クックの草原

@masujing

第1話


ぼくはライオンのクック。

たてがみは少し生えて来たけれど、まだ大人みたいに立派なものじゃない。

ぼくのお母さんはいつも狩りに出かけていたりいないことが多い。

ぼくらライオンは群れで暮らしていて、いつもおばさんがぼくのお母さんのかわりになっている。クックって名前は実はおばさんが勝手につけたんだ。まあぼくもクックって名前けっこう気に入ってるんだけどさ。

仲良しのビリーはこのおばさんの子供だ。


ビリーは気のいいやつだ。

ぼくより少し早く生まれたから、少しぼくより大きいんだけど、年上っぽくえらそうにすることもないし、ぼくにいつも優しくしてくれる。

ビリーはハイエナとのけんかが原因で片耳が少し欠けてるから、たくさんのライオンの中にいてもすぐにわかる。

ビリーはぼくと遊んでても、いつも手加減してくれてるのがわかるんだ。ほんとはビリーはぼくなんかよりずっと強い。耳を怪我した時もハイエナはいっぱいいたけど、ビリーは負けなかったし。

ビリーはそのうちきっとりっぱなボスになるんだろうな。


ビリーはある日ぼくにこんな話をした。

「クック、人間ってしってるか?」

「しってるよ。前に見たことあるし。」


ぼくは人間を見たことがある。体が細くてツルツルしてて、立ち上がって歩くなんだか棒切れみたいな生き物だった。


「大人達が言ってたけど、人間ってすごく弱くておいしいんだってさ。」とビリーは言った。

「じゃなんであんまり食べないの?」と聞いたら、ビリーはおばさんにこう言われたらしい。

「人間は私達とはちがう世界に生きているのよ。襲ったりしたらいけないものなの。だから人間を見つけたらとにかく逃げなさい」

ぼくはその話を聞いて思った。

なんだそりゃ?おいしいってしってるんなら、食べればいいのに。


その話を聞いてから、ぼくは前に人間をみたことがある場所をよく見に行くようになった。でも毎日見に行ってみたけれど全然見つけられなかった。

ビリーにその話をしたら、


「見つけなくて良かった。お前、人間を見つけたら食べる気だろ?」


ぼくは、

「もちろん。だって、美味しいってしってるってことは、仲間の誰かは前に食べたことがあるってことだろ?ずるいよそんなのは」


ビリーは言った。

「みんなは知らないけど、俺も人間を見たことがあるんだ。向こうはこっちに気付いていなかったみたいだけど、俺は草のかげに隠れてじっと見てたんだ。」


「ふーん」


「人間達から少し離れたところに象がいたんだ。人間は首から変なものをぶら下げてたんだけど、それをガチャガチャやってたら、いきなりパーンってすごく大きな音が鳴った。そのしゅんかん象が倒れたんだ。」


ぼくは言った。

「それを人間がやったって言うのかい?離れたとこから象を倒すなんて無理だよ。象の体は硬いから僕らでも勝てっこないのに」


ビリーは

「俺にもよくわからない。けど、人間にはあまりかかわらないほうがいいと思うぜ。」


ビリーがけんかが強いのは、あいてをよく見るからだ。

ビリーはぼくにはいつも「けんかはするな」って言うんだけど、ビリーが言うには、けんかは仕方なくやるものなんだって。だからなるべくやらないようにしてるんだって。相手をよく見て、かないそうにない時は全力で逃げる。逃げることもとっても大事なことなんだって。そんなビリーが人間とかかわるなって言うんだ。

ちょっとぼくもこわくなってきた。



僕のうんめいの日は突然やってきた。


その日は群れのいどう日。ぼくらライオンの群れはていきてきにに住む場所を変えている。いどうするのはシマウマやインパラなんかの獲物を追うためなんだ。

その日、運悪くぼくは木から落ちて前足のつけ根にひどい怪我をしてしまった。血が沢山出たけど最初はあんまり痛いと思わなかった。木の下で寝転んで少し休もうと思ったら、痛くてもうそれっきり起き上がれなくなった。頭もフラフラする。

おばさんやビリーやマリアが寄ってきて、僕の傷をなめたりしてくれたけど、傷はそんなすぐに治るもんじゃない。ぼくは自分がこれからどうなるのか、だんだんわかってきた。だって、エイミーもドリーもそうやってお別れしたんだから。ぼくもきっとそうなる。


1頭また1頭、いどうを始めた。ビリーは最後までぼくのそばに残っていたけど、やがてゆっくり立ち上がって、ぼくに

「じゃあな」

と小さく言って、何度も振り返りながらゆっくりと遠くに行ってしまった。ぼくはそれを何も言わずに、見えなくなるまで見送った。


ひとりぼっちですごす夜は余計に腹が減るんだな。

星ばかりで何もない夜空が、まるでぼくのおなかの中をながめてるみたいに思えた。

遠くでハイエナの鳴き声が聞こえた。

おーい獲物ならここにいるぞーってほんとは叫びたかった。こんなままいるより、いっそハイエナに食べられたほうが楽かなって。

でもあの声は腹いっぱいのときの鳴き声だ。ぼくにはわかる。

知らない間にぼくは眠っていた。


そして次の朝。

痛みが昨日より少し良くなっていた。頭はまだフラフラするけど、喉がおそろしく乾いていてがまんができないほどだった。雲ひとつない空が朝日に照らされ、少しづつ青くなり始めていた。今日はきっと暑くなるから、朝のうちに水場まで行かなきゃ死んでしまう。

