまで居合わせる機会がなかったから当然といえば当然だが、二人が互いを名前で呼び合う仲だとは初耳だった。

 そして、あの『初対面対応』。

 一瞬、胸の奥にモヤモヤしたものが渦巻く。


 その理由がはっきりしないまま、整頓したばかりだとハニカんで暴露する彼の部屋へ向かい、名目通り問題集と教科書を広げる。

 期末試験は残すところ英語と歴史のみ。

 勉強のコツを教わりながら、チョコを渡す機会を伺う。

「ありがとう」

 この上なく嬉しそうに笑う彼の手がそっと重なり、見つめ合った視線を互いに落とし口づけを交わす。

「いい?」

 漸くここで来たかと覚悟を決める。

 その問いにひとつ頷くと優しくベッドに寝かされ、これまでにないキスが始まり、互いにもどかしいながらも二月の寒さなど吹き飛ぶ程に火照る身体で抱き合った。


 それから卒業式を過ぎて一人暮らしの準備が整った彼の部屋へと何度か足を運び、これ迄と変わらぬ緩やかさを保ちながらもたまに求められれば応じる日々は春を過ぎても続いた。

 だが同時に、まさかの再会をも果たしてしまう。

「先輩、約束通り来ましたよ、覚悟してください」


 彼の腕のなかに抱かれている間は、身体を重ねる毎に自分でも驚くような新たな発見があり、そこから得られる多様な快感がたまらなく心地良かった。

 でも、そこに追いつけない心が有ることは必然で、そして今、それを無視出来ない状態にまで陥っている自分がいた。

 上手くいっていた筈なのにこんな事になってしまう不甲斐なさに、嫌気どころか安堵すらしている私はとんだ裏切り者だ。

 ショウの予想は覆ることなく、決定的となったあの偶然の邂逅が有ろうが無かろうが結果は明らかなのに、いつまでも自分を誤魔化して彼を利用した。

 こんな私では彼を苦しめる、以前に私が苦しいなんて自分勝手な話。


 そして漸く、遅い梅雨入りを目前とした曇天の下で別れを切り出した。


 ◆ ◆ ◆


「確かにご自由にとは言いましたよ?」

 そう前置きをすると、いつまでも呆れながらじっとりとした目で見つめてくる。

 不機嫌になると良くやる癖だ、懐かしい。


「全くもう、だから言ったでしょう、運命だって。なのにコウタなんかに捕まって処女を捧げるとか、あぁ、情けない。あいつは無理させるようなクソ野郎じゃないからまだ良かったものの、散々弄ばれたらどうするつもりだったんですか、先輩?」


 放課後の帰り際にショウに呼び止められ、高校の最寄り駅前のベンチでチョコケーキのような夏のフラペチーノを渡されてお叱りを受ける。

 シンプルな色味に漂う紅茶とチョコソースの華やかな香りが、またイイ。


「で、そろそろお返事をいただきたいのですが、如何ですか?」


 真っ向勝負の真っ直ぐな瞳が私を捉えて離さない。が、それよりも先に尋ねたいことが有った。


「どうしての?」


 ずっと疑問に思っていた。

 ショウが私に抱いた想いを伝えようとした理由。


「先輩、顧問のホノカ先生ちゃんのことばかり見てたでしょう? 周りは到底気付かないようなその密かな熱視線も、あなたの事しか目に映らないワタシには一目瞭然だったわけですよ」


 そうか、やはりだけある。


「あれだけ言ったのに男を作って試すとか、本当に無駄な事しましたね。お陰で先輩のを根こそぎ奪い損ねるし、ワタシ、相当怒ってるの分かってます?」


 ぷんっと顔を上げては、尖らせた唇でストローを咥える拗ねた仕草が可愛いこと、この上ない。

 これは母性本能を擽ってきた彼には一度も抱かなかった感情。

 所謂〈愛しい〉というベクトルが向くのはこの娘だけという事実が私の目を覚ます。


「ちょっとね、自分を見失ったのよ。でも、その一因はキミにもあるんですから私ばかり責めないで」


「それは、どういう事?」


「あの人に容易く名前で呼ばせるなんて信じられない……そう思ったら腹立たしくなって勢いでOKしちゃったのよ」


「嫉妬の矛先が謎でしかないんですけど!」


「これからはショウだけのものになるから、諸々許してちょうだい」


 ふーん、と含みをもたせつつ勝ち誇る顔で見つめ返す生意気な後輩キミ

 これからは、ありのままの私を見てくれる恋人となる。


「ヤキモチ妬いたのは嬉しいから、仕方ない。許しましょう。それと、これからはあだ名じゃなくて正しく呼んでくれません?」


「ならば敬語も不要よ、愛しいショウコさん」

「うふふ、チズルちゃん、大好き!大事にするね」


 でも、束縛は程々に、ね。

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