023 生還とは
結衣はしばらく無反応だった。
真っ暗なのでどういう表情をしているのか分からない。
「あの、結衣さん、すみません、俺、出しゃばってしまい――」
「なによ、安い恋愛ドラマみたいなセリフを言っちゃってさ」
結衣が立ち上がる。
俺の胸に手を当てると、思いっきり突き飛ばした。
「馬鹿みたい。そんなセリフで感動するのはドラマの女だけだっての。キモいにも程があるのよ、あんた」
尻餅をつく俺の隣を、結衣が歩いていく。
(このクソ女……ふざけんじゃねぇぞ)
などと思うわけだが、口には出せない。
それが芸能界というものであり、それが仕事というものだ。
雪穂には劣るが、俺にも多少のプロ意識はある。
「あ、そうそう、言い忘れていたけど――」
結衣が振り返る。
「――この件は誰にも言うなよ」
「もちろんですよ……」
「それと、私のこと嫌いになったと思うけど、仕事中はそんな素振り見せるなよ。もう素人じゃないんだからな。私だって今までと変わらない振る舞いをするから」
「分かってますよ……」
「だったらいいわ」
結衣がスタスタ戻っていく。
俺は立ち上がり、その後に続いた。
「吉川君、あったよー、非常用のランタン!」
出入口の傍に着くなり結衣が言ってきた。
早くも悪魔から芸能人に戻っている。
よく見るとアクションカメラを装着していた。
「こういう時はランタンに頼らないといけませんね」
「うんうん、非常事態だもんね」
何事もなかったかのように会話を展開する。
「これ、吉川君のカメラ!」
「あ、どうも、ありがとうございます」
渡されたアクションカメラを服に装着する。
それから俺達は洞窟の奥へ行き、保存食を持って戻った。
◇
以降、結衣が誘惑してくることはなかった。
警戒していた就寝時間もあっさり終わった。
そして翌日。
この日も豪雨は続いていた。
俺達は洞窟に籠もって過ごす。
保存食と飲み水をちびちび消費しながら。
飲み水は念の為に煮沸した。
時間が経ったせいか昨日より不味かったからだ。
この環境で腹を下すことは避けたい。
体内の水分を一気に失ってしまう。
「吉川君、質問してもいい?」
結衣は壁にもたれてスマホを弄っている。
「いいですよ、どうかしたんですか?」
俺は焚き火の傍に座ってぼんやり外を眺めていた。
スマホはあまり触らないでおく。
モバイルバッテリーがあるとはいえ、充電は大事にしたい。
「吉川君のお爺さまの無人島って、スマホが使えないんだよね?」
「スマホというか、電話関連は全部無理ですね。電波が届いていないので」
「でもこの島は使えるでしょ?」
「はい」
「どういうことなの?」
「島を買い取った際にテレビ局が工事して対応したのか、もしくは最初から圏内だったのでしょう。おそらく後者だと思います」
「無人島なのに圏内ってことあるの?」
「最近ではそれが普通ですよ。むしろ爺ちゃんの島がおかしいんです。本土からそれほど離れていないのに電波がまるで届かない」
「へぇー、そういうものなんだ」
他愛もない雑談だ。
こうして話している限りだと、結衣はまともな人だった。
◇
雨が止んだのは三日目の朝だった。
思ったより早い。
しかし本土は豪雨だった為、迎えが来るのはその日の夜になった。
諸々の事情から、テレビ局の人間ではなく自衛隊が救助にやってきた。
「お手間を取らせてしまって本当にすみません」
「気にしないで下さい。番組、我々も楽しく観ていますよ! よろしければあとで記念撮影していただけませんか?」
「もちろん、そのくらいお安いご用です」
隊員達に案内されて船に向かう。
この島に来るのは初めてなのに、彼らは俺よりも動き慣れていた。
なんちゃってサバイバリストとガチガチのプロとの差を痛感した。
◇
本土に戻った俺と結衣は検査入院することになった。
人間ドックかよってレベルの徹底した検査を受ける。
結果は異常なし。
外傷は当然として、体内にも問題が見られなかった。
検査で注目されるのは細菌だ。
食中毒を筆頭に寄生虫なども調べられる。
これらは見た目では分からない。
なので、何度検査しても結果を聞く時は不安になる。
幸いにも問題なかったので、すぐに退院となった。
◇
「無事でよかったよ本当!」
「心配かけてごめんな」
「ううん! 大吉君が元気そうで何より!」
雪穂と会ったのは退院した後のこと。
病院から出た俺と結衣を温かく迎えてくれた。
「結衣さんも無事で何よりです!」
「ふふ、ありがとう」
「ウチの大吉君が粗相をしませんでしたか?」
「そうねぇ……」
結衣が妖艶な笑みを浮かべる。
「特にないかな。彼はとても紳士だったから」
「おー! 大吉君、偉いぞぉ!」
雪穂が頭を撫でてくる。
俺は「恥ずかしいからやめろ」と苦笑い。
心の中では安堵していた。
結衣が腹いせに暴走しないか不安だったのだ。
「それじゃ、私は次の仕事があるからこれで。吉川君、高峯さん、番組に出させてくれてありがとう。すごく貴重な経験になったわ」
「こちらこそ出演していただきありがとうございました!」
雪穂が深々と頭を下げる。
少し遅れて俺も「ありがとうございました」と頭を下げた。
「今日は大吉君の無事を祝ってお寿司を食べよう!」
「医者から生ものは2~3日控えるよう言われてるんだ」
「だったらお肉だね! 肉! 肉を食べよー!」
「ははは、そうだな」
ほどなくしてやってきたマネージャーの車に乗り、俺と雪穂は帰路に就く。
こうして、スペシャル回の収録は終了した。
結衣は特に暴走せず、悪魔と化した夜のことは闇の中に消えた。
結衣との件は、雪穂にすら言わなかった。
隠し事をするのは気が引けるが、言わない方がいいと思った。
言えば雪穂の仕事に支障を来す。
それだけは何があっても避けねばならなかった。
自分が楽になりたいからといって、彼女の邪魔はしたくない。
そして、その後は何食わぬ顔で仕事をこなす。
――はずだったが、そうはならなかった。
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