恐る恐る立ち上がってみたら、ゆっくりなら歩けそうだ。こんな体じゃもう獲物は追えないけど、喉が渇いて死ぬのはいやだったからぼくは水場まで行くことにした。

傷が痛いからゆっくりゆっくり歩いた。




気が付いたら、ぼくは小さなおりの中で寝ていた。


どこをどうやって歩いたのかよく覚えていない。

水をいっぱい飲んだことはおぼえているんだけど、そこからがよく思い出せない。

ぼくのおりのまわりに人間が寄ってきて何やら話をしている。どうやらぼくは人間につかまったらしい。やっぱりビリーの言ったとおりだ。人間はぼくを殺さずにつかまえることさえできるおそろしい生き物だったんだ。


「お前、人間に助けられたんだぜ」

おりの外にいた犬が言った。

「俺はジョン。お前は?」

「ぼくはクック。助けられたって?」

「お前、水場に落ちて溺れるとこだったんだ。怪我してるからっていうんで、人間が手当てしたんだ。その傷見てみな」

傷は痛みはまだあるものの、たしかに開いていた傷がふさがっている。

クックはジョンにたずねた。

「ぼくこれからどうなるの?こんなとこから早く出たいんだけど」

ジョンは、

「おりから出るだって?とんでもない!お前、そこから出たら俺たちを襲うだろう?ダメダメ。お前がどうなろうと俺には関係ないんだから」

何を言ってるんだか。

こんな体で一体どうやって襲うのか聞いてみたいもんだ。こんなバカ犬に聞くんじゃなかった。

それにしても、この体では獲物を狩るのは無理だ。今出てもぼくは生きていけない。さてどうしたものかと考えこんでしまった。


みんなは元気にしてるんだろうか。無事に次の場所に着いたのかな。


自由に草原を走り回るなかま達を思い出すと、ぼくは急に悲しくなった。

ぼくもまた一緒に暮らしたいな、そう考えるとポロポロと涙が出た。

ジョンはぼくが泣いているのをじっとながめながら、首を少しだけかしげた。


しばらくして人間がおりの前にやってきた。すると水と肉をおりの中に放り込んだ。やあこれはうれしい!腹がへって死にそうだったから、ぼくはその肉を夢中になって食べた。その様子を見ると、その人間はスタスタとどこかに行ってしまった。


その日からしばらくの間、ぼくははおりの中で暮らした。水と食べ物は毎日不自由はなかったけど、おりの中では立ち上がるのがやっと。せまくて気がおかしくなりそうだった。

時間だけはたくさんあったから、ジョンを相手に色々話した。

何でもジョンも人間に拾われたらしく、そのまま人間と暮らすことになったのだと言った。そしてどうやら、人間の世界にはジョンみたいに暮らす犬がたくさんいるらしい。

そこで、人間と暮らす為には条件があるのだとジョンは言った。


「いいか、人間と暮らすには俺たちみたいな犬にも守らなきゃいけないルールってもんがある。これを守れなきゃ俺たちだってきっと人間にひどい目にあわされる。大事なことはまず、人を噛まないこと。人間はな、見た目よりもっと恐ろしいんだ。俺たち犬の先祖も昔……」

そう言いかけて、ジョンは人間に呼ばれて走って行ってしまった。


そんな恐ろしい人間とジョンはなぜ暮らすんだろうか?

ぼくもあんなふうに、これから人間と暮らすことになるのだろうか?

でもジョンを見てるとまんざら居心地が悪いようには見えない。きっとジョンはそれなりに楽しく暮らせているんだろう。

そういわれればオオカミ達が昔、人間のこと犬のことを何やらヒソヒソ言ってるのを聞いたことがある。ジョンが言ってた先祖ってのはきっとオオカミ達のことだろう。見た目もそっくりだし。

なんかの間違いでオオカミ達が人間と暮らすようになったんだろうな。なるほど、エサを毎日もらえるんなら悪くはないのかもしれない。しかしあいつが付けている首輪がどうも気に入らない。あんなものをずっと付けなきゃいけないなら、ぼくならごめんだ。


