003 サバイバルとは

 現代の風邪薬に比べると、葛湯なんて大した効果はない。

 当然といえば当然だが、雪穂の風邪は治るどころか悪化した。


「ゲホッ、ゲホッ。咳は酷いし、鼻水もジュルジュル……ごめん……」


 雪穂は辛そうな顔で煎餅布団に入っている。


「だから謝らなくていいって」


 俺は彼女の頭を優しく撫でた。

 不安そうにしているので手を握ってあげる。

 彼女のファンに見られたら火炙りにされかねない行為だと思った。


「なんで葛湯を飲んだのに悪化するんだろう……」


「その考え方は駄目だ」


「えっ」


「葛湯のおかげでこの程度しか悪化せずに済んだ、と思うべきだろう」


「大吉君はポジティブだね」


「それが正しい見解だし、何よりそうでなくては俺の努力が浮かばれない」


「それもそうだ!」


 雪穂は笑った後、布団の中へ向けて咳き込んだ。

 クシャミの頻度が減った一方、咳が激しくなっている。

 肺炎になっていないかが心配だ。


「言われなくてもそうしていると思うが、大人しくしていろよ」


「うん。大吉君はまたどこか行くの?」


「いや、雪穂のおかゆを作る」


「お米があるの?」


「爺ちゃんに非常用で持たされた分がある。安心してくれ、風邪薬と違ってこいつの期限は問題ないから」


「あはは、それなら安心、ゲホッ、ゲホッ」


 俺は土間へ行き、竈を使って米を炊く。

 雪穂は寝間からその様子を眺めている。

 土間と寝間の間に居間があるので見えにくそうだ。

 居間にある囲炉裏がいい感じの妨げになっていた。


「大吉君、私のために色々してくれてありがとう」


 俺は振り返り、ニッと笑った。


「ようやく成長したな」


「成長って?」


「ごめんなさいじゃなくてありがとうって言ったことだ」


「あっ」


「私のせいでごめんってセリフは聞き飽きたからな」


「あはは、ごめん」


「だから謝らなくていいって」


「そうだけど、申し訳ないと思っちゃうんだもん」


「これを機に『ありがとう』って言えるよう練習しとくんだな」


「うん!」


 雪穂は「ありがとう」と微笑んだ。


 ◇


 布団が一つしかない為、俺は畳で寝ることにした。

 健全な男子高校生なので、夜になると性的な妄想に耽った。

 脳内ではアレコレ楽しんだが、現実ではアレもコレもなかった。

 俺の理性はなかなかしっかり者のようだ。


 そして、次の日――。

 朝、外から聞こえる音で目を覚ました。

 ザーザー、ザーザー、本当にうるさい。


 雨だ。

 それも豪雨である。


「残念だな雪穂、今日も俺とここで過ごすしかないようだ」


 雨の日は狼煙が上がっていなくて普通だ。

 だから爺ちゃんは狼煙を確認しない。


「残念だけど、よかったとも思うかな」


 雪穂は自身の服に着替えていた。

 囲炉裏のおかげで乾いていたのだ。


「なんでよかったんだ?」


「だって、大吉君とたくさんお話しできるから」


 アイドルにそんなことを言われるとドキッとする。

 照れくさいあまり手のひらで口を拭いてしまった。


「な、なんで、俺と話がしたいんだ?」


 声が上ずる。


「だって、昨日は体調が悪くて全然話せなかったから。2週間とはいえ無人島に一人で生活している同い年の男子とか面白いじゃん。それに、私ができるお礼って会話くらいしかないから」