おりの中からジョンと人間をながめながら、ぼくはかんさつした。

ジョンは人間達にいつも尻尾を降って、人間達もジョンを撫でたりじゃれたりして遊んでいる。

ビリーが言っていた、首から下げていたもの、はどうやら人間は持っていなかった。ぼくから見える人間はとても弱っちい生き物に思えた。

驚いたのは、ジョンが人間の小さな子供にも同じようにせっしていたこと。ぼくならあんな子供、きっとすぐに食べちゃうな。ジョンのまねはぼくにはムリだ。


人間達はぼくに食料と水を毎日もってきた。ぼくはそれを食べ、日に日に体が軽くなるのを感じた。

そうしてすごしていくうちに傷はだいぶ良くなった。もう走ろうと思えば走れるだろう。それにしても、人間てのは変な生き物だ。何でぼくをそのままにしとくんだろう。傷の手当てまでして、一体どういうつもりなのか、まったくわからない。

人間なんて、動きもゆっくりだし弱そうだし。

ぼくらライオンは強いんだぞ。ぼくらを見たらヒヒの群れだって逃げ出す。けれど、ぼくはこうして人間達につかまっている、なんかおかしいな。自分に何がおきてるのかまださっぱりだった。

考えこんでいると、3人くらいの人間がおりの前に来て、ぼくのことを何やら話していた。




次の日の朝、ジョンはぼくに言った。


「今日でお別れだな」


ジョンはそれだけ言うと走ってどこかに行ってしまった。

お別れって言葉にはあんまりいい思い出がない。ぼくは胸騒ぎがした。


昼過ぎになって、ぼくのおりを載せたトラックが草原に向かって動きだした。きっとこのままどこかでぼくは殺されるにちがいない。

ぼくは深呼吸した。草原の空気を胸いっぱい吸うと、なんだか不思議と少し穏やかな気分になれた。トラックはそのまま草原を走り続けた。


トラックはぼくが走るようなスピードで休むことなくどんどん進んでいく。ぼくは人間のすごさを今になって感じたんだ。こんなものを人間は使っているんだ、人間は弱くないじゃないか。ぼくなんかがかなう相手じゃないんだ。


やがてある場所までくるとトラックはピタリと止まった。

人間達はトラックからおりて、ぼくをを見ている。首から変なものを下げていた。ビリーが言ってそれらしいものを手に持っているのが見える。きっとあれのことだな。それを見た瞬間、体がブルブル震えた。

ぼくから離れて立っているのは、離れていたって象だって倒せるものだからだ。

あれでぼくは殺されるんだ。


やがてガシャンという音とともに、突然目の前のおりの扉が開いた。扉の向こうには、草原に向かって落ちてゆく夕日が見えている。

ぼくは迷った。夕日に向かって走りたい。走っておばさん達やビリー達に会いたい、そう思ったら前足が1歩、勝手に前に進もうとした。でも怖いんだ。出たらぼくは殺されるんだ。そう考えたらなかなか出られないんだ。心臓がバクバクして頭の中を何かが勝手にグルグル回っていた。


しばらくおりの中でもじもじしていた次の瞬間、


パーン


聞いた事がないくらいすごい音。

驚いてぼくは思わずおりから飛び出してしまった。人間達を見た。ぼくを睨みつけている。そしてまた


パーン


ぼくは走った。後ろに遠ざかる人間達がぼくにむかって何か叫んでいたような気がしたが、恐ろしくて走り続けた。まるで走っても走っても足りないような気がして、無我夢中になって夕日を目指した。

やがて足から伝わる草の感触に気が付くと、走るスピードが自然と落ちて何とか落ち着けた。そしてようやくわかったんだ。ぼくはまた草原に戻れたんだって。


遠くの夕日の下にシマウマの群れがトボトボ歩いているのが見えた。ぼくは立ちすくんでしばらくそれをながめていた。



あれからどのくらいの月日が流れたのか。

ぼくは草原をさまよい、小さなウサギなんかをつかまえながら毎日を過ごした。いくつかの別のライオンの群れに出会って、そのたびに追い返されたり戦ったりした。

草原は広い。1度はぐれた仲間と出会うなんてどれほど大変なことか。

草原をさまよううちに、ぼくのたてがみもずいぶん立派になった。どうやらぼくは大人になれたようだ。

離れた仲間とは出会えていない。でもきっと今会ってもぼくのことを分からないだろう。もしかしたら敵だと勘違いするかもしれない。だから会わないほうがいいんだ。

それに、大人になったオスは群れから出ていかなくちゃいけない。もともとそういう決まりだからさ。だからこれでいいんだ。


ところで新しい群れも作った。ぼくの家族さ。

これから生まれる子供達には、人間についてやっぱりおばさん達と同じように教えようと思う。だって説明してもきっとわからないと思うからさ。

違う世界に住む生き物だから、できるだけ離れたほうがいいって。それしか説明のしようがない。


人間の何が恐ろしかったのかって?

今になって説明するのも簡単じゃあない。でもぼくは人間に生かされたんだ。

でも一体なんのためなんだろ?

そんなことは草原ではありえないから、きっと説明しても分かってもらえないだろうな。ぼくだってまだわからないんだから。


でも今でも時々、星がよく見える夜にじっと考えながら眠るんだ。


ジョンは元気かなぁって。

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