「会話がお礼になるのか?」


「だってほら、アイドルだし! 握手会とかもやってるし!」


「たしかに筋が通っている」


 雪穂はすっかり元気になっていた。

 病み上がりなので油断できないが、これなら問題ない。

 葛湯が効いたようだ。


「じゃ、大吉君のことを教えてよ! 彼女はいるの?」


「いい質問だな。実は浮気された挙げ句に捨てられたぜ」


「あっ、ごめん、悪いこと訊いちゃった……」


「はい、雪穂の負け!」


「えっ」


「謝ったから負けだ」


「いつから勝負してたの!?」


「今からだ。謝る必要がない時に謝ったら負けってことで。次から負けたらデコピンな」


「うぅぅぅぅ……! 私が一方的に負けるゲームとかずるい……!」


「最後まで負けなかったら美味しい料理を作ってやろう」


「だったら頑張る! 昨日のおかゆもすごく美味しかったし!」


「現金な奴だな。ちなみに、元カノの件は別に悪いことじゃないから、知りたいならガンガン訊いてくれていいよ」


「分かった! ならガンガン訊いちゃう!」


 その日はひたすら会話を楽しんだ。


 ◇


 翌日、8月19日。

 この日は晴れだったが、驚くべきことが起きた。


「おいおい、本気で言ってるのか?」


「うん、本気だよ。いいでしょ?」


「別にいいけど」


「だったら今日もよろしくね!」


 雪穂が帰りたくないと言い出したのだ。

 正確には、サバイバル生活を体験していきたい、と。

 ガチガチのサバイバルではない点が気に入ったらしい。


「テレビでも無人島の開拓とかやっててさ、上手くいけば安定して視聴率すうじを取れるんだよね。芸能界で生き残りたい私としては、そういう番組にも進出できたらなって思っていたの」


「それは立派な心がけだと思うが、トラウマとかないのか?」


「トラウマって?」


「だって撮影中の事故でこの島に流れ着いたんだろ?」


 彼女は無人島に関する番組を撮影しようとして事故に遭ったのだ。

 移動中の船が転覆したらしい。


「そうだけど、移動中の事故だから問題ないよ」


「それもそうか」


「よーし! まずは火の熾し方から教えて!」


「任せろ。まずはライターを取り出します」


「違うでしょ!」


「「がはは!」」


 冗談も言い合える仲になっていた。


 ◇


 問題なく8月19日が終わり、最終日になった。

 自分達で釣った鮎の塩焼きを食べた後、海辺に向かう。

 爺ちゃんのオンボロ漁船がこちらへ近づいてきていた。


「あー、昨日は面白かったー! 大吉君は本当に凄いね!」


「そうか?」


「釣り竿を自作したり、干し肉を作ったり、なんでも出来るじゃん!」


「満足してもらえたようでなによりだ」


 爺ちゃんの船が到着する。


「おー、大吉……と?」


 爺ちゃんが雪穂を見て目をパチクリさせる。


「すまん大吉、爺ちゃん目がイカれたようだ。お前の横にえらいべっぴんさんが立っているように見える」


「はじめまして、高峯雪穂と申します」


 雪穂がお辞儀する。


「ひぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! オバケじゃ! 大吉、オバケがおるぞ! 爺ちゃんオバケの声が聞こえるわい! まずいぞ大吉ィ!」


「爺ちゃん、彼女はオバケじゃないよ。それに爺ちゃんの目がイカれたわけでもない。正真正銘、本物の人間だ」


「なんじゃとぉ!?」


「とりあえず船に乗ろう。話はそれからだ」


 三人で船に乗り、本土を目指す。


「――とまぁこんな感じだ」


 雪穂のことをかいつまんで説明した。

 もちろんアイドルということは伏せておく。


「そりゃお前、運命じゃないか! 雪穂ちゃんと言ったか? ウチの大吉と結婚してやってくれ。こう見えてなかなかエエ男なんじゃよ」


 爺ちゃんは大興奮。

 雪穂は「分かりました!」と笑顔で答える。


「爺ちゃん、真に受けるなよ? 話を合わせてくれているだけだからな?」


「分かっておるわい!」


 話が落ち着いた頃、スマホの電波が復活していた。

 モバイルバッテリーを使って充電も回復させておく。


「これで連絡するといいよ」


「何から何までありがとうね」


 雪穂は俺のスマホをポチポチ操作して連絡する。

 連絡先は消防や家族ではなく、所属している事務所だった。

 その姿を見ていると、彼女が芸能人であることを実感する。


「ありがとう、大吉君。落ち着いたらお礼させてね」


「流石に本土じゃ会えないだろ。それにどうやって連絡とるんだ、俺と」


「連絡はとれるよ。大吉君のスマホに私の連絡先を登録したから」


「マジかよ」


 スマホを確認すると、確かに雪穂の情報が登録されていた。

 スマホの電話番号、メールアドレス、さらにはラインまで。


「他の人には教えないでね。それ、プライベートの連絡先だから」


「プライベートの連絡先じゃなくても教えないよ。マナーは守る」


「大吉君ならそう言うと思った」


 ほどなくして船が本土に着いた。

 船着き場には雪穂の事務所が手配したであろう大人達が待っていた。


「ありがとうね、大吉君。島でのことは忘れないよ」


「おう、俺もいい思い出になったよ」


 黒のスモークが貼られたワンボックスで去っていく雪穂。

 俺と爺ちゃんは、威圧的な黒服から感謝の言葉と共に大金を渡された。


「今回のことは他言無用でお願いします。絶対に」


 黒服は「絶対に」を強調しまくっていた。

 他言したら殺されそうな雰囲気が漂っていて、俺と爺ちゃんの金玉は縮んだ。

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